tag:blogger.com,1999:blog-2460436643921535372024-02-19T15:54:05.226+09:00Rosebushrenkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.comBlogger90125tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-14420608803698620572019-11-04T16:59:00.002+09:002019-11-04T16:59:51.780+09:00十二国記「白銀の墟 玄の月」(一)(二) ネタバレまとめ18年ぶりに「十二国記」の新刊が出て、ファンの間では「続きが待ち遠しい!」と話題の「白銀の墟 玄の月」ですが、いよいよ続きの三巻、四巻の発売が今週末に迫って参りました。<br />
今回は『続編発売直前・おさらいまとめ』として、ネタバレ全開で一巻、二巻の出来事を可視化してまとめてみました。加えて、気になった「チェックポイント」もメモしています。<br />
<blockquote class="tr_bq">
ネタバレ全開ですので、新刊未読の方はここから先は各自のご判断でどうぞ。又、「十二国記」を読んだ事が無い方にはサッパリ判らない内容ですので悪しからず。</blockquote>
<br />
<b>メモを取りながらの二度読み</b><br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi8Q-0Q_U2VaBOcpSuPyS2_P011MdBXS-kdN4ZHMkoqvxbeDUTXEqbA2mf_lnyigjZuQg6cgewtl75Q95ncY8OFobkubM3qKTJ0ZbIxuaGpd8OjMoUWl9FLj001RGturd3Qz2P_eKhX6eM/s1600/IMG_9823.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1600" data-original-width="1600" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi8Q-0Q_U2VaBOcpSuPyS2_P011MdBXS-kdN4ZHMkoqvxbeDUTXEqbA2mf_lnyigjZuQg6cgewtl75Q95ncY8OFobkubM3qKTJ0ZbIxuaGpd8OjMoUWl9FLj001RGturd3Qz2P_eKhX6eM/s400/IMG_9823.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">一度読んだだけでは詳細が頭に入らないので、メモを取りながら再読。メモは7ページにも及んでしまった!</td></tr>
</tbody></table>
「十二国記」読者なら「あるある」だと思うけれど、このシリーズはとにかく「難しい漢字の固有名詞」のオンパレードである。頻繁にルビをふってくれているものの、途中で「???何て読むんだったっけ???」と戸惑う、人物名やら、地名やらが出て来て、それに悶えて悩むのも「十二国記の楽しみ」の一つである。<br />
<br />
けれど、今回の新作はこれまで以上に、登場人物が多く、地域を移動する描写がかなり混み入っていて、私なぞは途中から「李斎達は今何処に居るんだっけ?」と、場面設定が曖昧になってしまった。<br />
「これでも相当に内容を削った」と、最新インタビューで小野主上(!)は証言されていたが、今以上に緻密だったのかと思うと、小野不由美氏の構想力の高さには本当に脱帽する。<br />
<br />
漢字の「よみがな」やら、起こった出来事やらを書きながら再読したら、メモが7ページにもなってしまったので、折角だからその内容を可視化してみた。<br />
<br />
以下、続巻を読む時の参考になるかも知れないので。。<br />
<br />
<br />
<b>地図に足取りと出来事をプロット</b><br />
職業柄、情報を可視化する事が多いので、今回、自分用にメモした内容を、少し整えて物語の地図に落とし込んでみた。<br />
各巻の巻頭に掲載されている「十二国記」の地図を、独自にトレースして、自分好みに加工した上に<br />
<ul>
<li>登場人物の足取り</li>
<li>里廬別の出来事</li>
<li>驍宗の目撃証言</li>
</ul>
の3つを、それぞれにプロットしてある。 ちょっと高めの解像度で書き出しているので、スマホでは拡大表示したり、或いは、画像だけプリントアウトして読書中の「栞」替わりに使って頂いても便利かも知れない。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjITmPXh6FdmV4atZxnLm8TsOyIpvp2lzw4nwBfDpyKg5E2ZgaJ-sJZtvj_PTyyiCYdOolQEKJ82mDVd_r1dmtNg8yr6Dq5M91ETFwdTCAWJyBaHAgCkhfvZUWGZ7OQ_QTbZ0LmDgEJgdQ/s1600/%25E6%2588%25B4%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E5%259C%25B0%25E5%259B%25B3%25E3%2581%25A8%25E8%25B6%25B3%25E5%258F%2596%25E3%2582%258A-01.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="851" data-original-width="872" height="390" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjITmPXh6FdmV4atZxnLm8TsOyIpvp2lzw4nwBfDpyKg5E2ZgaJ-sJZtvj_PTyyiCYdOolQEKJ82mDVd_r1dmtNg8yr6Dq5M91ETFwdTCAWJyBaHAgCkhfvZUWGZ7OQ_QTbZ0LmDgEJgdQ/s400/%25E6%2588%25B4%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E5%259C%25B0%25E5%259B%25B3%25E3%2581%25A8%25E8%25B6%25B3%25E5%258F%2596%25E3%2582%258A-01.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr align="left"><td class="tr-caption">泰麒と李斎が戴へ帰って来てからの足取りと、順次加わっていく「旅の仲間」の名前を整理。最初に読んだ時は「鄷都」が加わったあたりから、人物の区別が段々つかなくなって苦労した。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEik2jtpH7sf5iXYNXfsoCHvZvhYdcjVEvlH7JhMXQe4-Q4d4wGtdJAKbHKSUlTNslfH_CoCyERzUTfwzqTBg3tdL6xyeTcoGNMOa_1jd4m7qw8tXKgRy56Yn9mtvcW6mUqYqt9GgQlEyFw/s1600/%25E6%2588%25B4%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E5%259C%25B0%25E5%259B%25B3%25E3%2581%25A8%25E8%25B6%25B3%25E5%258F%2596%25E3%2582%258A-02.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="639" data-original-width="1058" height="241" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEik2jtpH7sf5iXYNXfsoCHvZvhYdcjVEvlH7JhMXQe4-Q4d4wGtdJAKbHKSUlTNslfH_CoCyERzUTfwzqTBg3tdL6xyeTcoGNMOa_1jd4m7qw8tXKgRy56Yn9mtvcW6mUqYqt9GgQlEyFw/s400/%25E6%2588%25B4%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E5%259C%25B0%25E5%259B%25B3%25E3%2581%25A8%25E8%25B6%25B3%25E5%258F%2596%25E3%2582%258A-02.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr align="left"><td class="tr-caption">里廬別に、重要と感じた出来事と登場人物のみを整理。文州に入ってからの動きを時系列に矢印で地図に落とすと、見た目が煩雑になって分かりにくくなってしまったので断念。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh2p4Qulht6MuKy81YUVmdB8LiDHAgcfeUrGK-veUHiuPhCbF40z76pY69fbrbrZyevo3b9Oce0s-fH5k-5DJ6AKnzw2PeujVkoWsnveeTe-NrPHqbz_nGJq4GvGk-pWmI9OoqsDZub9hg/s1600/%25E6%2588%25B4%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E5%259C%25B0%25E5%259B%25B3%25E3%2581%25A8%25E8%25B6%25B3%25E5%258F%2596%25E3%2582%258A-03.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="1059" height="241" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh2p4Qulht6MuKy81YUVmdB8LiDHAgcfeUrGK-veUHiuPhCbF40z76pY69fbrbrZyevo3b9Oce0s-fH5k-5DJ6AKnzw2PeujVkoWsnveeTe-NrPHqbz_nGJq4GvGk-pWmI9OoqsDZub9hg/s400/%25E6%2588%25B4%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E5%259C%25B0%25E5%259B%25B3%25E3%2581%25A8%25E8%25B6%25B3%25E5%258F%2596%25E3%2582%258A-03.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr align="left"><td class="tr-caption">切れ切れに集まって来る、驍宗に関する情報を場所別に整理。「轍囲へ抜ける山道を丘の上から見下ろしていた兄弟の証言」の位置が、地図に落としてみるまで勘違いしていた。</td></tr>
</tbody></table>
実在しない場所の地図を、ここまで作らなくてもいいだろうと、自分でも苦笑しつつ、文章で読んでいるだけだと、今ひとつイメージが湧かなかった「文州周辺」の話が、地名を頼りに落として行くことで、互いの里廬の位置関係が見えて来た。<br />
恐らく、小野不由美氏も最初に地図を作ったはずで、そこから物語を紡いでいる様子が垣間見えて、堪らなく面白い。<br />
<br />
例えば、嘉橋から轍囲へ行くのに<br />
<blockquote class="tr_bq">
「街道を使えば6日かかるが、山道を使えば3日で行ける、途中山道で一泊しなければならないが、その方が早いので轍囲の人間はよく使うんだ。」</blockquote>
という証言の箇所など、最初に読んだ時は「ふーん」と流してしまったが、地図作業をしてみると「おお!こっちの道だったのか〜!」」という発見があって、それだけでも「描いてみて良かった。」と思ったりする。<br />
<br />
<br />
<b>三、四巻へ向けてのチェックポイント</b><br />
既に読み終えた読者諸氏におかれては、いろいろと「ここポイントだろう!」と数々に散りばめられた「伏線」を巡って、あれやこれやと推理する楽しさの真っ最中ではなかろうか。<br />
私も御多分に洩れずなので「気になったポイント」を以下にまとめてみたいと思う。<br />
<ul>
<li><b>十二国記初「宗教団体」の存在</b></li>
</ul>
<ol><ul>
<li>これまでの十二国記では「民の暮らし」は詳細に描かれてはいるものの、宗教に関して言及されている話は無かった。</li>
<li>ところが、今回、阿選を「王位の簒奪者」として糾弾した、瑞雲観(道教)の存在が大きい。政府とは別に「組織だった団体がある」という設定は、十二国記読者にとって、なかなか新鮮な感覚では無かろうか?</li>
<li>しかも、「瑞雲観」と「石林観」という宗派で、確執があるという設定が、なかなかリアルで、これまでは、王の『徳の優劣』に翻弄される『か弱き民』、という割とシンプルな直接関係しか無かった世界に「イデオロギー」が介在し始めているのかな?と思うと、往年のファンにとっては、この進化もたまらなく面白い。</li>
</ul>
</ol>
<ul>
<li><b>驍宗腹心の部下達の安否や如何に?</b></li>
</ul>
<ol><ul>
<li> <b>逃走して行方不明の人物</b>:英章、霜元、臥信、芭墨、花影</li>
<li><b>白圭宮に居ると思われる人物</b>:琅燦、巌趙(下僕に降格?)、正頼(監禁?)</li>
<li>「黄昏の岸 暁の天」でもお馴染みの、驍宗政権の中枢メンバーは、琅燦以外、とうとう一、二巻では登場しなかったが、琅燦と阿選の「不思議な支配関係」は続編でも必ずや重要要素になると思われる。</li>
<li>一見「裏切ったか琅燦!?」と思える振る舞いをしている彼女であるが、作中の彼女は、<b>阿選は「呼び捨て」、驍宗を「様」付け</b>で呼んでいる所に、彼女の真意があるのではと思える。博覧強記の才女であるから、深謀遠慮の末の行動なのでは??と期待もしている。(^ ^)</li>
</ul>
</ol>
<ul>
<li><b>新世代の主役達</b></li>
</ul>
<ol><ul>
<li>女私兵「<b>耶利</b>」と、驍宗を看取ったとされる「<b>回生</b>」が、若き新世代の主役達になるのは、ほぼ確実。(たぶん)</li>
<li>ファン心情としては「二巻の結末」は「いやいや、これでお終いじゃないでしょう!」と誰も信じていない状況ではあるが、果たしてここから、どう「理屈」を付けて話が進んで行くのか、小野主上の「ストーリーテリング」の手腕に、ただただ期待をしたい。</li>
<li>因みに、、<b>耶利の「主人」は琅燦</b>ではないか?と私は睨んでいる。</li>
</ul>
</ol>
<ul>
<li><b>阿選は何を語るのか?</b></li>
</ul>
<ol><ul>
<li>ネットですっかり有名になってしまった「<b>鳩の鳴き声</b>」が、阿選を取り巻く環境に蔓延する「何事にもやる気を失う」どんよりとした空気の誘発剤になっていそうなのは確かであるが、、一体あの正体は「何」なのだろう?</li>
<li>悪事ですら「やる気がなくなる」とは、なかなか斬新な設定で「そう来たか!」と思っているが、「感染する人、しない人の間にある違い」も含めて非常に気になる。</li>
<li>そして、阿選は十二国記の中で、これまでまともに語った事が無く、一体何を考えているのか、内面が掴みにくいキャラクターなので、そこの部分にも言及があるのではないか?</li>
</ul>
</ol>
<ul>
<li><b>無名の人々は一体誰なのか?</b></li>
</ul>
<ol><ul>
<li>伏線として、数多くの「無名の人々」の描写が挿入されているが、特に気になったのが。。</li>
<li>姉が飢え死にをしてしまった、貧しい三姉弟妹(函養山に向かって毎月供養をしていた)</li>
<li>卵果が落ちて割れてしまったのを悲しんでいた若い閭胥。</li>
</ul>
</ol>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<br />
これ以外でも「あれは何?」「あの人は誰?」と謎が尽きない訳であるが、語り出したらきりが無いので、今回はこの辺で。。<br />
<br />
<br />
続巻発売後、答え合わせ的に「最終まとめ」も書かなくちゃならないだろうなぁ。。。<br />
ともあれ、残りの数日を一日千秋の思いで、絶賛待機中である。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-76397958743511504502019-10-12T01:07:00.000+09:002019-10-12T10:41:29.958+09:00十二国記を待ちわびる 〜18年ぶりの新刊に寄せた雑感〜<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEipTznqIGKasAPiEVfXvF6to3iYyYzsNNO89Owx-PvqxAxJHkJtdmoqEVm4oyXV6VhIF_8-2T31Kp76jthBiD1gHOGpHTRAWIA4udLDIJX85yVX6eJhONULr8pnirISY5HP_CzLPEmnYzo/s1600/%25E3%2582%25B9%25E3%2582%25AF%25E3%2583%25AA%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%2583%25E3%2583%2588+2019-10-11+21.40.01.png" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1004" data-original-width="1002" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEipTznqIGKasAPiEVfXvF6to3iYyYzsNNO89Owx-PvqxAxJHkJtdmoqEVm4oyXV6VhIF_8-2T31Kp76jthBiD1gHOGpHTRAWIA4udLDIJX85yVX6eJhONULr8pnirISY5HP_CzLPEmnYzo/s400/%25E3%2582%25B9%25E3%2582%25AF%25E3%2583%25AA%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%2583%25E3%2583%2588+2019-10-11+21.40.01.png" width="398" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">小野不由美「十二国記」公式アカウント投稿より。</td></tr>
</tbody></table>
「十二国記新刊発売」の報を聞いて、何か書き残しておきたくて。。<br />
<blockquote class="tr_bq">
十二国記を読んだ事がある方向けの、ネタバレ全開の内容です。未読の方には悪しからず。</blockquote>
<br />
<b>十二国記を読み返す</b><br />
「驍宗はどうなってしまったのか?角を失った泰麒、隻腕の李斎、何の力も持たない二人で戴国へ旅立ってその先一体何が待ち受けているのか。。。」<br />
<br />
、、で途切れてしまって、早18年。私は10年待ちだから「初期のファン」に比べたら半分しか待っていない若輩者だが、それにしても「この続きが未完だなんて。。」と、一人で小さく叫んでしまったのを今でも覚えている。<br />
<br />
「十二国記」を誰かに勧めるのはとても難しい。。実際「どこから読み始めるか」で「月の影〜」ルートと「魔性の子」ルートがあって、ファンの間でも意見が別れるところらしい。(私は「月の影」からルート)<br />
<br />
物語の設定を「王様が居て、麒麟が居て、十二の国があって。。」と箇条書き的に羅列すると「ああ、よくある異世界ファンタジーね。」で片付けられて「そうじゃないんだ、もっと深い話じゃないんだ!」と力説して一人空回りする「悲しいループ」に入ったりもする。(涙)<br />
<br />
因みに、私は普段そんなにファンタジーは読まないので、「きっと〇〇みたいな作品だね。」と言われても、〇〇を読んだ事が無いから比較検討の上「いや違う!」って反論が出来ず、悶々とする事がとても多い。(^_^;)<br />
<br />
そんな事もあるけれど、どう言われてもファンである事に揺るぎは無いので、新刊が出るにあたり、急いで既刊本の読み返しを始めている。講談社文庫時代に二度、新潮社から完全版が出た時にもう一度読んで、今回で四回目の「通し読み」を現在進行中だ。<br />
<br />
既に知ってる内容ばかりだけれど、待ち続けた10年を経て読むと、以前読んだ時とは違う印象を受けるから物語は面白い。<br />
<br />
<b>大好きな驪媚(りび)〜その他市井の女性たち〜</b><br />
この長い物語で大好きな人物は多いが「東の海神 西の蒼海」に登場する驪媚は特に印象的で心に残る。<br />
<br />
彼女は、自分が最も危険な立場に追い込まれる役職であるのを承知の上で、尚隆からの任命を受け、自分の命を差し出す事で、考えの浅かった六太を諭す。<br />
渾身の迫力で「尚隆の考えていること」を六太に説明するくだりは、何度読んでも唸って痺れる。そして結末を思うと、より一層切なくもなる。<br />
<br />
私がもし驪媚だったら、あの様に自分の命と引き換えに役目を果たす勇気があるだろうか?そんな事も考えるし、彼女の聡明さを見抜いて「すまぬ」と謝りながら死地へ赴かせた尚隆とのやり取りを読むと、上司と部下と言う関係を越えた、堅い信頼の上で「何としても国を興す」というそれぞれの決意に凄く心打たれる。<br />
<br />
この巻には他にも「意を決した女性達」が複数いて、赤ん坊を抱きながら「徴兵に志願しに来た若い母親」や、六太を牢獄から逃した罪に問われて「妖魔に食い殺される女官」など、市井の名もなき民でありながら「この国を揺るがせにしてなるものか。」という、彼女らの必死の想いが、新しく王として立った尚隆を支えている。そして、その想い一つ一つを「我が身」と称して想いやる尚隆は、やはり優しくて器が大きい。<br />
<br />
「東の海神〜」はその尚隆の「戦略判断」が、小気味いいほど安定していて「大逆転の勧善懲悪」なカタルシスがある。テンポ良く、ハラハラと物語は進むけれど、実は一番安定した娯楽性の高いエピソードだなと私は思っている。<br />
------------------<br />
2019年10月12日(土) いよいよ、待望の新刊発売日なのに、超弩級の大型台風19号が接近中で、どうやら初日に新刊を手に出来る人は少なさそうだ。<br />
十二国ファンは「蝕だ」と言ってネットで騒いでいるが、今回の台風で甚大な被害が出ないよう、祈るばかり。<br />
そろそろ、新刊を手にした第一陣の「ネタバレ感想」が出て来始めるから、ハッシュダグ検索は控えるようにしないと。。<br />
待ちに待った愛読者の心の中にも「王が御渡りになる蝕」が起きることになるだろう。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-1694766757246664352015-05-05T23:34:00.001+09:002015-05-05T23:34:47.363+09:00静脈瘤を治療してみました。久々のエントリーですが、これは特に宣伝もシェアもするつもりが無く、ひっそりと備忘録的に。<br />
<br />
実は同じ悩みを持っていて、なんと無くどうしようかなぁって考えている人が、もし検索した時の参考になればと思います。<br />
<br />
私は三人の子の母親なのですが、最初の妊娠時に、足の静脈の弁が壊れてしまったらしく、静脈瘤が出来てしまいました。静脈瘤ってのは女性がよくなる病気、、というか症状で、静脈の所々にある「弁」が壊れてしまって、古い血液が上手く心臓に戻ら無くて、足がボコボコと醜くなってしまう症状です。<br />
<br />
最初は、小さいボコボコだったのですが、これって一度なってしまうと自然に治る事は無く、最初は気にしてなかったけれど、何回か出産を重ねるうちに、かなり「目立って」来てしまいました。<br />
もう「生足」を出す年齢でも無いんで、ずっとパンツスタイルで誤魔化して来たのですが、徐々に「熱」を持つようになって、少しでも「圧」のかかるストッキングを履いたりすると、物凄く痒くなって、夏場はかなり大変でした。<br />
<br />
最初に気づいた時に、ネットで色々検索したのですが、「血管を取り除く手術しか完治の方法は無い。」って書かれていて、かなり二の足を踏みました。<br />
まぁ、足を出さなきゃ良い話しでもあるので。そのままなし崩し。。<br />
<br />
でも、毎夏痒くなるのやら、本当に「醜い足」を見るのも悲しくなるのと、医療関係の友人が<br />
<blockquote class="tr_bq">
「瘤って名がつくのは放置しない方がいいよ。」</blockquote>
って言ってくれたのをキッカケに、今年の初めに診察の予約をとりました。<br />
<br />
私がお世話になったクリニックはこちら。<br />
<br />
<a href="http://www.sbc-kekkan.com/" target="_blank">湘南メディカルクリニック </a><br />
<br />
日帰り手術も可能だし、保険適用も可でした。<br />
<br />
大きな流れとしては<br />
「診察」→「手術前検査」→「日帰り手術」→「翌日検診」→一ヶ月の圧迫ストッキング着用→「術後一ヶ月検査」<br />
という感じ。実際は三回の通院だけで済んでしまいました。<br />
<br />
私の場合、両足に静脈瘤が出ていたので、両方を「血管をレーザーで焼き塞ぐ」手技でした。新しく入ったレーザーが保険適用だったのがラッキーでそれまでは自費治療機械と同じスペックで、保険適用の手術が出来ました。(費用は8万程度を自己負担)<br />
<br />
全身麻酔では無いのですが、半分意識が残った状態の「局所麻酔的」でもぼーっとする感じの麻酔で、カテーテルを二ヶ所から入れて、徐々にそれを後退させて血管から抜きながら「道を閉鎖」していくというイメージと思って頂ければ。<br />
<br />
面白いのが、血管は塞いでしまったら、そのうち体の中で「別のバイパス」を作るそうですね。そのままにしていいもんかと思ったのですが<br />
<br />
「ろくに排水しない排水管に、汚水が溜まった状態を放置してるのが、この症状だから、埋めて使え無くしてしまう方がよっぽどいい。」<br />
<br />
のだそうです。この先生の説明に酷く納得してしまいました。<br />
<br />
一ヶ月の圧迫ストッキング着用が、夏場だと辛いかもしれないので、治療は冬場がオススメです。<br />
<br />
最後に、術前術後の写真を。(恥ずかしいですが)<br />
足の前面にまだ静脈瘤が残っていますが、これも一年程度で無くなるそうです。後ろのふくらはぎは、だいぶ綺麗になりました。<br />
<br />
もし、悩んでいて治療を考えている方にはおすすめです。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgjH5L6k4VMTM-M9kmCjAqf6n6QNjWh18RJuwUtXiV-85BHEKcfBJvnE1MasdMAVqQSqsh0Hs_zSV1Tx0UyQ3SCH49kjU45CJwCaHxbiumks0UnfzGSu73zOICHnodMI0E3mNMhT0XzlMc/s1600/IMG_1408.jpeg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgjH5L6k4VMTM-M9kmCjAqf6n6QNjWh18RJuwUtXiV-85BHEKcfBJvnE1MasdMAVqQSqsh0Hs_zSV1Tx0UyQ3SCH49kjU45CJwCaHxbiumks0UnfzGSu73zOICHnodMI0E3mNMhT0XzlMc/s400/IMG_1408.jpeg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">術前(左足向こう脛)一番大きくて目立つ</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeNcsrcqDKjd3LihIjTmaVjuUO94S6IJYUlcy1VcGiBjdLD6pFryBROybVq7ke-aZTiBtL3rSEuy67oY7GRUfdNVKW2VW_nAveaS_1LNpRoLg27W1j_1wVxwWVGkp0dKuam2wlu6GtOVA/s1600/IMG_1410.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeNcsrcqDKjd3LihIjTmaVjuUO94S6IJYUlcy1VcGiBjdLD6pFryBROybVq7ke-aZTiBtL3rSEuy67oY7GRUfdNVKW2VW_nAveaS_1LNpRoLg27W1j_1wVxwWVGkp0dKuam2wlu6GtOVA/s400/IMG_1410.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">術前(右足ふくらはぎ)酷い時はもっとボコボコ</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjFizbIVnu1kazpUuKybK89I1NsLKaiylZOb_eU8o8odvFLCpKjs6249PY7is1xUyaENA7q6KrzpS_R1Az7xufpWLRvMbgDvgeZk37C4W8-8o5MA_e7MKtB_lNcklHM5hIA1FJ4Z0O6H3c/s1600/IMG_1633.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjFizbIVnu1kazpUuKybK89I1NsLKaiylZOb_eU8o8odvFLCpKjs6249PY7is1xUyaENA7q6KrzpS_R1Az7xufpWLRvMbgDvgeZk37C4W8-8o5MA_e7MKtB_lNcklHM5hIA1FJ4Z0O6H3c/s400/IMG_1633.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">術後2ヶ月(左足向こう脛)少し残っているもののかなり減りました</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh033SIkpQwdpM7_p_XDoQOI3JascOOdj_4p-_pa7WXnYYQhwKKNmkesZpn-q2Ya7XRAR9oUYw61RwuKGyVV4TjevbNB49QIUK1Qa-v1S1el8cpgE_hEl-E0XFHyEyQHYRnM-6iKwSqHL4/s1600/IMG_1634.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh033SIkpQwdpM7_p_XDoQOI3JascOOdj_4p-_pa7WXnYYQhwKKNmkesZpn-q2Ya7XRAR9oUYw61RwuKGyVV4TjevbNB49QIUK1Qa-v1S1el8cpgE_hEl-E0XFHyEyQHYRnM-6iKwSqHL4/s400/IMG_1634.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">術後2ヶ月 (右足ふくらはぎ)殆ど消えてます</td></tr>
</tbody></table>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-31930618399897317022015-02-01T16:31:00.000+09:002015-02-01T16:31:25.442+09:00ジャーナリスト後藤健二さんを偲んでずっと経緯を固唾をのむ思いで見守って来たけれど、最も悲しく最悪の結果になってしまった。<br />
怒りもあるし、情けなさもある、 僅かながら自分で出来る事は無いかと自問自答もしているけれど、今日はプロとして生きた後藤さんに最大の敬意を示したいと思う。<br />
あちこちに流れている彼の写真の中で、一番素敵な笑顔だと思った写真を元に、、、。<a href="http://vpoint.jp/photonews/35964.html" target="_blank">彼の撮ったシリアの子ども達の写真</a>も胸をうちます。何も信じられないと思いたくなる時に、少しでも写真の持つ力を信じたくなる一枚です。<br />
心からのご冥福を祈って。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhQQlg6Ln5lhsFNay4W-HFAd0jk2NCaet4YcWCTqcrj317TGAZ1EyhD41DRFCe7wljKVkIfauLpLceh4qGCpvLM2C7ZtnLF9u89SeLWbEbmOunRMo1AkJVNJ13Xm0cWjdtQnIcMCW1AePg/s1600/RKG.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhQQlg6Ln5lhsFNay4W-HFAd0jk2NCaet4YcWCTqcrj317TGAZ1EyhD41DRFCe7wljKVkIfauLpLceh4qGCpvLM2C7ZtnLF9u89SeLWbEbmOunRMo1AkJVNJ13Xm0cWjdtQnIcMCW1AePg/s1600/RKG.png" height="426" width="640" /></a></div>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-75229809229912187032014-01-10T21:43:00.000+09:002014-01-10T21:59:44.047+09:00映画「永遠の0」謎に解釈を加えてみる<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh6VkW0FLc0TCowmMOPma1lW7ZRChoFUSdpeJGmC9VlTA-qCEHpkNCt2zsFYo5DNBJilODcdaQqt2zZipZCaQIdUzp1gpUwMLHqcoCWzeNq7cQgsIP16kRaJmkuxRe76QmmodPifYSV9RE/s1600/47487127c42460679a4f4410d509d6d6.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img alt="" border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh6VkW0FLc0TCowmMOPma1lW7ZRChoFUSdpeJGmC9VlTA-qCEHpkNCt2zsFYo5DNBJilODcdaQqt2zZipZCaQIdUzp1gpUwMLHqcoCWzeNq7cQgsIP16kRaJmkuxRe76QmmodPifYSV9RE/s1600/47487127c42460679a4f4410d509d6d6.jpg" height="320" title="永遠の0映画" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">こんな気の利いたオリジナル画像が公式サイトで作れる!</td></tr>
</tbody></table>
映画「永遠の0」を観た。これから観る方や、小説をまだ読んでいない方は、以下ネタバレなのでご了承下さい。<br />
<div>
昨年この小説を読んで書いたエントリー(<a class="GHUY-LPPB" href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=246043664392153537#editor/target=post;postID=1248113661502832948;onPublishedMenu=posts;onClosedMenu=posts;postNum=10;src=postname">魂をわしづかみ「永遠の0」百田直樹著</a>)の続編というか、解釈編。。。</div>
<div>
<br />
<b>女子目線での解釈</b></div>
<div>
小説を読んで、真っ先に浮かんだ思いは<br />
<blockquote class="tr_bq">
「なぜ、教え子に生還の切符を譲って宮部は死んだのか?<span style="font-family: 'Helvetica Neue Light', HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">」</span></blockquote>
</div>
<div>
<span style="font-family: 'Helvetica Neue Light', HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">、、だってそうである。きっとそう思った読者も多いと思う。いかに夫が「こいつなら」と見込んだ若き大学生とは言え、それはそれ、これはこれである。</span><br />
<span style="font-family: 'Helvetica Neue Light', HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">「なぜ、あんたが生き残らない!」となじりたくなるのが女心だ。</span></div>
<div>
<span style="font-family: 'Helvetica Neue Light', HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">(おまけに、映画では岡田君である!どんな理屈を並べられても納得出来無いだろう!いや染谷君もいいんですけどね。。)</span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">この物語の最初から設定されている命題な訳だが、明快な答えは小説でも映画でも語られない。観る者が各自考えなさい、、と言う事なのだろうが、この小説を読んでからずっと考えて二通りの解釈をしてみた。</span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;"><br /></span></div>
<div>
<b><span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">最後の大博打を打つ</span></b></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">小説でも、映画でも宮部のたぐいまれな判断力は観客を魅了する。</span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">彼が囲碁の達人である事が大きな伏線になっているのだが、映画ではあまりそこが強調されていなかった。</span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif; font-size: x-small;">鹿児島の特攻基地で旧友と再会した時に、すっかり憔悴し切って座り込む宮部の手前にチラッと、碁盤が映っていた。監督はキチンと原作の意を汲んでいたのはあきらかだが、尺的に「宮部の囲碁の腕は名人級」というエピソードは割愛しなければならなかったのだろう。</span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif; font-size: x-small;"><br /></span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">先日、囲碁が好きな友人がこんな事を話していた。</span></div>
<blockquote class="tr_bq">
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">「囲碁はとても女性的で将棋と全然違う。守りながら攻めるんだ。」</span></div>
</blockquote>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">奇しくも彼が語った、この特徴が主人公宮部のキャラクターを端的に言い表している。</span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">最初に小説を読んだ私は結末に納得出来なくて、もう一度読み返し、以下の仮説を立てた。そうでもしないと、自分を納得させられなかったからだ。(それだけ、主人公宮部の深謀遠慮はかっこいい!)</span><br />
<br />
<b><span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">最初の仮説</span></b><br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">「この大学生を生かして妻子の元へ差し向けた方が</span>、戦争が終わった後、きっと家族はもっと良い暮らしが出来る。自分が帰るよりも。。」と咄嗟に判断して、出撃前に機体を交換し、置き手紙をした。</blockquote>
</div>
<div>
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">去年のエントリーに、この論拠を遠回しに書いてみたのだが、作者の百田氏は小説で巧妙に舞台装置を作り上げている。</span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">宮部の証言をする老人達は</span><br />
<ol>
<li><span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">貧しい借家住まいの片手を失った老人(宮部を戦争初期の同僚として語る)</span></li>
<li><span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">末期ガンで死の床に伏している老人(宮部を上官として語る)</span></li>
<li><span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">やくざの親分(宮部を戦争末期の同僚として語る)</span></li>
<li><span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">会社役員の老人(宮部を教官として語る)</span></li>
</ol>
と、戦局を時系列にリレーする形で語り継いでいる。注目すべきは証言者の今置かれている生活状況だ。偏屈で被害者意識の強い最初の老人から、最後は会社役員。。大きく明暗を分けている、<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">3と4の間には「士官」というラインが引かれている。要は高等教育を受けたか否かで引かれるラインだが、作者は偶然にこの描写をしたわけは無いだろう。</span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">私は、太平洋戦争関連書籍をかなり読んで来たが、学徒動員で兵隊に取られた学生のうち、生き残って帰れた者は再び学業に戻っている。そして「学」の無いまま戦後に放り出された復員軍人は、なかなか辛い戦後を過ごしたらしい。</span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">今はあまり語られなくなったが、「特攻あがり」とという陰口を父からきいた事がある。「特攻で生き残って帰ったものの、職が無くてしかたなく先生になった人がいたが、ろくな教師では無かった。」</span><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">何か物騒な事があると「復員軍人」が疑われた事を思うと戦後の治安の悪さが伺い知れる。横溝正史の小説では最初の容疑者はたいてい「復員軍人」だ。</span><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">古今東西、帰還兵士の社会復帰は大きなテーマである。通常の生活に戻れないまま、生活苦に陥ったり、荒んだ生活を余儀なくされた人も多いのではないか。百田氏はそのあたりの描写に抜かりは無く、また容赦も無い。 </span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">このことを考えると、宮部がなぜ飛行技術が未熟な学生にエンジン不調の機体を譲ったのか。その深意が少しわかった気がする。</span><br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">「この無謀な戦争には絶対に負ける。ここまで壊滅的に追い込まれたら日本はどうなってしまうのか。」</span></blockquote>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">小説でも映画でも、宮部は大石(染谷)に「戦後どうしたいのか?」と、問いかけていたし、教え子達になかなか合格を出さなかったのも、自分は行きたくても、経済的に叶わなかった大学の重要性がよくわかっていたからだ。</span><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">現代とは比べ物にならない程、知的レベルの高い人々だった、、、と以前のエントリーにも書いた。至宝と言える人材を無謀な特攻作戦に送り出す事に、宮部はどうしても納得が行かなかっただろう。昭和恐慌が無ければ自分もきっと学校へ行けたという忸怩たる思いもあったのかも知れない。(小説ではこの下りが囲碁のエピソードと一緒に語られてますね)</span><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;"><br />とは言え、リスクは高い。結局、大石も不時着し損ねて死んでしまう可能性もある。一方、機体を譲らなければ、宮部は生き残って帰る可能性は非常に高い。戦後の自分には悲惨な生活が待っているとしても、生きて帰る方が、妻子を路頭に迷わせる確率は格段に低くなる。。と凡人なら考えると思うのだが、それでも彼は、戦後の事を考えて最後の「大博打」に出た。。のか。。</span><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;"><br /></span>
<b><span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">やはり透明に0リセットで考えた</span></b><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">、、、と小説を読んだ後は、こう自分を納得させたのだが、映画を見て改めて「ちょっと違うかな」と感じた。</span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">最初の解釈は、歴史がどうなるか知ってる視点からの(しかも死なないで欲しいと思う女子目線)の解釈で、宮部はそこまで千里眼に先を見越していただろうか?大石君をまるで利用するような思考の持ち主だろうか???もしそうだとしたら、計算高すぎて嫌な人間だ。</span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">否、絶対にそうではない。多分、真実はこうである。</span><br />
<br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">戦争は破滅的な局面で、精神を病んでしまいそうに狂っている。特攻の命が下った時、宮部は自暴自棄になるギリギリまで追い詰められたが、エンジン不調を見抜いた瞬間に持ち前の<u>「最後まで生きる努力」の粘り思考が回転</u>したのだろう。全員が死んでしまうこの状況下に、たった一つのチャンスを見つけた。</span><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">この場合生き残りの切符を持つに相応しいのは誰か、、、心根が真っ直ぐで自分と価値観の近い、しかも上手く生き残れば、よっぽど社会に役立てる学歴を持つ若者が優先されるべきだ。よしんば、学生が死んでしまったらそれまでだが、自分が乗って生き残ったとしても、また特攻へと駆り出されるだけだろう。(そして、大石は今譲らなければ確実に死ぬ、しかも敵艦に届かないまま。)若い彼なら、不時着の怪我で後方へ送られて、また生き延びる可能性もある。</span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">きっと終わると思える戦争も、いつ終わるかまだこの時点では判らないのだから、全体最適と「(日本という社会が少しでもまともな形で)生き残れる為の努力」をした上での、冷徹な判断だったのではないか。</span></div>
<div>
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">ここまで決めて「さて、妻との約束を反故にしてしまう。」という最後の問題を考えて、託す思いでメモを書いた。。。(結果、戦後危うい所を宮部の築いた縁が松乃や清子を救ったわけだが。)</span><br />
<span style="font-family: Helvetica Neue Light, HelveticaNeue-Light, helvetica, arial, sans-serif;">とにかく男性思考が苦手で「どうして妻子がいつも責務の後回し?!」とカリカリ来てしまう私にしては、なかなか</span>いい線を突いたインサイトではと思う。<br />
<br />
だから、百田氏はこの小説を「愛の小説だ」と語ったのかも知れない。<br />
<br />
橋爪功が味のある演技で</div>
<blockquote class="tr_bq">
<div>
「小隊長さんは本当につえ〜方だったんです。」</div>
</blockquote>
<div>
と語った台詞が、敵艦の弾雨を見事な技でかわしながら突っ込んで行くエンディングに重なる。映画を一緒に観ていた息子に</div>
<div>
「どうして、弾が当たらないかわかる?水面近くだと、戦艦から打ちにくいからだよ。」と教えてやったら、「そうなの?」と目を輝かせて興味スイッチが入ったのがわかった。<br />
本当に、男脳は悲しい程に「目的思考で余計な事を関連付けて考えられないせつない脳」だ。去年の夏に書いたエントリー(<a class="GHUY-LPPB" href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=246043664392153537#editor/target=post;postID=3257438903893767039;onPublishedMenu=allposts;onClosedMenu=allposts;postNum=2;src=postname">NHK BSプレミアム「零戦 〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜」</a>) を思うと改めて、最後の解釈の方が真実に近いのだと思う。<br />
<br />
根源的な男女の愛、その外側を包むようにある、もう少し広い社会的な愛。日本人が紐帯とするものはそんな形なのかも知れない。</div>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-32574389038937670392013-08-18T23:58:00.002+09:002013-08-18T23:58:46.065+09:00NHK BSプレミアム「零戦 〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜」<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhE6uuiun0TIMqy4CwWmfyi5b8ICv18nSmBipWEumzKqG_ZcmGcV28mMqnYR4-J4kRNJol69jvxDZ3Byr9Fg38DUA_0deqS5sDEqovh_lPV7oyiPZ8l3HU2wFYuR3l_v53b4NOrnMt1biE/s1600/pickup01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="175" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhE6uuiun0TIMqy4CwWmfyi5b8ICv18nSmBipWEumzKqG_ZcmGcV28mMqnYR4-J4kRNJol69jvxDZ3Byr9Fg38DUA_0deqS5sDEqovh_lPV7oyiPZ8l3HU2wFYuR3l_v53b4NOrnMt1biE/s320/pickup01.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><a href="http://www.nhk-ondemand.jp/share/pickup/index.html?np_banID=topMID002_20130802" target="_blank">ラバウルの沖合に沈む零戦(NHKオンデマンドより)</a></td></tr>
</tbody></table>
NHKは毎年しっかり取材した終戦特集を組んでいる。<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012_08_01_archive.html" target="_blank">去年は「戦艦大和」</a>だったが、今年は「零戦」。「永遠の0」や「風立ちぬ」の公開もあってのことだと思うが、この夏は太平洋戦争関連の映画が多く、これまでと少し違う印象を受けている。<br />
<br />
この番組で証言して下さった搭乗員の多くは80歳以上。17〜18歳で従軍しているのだから、いよいよ実体験を語れる最後の世代も少なくなっているのを実感してしまう内容だった。<br />
<br />
<b>日本がどの国と戦争をしたのか知らない高校生</b><br />
今朝(2013/08/18)日経の「春秋」で、<a href="http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58633650Y3A810C1MM8000/" target="_blank">「ももクロ(現役高校生)は現代史を殆ど知らない」</a>というコラムが載っていた。年号も戦争相手も無茶苦茶な回答ぶりに絶句してしまうが、周囲に実体験した人もおらず、歴史の授業でも、まともに教えてもらった事が無ければ仕方がないかも知れない。本人に興味が無ければそのまま大人になっても、何ら支障の無い世の中なのだろう。(世界に出すにはちょっと恥ずかしいけど。。)<br />
この番組のように、良質な記録を残すのはそれだけでも意味があるが、これだけ他に面白い事が溢れている現代では、番組に気が付かずにスルーしてしまう人が殆どなのだろうなと思う。<br />
我が家でも私だけがオンデマンドでこの番組を見たのは失敗かなと反省している。親が観ている番組を、つられて子どもも観るという経験をすれば、興味があれば自然に自分からもっと知ろうと思っただろう、、、。各自が端末の画面を見つめる「個別化」時代は、いつまでも「お気に入りの好きなコンテンツ」だけを見続け「背伸び」をする機会を奪っているのかも知れない。<br />
<br />
<b>零戦搭乗員の最後を見つめた角田さん </b><br />
番組で、何人かの証言者が登場していたが、最も印象に残ったのは角田和男さんだ。(94歳)特攻隊を目的地までエスコートし、その最後を見届けた人で、小説「永遠の0」の主人公、宮部も物語後半には特攻の教官を務めながら、同じ役割をしていた。角田さんご本人も最後は特攻出撃命令を受けていたが、出撃前に終戦を迎えている。<br />
<br />
二つの杖をつきながらも、頭脳明晰、記憶も鮮明で、ある17歳の特攻隊員の飛行機が敵艦の、どの部分へどう突っ込んで行ったのかとはっきりと話されていた。<br />
最も辛い役割を負わされた人間の、静かで重い祈りが伝わって来るようだった。戦後は遺族を尋ねて自分が見届けた最後を話し、南洋の島々へ慰霊の旅へと向う人生を送られたそうだ。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「見届けた人150人の名前と念仏を唱えながら寝るんですが、最近は途中で寝てしまう事が多いんです。ラバウルからずっと続けて来ていたのですが。」<br />
「明日出撃という前の晩。搭乗員達の宿舎を見張る当直の仲間に聴いたのですが、皆、眠りもせずギラギラと目ばかりが爛々と光りながらまんじりともしないで、じっと黙って座っているんだそうです。翌日、飛行機に向う時は本当に朗らかな様子を見せているんですが、どの組も、前夜はそんな様子だったと言うんです。」</blockquote>
角田さんは、今年(2013年)の2月に亡くなられたそうだ。最後の最後まで、自分の負った使命と向き合われた人生だったのだと思うと、深い敬意と哀悼の念を思わずにいられない。<br />
<br />
<b>過去から何を学ぶのか</b><br />
毎年の特集を見て思うが、これを単に「過去の過ち」と思って受け止めるだけでいいのかとつくづく思う。この膨大な犠牲の元に戦後の復興があった訳だけれど、根底に流れる「変わらない日本人の思考癖」を思い知らねばならない。<br />
<ul>
<li>「軍神」と崇め奉ったかと思えば、戦後手のひらを返した様に右へならえしてしまう群衆達の「考えの無さ」</li>
<li>「擦り合わせの名人芸」で図抜けたアウトプット(今回は零戦)を出せるだけの能力はあるものの、中長期的な戦略とそれを軌道修正する柔軟さの欠如。(思考オプションを自ら狭めてしまう。)</li>
<li>4000人近い若者を飛行機もろとも突っ込ませる、そんな外道な戦法を年端も行かない者に押っつけてしまう「甘え」の構造。(それを目の当たりにする前線の同僚や上官達が精神的に追い詰められる重圧はいかばかりかと思う)</li>
</ul>
<br />
この国は、責任の所在を明確にしたがらず、曖昧なまま「何となく」ものごとを先に進めてしまう癖がある。「現場の兵士は最高、将官クラスは最低」とはよく言われる事だが、いつまで「現場に甘え」ているつもりなのかと思わずにいられない。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-87326343862142943532013-07-28T23:50:00.000+09:002013-07-28T23:51:50.197+09:00「リーン・イン」シェリル・サンドバーグ(現FacebookCOO)著 〜席に着く勇気〜<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg6caTujrhT8rCrs8tOwUescTgbRtxRWReZu2xFhAH1LFvWaQgWRvmLoQwUGACG3OtSK_uIL0MUOlGT6kAXgXXy8yUad0kN8HuBD-azYyUFFlDbttOJjqXBdLLQDnrYraRmRprWK7KFNOs/s320/blogger-image-1476648298.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;" width="320" /></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">笑顔がとてもチャーミング</td></tr>
</tbody></table>
<br />
IMFのラガルドさんに続き、パワフルな女性からまたメッセージか!と思いきや、意外に親近感の湧く内容でとても読み易かった。著者であるシェリルは恐らく私と同じ(1〜2歳差)バブルの申し子で「ウーマンリブは既に完了し、世の中平等になったんだ。」と信じて成人した世代だ。<br />
<br />
<br />
実体験と綿密な裏付け情報(巻末に山と引用文献の索引が付いている!)で、今の「気持ち」を懸命に表した感じがとても好印象な本だった。<br />
「きっとアメリカはもっと進んでいるに違いない。」<br />
と思っていた私には、意外に日本と変わらないんだと判って、それが新鮮でもあった。<br />
<br />
<br />
<b>問題が無いふり</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="http://nensyu-labo.com/heikin_nenrei.htm" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;" target="_blank"><img border="0" height="184" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiq5o0eqBSsVSXPFcP8t3jDrjT5wKxXWLSilL9zt09jiUesCE3IvEmRBtPIhRrbV_hWna2IbiqUhMx-zFV68yuBXSeskuXQH_VPBEyn5ei_1V0JnY6QOwJ6ZxwhtFjCtBuUpddTEsFPPSY/s320/sala-g-nenrei.gif" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><a href="http://nensyu-labo.com/heikin_nenrei.htm" target="_blank">年収ラボより</a></td></tr>
</tbody></table>
一年前に見つけて、忘れられないショッキングなグラフがある。働いている人を男女別に10歳ごとに区切った平均年収のグラフだ。<br />
見ての通り、日本の働く女性は、全年代に渡り、平均年収が300万を越えない。男性と急激に差がつきはじめるのが30代以降。これは女性の就労人口がM字型(出産適齢期になると離職して、育児が一段落した頃にまた働き始める)である事と密接に関わっている。一時お休みして再就労しても平均年収が男性の半分にしか満たない、、、即ち、ある一定の権限を持てる所までキャリアを進められていない事を物語っている。<br />
「今さら」<br />
と思わなくも無いが、事実を可視化されると、やはりインパクトがある。これまでは「女性が家事/育児/介護を担い、そこにかかるコストを男性が外で仕事をして稼ぐ。」が一般的なモデルだったのだから、グラフがこんな形になるのも当然で、倍以上ある男性の平均年収の半分は「妻」の物でもあるのだろう。(夫婦間での話ね)<br />
<br />
でも、、と、どうしても思ってしまう。自らが稼いだという実感が無く「所有権」だけを主張する「お金」とはどんなものなのだろうか。。<br />
私は、日本の多くの女性が「何かを学び損ねている。」のではないかと、最近強く思わずにいられない。その何かとは「社会性」とか「市場感覚」とか「権利と義務とのバランス感覚」とかそんなものかも知れないのだが、端的に言えば「真の大人になる」事なのだろう。<br />
周囲からも、そして自らも率先して「幼い無垢」なままで眠っていたいと、頭から布団を被っている(被らざる終えない)ように思えてならないのだ。<br />
<br />
<br />
<b>テーブルに着こう</b><br />
シェリルは、そんな女性の心理を時に鋭く、時に「自分もそんなに強く無いのだ。」と正直に心情を吐露しながら、語りかける。<br />
特に、アメリカの「仕事が出来る男」は超肉食系なのか、ガンガン自己主張するのに比べ、どうしても女性達は能力は十分にあるのに自ら「一歩前へ踏み出す」事をためらいがちであると言う。<br />
ルールをキチンと守り、自己研鑽を怠らず、周囲へ気遣いをして、与えられた以上の仕事をしても、それを「交渉ネタ」にディールするという積極性を出しにくい。<br />
<blockquote class="tr_bq">
そんなに出しゃばると男性に「モテ」ない。</blockquote>
洋の東西を問わず、女心は変わらないんだなぁと、少し微笑ましくも思った。いや、むしろ「マッチョ」の総本山である欧米の方が、よりこの心理が強く働くのかも知れない。<br />
日本の場合は<br />
<blockquote class="tr_bq">
「母ちゃんの尻に敷かれてさ」とか「うちは女子が元気良くて」等と「かかあ天下」よろしく適当に祭り上げておいてその実、肝心な所を「カッさらう」</blockquote>
のが常套手段で、一途で懸命に働く女性達はしばしば、縁の下からなかなか出る事が出来無い。まして、子どもを産んでそれでも働き続けようと思うと、相当に頑張らないと「自分一人の努力ではいかんともしがたいハンデ(子どもが体調を崩すのを100%防げる母親はこの地球上に存在しないだろう)」を、「いつ突かれるか」とビクビクしながら懸命に職務を遂行するのが精一杯で、とても「ディールしよう」とまで思え無いのが現状だ。<br />
<br />
でも、そこを「一歩踏み込んでテーブルに着こう」とシェリルはナッジ(肩をそっと押す)してくれる。周囲へも「彼女達をナッジしてあげて。」と理解を促すと同時に、女性達にも「勇気を持って積極性を出してみよう。」と語りかける。<br />
<br />
<ul>
<li>キャリアは梯子でなくてジャングルジム</li>
<li>ティアラ症候群(真面目にキチンと仕事をしていたらいつか誰かがそれを認めて王冠を頭に被せてくれると期待する)</li>
<li>自分を引き上げてくれるメンターを探し続けるのは「王子様」を探すのと同じだ 。(郡から引き上げてくれるメンターを探すのでは無く、自力で郡から抜け出られた時にメンターに出会えるのだ。)</li>
</ul>
本当に耳が痛く、且つ鋭い指摘をしている。<br />
<br />
<br />
<b>対話を続けよう</b><br />
この著書のいい所は、この一文で終わっている所だ。何か結論めいた事を言い切るのでは無く「これはきっかけに過ぎない、対話を続けよう。」と行動を促している。<br />
さすが、そこはFacebookである。きちんとコミュニティが出来ている。<br />
<a href="https://www.facebook.com/leanincommunity?fref=ts" target="_blank">Lean Inコミュニティ</a><br />
日本版があったらもっといいのにと思うけれど、きっとじきに出来るだろう。<br />
数年後、「あれからどうなったかな。」とまた本書を振り返って読むだろうなと予感している。「ああ、こんな時代もあったね。」と思えるように、ほんの一ミリでもいいから努力しなくてはと思う。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-17602402204990510502013-07-20T19:09:00.004+09:002013-07-20T19:09:49.346+09:00速報!「風立ちぬ」宮崎駿監督 〜大人の潔さ〜<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFCVkqz4EvqR4-ySk2Ab_n-OJZpYVSEqNZAiSQMPyieTM3AjoaYAPzcmpM2mIQI0IsO5XMuKTyJ41-8NerfRN_SUdGDGomnjYetfcU9Lxim8NtVcjtXmWr45VWlQ0vehDmlRz89e7cjJ4/s640/blogger-image--1889796125.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFCVkqz4EvqR4-ySk2Ab_n-OJZpYVSEqNZAiSQMPyieTM3AjoaYAPzcmpM2mIQI0IsO5XMuKTyJ41-8NerfRN_SUdGDGomnjYetfcU9Lxim8NtVcjtXmWr45VWlQ0vehDmlRz89e7cjJ4/s640/blogger-image--1889796125.jpg" /></a>「アルプスの少女ハイジ」で育ったジブリ世代としては、やはり宮崎駿監督の作品と聞いたら、見に行かずにはいられない。「もののけ姫」から毎作封切り日に劇場で見て来た。(唯一の例外は「ハウル」ーーあの時は息子が「魔の二歳児」で二時間以上映画館でじっとさせてる自信が無く、泣く泣くDVD版)<br />
今作は「潔いよいなぁ」と感じた。途中、涙がジワリ。<br />
<br />
<b>あの時代の日本</b><br />
このブログでも頻繁に書いているけど、私は相当に歴史好きで、幕末〜昭和初期までは、かなりいろいろな本を読み込んで来た。<br />
近代化に邁進していた頃の日本をおぼろげに思い描いていたが、世界最高水準のジブリ美術力がそれを、空気感まで再現してくれて、本当に涙ものだ。<br />
<br />
あの頃の人々の風俗、物の考え方、どんな環境で、どんな空だったのか、、丹念に描かれていて「一瞬たりとも見逃したく無い。」と思った。いつもながらの「調べ」と「作り込み」に脱帽である。これは、まだ事情がよく判らない子どもには単調だったようで、五歳の娘は後半飽きてしまっていたが、中三の長女には丁度良かったと思う。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>潔い人間達 </b><br />
丁寧な言葉使い、もどかしい程に通信手段の無い世の中、大工が大工道具の箱を担いで歩いている傍らで、国家の威信をかけて世界最高水準の工業技術を手に入れようとする「目一杯の背伸びと焦燥感に駆られる英才達」。。宮崎監督らしい妥協を許さない描き込みは、画面に描かれる端っこの人間にまで、「シャンと背筋を伸ばした潔さ」を感じる。<br />
主人公「堀越二郎」はこのパンフレットだと「ちょっと優男」に見えるが、スッと見せる判断力と優しさに、あっという間に虜になる。<br />
ネタバレになるからこれ以上は書かないけれど「ジブリもやっとここまで描けたか」と思う大人も「胸キュン」の物語である。<br />
<br />
<b>美しい形が最も性能が高い</b><br />
宮崎監督が「飛行機好き/兵器好き」は有名だが、ゼロ戦に対して非常に敬意を払っている事がこの映画でよく判る。冒頭のパンフレットに描かれている、ちょっと変わった形の飛行機ーーこれは「九試単戦」と言って、ゼロ戦になる前の前の「ブレークスルーモデル」とも言うべき名機らしい。(まったく知らなかった)<br />
堀越二郎が手掛けた中で、一番愛したモデルらしく「あんなに美しい飛行機は見た事が無い」と実物を見た人の証言も残っているそうだ。<br />
新幹線の生みの親「島秀雄」も「美しい線は一番空気抵抗が低い」と言っていたし、映画の二郎も「鯖の骨の流線型が美しい」と語る。<br />
「設計はセンスだ、技術は後からついて来る。創造的人生の持ち時間は10年だ。」と映画でカプローニ氏は語る。ああ、そうだよなぁっと思わず震える台詞だった。<br />
<br />
初の主役声優を務めた庵野監督(非常に自然で最初気が付きませんでした)も<br />
「72歳を過ぎてからよくこんな映画が作れた。」<br />
と感嘆していたが(いやむしろ、その境地だから作れたのかとも、、、)いつまでも、自身に挑戦し続ける、宮崎駿監督の「負けん気」に乾杯したい映画だった。<br />
<br />
創造的人生は短い。漫然と生きずに目一杯生きろ。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-49018440622203534822013-07-15T17:10:00.000+09:002013-07-15T17:10:22.158+09:00ちきりん著「世界を歩いて考えよう!」「未来の働き方を考えよう!」〜人生をシェアしあうこと〜<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfA1cNqwt3_T3Pp9byVBB5he3fPGiB6qvHxmaK5x9989QeePwlmwrWUJ0MRtnMDm75VawSr6vkjHvIQzBRCRVTKiaA9LYBrPaen-nc9epdOpBvtHitNjKKx9Slq1KaXGpK4qQ2Ho_71zU/s1600/IMG_1375.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfA1cNqwt3_T3Pp9byVBB5he3fPGiB6qvHxmaK5x9989QeePwlmwrWUJ0MRtnMDm75VawSr6vkjHvIQzBRCRVTKiaA9LYBrPaen-nc9epdOpBvtHitNjKKx9Slq1KaXGpK4qQ2Ho_71zU/s320/IMG_1375.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">最新刊と去年発行された第三冊目の著作</td></tr>
</tbody></table>
ちきりんさんの著作はこれまで発行された物は全て読んでいる。(<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2011/11/blog-post_29.html" target="_blank">前回のブログ</a>)ちょっとTwitterから離れていたので、彼女のツイートも最近チェックしていなかったが、偶然書店で新刊をみつけて、以前読んであった第三冊目と合わせて簡単な読書感想。<br />
<br />
<b>一度きりの人生をシェアし合う(世界を歩いて考えよう!)</b><br />
ちきりんさんは、有名人気ブロガーだが今まで実名を明かしていない。講演会もお面姿で「顔出し」をしない方だが、恐らく私より、3〜4歳年上でほぼ同年代だろう。今回の「未来の働き方〜」はこの所、私が感じていた事をズバリ明文化していて、本当に興味深かった。<br />
<br />
彼女は所々で書いているが、出産経験は無い。証券会社や外資系企業を渡り歩き、おそらくかなり高い地位までステップアップして行った「切れ者のキャリアウーマン」だと思う。(おちゃらけ〜と自称しているけれど、彼女のブログも著作も根底に流れる考察は鋭い)バブル期に入社し、99年から子どもを産んで、30代の大半を三人の子の出産/子育てと仕事の両立にカッツカツに時間を費やした私にとっては、「世界を歩いて考えよう!」は「ひょっとしたらもう一つの人生」だったかも知れない世界に見えた。<br />
<br />
バブル世代のご多分に漏れず、結婚前は年に一度は海外へ渡航していたし、僅かながら仕事で海外に行く経験もした。それが、結婚/出産をした途端、気が付けば15年以上日本から外へ出ていない。その気になれば出られない事は無かったが、独身時代とは比べ物にならない程、からみ付いたしがらみを、振りほどいてまで「海外へ行こう」と思う気力が無かったのが正直な所だ。(例えば、田舎を持つ配偶者と結婚すれば、長期休暇に「帰省せず孫の顔を見せに帰らない!」と決断するのはかなりの軋轢を覚悟しなければならない、、とかね。。)<br />
「世界を歩いて考えよう!」を読んでもすぐに感想が思いつかず、ブログにも書かなかったのは「羨ましいな」とも思わなくなってしまった自分の「縮こまり具合」の現れだったのだと思う。羨ましいと思うのはまだ「健全な上昇志向」がある証拠だ。<br />
<br />
彼女の著作は一環して「考えよう」と訴える。あらためて、もう一度「世界を歩いて〜」を拾い読みすると、現地を見たからこそ(しかも意味ある時期に)のリアルで鋭い観察が事例豊かに綴られている。ボンヤリのんびり観光してそうで、<u>見るべきものを見、考えるのが「ちきりんさん」</u>なのだが、彼女がこの経験を本という形にして流布してくれた意味が、最新刊「未来の働き方〜」を読んでやっと判った気がした。<br />
<br />
結局、人は自分の人生を一度きりしか生きられない。<br />
<ul>
<li>子どもを産む/産まない(或は、産めない)</li>
<li>働き続ける/続けない(或は、働けない/続けられない)</li>
<li>親の介護に時間を費やした/殆ど費やさ無かった</li>
</ul>
等々、一人一人の人生は全く違うシナリオで、たまたまある一時期だけ「親族」や「友人/同僚」として共に誰かと過ごす事はあっても、基本的に「巻き戻し」無しの一本道を一人で歩いている。<br />
だからこそ「これまで歩いた道」をシェアし合いたいと渇望するのかもしれない。 本(物語)は「別の人生」を擬似的に体験出来る優れた「横糸」だ。一人一人の人生が「縦糸」なら、それをつなぎ合わせて紡ぐ役割を果たす。出来上がった布が、文化とか、文明とか、歴史、、と呼ばれるものなのだろう。<br />
IT革命以前は、この横糸はごく限られた人しか紡ぐ事が出来無かった。それが、簡単に短時間で気軽に出来てしまうのだから凄い事だ。<br />
そして、人生をシェアし合う段階から、時代は次へと動いていると彼女は提言している。<br />
<br />
<br />
<b>人生は二度ある(未来の働き方を考えよう!)</b><br />
最新刊「未来の働き方を考えよう!」では<br />
<blockquote class="tr_bq">
「もうお気づきだと思いますが、人生二度あるのがこれからですよ。」</blockquote>
とデータを示しながら、彼女は縷々説明してゆく。<br />
<ul>
<li>少子高齢化は確定の織り込み済み前提条件</li>
<li>定年はどんどん延びます</li>
<li>グローバリゼーションの波は国家の枠関係無しです</li>
<li>パワーシフトは起こっているので、パラダイムシフトせざる終えないです </li>
</ul>
「そんな事判ってる!だから心配なんじゃないか。」<br />
と眉をひそめて暗くならないで、ワクワクしながら、考え方のシフトをチェンジしてみませんか?というのが、本書の提案主旨だ。 <br />
<blockquote class="tr_bq">
「最初の人生の選択(20〜30代前半)」がパッケージツアーだとしたら、「後半の人生の選択(40代以降)」はオリジナルのツアーのようなもの。最初の選択は「みんながそうしてるから」と安パイな「おススメコース」を行くが、二度目の選択はこれまでの経験から「本当に自分のやりたい事」を上手く選べるはずだ。</blockquote>
と明快に表現する。<br />
「子育てで30代使っちゃったなぁ。」<br />
と未練がましく不貞腐れていた私にとって、特に以下の文章は心から嬉しかった。<br />
<blockquote class="tr_bq">
これからは、前半人生は専業主婦、後半にはバリバリ働くという人も増えるでしょう。子育ては案外短い期間で終わります。人生は80年だし、働く期間も42年を越える可能性があるけれど、子どもは18歳になれば(少なくとも時間的な手間は)かからなくなります。子育て以外の人生は相当にながいのです。(中略)子育てという大事業を経験した40代の女性を雇う企業がないなどというおかしな状況が、いつまでも続くとは思っていません。人生が100年で70歳まで働くのなら、40代からキャリアを積み始めてもまったく遅くはないはずなのです。(「未来の働き方を考えよう!」p150)</blockquote>
「若い時に身に付けた方が有利なスキル」 はいくつかあるので、何でも「人生後半に学べばいいや」と思うのはやや浅はかだが、そこは戦略的に錆び付かせない「刃物を研ぐ」知恵を働かせれば良いわけで「仕事か、家庭か、子どもか」と悲痛な選択を追い込まれるようにしなくても、思考のオプションをいくらでも変えていいのだと思える。<br />
<br />
ちきりんさんは、巻末に「後半人生のオリジナルシナリオ」を作るポイントを書いている。<br />
<ol>
<li>とにかく「心からやりたい事」を意識して探せ。(これが見つかったら僥倖(ぎょうこう)それも具体的に細かく書いてみる。</li>
<li>その「やりたい事」に到達する為のシナリオを複数(←ここがミソ)持て。そして、それを数年ごとに見直し、選び直しをせよ。</li>
<li>「市場で稼ぐ」力を身に付けよ。 これからは何年生き延びるのか分からない事を考えると、ストック型よりはフロー型の方が有利。市場で稼ぐ事をビビットに体験していないと折角設計した「オリジナルシナリオ」が実現出来ない。</li>
</ol>
最後に「稼ぐ力」を持って来ている所がさすが「甘いばかりじゃないよ」である。「消費する一方」「与えられた予算をただ使う一方」では、とても「市場から稼ぐ」スキルとセンスは身に付かないと、ピリリとスパイスを利かせている。<br />
<blockquote class="tr_bq">
人は市場から遠い場所で働く期間が長くなると、世の中から求められる能力や資質が伸ばせなくなります。最終的にお金を払ってくれる人を意識していると、市場がもとめるもの、評価してくれるものを提供しようという意識が強くなります。市場が求めているものとは、突き詰めれば時代が求めているものです。それを提供しようとすれば、自然と自分にも、時代が求めるスキルが身につきます。(「未来の働き方を考えよう」p212)</blockquote>
何も市場を学ぶ事は難しい事では無い、IT革命を使えば、たった一人で、今からでも始める事が出来る。例えば、こんな風にブログを書いて、何人かが最後まで読んでくれたら「それが市場感覚だ。」ちきりんさんはそう教えてくれている。<br />
彼女の著作は、これからも目が離せない。 <br />
<div style="text-align: left;">
</div>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-62644211394503366192013-07-07T22:19:00.003+09:002013-07-07T22:24:33.811+09:00NHK大河ドラマ 八重の桜 第26回「八重、決戦のとき」 〜多様性を考える〜<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLOkekk8favA9WFlMVmfhVv8ZgOsUtjSGtLPL5Ul0oq51cXAiZMIuKvNgMaYXLYD7zpRHHQbylIx7gf_L9VTvJlbR2BvvLh1IWVxZcf31PBfB-mgjysb5AEoIgOKwxickj7zaXJvetc2E/s1600/fd20130104r1a.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLOkekk8favA9WFlMVmfhVv8ZgOsUtjSGtLPL5Ul0oq51cXAiZMIuKvNgMaYXLYD7zpRHHQbylIx7gf_L9VTvJlbR2BvvLh1IWVxZcf31PBfB-mgjysb5AEoIgOKwxickj7zaXJvetc2E/s320/fd20130104r1a.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">綾瀬はるかさんの迫真の演技が光る!</td></tr>
</tbody></table>
一週前の話になりますが、大河ドラマ「八重の桜」が前半のクライマックスです。激烈を極めた会津戦争。征討軍として攻め込む新政府軍に、装備は旧式、あるのは「会津魂」のみの会津藩は次々と領内に攻め込まれて、いよいよ会津城下も戦場に。。。<br />
<br />
綾瀬はるかさんの迫真の演技に、思わずこちらも感情移入。特にこの回の台詞がふるっていました。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
「今、この時にそんな昔ながらの考えでなじょしますか。これは男だけの戦いでは無い。(中略)私の腕はお役に立つ、それを使わないなら戦いを放棄したと同じ事。私は山本覚馬の妹だ。鉄砲の腕なら誰にも負けねぇ。」(女子どもと老人しか残らない会津城内で自分が鉄砲隊を指揮すると申し出た時)</blockquote>
<br />
カッコイイとかそんな薄っぺらな言葉では到底評価しきれない、底震いしたくなる言葉です。(実際に涙しました。) <br />
<br />
<b>非常時に開花した才能</b><br />
別番組でも紹介されていましたが、新島八重(この当時は川崎八重)が会津城に立てこもって、鉄砲、砲弾の指揮を取り、板垣退助や大山巌が率いる新政府軍を散々悩ませたのは史実だそうです。大山はこの時八重の撃った弾に当たって負傷。(ドラマの通り)BS歴史館に登場していた鈴木由紀子氏(八重の事を小説に書いている作家さん)は<br />
<blockquote class="tr_bq">
「本当にこんな女性が日本に居たんだと、調べて感動した。」</blockquote>
といつもクールな鈴木女史がいつになく興奮した様子で語っていました。 ドラマでも、八重は非常に合理的な判断を的確に下して、その実力を十分に発揮しています。<br />
<ul>
<li>未熟な者は決して前線に連れて来てはならない</li>
<li>自分達の武器は劣る、だからよく引きつけてから撃て(やたらに無駄弾を射つな)</li>
<li>何処を撃てば最も効率良く相手の勢力を削げるか考えろ(旗頭の下の侍大将を狙え)</li>
</ul>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgJflttkdeg1tEURfFHjAX4_e7b-QN4rA2k2Sha4-COrsTcSPljgKp6TM1oCVQhqpt0KyEkjUfyWb10tTdHL_UYuUI2Usna0Z9jPCV7KsB0Eh0lWzF62i0ss_nEmMJccBWvFgY1RZhCfAk/s1600/o0200028812367387129.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgJflttkdeg1tEURfFHjAX4_e7b-QN4rA2k2Sha4-COrsTcSPljgKp6TM1oCVQhqpt0KyEkjUfyWb10tTdHL_UYuUI2Usna0Z9jPCV7KsB0Eh0lWzF62i0ss_nEmMJccBWvFgY1RZhCfAk/s1600/o0200028812367387129.jpg" /></a></div>
八重は明治末期まで生き、晩年この「会津戦争」について語っているらしく当時を思い出してその時の装束を再現した有名な写真も残っています。 (左図)<br />
後の夫、新島襄は「彼女は決して美人ではないが、ハンサムな女(ひと)だ。」と語っています。判る人には彼女の持つ内なる輝きが判ったのでしょう。<br />
<br />
この回では、様々に八重の考えに対して周囲が異を唱えます。 <br />
「戦場に出て行くおなごにかける言葉を知らない。」 <br />
「女子に戦は出来無い。」<br />
「おなごの出る幕ではない。」<br />
男どもは勿論の事、身内からも、同性からも理解はされない。。けれど、八重は怯まず主張し、先の名台詞が出る訳ですが、この言葉を吐くに足りる「揺るぎない実力と確信」が彼女の言葉の迫力の源になっているのは、誰の眼にも明らかでしょう。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「○○なら誰にも負けない。」</blockquote>
依って立つ何かを持っている人は土壇場に強い。あらためて奮い立つ言葉でした。<br />
<br />
<br />
<b>多様性に眼をつむる者</b><br />
この回では、八重の奮闘の裏で「白虎隊の悲劇」「藩士家族の婦女子の悲劇」も描かれています。いずれも「敵の手に落ちて辱めを受けるなら」と自ら自刃してしまうのですが、このマインドは恐ろしくも、第二次大戦の「戦陣訓」にまで継承されています。(生きて虜囚の恥ずかしめを受けず)八重が最後の最後まで諦めず考え抜く姿勢とは実に対称的です。<br />
<br />
歴史を後から眺める私達が、後知恵でもの申すのは甚だ不遜ですが、敢えて言うなら、殺し合いを伴う内戦ほど不毛なものはありません。少し視点を上げれば、それが自国の繁栄にいかに不利かはすぐに判る事です。<br />
もし、白虎隊にもう少し年長者が入っていれば(16〜18歳の今で言えば高校生)集団自決という早まった判断を止められたのではないか。幼気な女児まで手にかけて自刃する必要があったのか、、。これらの悲劇を考える時<br />
<blockquote class="tr_bq">
「思考オプションの少なさ」</blockquote>
を考えずにはいられません。<br />
「日新館で教わった」(会津藩士の子が通う藩校)<br />
「そうしなさいと教えられた」(武家の子女の心得として)<br />
人々の生きる世界は「会津」と言う郷土の範囲しかなく、その外側がどうなっているのかというところまで考えが至らない。情報の極端に少ない江戸末期である事を考えれば致し方なしですが、ちょっと今風に言うと<br />
<blockquote class="tr_bq">
フレーム(会津藩)という枠に捉われ過ぎて、その外側がどうなっているのか、フレームはあくまで「基点」でしか無いのに、その内側、外側に考えを切り替える事を忘れてしまっている。</blockquote>
と思えてなりませんでした。<br />
その後の歴史を見ると、明治新政府は官軍/賊軍の隔たり無く、特に能力を必要とする官僚の要職には人材を抜擢しています。(八重の兄の覚馬がその良い例)欧米列強の脅威を考えると、唯一の「知識階級」だった武士層は貴重なはずで、一人でも無駄にはしたく無いのに、そこまでのグランドプランを持っている人は、当時の日本にごく少数だった。。200年以上(それどころかその前の時代にも)小さな藩単位で世界を閉じ、上手に「擦り合わせ文化」を発達させて来た日本は「大きな戦略」や「異質な物を排除せず、いずれそれに救われる保険になるかも知れない」という多様性に対する本質的理解が、どうも鈍いのではないか。。と考えさせられる回でした。<br />
<br />
奇しくも、敬愛する濱口氏(Zibaの戦略ディレクター)が今日のツイッターでこんな事をつぶやいておられます。<br />
<blockquote class="tr_bq">
<a href="https://twitter.com/hideshione" target="_blank">多様性は必要なのではなく、多様性は前提なのです。(</a><a class="account-group js-account-group js-action-profile js-user-profile-link js-nav" data-user-id="9842152" href="http://www.blogger.com/null"><span class="username js-action-profile-name"><s>@</s><b>hideshione</b></span></a>)</blockquote>
そもそも、世界は「多様」なのだから、それを前提に考えない方が愚かしい。そう言わんとしているのだと思います。<br />
<br />
安倍首相は成長戦略に「女性の活用」を提唱し、IMFレポートには明確に「日本の女性は能力を活かしていない」書かれてしまった昨今。綾瀬はるかさん扮する八重のように<br />
「鉄砲なら誰にも負けねぇ。」<br />
と言い放つだけの、実力を備えなければと、気持ちを新たにしました。 renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-19737571600448754922013-07-06T14:13:00.001+09:002019-10-11T21:25:22.929+09:00「十二国記」小野不由美著 〜ファンタジーの凄味〜<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="http://www.shinchosha.co.jp/12kokuki/" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;" target="_blank"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjhiSxIjsdIes-CkGXgKJFWzDQDlchdCMpaPywVW4QItEnMgVOUs2DRDc9LS78-lzoT_0W8qFJr1j9-7UYcbEWuEl88c2AuSD_U4HBNRUrfzc9Vpw2lcVL9P1SbuLxJdoKjipJ6GB6Y6hQ/s320/IMG_0694.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><a href="http://www.shinchosha.co.jp/12kokuki/" target="_blank">3年ぶりの新作書き下ろし短編二作集録</a></td></tr>
</tbody></table>
気が付けば、2月から全く更新していない事に愕然。読書はしていたものの、新しいジャンルの仕事に出会って、そちらに興味津々。すっかり更新が疎かになってしまった。<br />
しかし、久々に書きたい衝動に駆られる作品なので、4ヶ月ぶりのエントリー。<br />
小野不由美の「十二国記シリーズ」は大好きなファンタジー小説だが、いつもこの人の作品は項を繰る手が止められない。待望の新作だったにも関わらず、あっという間に読み切ってしまった。<br />
<br />
このブログでファンタジーを扱った事は無いが、「ゲド戦記」をはじめ、ハイファンタジーは大好きだ。これほど真実をえぐり出す舞台装置は無いと思っている。良質でよく作り込まれたその世界は、現実世界を丹念に追うのと同等か、或はそれ以上に「世の条理」をあぶり出してくれる。<br />
<br />
<br />
<b>小野不由美の凄さ</b><br />
彼女は作家としてつくづく凄いと思う。ファンタジーが苦手という人は、恐らく<br />
<ul>
<li>現実世界でない</li>
<li>所詮おとぎ話</li>
<li>夢見がちだ</li>
</ul>
という先入観を持っているのではないか。。。<br />
確かにファンタジーと銘打っているので、この物語は現実世界とは全く違う「世界設定」に成り立っている。だが、その中に一つとして、先の言葉が醸し出す「甘さ」は存在しない。むしろ、苛烈で過酷なまでに、理詰めで(ファンタジーに理詰めというのも変だが、その世界の中の「理(ことわり)」という意味)物語は紡がれ、読む者はその条理の元に否応無しに物語へと引き込まれる。<br />
古代中国(紀元前の周王朝あたり)の政治形態や神話に登場する妖怪を援用しているが、精緻に作り込まれたこの世界は本当に脱帽する。入り込むと何ら不思議に感じない物語とはそれだけ矛盾の無い構造を持っていると言えるからだ。(大好きな司馬遼太郎さんも「ファンタジーを楽しむには作法がある。その世界のルールに完全にのめり込む事だ」と語っている。)<br />
<br />
<br />
<b>リーダーの役割とは</b><br />
この浩瀚(こうかん)な物語を読んで、一番心に染みたのが、「リーダー」の役割の本質をえぐり出しているところだ。<br />
十二国記の愛読者にはくどい説明になるが、、、<br />
<blockquote class="tr_bq">
十二国とは <br />
<ul>
<li>「天」なる高き意志に造られた十二の国がある。</li>
<li>そこには一人づつ「王」が配される。</li>
<li>この王を選ぶのが「麒麟」で、これも天から配される。 </li>
</ul>
</blockquote>
という大前提がある。(この異世界が時々現世と繋がってしまうという設定)すなわち、十二国という世界には、嫌でもそれぞれに「リーダー」が居る状況で(時々王座が空位になって国が荒れるけど)、このリーダー達が個性豊かに「野心に燃え」「怖じ気づき」「燃え尽き」たりしながら、国を富ませたり、滅ぼしたりを繰り返している。<br />
それぞれ与えられた「権」を独自に解釈して治世を行うのだが、そのやり方が各国様々なところが面白い。豊かな描写力で描かれる登場人物は、皆「どこかに居そう」で目の前にありありと姿が浮かぶ筆致力には凄味がある。<br />
<br />
私はこの物語によって初めて<br />
<ul>
<li>国の舵取りは「綺麗事」だけでは出来ない</li>
<li>批判しているだけでは何も物事はすすまない</li>
<li>時に非情を覚悟で苦渋の選択をしなければならない</li>
</ul>
ということを学んだ。<br />
リーダーは一人では何も出来ないが、決める時は一人で決めなければならない。或は、合議制を入れていても最後は「拠り所」となる支柱(リーダー:王)が無ければ安心して周囲は行動を起こせない。位によって得た重みがどんな事を意味するのか、様々なケースを繰り出せる作家の想像力の翼は本当に無限大だ。<br />
<br />
<br />
<b>鳥の眼と虫の眼</b><br />
一見派手な「王権」の物語がメインストーリーに見えるが、小野不由美は物語の視点を、自在に上下させる。特に、今回の新作「丕緒(ひしょ)の鳥」は「組織の末端に属する名も無き仕事人」達を丹念に描いている。ネタバレになるので、詳細を記述する事は控えるが、どの物語も「自らのミッション」とどう向き合うのかを実に的確に豊かに描いている。<br />
<ul>
<li>捨て鉢になった内面からもう一度再起出来るか?(丕緒の鳥)</li>
<li>自らの判断が国の根幹を揺るがすかも知れない事態にどう対処するのか?(落照の獄)</li>
<li>自分の出来る事は小さい、それでもたった一度のチャンスにどこまで責務を真っ当出来るか(青条の蘭)</li>
<li>遠回りに見える職務をコツコツと積み上げて行くしか自分達に出来る事はないと腹を括った専門家達(風信)</li>
</ul>
ファンからは「地味だった」等と言う感想も寄せられているようだが(それはそれで良し!)宮仕えを20年以上続けた「地味な仕事人」としては、どの短編もいぶし銀の魅力でたまらない。<br />
この鳥の眼(権力者の眼、経営者の眼)と虫の眼(現場で働く市井の人々の眼)を自在に切り替えているところが、物語の「厚み」と「精緻さ」を支えている。<br />
電車の中でマスカラが落ちるのもかまわず、涙腺が緩みっぱなしだった。<br />
<br />
<br />
<b>ファンタジーの存在意義</b><br />
人はどうして物語を欲するのだろう。簡単に答えは見つからない。近現代において、ファクトを真摯に見つめる姿勢が、人々をより良い暮らしに導き、それが何らかの欲望を満たして来た。物事が明らかになって行くと、蒙昧な世迷い言を語った「物語」は世間の片隅に追いやられてしまうのか。。否、そんな事は無い。ここまで、科学技術が発達し、情報革命が起きた今でも、物語は無くならない。それは、きっと人間が生きるに必要な根幹に関わる何かなのかも知れない。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「時には小説を読んだ方がいいのかも。」</blockquote>
何人かの友人が似たような事を言った。働き盛りには、良く書かれたビジネス書は欠かせない。(私も大好き)けれど、ビジネス書だけではどうしても捉えられない事態に直面した時、ひょっとすると小説や物語の中に、何かのヒントが隠されているかも知れない。往年の「物語ファン」としてはやはりそう思うのである。<br />
<br />
最後に、もしこの物語を読もうと思われる方に、各巻のおススメ読み進め順を記しておこう。これは私に十二国記を知らしめてくれた友人が貸してくれた順番そのままである。<br />
<ol>
<li>月の影 影の海(上下)</li>
<li>風の万里 黎明の空(上下)</li>
<li>東の海神 西の滄海 ←シリーズ中一番好きな巻!</li>
<li>図南の翼</li>
<li>風の海 迷宮の岸</li>
<li>黄昏の岸 暁の天</li>
<li>魔性の子</li>
<li>華胥の幽夢</li>
<li>丕緒の鳥(最新刊) </li>
</ol>
実は新潮文庫から発刊順に読んでしまうと、初めての人は少し混乱してしまうかも知れない。それくらい、この物語は重層的である。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-33243781524376364912013-02-24T18:00:00.001+09:002013-02-24T18:00:22.025+09:00オランダを考えてみる〜「最強国の条件」A.チェア 「オランダ紀行」司馬遼太郎 他<br />
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgz6M5hIb6rGVebP7HsyuPvj-JljsT-zBoy1Kp6JKyzNE_wCOzX5L-lD1dyT0KLNoJYgPKzIgkR8ROWfy5_p9gUahOSPtBzoOhLPF9KQd7k0ZT9hf87FasEhW4zMgrguJcO1EF8lqrmRvU/s640/blogger-image--77540785.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="236" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgz6M5hIb6rGVebP7HsyuPvj-JljsT-zBoy1Kp6JKyzNE_wCOzX5L-lD1dyT0KLNoJYgPKzIgkR8ROWfy5_p9gUahOSPtBzoOhLPF9KQd7k0ZT9hf87FasEhW4zMgrguJcO1EF8lqrmRvU/s320/blogger-image--77540785.jpg" width="320" /></a>オランダからの客人と週一回ミーティングをする機会があった。折角のご縁なのだから、彼の国はどんな国なのか、最低でも基礎知識を入れておこうと大慌てで「オランダ紀行」を読む。<br />
オランダへは旅行で一度行った事がある。両親がベルギーのアントワープに三年程住んでいた時に、隣国へ気軽に遊びに行く感覚でアムステルダムを訪れた。ベネルクス三国と言われているけれど、国境を越えると両国の違いがすぐに判る。まず、道路の舗装レベルがオランダは格段にいい。<br />「ベルギーは貧しいからね。インフラに手が回らないんだよ。走っていてすぐに判る。」<br />と父が話していた。もう15年以上前の話で通貨統合前だから、今はどうか判らない。スキーポール空港はヨーロッパでも一番立派な空港だとも言われていた。小国ながらいろいろ立派だけど、料理には無頓着でベルギーの方が何を食べても美味しく、フランス系ラテン文化の薫りがした。オランダはどちらかと言うとイギリスに通ずる所が強く(アントワープの前にロンドンにも両親は赴任していたので)今回「オランダ紀行」を読んでその理由が少し判った。<br />
<br />
<br />
<b>最強国の条件(A・チェア著)</b><br />
オランダ紀行を読みながら、「この内容どこかで読んだな。」と既読感を覚えた。暫くわからなかったが、やっと去年読んだ<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062153947" target="_blank">「最強国の条件」(A・チェア著)</a>の中にオランダが取り上げられていた事を思い出す。この著書は、以前<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2011/11/blog-post_23.html" target="_blank">輿那覇先生に薦められた本</a>で、古代ペルシャ帝国から現代のアメリカ、果ては、最近注目の中国、インドまでを「最強国になった要因」と言う視点で読み解いている面白い著書だった。<br />
チェア女史は「最強国(HighPower)」をこう定義している。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「最強国」は単なる帝国や超大国よりも「珍しい」存在で、軍事的経済的な優位が突出しているあまり、世界を事実上支配するにいたった社会、国家のことである。(本文p3) </blockquote>
そして、歴史上の最強国に見られる法則性を<br />
<blockquote class="tr_bq">
最強国が世界支配にいたる上昇過程では「多元主義的」且つ「寛容」で、それが衰退期に入る時は 「不寛容」「排外主義」宗教的、民族的に「純粋さ」を求め出す時に始まっている。</blockquote>
と説いている。アメリカの著書らしく、冒頭数ページでズバリ要点を書いてしまっている所が、何とも明快だが、各章は便覧的だけれど世界史を「国家の成り立ち」という点で俯瞰するのには非常に面白い。<br />
<ul>
<li>古代ペルシャ帝国</li>
<li>ローマ帝国</li>
<li>唐</li>
<li>大モンゴル帝国</li>
<li>中世スペイン</li>
<li>オスマン帝国</li>
<li>ムガール帝国</li>
<li>大英帝国</li>
<li>アメリカ</li>
<li>ナチス・ドイツ</li>
<li>大日本帝国</li>
<li>現代の中国、インド、EU</li>
</ul>
と古今東西の「最強国」と言われる事例を取り上げ、この中に「小国オランダ」を列挙しているのである。<br />
<br />
<br />
<b>不利な条件からアイデア一つで成り上がった国</b><br />
ここからは「最強国の条件」と「オランダ紀行」両方で読んだ事を織り交ぜながら、私なりの感想を。。<br />
チェア女史も、司馬さんも、オランダが17世紀に「輝けるグローバル帝国」になり得たのは、「宗教/民族に対する一切の差別をしない=寛容政策」によるものだとしている。<br />
<br />
低湿地帯で地理的に恵まれたとは言えないこの地域は、各地が「公国」単位で割拠し、沿岸部は海洋民族として生きていた。「海の乞食(ゴイセン)」と呼ばれていた彼等は、直接自分達が食べられる「農」では無く、何かに「付加価値」を付けて売って利益を得る「商」に生きなければならなかったとしている。司馬さんはよく<br />
<blockquote class="tr_bq">
「商売とは、物の「量」と「質」を正確にはかることだ。」</blockquote>
と語る。そうでなければ商売は出来無いと。<br />
17世紀は「宗教改革」の嵐が吹き荒れ、血で血を洗う争いに明け暮れ、その先頭に立ったのがスペインであるが、オランダは80年かけて、このスペインからの独立を勝ち取り、宗教や民族の違いから迫害を受けた人々(ユダヤ教やプロテスタント)が資本と技術を持って次々とオランダにやって来た。この起業心溢れる「資本とアイデア」とそれを支える「労働力(プロテスタント)」が僅か数十年にして「近代市民国家の小サンプル」を作ったと言えるらしい。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「自由」<br />というのは、後世の東洋人が恍惚となるほどには、高邁なものではなかった。ただひたすらに実利的だった。<br />十六世紀末、この国の市民達が懸命にもがいて領有国のスペインから独立したのも、自由のためだった。どんな思想をもってもよく、何を信仰してもいい、という社会でなければ生きられないし、商売もできないし、はるかな遠洋にも出てゆけないのである。<br />たとえば、カトリックならば船上に神父がいないと死ぬ場合に天国にもゆけなくなるが、プロテスタントならば聖書一冊あればいい。<br />「なぜオランダは繁栄したか、それは、自由があったからだ」<br />とこの繁栄の時代(十七世紀)に生きたスピノザが痛切に言っているのである。(「オランダ紀行」p89)</blockquote>
商売重視になれば、当然「拝金主義」にもなるし、汚職、賄賂が頻発し「まず『官』が腐った」とも司馬さんは表現する。有名な「チューリップバブル」も世界で初めて金融システムが出来上がったオランダでの出来事だったし、「オランダ東インド会社(VOC)」は世界初の「株式会社」だった事は有名で、鎖国していた江戸期の日本と取引をしていたのが、このオランダ東インド会社である事を考えると、当時のオランダの「商魂逞しさ」を窺い知る事が出来る。<br />
<br />
<br />
<b>「オランダのビジネスモデル」をそっくり継承したイギリス</b><br />
チェア女史は、短時間で勃興したオランダが「名誉革命」を契機に、そっくりイギリスに移ってしまったと指摘する。<br />
野心家だったオランダの執政官ウィレムが、従姉妹でイギリスの王位継承権を持つメアリー・スチュワートと結婚し、イギリス議会を味方につけて自分がイギリス王になってしまった(名誉革命/無血革命)時点で、オランダにあった一切(寛容政策、資本、有能な人材、ビジネスモデルetc)をイギリスはそっくり恩恵として受け取ったのだという。<br />
チェア女史は、オランダの章の最後に鋭い指摘をしている。<br />
<blockquote class="tr_bq">
イギリスはオランダがついに解決出来無かった問題まで継承する事になる。オランダにとって、寛容さは主として内政問題だった。オランダの国境の中で実現した宗教的寛容さは特筆すべきものだったが、海外の通商基地における人種的・民族的寛容に繋がったわけではない。(中略)奴隷制、人種隔離、文化破壊と典型的な植民地支配を実行したのである。(中略)オランダ人はインドネシア人やセイロン人を、大オランダ帝国の忠実な臣民に作り変える事に一度たりとも成功しなかった。(そもそもそんなつもりも無かった)啓蒙主義の諸原則、白人中心主義、ローマ流の帝国建設という三つの、互いに異質な原則を組み合わせる努力は、次代の主役であるイギリス人が支払うことになるであろう。(「最強国の条件」p230)</blockquote>
「台湾紀行」(司馬遼太郎著)を読んだ時、オランダが台湾南部に海運の為の基地を開いた記述があったが、その中でも<br />
<blockquote class="tr_bq">
「宗主国としてその土地 に『何かをもたらそう』(例えばインフラとか)というつもりはまるでなく、自分らの都合優先で、取れるものだけその土地から吸い上げて(例えば資源や労働力)後は知らないとばかりに、海岸線に張り付く形の城で(ゼーランディア城)統治と言えないような統治をしていた、、、</blockquote>
と表現していた。<br />
<br />
<br />
<b>美術史の中のオランダとゴッホ</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjyvD50xs-rWmPSBeJUvH-yC-IWQu1qoXnrj-qT3U4Ut9v0tyPWMb9vA4IXwCdPvPyuW92Xp0yguKk7dj4R2bIaxOin_ODFQpt9tko5auR1L-GgJLRUTXkcwwI68vfX4NJnfw4WepoMJ5c/s1600/2011_02_10_02.png" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="226" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjyvD50xs-rWmPSBeJUvH-yC-IWQu1qoXnrj-qT3U4Ut9v0tyPWMb9vA4IXwCdPvPyuW92Xp0yguKk7dj4R2bIaxOin_ODFQpt9tko5auR1L-GgJLRUTXkcwwI68vfX4NJnfw4WepoMJ5c/s320/2011_02_10_02.png" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">「馬鈴薯を食べる人々」ゴッホ</td></tr>
</tbody></table>
最後に「オランダ紀行」を読んでとても「儲かった!」と思った話。同書にはレンブラント、ルーベンス、ゴッホに対して解説している文章が多く、非常に秀逸で示唆に飛んでいる。<br />
一応、画学生だったので美術史は詳しいつもりだが、美大の悪い所は「井の中の蛙」でそれが、当時の社会とどう関わったのかという解釈がいつもスッポリ抜け落ちている。<br />
技法と流派とそれの時代が補足的に語られるだけで、その意味や意義までは思考を深めない。。。<br />
司馬さんは作家デビューをする前の新聞記者時代に美術欄を担当していた時期があるそうだが「もっとありのままの絵画を楽しめば良かった。」と色々な所で後悔しておられる。でも、その圧倒的「下調べ」に依って立つ解説はもの凄く面白かった。<br />
<br />
オランダが生んだレンブラントとアントワープを代表するルーベンスの違い(プロテスタントとカソリックの違いにも見える)もさる事ながら、ゴッホに関する文章はとっても秀逸でこんな解釈これまで読んだ事が無かった。<br />
<u>「存命中は評価されなかった孤高の画家、自分の耳を切り落とす狂気の狭間に生きた炎の画家」</u>等と表現されるが、司馬さんは「ゴッホは狂人でも変人でも無い」と言う。死の直前まで弟テオと取り交わした往復書簡を読み込み、最後にこう書いている。<br />
<blockquote class="tr_bq">
ゴッホは精神を絵画にした。<br />
このことそのものが、異様であった、<br />
それ以前の、たとえば宗教絵画でいえば荘厳さとか神秘的光景、または聖母の慈愛、あるいは神にたいする敬虔といった心理的情景は絵画によって描写できた。それも、一種の『説明』だった。<br />
そういう、『説明』からいえば、ゴッホはいわば無茶だった。かれは自分の精神を、絵画で表現しようとした。自己の皮膚を剥ぎ、自己そのものを画面にひろげてみせたのである。<br />半ば冗談で(むろん半ば本気で)いうと、ゴッホがもし十七世紀に生をうけていれば、とてもレンブラントのような画家にはなれなかったにちがいない。レンブラントの場合、対象を再表現するために --説明するために-- 稀代の写実力をもっていたのである。<br />ゴッホのころ、すでに写真機が出現していた。<br />画家たちは写実力の上で寝そべっているわけにはいかなくなり、ゴッホのように精神へ向うか、もしくは同世代のセザンヌ(1839〜1906)のように、自然がもつ形を抽象して(自然を円筒状、球状、円錐状に分析して)それらを絵画のなかで再結合させるか、どちらかしかなかった。(「オランダ紀行」p388)</blockquote>
期せずして、これまで自分が抱えて来た命題に、一つの見方を示してくれたように思った。そうか、写真機は大変な「イノベーション」だったんだ。。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「絵画」は今日では文学的な所に近いと思われがちだけれど、そもそもの成り立ちはもっと科学技術に近い技能だったのだ。(司馬遼太郎)</blockquote>
この記述にもハッとする。ああ、やっぱり読書って面白い。<br />
オランダからの客人と、こんな事をベースに話し合う事が出来そうだ、、(悲しいかな語学力が伴わないけれど。。。) <br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLLLYPj6azNNSxwn2GLsor5ZP8KeTcMuSs5-EJmPFXAfxyLFUatcCncQz4I8Cv0Wj-apHc9aRXcOLvyOD1Oy5Dj-xndbbzpLnxjdBZfCg6GWmWy1ElEJlNgnyxP5AiNQzQhElxrd9IIwE/s1600/gogh09.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="149" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLLLYPj6azNNSxwn2GLsor5ZP8KeTcMuSs5-EJmPFXAfxyLFUatcCncQz4I8Cv0Wj-apHc9aRXcOLvyOD1Oy5Dj-xndbbzpLnxjdBZfCg6GWmWy1ElEJlNgnyxP5AiNQzQhElxrd9IIwE/s320/gogh09.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">ゴッホの最後の絵と言われている「カラスの群れ飛ぶムギ畑」</td></tr>
</tbody></table>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-56196982950508522352013-02-13T19:24:00.001+09:002013-02-13T19:24:13.997+09:00いい男、いい女に読んでもらいたい「海賊と呼ばれた男」百田尚樹著<blockquote class="tr_bq">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiX4Rektj0HbmTh20fj3YB501VyzTYYt9mbP39iTaJUpNqRS8M6Ie01_3rJIjp_S5LfESroO1gc7i_7cOFLV9cbTi3WdRgB3-q6WSxNrQ5dmAWTH3ydizLOh35lQQT1vNGGdXsyhZdQ_HI/s640/blogger-image--1067480327.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="212" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiX4Rektj0HbmTh20fj3YB501VyzTYYt9mbP39iTaJUpNqRS8M6Ie01_3rJIjp_S5LfESroO1gc7i_7cOFLV9cbTi3WdRgB3-q6WSxNrQ5dmAWTH3ydizLOh35lQQT1vNGGdXsyhZdQ_HI/s320/blogger-image--1067480327.jpg" width="320" /></a>仕事の出来るビジネスマンは小説なんて読まへんのやろな。</blockquote>
<br />
確か、百田さんは二年以上前にこんな内容をつぶやいていた。仕事がデキル人ほど小説を読んで欲しい。。今回「海賊と呼ばれた男」を読んで「あの時のつぶやきの真意はこれか。」と思うと同時に、これは百田さんの「坂の上の雲」だなと思った。<br />
<br />
どこで読んだか忘れてしまったが、司馬遼太郎が超人気作家だった高度経済成長期(1960~70年代)、サラリーマンはこぞって同氏の作品を読んだと言われている。「竜馬がゆく」は若い20~30代の現場を支える人から支持され、「坂の上の雲」は管理職クラスの必須教養だと、その短い書評では表現していた。<br />
百田氏も「永遠の0」では「人は何を信条に生き抜くのか」を表現し、この「海賊と呼ばれた男」は「世の趨勢と、それにどう対処し判断して人を引っ張って行くのか、人を育てていくとはどんな事なのか」をリアルに目の前に描いてくれている。<br />
<br />
内容の薄いハウツー本10冊よりも、このほぼ実話に近い小説をジックリ読む方が、よっぽど「デキルビジネスマン」には役に立つだろうと私も思う。<br />
<br />
<br />
<b>人が最大の財産</b><br />
武田信玄の昔から「人は城、、」と言われるように、人材の大切さは叫ばれている。しかし、ギリギリの土壇場でもこの信条を守り抜ける人は少ないだろう。<br />
「海賊と呼ばれた男」は明治の末期に一代で石油小売店を築いた国岡鐵造(くにおかてつぞう:出光興産の創始者出光佐三がモデル)が、終戦の玉音放送を聴く所から始まる。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「愚痴をやめよ、直ちに建設に取りかかれ。」</blockquote>
鐵造は、茫然自失の社員を終戦二日後に招集し、こう下知する。国内の石油小売各社は戦時下に軍部が指導して作った国策会社「石油配給統制会社(石統)」に入っていたが、鐵造はそれは国内の自由な商いを阻害するもので、国家にも国民にも「為にならない」として真っ向反対し、加盟しなかった。今も昔も日本にありがちな「身内いびり」が始まり、国岡商店は国内では商売できないよう同業者からイジメられていた。<br />
やむなく、当時占領下にあった南方、台湾、韓国、満州と海外に支店を展開し、そこで外資相手に堂々と渡り合って脅威的な売り上げを計上する。それが、終戦と共に灰燼に帰してしまうのだ。建て直しには「馘首致し方無し」と周囲の幹部が進言する。すると鐵造は<br />
<blockquote class="tr_bq">
「ならん、ひとりの馘首もならん。」(中略)「たしかに国岡商店の事業はすべてなくなった。残っているのは借金ばかりだ.しかしわが社には、何よりも素晴らしい財産が残っている。一千名にものぼる店員たちだ。彼らこそ、国岡商店の最高の資材であり財産である。国岡の社是である『人間尊重』の精神が今こそ発揮されるときではないか」(上巻p20)</blockquote>
もうここを読むだけで滂沱の涙だが、「社歴の浅い店員だけでも。。」と進言する重役に、さらに雷を落す<br />
<blockquote class="tr_bq">
「馬鹿者!店員は家族と同然である。社歴の浅い深いは関係無い。君たちは家が苦しくなったから、幼い家族を切り捨てるのか」</blockquote>
「人育て」の真骨頂である。<br />
<br />
私事で恐縮だが、20数年務めている今の会社で、忘れられない事がある。最初の子を妊娠した14年前、産休に入る直前に昇格試験を受ける年次に当たってしまった。既にお腹は大きく、二ヶ月後には休みに入る予定だったが、試験実施日はまだ在籍していた。当時の上司も周囲も、そして自分自身も「こんなに大きなお腹の妊婦はきっと落されるだろう。」と思っていた。論文試験をパスし、グループ面談に進んで、私が妊婦であると面接官に知れてしまったら、きっと落される。それでも、面談の時に尋ねられた「将来どんな事業を思い描くか自分はそれにどう貢献出来るか。」と問われた時に、本心から「こうしたい」と思う事を述べた。すると後日「まさか通ると思わなかった驚きだ。」と当時の上司から合格した事を告げられた。(僅か14年前でもこんな上司の方が普通でした、、今なら、パワハラ、セクハラものですな。)<br />
あの時、あの場に居た五人の面接官にどれだけ感謝したかわからない。私の将来の可能性のみを評価してくれたのだ。当時は産休/育休を取って、そのまま会社に復帰しない女性も多かった。私がしれっと休むだけ休んで退職してしまうだろうと見られやすい世の中だった。それでも面談の内容のみを公平に評価してくれた事は<br />
<blockquote class="tr_bq">
「雑音に振り回されず、評価すべき点のみを評価する」</blockquote>
という筋の通った態度をとったわけで、それが私に与えた影響は計り知れない。その後の社内評価は決して恵まれているとは言えないけれど、たった一時、自分を信頼してくれた人達が居た(当時の面接官はとっくに退職されてきっと今は居ないだろうし、どの部署の方かも判らない)という事にどれだけ助けられたか判らない。人は信頼される事で、苦しくとも奮い立つ事が出来るのだと身に染みて思う。だから、鐵造の言葉はどうしても涙無しには読めないのだ。<br />
<br />
国岡商店の創業当時は、鐵造自ら講師を勤め、若い社員を社内夜学で教えたという。より高度な知識と見識を身につけるべく、懇切丁寧、辛抱強く教え、手塩にかけて育てた店員達は、簡単に置き換えの効く「人員」なぞという存在では無く、まさに国岡商店にとって、なくてはならない存在なのだ。<br />
こんな風に丁寧な「人育て」をしていた企業は、戦前/戦後と多かったように思う。実際に知ってる例では、松下幸之助も工場の工員が学べるように夜学を開いていたし、東レもそうだったと記憶する。国全体が貧しく、不況の嵐が吹くと、働きに出なければならなかった若者達が大量に生まれた。彼、彼女らに学ぶ機会を与え、社会の一員として育て上げる、企業はそんな役割を担っていた。この一見すぐ効果が現れない地道な育成が、後の幾多の苦境を乗り越える底力となって発揮される。色々な意味で「日本の特徴」と言っていいと思う。<br />
この主人公鐵造を中心に、登場する男達はどの人物も鐵造が繰り出す難題に「出来ません」と簡単には言わず、考え抜き、辛い仕事にも何度でも挑む、満身創痍の戦士達だ。<br />
<br />
<br />
<b>シレッとスマートな海軍大佐が学んだ事</b><br />
最も印象的なのは、戦後「ラジオ修理事業」を国岡でやらないかとら持ちかけた海軍大佐藤本のエピソードだ。とにかく、石油が一滴も無く商いができない国岡は、社員を食わせる為にどんな事業もやった。選り好みせず、農業漁業まで取り組んだとか。。。どれも赤字で採算が合わず、糊口を凌ぐ状態だった。<br />
ラジオ修理はGHQの指導で、広く民主主義を浸透させる為に、それを伝えるデバイスが必要でラジオを行き渡らせる必要があった。ところが当時の日本には新しくラジオを生産する力が無い。急場凌ぎに「壊れて放置されたラジオでもいいから直せ!」となったわけで、この事を知った藤本は、かつての部下達で海軍の技術畑の退役軍人達を修理に当たらせようと事業プランを考えた。国岡に話を持ち込んだ藤本は、即断即決する鐵造に舌を巻く。ところが、この後本当の「鐵造の人育て」に遭遇するあたりが面白い。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「この事業をするには五百万円用意して頂かなければなりません。」</blockquote>
藤本が事業プランを練って鐵造に進言するが、一言<br />
<blockquote class="tr_bq">
「君はその金額を経理に用意しろと言うのかね。君に事業部長を任せた以上、一国一城の主だ。他はどうか知らんが、金の工面も事業部長の仕事だ。」</blockquote>
と言われてあっと気が付く。さればと銀行に融資の相談に行くが「元海軍大佐だった」と名乗った事によって<br />
<blockquote class="tr_bq">
「戦艦大和の様な、大変な無駄遣いをしておきながら、、、銀行屋に言わせれば海軍は経済がわかっていない。」</blockquote>
と痛罵される。<br />
「自分は真に海軍気質が抜けて居なかった、申請したらそれで金が降りると思う甘さがあった。」<br />
と、ものの見方をガラリと転換させる。融資願いに訪ねる時に、ラジオの修理を銀行担当者の前で実演し、それまで門前払いだった銀行サイドの興味をひいて、何とか前向きな回答を得る。この気付きと、軌道修正の柔軟さはとても印象的で心に残る。<br />
<br />
実は、この本を読む前に「戦艦大和の最後」(吉田満著)を読んだのだが、そのあとがきにこんな一節がある。<br />
<blockquote class="tr_bq">
海軍の人間にはどんな雑兵に至るまで今も共通の面差しが残っている。海軍士官はシレッとした動作が身につくよう心がけた。しかし今度の戦争で、その開始から終局まで陸軍を中心とする無思慮と蛮勇に海軍が押切られる場面が多かったのは、シレッとし過ぎた結果ともいえるのではないか。いつの頃か、ネーヴィーの伝統に一種のエリート意識、みずからの手を汚すことを潔しとせぬ貴族趣味が加わり、受け入れ難い相手とトコトンまで争わずに、自分の主張、確信だけを出して事を決着する正念場から身を引くという通弊が生まれた。(「海軍という世界」『勝海舟全集』第十六巻月報より 司馬遼太郎)</blockquote>
ドキッとする人も多いのではないか。元々優秀で資質のある人間でも、環境によっては身を労する事をサボってしまう。自分の回りのみ身綺麗にして、やり過ごそうとする姿勢は、現代人にも、否、分業化が行く所まで進んでしまった現代だからこそ、この藤本のエピソードに、何らかの内省を感ぜずにはいられない。<br />
<br />
<br />
<b>生きたビジョン</b><br />
鐵造は、神戸商業高校(現神戸大学)に学んだ時に、後の社是とも言える幾つかのビジョンを示す言葉に出会う。組織の長たるもの「ビジョン」無しには夜も日も明けないのが、昨今の常識だか、以下に挙げるものは、誰にもわかりやすく、且つ「お!それに自分も乗りたい」と思わせる魅力がある。ビジョンの有るべき本質を捉えていてとても秀逸に感じる。<br />
<br />
●士魂商才<br />
鐵造が創業時に恩師からもらった言葉で「武士のこころをもって、商いせよ」という意味。武士と商人という江戸時代の身分制度の一番上と下という組み合わせが妙だが、この相入れない役割の全く違う二つを成り立たせる為には自ずと考え続けなければならない。考え続ける体質を持った組織は強い。<br />
<br />
●黄金の奴隷たる勿れ<br />
神戸商業高校の学生達の間で言い交わされた言葉。第一次大戦の戦勝景気で出現した「成金」が同校で演説した時に「所詮、金儲けや!」と言い放った事に学生達は若者らしく反発してこう語り合う。若き日の「青臭い理想」はやはり大事だ。鐵造が先頭に立って喧嘩を仕掛ける時に常にこれが行動指針になっているのが、よくわかる。<br />
<br />
●大地域小売業<br />
中間搾取を出来るだけ抜いて生産者と消費者を繋げる流通の在り方。当時、工業化の躍進に伴って消費者が購買力を付け、需要がどんどん増して、これまでの流通方法では供給が追いつかなくなって来ていた。その時代の趨勢を読んで、創業当時から目指した商いの在り方。このアイデアの筋目の良さに真っ先に気が付いたのは、鐵造の創業時に資金援助をした日田という人物。この人が寄せた鐵造への信頼が後の国岡商店を作ったと言っても過言では無く、結局「人育て」は世代を越えるレンジで考えなければならない事がよくわかる。<br />
<br />
鐵造の姿勢は、徹頭徹尾<u>「店員達の能力を信じ、自らの行いが天に恥じる所は無いか常に見つめ、本当に解は無いのか考え抜く」</u>事に貫かれている。トップとしての仕事<br />
<blockquote class="tr_bq">
大勢におもねらず敢然と喧嘩を仕掛け、向かうべきビションを常に示す。</blockquote>
をする姿勢は、この闘将の元だったら奮い立って働くだろうと、各エピソードは物語る。<br />
<br />
タイムカードも、労働組合も、定年も無く(注:現在の出光には有るらしい)それを知った官僚が「こんな宗教じみた会社上手く行くはずが無い。」といぶかる社風であるが、一度社員達の働きと、鐵造の寄せる信頼に触れると「これぞ!」と惚れ込んでしまう。<br />
Amazonの書評に「今度から出光のカードを作る!」と書いている人があったが、機会があれば私も出光を選びそうだ。百田氏は<br />
<blockquote>
「この忘れられていた真実を小説に書いて、今の日本人に何かを思い出してもらいたい。」</blockquote>
と語る。どの会社にも「創業の理念」があり、それは「金儲け」ばかりで無い何かがあったのでは無いか、、、。<br />
自分の足元からもう一度見つめたいと思わせる、味わい深い作品だ。<br />
<br />
【追記】<br />
少し出光興産の事をネットで調べたら、バブル期に「2兆円クラブ」(有利子負債額)という、ありがたく無いあだ名がついていたそうだ。日産、ダイエー、出光で構成された、このクラブから他社や政府の資金援助を受けずに、自力で脱出出来たのは出光のみと言う。偉大な創始者亡き後の、企業の危機と再生にも非常に興味がある。(皆さんAppleを思い浮かべるのでは?)機会があれば読んでみようか。<br />
<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4641164010" target="_blank">出光興産の自己革新</a> renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-12481136615028329482013-01-28T20:36:00.001+09:002013-01-28T20:50:21.187+09:00魂をわしづかみ「永遠の0」百田直樹著<blockquote class="tr_bq">
「俺は価値の無い作家や!本屋に並んでいる本の殆どがそうや!真に残るのは司馬遼太郎とか〇〇○(←忘れました:筆者注)とかや!後は屑や!」</blockquote>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJnbQG1Gp1I0u1YOJswAGsNspL1sCkOG0rhaTk3V0JFL13DjUb9Jr2tWjL9ABkfFeM9mJrE2ZLiyEtIhjowo3Y1r69yKUH7jD5kLmWeCXHeptBCFCSP_jHgsGtoyP8arizCBS57cPhnEg/s640/blogger-image--1249048003.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJnbQG1Gp1I0u1YOJswAGsNspL1sCkOG0rhaTk3V0JFL13DjUb9Jr2tWjL9ABkfFeM9mJrE2ZLiyEtIhjowo3Y1r69yKUH7jD5kLmWeCXHeptBCFCSP_jHgsGtoyP8arizCBS57cPhnEg/s400/blogger-image--1249048003.jpg" width="355" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">印象的な手書きの帯び。これは確かに凄い。</td></tr>
</tbody></table>
百田氏のTwitter(@hyakutanaoki) をいつからフォローしたのか忘れてしまったが、とにかくびっくりするような下ネタ(とても引用出来ない内容、、、)を連発するかと思えば、こんな風に自虐的な事をつぶやいてドキッとさせる作家さんだ。作品を読むよりもその発言が印象的で「ただものではない」感いっぱい。いつか読もうと思いながら、処女作をやっと読む。<br />
<br />
、、、、凄い作品だった。一気に読ませる力があると同時に、実は堅牢な構成に支えられた骨太の作品で、最初は表面的な演出の上手さに圧倒されてしまったが、後からジワリと来るものがある。今でも「どうしてかなぁ」と考えているし、間違いなく今年ナンバー1だろう。<br />
年末の映画公開が楽しみだ。ネタバレ無しに感想を書くのは難しいが、出来るだけギリギリ低空飛行でポイントを走り書きたいと思う。<br />
<br />
<br />
<b>この話のテーマは「戦争」では無い</b><br />
百田氏は<a href="http://www.eienno-zero.jp/index.html" target="_blank">映画の公式サイト</a>に短くこのように寄せている。<br />
<blockquote class="tr_bq">
この映画のテーマは「戦争」ではありません。「人は何のために生きるのか」「誰の為に生きるのか」を現代の人々に問いかけた物語です。</blockquote>
この小説を読んだ事があれば、これだけ微に入り細にわたり太平洋戦争の事を書いていて「戦争の話じゃないの?」と言いたくなるだろう。でも、よくよく考えてみると確かに、作者が一番言いたい主題はこの言葉に込められている。<br />
<br />
下手をすると日本がアメリカと戦争をしていた事を知らない若者が居ると聞く。そんな人が読んでも、基本的な「太平洋戦争」のアウトラインが理解出来、歴史学習という点でも一役貢献しているが、表層の話を追うのに夢中になると、作者が仕掛けた精緻な伏線に気が付かずに通り過ぎてしまう。見事と言える重層構造に、誰かと話をしたい衝動に駆られるが、今回は伏線のポイントをあげて映画が公開されたあたりに、またネタバレ込みで話をしよう。<br />
<br />
<br />
<b>ゼロファイター</b><br />
この小説のあらすじは、零戦に乗って特攻で亡くなった自分達の祖父(宮部久蔵)の足跡を二人の成人した孫姉弟が追う形で進む。高齢になった元特攻隊員達に話を聞くうち、祖父が凄腕の零戦乗りで、しかも「臆病者」だと評価される事に行き当たる。<br />
<br />
兵器や戦記に殆ど関心が無かった私は、零戦がいかに凄い戦闘機だったのか、この小説で初めて知った。(横道に逸れるけれど、昭和40〜60年代は反戦気運が強く、兵器の事を語るだけで「軍国主義者」とレッテルを貼られる空気があったように思う。)<br />
<br />
言わば「空飛ぶオートバイ」のような、燃費の良さと機動性の高さは、当時の戦闘機では郡を抜いていたという。<br />
<br />
私でも、開発秘話や、操るに必要な飛行テクニックの話は、思わず興奮してしまう。そして、つくづく「日本は現場擦り合わせ」の世界であると改めて認識した。(加藤陽子先生や池田信夫氏の言う通り、色々な意味で最強のお家芸だ。)<br />
<br />
設計も、生産も、整備も、運用(パイロット)も、まるで申し合わせたように「阿吽の呼吸」で,精緻に組み上げて結果を出す。資源は乏しいけれど、小さな集団の中でずっと顔を突き合わせて何世紀も暮らして来た民族ならではの連携力は、他国から見れば「気味が悪い」と映る事もあったろう。<br />
<br />
「誰が使うか想定出来ないから、出来るだけ使い方は簡単にしよう。」<br />
<br />
と 発想出来る米軍に、戦争末期は物量で押されて全く歯が立たなかったのは周知の事だが、、、<br />
<ul>
<li>一度決めた事の見直しが苦手</li>
<li>成功/失敗体験どちらにも引っぱられ過ぎる傾向</li>
<li>精緻で我慢強く、優秀な現場が何とかしてしまう「現場ガンバリズム」</li>
<li>「現場が何とかするだろう」と上が下に甘える構造</li>
</ul>
は見逃してはならない。現代のサラリーマンでこの事に涙しない人は居ないだろう。<br />
<br />
全面的に石油を止められているのに(自国では一滴も出ないのに)アメリカと戦争を始めて何とかなると思ってしまうのは、局地戦は器用で得意だが、誰も「大局観」を見渡せない、否「見渡せる人がトップに着かない(疎まれて排斥されるので)」という、今聞いても笑えない構造が存在する。物語の中で語られる零戦の栄光と衰退は、古くて新しい話だ。<br />
<br />
<br />
<b>囲碁の達人</b><br />
この物語で次に大事なモチーフと思うのは、この主人公(宮部久蔵)が囲碁の達人である事だ。私は囲碁に詳しく無いが、歴史の先生方は、日中戦争をこう喩える。<br />
<blockquote class="tr_bq">
将棋と間違えて囲碁を打つ</blockquote>
あの戦争が泥沼化してしまった最大の原因を示す言葉で、大将の首を取れば、首都を落せば戦が終わると思い込んで、囲碁戦(陣地取りゲーム)を将棋と間違えてしてしまったのが日中戦争であると。。。物語でも囲碁好きの少佐に<br />
「山本五十六大将も、将棋では無く囲碁の素養があればもっとこの戦争は違う局面になったのに。」<br />
と、きわどい発言をさせている。次々と都市を落して快進撃のつもりで中国大陸深く前線を伸ばしてしまった日本陸軍は<u>「駄目と分かったらいつでも陣地を落して後方へ引く」</u>中国古来の戦法に気が付かず、どんどん補給線を伸ばして疲弊してしまった。<br />
<br />
そもそも囲碁は中国で占いとして使われていた物が転じて「領土を奪う戦略」のシミュレーションとして発達したと言われている。毛沢東は共産党軍の将校達に、囲碁をさせたとか。。。<br />
<br />
一度置いた石は動かす事が出来ず、相手の石に取り囲まれたらその石は取られて相手の陣地となる。石の置き方一つでその後の展開を何パターンも考えるのは、かなりの知性が必要で、将棋と基本的な思考パターンが違うという。<br />
そして、囲碁の用語は実に多く生活に入り込んでいて、調べて驚いてしまった。<br />
<ul>
<li>一目置く(いちもく おく)</li>
<li>駄目押し</li>
<li>布石</li>
<li>定石</li>
<li>捨て石</li>
<li>死活</li>
<li>大局観</li>
</ul>
ビジネス書でこの言葉を使わずに文章を書くのは難しいだろう。本気で囲碁棋士を目指そうとしたという主人公のキャラクター設定に、作者の深い意図を感じるのだが、これ以上書くとネタバレになってしまうので、詳細は映画を観た後にでも。<br />
<br />
<br />
<b>戦後の生活クオリティを分けた士官候補生と下士官</b><br />
最後に、これはなかなか気が付かないと思えるポイントを!<br />
物語は生き残った老兵達が、インタビューに応えるオムニバス形式で構成される。彼らの口を通して、謎の人「宮部久蔵」の人物像があぶり出されるが、同時に太平洋戦争の全容も理解出来るようになっている。最初に読むと、そのストーリーを追うのに夢中で「誰が」語ったのかは、あまり注目出来ない。<br />
<br />
ところが、物語のクライマックスの謎を考えると、ふと証言をした老兵達の事が気になった。もう一度拾い読みすると、作者は各老兵の戦後から今にかけての暮らしぶりを必ず描写している。注意深く読み返すと、そこに一本の区切り線がある事が判る。「士官」という等級だ。<br />
<br />
主人公の宮部は「下士官」と言って、若い頃に海軍に入隊しているが、高等教育を受けていない為に「士官」に昇る術が無い。どんなに優秀でもそれ以上の昇進は無く、宮部の世代は「昭和恐慌」のあおりを受けて、高等教育を受けられなかった若者が、大量に軍へと流れた事を伺わせる。<br />
<br />
一方、物語後半に登場する証言者は、みな「士官候補生」で学徒動員で大学の勉学途中で「軍隊に取られた」人達である。<br />
今では大学生と聴いても何の価値も感じられないが、70年前は大変なエリートで、その知性は今の大学生は遠く及ばない。<br />
「戦艦大和の最後」を読んだが、これが僅か二十歳前後の学生の文章だろうかと思う程、深い知性と思慮に裏付けられている。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「何の為に自分達は死ななければならないのか、その価値は何なのか。自分達の死をせめて価値あるものにしたいのだ。」</blockquote>
無謀な「海上特攻」を命じられた大和の乗組員の士官候補生は談話室で喧々諤々、時に取っ組み合いの喧嘩を繰り広げながら、自分達に降り掛かった命運を議論している。<br />
「日本のブレーン」とも言うべき人材を、「保身」と「甘え」の固まりである軍上層部は、一度きりの使い捨てよろしく特攻をさせるという、、、書いていて情けない歴史の事実があるわけだが、主人公の宮部も、この事を同じく苦痛に感じている。<br />
<br />
これ以上は、ネタバレになるので、今回はここまで!この4つのポイントが重要な伏線ではないかと思うのだ。続きは年末の映画公開の後に。。。 renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-40062535562582834662013-01-14T21:02:00.001+09:002013-01-14T21:02:29.535+09:00だまし絵的映画?「インセプション」の遅めの鑑賞感想<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7odrtV-zEjAxFEutRASbvS7GV-ywb_hH8x0yUNYN_gxudqlTgt_M4k7uz0nq_tR-RzDqiLG134U2bHVRfUN66ivLuYFho0NKtJtRKdctpZb4zC3NEgK9ZhVtF29KrhbMWqv4eocVnXag/s1600/Inception_Poster.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7odrtV-zEjAxFEutRASbvS7GV-ywb_hH8x0yUNYN_gxudqlTgt_M4k7uz0nq_tR-RzDqiLG134U2bHVRfUN66ivLuYFho0NKtJtRKdctpZb4zC3NEgK9ZhVtF29KrhbMWqv4eocVnXag/s320/Inception_Poster.jpg" width="216" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">2010年の作品</td></tr>
</tbody></table>
お正月休みにiTunesでレンタルした映画。ついこの前と思っていたのに、公開が2010年と知って愕然。。。ロードショー中の映画を観たい時に観られる幸せ、、いつになったら子どもの手がかからなくなる事やら。。<br />
<br />そんな事はさておき、観た人数人が「何が何だか全くわからなかった。」と言うのを聞いてずっと気になっていた。噂に違わず難解な映画である。<br />
このブログで映画感想は初めてかも知れないけれど、凄く気になる内容だったので、感想と私なりの解釈を。。<br />
<blockquote class="tr_bq">
【!注意!】<br />
完全にネタバレです。バラさないと書きようがなくて。でも一度も観た事無い方には読んでも内容がチンプンカンプンかもしれません。一度観てる人ならば「なるほど」とおさらいに。。。この映画の解釈はいろいろ分かれているそうですが、これはあくまで私の解釈である事をお断りしておきます。</blockquote>
<br />
<br />
<b>Dream in a Dream(夢の中の夢)</b><br />
夢の中で「あ!夢だったんだ。」って目覚めたのに、実はまだそれも夢で、さらに目が覚める。。こんな経験をした人は多いだろう。明日の朝は遅れちゃいけない、と思って緊張しながら寝た時はそんな感じで、何度も夢の中で遅刻する夢を見て、目覚めていたような気がする。<br />バットマンシリーズ(ビギンズ/ダークナイト/ライジング)の監督クリストファー・ノーランが手掛けるこの「インセプション」はそんな風に夢(潜在意識)の中にまた夢があって、そのさらに下に夢があって、、と縦構造に夢が階層化されている。その夢を深く深く潜り込み、他人の潜在意識にアイデアを埋め込んで、あたかも自分が考えついた全くのオリジナルなアイデアだと思い込ませる「刷り込み屋」の話である。(主役のドミニコ・コブ役はレオナルド・デュカプリオ)<br />経済界の大物サイトー(渡辺謙)が競合相手の会社を潰す為に、もうすぐ跡取りとなるであろうその会社の御曹司ロバート(キリアン・マーフィ)の潜在意識に植え込み(インセプション)を行って欲しいと、コブに依頼をする。コブは「潜り込み」に必要なメンバーを集め、ロバートへのインセプションを敢行するのだが、、コブは愛妻モルとの間に問題を抱えており、夢に潜行すると度々モルが現れて、、、。というのがおおまかなあらすじである。<br />
<br />
<br />
<b>夢に潜行する時のルール</b><br />
この映画の面白い所は、実際には「主観的なものである夢」を共有してしまう点。最初に観た時はそのルールがよく分からなくて、確認する為に都合3度も観てしまった!ネット検索すると、その構造とルールを分かり易く図解していた。(自分で描こうと思ったけど同じ事を考えている人が居たのね) <br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi6c-g-jPDvhyphenhyphenhd3YzdPREXiKCnBZhMjqxDcDIoEErkymgZLFlq1RG6eZlBTSDP0zZEl3tfqDsWn0Qa3xj8vz7ADUAV7WVl9F0GmuSS7QyyD6CKIVGbg04uCDh4mJUwuLFrNWuY3HwWy3A/s1600/7.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi6c-g-jPDvhyphenhyphenhd3YzdPREXiKCnBZhMjqxDcDIoEErkymgZLFlq1RG6eZlBTSDP0zZEl3tfqDsWn0Qa3xj8vz7ADUAV7WVl9F0GmuSS7QyyD6CKIVGbg04uCDh4mJUwuLFrNWuY3HwWy3A/s640/7.jpg" width="393" /></a></div>
<ul>
<li>共有したい仲間同士は「夢共有マシン(?)」をハブにしてケーブルを腕に巻いて眠りにつく。</li>
<li>この時誰か一人が「幹事役」になってその人が見る夢に残りのみんなが入る。</li>
<li>さらにその下の階層の夢に行く時は「幹事役」は自分の夢の中に残らなくてはならず、眠っているみんなの面倒を見る。(脱出して現実世界へ登って行く時にタイミングを合わせるんですね)</li>
<li>夢は深くなるほど時間が20倍になるので、現実世界では1分が→その下の階層の夢では20分→さらに下では400分(6時間40分)とどんどん長くなる。</li>
</ul>
大雑把に言うとこんな所で、このくらいは予備知識が無くても初見で何となく把握出来るレベルだ。<br />
上図はその仕組みを分かり易く図解している。でも問題はここから、、。この図で示されている「依頼を遂行」するストーリーの核部分に気を取られていると、エンディングに「あれ?」と思ってしまう。<br />
<br />
<br />
<b>樺沢解釈</b><br />
<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html" target="_blank">先日のエントリーで樺沢紫苑さんの著作を紹介</a>したが、この映画好きの先生はやっぱり予想した通り「インセプション」に関して独自の解釈を展開しておられた。詳細は樺沢氏発行の<a href="http://archive.mag2.com/0000136378/index.html" target="_blank">メルマガ「映画の精神医学」(まぐまぐ:登録無料)</a>のバックナンバーに書かれているので、(2010年9月13日、28日号)機会があればお読み頂きたい。樺沢氏も「自分なりの考えだが」と前置きして、この映画の巧妙さをこう指摘している。(以下、ネタバレ。メルマガもかなり長いので要約してみました。)<br />
<blockquote class="tr_bq">
実はこの映画は全編「夢の中」だとノーラン監督は仕掛けている。大半の人はそれに気がつかない。その根拠は、、<br />エンディングでコブは切望していた我が家へ帰還するが「これは現実か?」と確認する為にコマ(コブのトーテム)を回す。ずっと周り続けるとそれは夢で、バランスを崩して止まれば現実だが、止まるか止まらないかのギリギリで暗転する。このエンディングの解釈で議論が分かれているが、樺沢氏は「ノーラン監督なら曖昧に『解釈は観客に委ねる』という終わり方をしない。(緻密な演出をする監督なので)ノーランが想定するエンディングがあるだろう。」と予想する。<br />そして「トーテム(夢か現実かを判断するお守り)は他人に触らせてしまうと、夢を乗っ取られてしまうので触らせてはならない。 」とルール設定しているが、実は映画の一番最初でそのルールは「無効だ」と宣言する描写があると指摘している。(老人の特殊メイクをした渡辺謙が「このコマを知っている」とコブのトーテムを触っている)→だから「コマが倒れたら現実」とは言えない。<br />現実世界に見せている描写も、時間と場所のつなぎがいい加減で、全て主人公コブに都合良く「こうなって欲しい」と望む展開する。これはいかにも「夢の特性」をよく表現していて、ノーラン監督は意図的にそう演出している。(パリに居るはずの義父がなぜかロサンジェルスの到着ロビーで待っているとか、、)<br />最初のシーン「サイトー(渡辺謙)の日本風家屋」と最後にコブがサイトーを迎えに行くシーンは、そっくり同じで最初のシーンが「回想シーン」に見えるが、実は二つは違うもので(台詞が似ているけど決定的な所が違う)サイトーが見る夢の中でコブが望む「現実世界」へサイトーがコブを連れて行って「成仏」させているのだ。。</blockquote>
という内容。これを最初に読んだ時は「え!そうなの!」とかなりショックで、この解釈を念頭に入れながら、2度さらに観てしまった。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgCBpyT9LsRHLXDNWU4HUf2ZKyNwFhtamD2ehLQmipDa6vwRavLz030g0fuk0sErrca4mncM_1z5x65b0uqFgZGn4GjReqaXEz73GvWCr5fVJlPllZ96xo0HzjGicz7HFPnU-T3bADN3HY/s1600/56360318.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="166" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgCBpyT9LsRHLXDNWU4HUf2ZKyNwFhtamD2ehLQmipDa6vwRavLz030g0fuk0sErrca4mncM_1z5x65b0uqFgZGn4GjReqaXEz73GvWCr5fVJlPllZ96xo0HzjGicz7HFPnU-T3bADN3HY/s320/56360318.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">謙さん最初の登場シーンがなんとこの老け役。背中からのショットは凄く老人っぽくて感じが出ていた。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<br />
<b>ペンローズの階段</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj31NF5eIfNRnswUIBQckmI4lznqdU7DkenndjAvk8T3Jy0jsC25alpBddPTz0_dPucEWtqU0aGV9-_fLdQ8dCzgMXor_wJhhroErft2KvOJAjNdsugjjMqVi-5cx8gn83QVnJzq1UsbRc/s1600/images.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj31NF5eIfNRnswUIBQckmI4lznqdU7DkenndjAvk8T3Jy0jsC25alpBddPTz0_dPucEWtqU0aGV9-_fLdQ8dCzgMXor_wJhhroErft2KvOJAjNdsugjjMqVi-5cx8gn83QVnJzq1UsbRc/s1600/images.jpg" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">映画でも出て来るペンローズの階段</td></tr>
</tbody></table>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7KdzGnHacj_poLA6QfL2D56LBf62eQB5dBlFvtttuZQ5MpNccGMLZrp7mHaTLwhGtDpVlFz7X1fTaYxMgmXpSYLTO_NI_SlDeQrArLYH5Oi_j-S-1HxcC85Y-BkT9F98Oz923EiqJTTA/s1600/372px-Impossible_staircase.svg.png" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="243" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7KdzGnHacj_poLA6QfL2D56LBf62eQB5dBlFvtttuZQ5MpNccGMLZrp7mHaTLwhGtDpVlFz7X1fTaYxMgmXpSYLTO_NI_SlDeQrArLYH5Oi_j-S-1HxcC85Y-BkT9F98Oz923EiqJTTA/s320/372px-Impossible_staircase.svg.png" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">不可能図と言われるペンローズの階段</td></tr>
</tbody></table>
映画で、アーサー(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)がアリアドネ(エレン・ペイジ)相手に、ペンローズの階段の説明をするシーンがある。有名な騙し絵だが、実際に作るのは不可能で、映画でも「パラドックスだ」と言いながら見る角度によって「種明かしが出来る」とでも言いたげなシーンがある。(つなぎ目無く続く階段も実は途中で途切れていて、見る角度で錯覚を起こしている。アーサーがホテルの無重力の中で格闘する時も同じ表現がある。)<br />
樺沢解釈に「そうかぁ〜!」と興奮しつつも、何となく釈然としない。物語に緻密なルールを設定しているノーラン監督の事だから、「あ、そっか」とスパッと解釈で来そうな気がするのだが、樺沢説を支持するとなると、先に挙げた「夢の中に入って行く時のルール」との整合性に妙に悩んでしまう。(メルマガも二度読み返したけれどやっぱり分からず)この映画全体が夢で、それがサイトーが主幹元の夢だとすると、<br />
<ul>
<li>現実はどこにあるのか?</li>
<li>実在した人物は誰?(サイトーとコブだけ?)</li>
<li>コブはサイトーの夢の中に入り込んで出られなくなった「すり替え人」?(サイトーが一番始めに「夢で出会った男」とコブの事を言っているから可能性は高い。)</li>
<li>じゃあコブって居る人なの???(そもそも生きているのかしら?)</li>
</ul>
因に、樺沢説では全体が夢であるなら、サイトーとコブ以外は全員コブが作り出した「陰」であるというような主張をしている。<br />
まるで、映画全体がペンローズの階段のように思えるのだ。いかにもつなぎ目がスムーズに理論だっているようでいて、「あれ?おかしい?」と。。最初と最後のつなぎがおかしい事までは分かるけど、じゃあどっちがどうなのかと考えはじめると混乱する。ノーラン監督がほくそ笑んでいるようで、本当に「奇才」だと脱帽してしまう。(私の脳みそではもう限界)<br />
<br />
<br />
<b>二人の女性性</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJg3MTiiMPOK7z0dxl34Sw4EyYcHisf0wOuTuhhIT_wNUr74w5cNGEFHTNi-KD9LuTQx2OSzf01E_C4c5yWxNj6XjAHdua7Oh4RTVJbowqq8UjtzVS44O6S53v4mzCyupAJWigCt5BbEs/s1600/bwenn5511386-400x600.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJg3MTiiMPOK7z0dxl34Sw4EyYcHisf0wOuTuhhIT_wNUr74w5cNGEFHTNi-KD9LuTQx2OSzf01E_C4c5yWxNj6XjAHdua7Oh4RTVJbowqq8UjtzVS44O6S53v4mzCyupAJWigCt5BbEs/s320/bwenn5511386-400x600.jpg" width="213" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">ワールドプレミアにて</td></tr>
</tbody></table>
出口の無い回答を堂々巡りしていても、仕方無いので、最後に、この映画に登場する二人の女性に注目したい。一人はコブの妻モル(マリオン・コティヤール:写真左))もう一人は、コブが夢の中の街の設計士としてスカウトするアリアドネ(エレン・ペイジ:写真右)。<br />
この二人はどの面をとっても正反対で、コブにとって(或は男性全般にとって)二人は究極の女性性を表しているんだと感じた。<br />
<br />
<br />
<b>グレートマザー的モル</b><br />
「モル」という名前からして変わっている。ちょっと調べてみたが、malは接頭語で「不全な、悪い」という意味になるらしい。この事も非常に意味深。。。<br />
演じたマリオンは女性の私が見ても「ああいいなぁ。」と思う、大人の知性と色気を感じさせる女性だ。コブがベタ惚れしてしまうのがよくわかる。二人はどうやら建築科の学生だったらしく、成績優秀だったコブは、その恩師の愛娘モルと結婚したらしい。<br />
コブはモルと共に潜在意識に潜って、自分達の思う通りの都市設計を延々と繰り返し、50年という歳月を二人っきりで過ごしてしまう。(現実では数時間のうたた寝程度なのだけれど)全能感に満ちあふれた世界から、モルは出るのを嫌がり、コブは「ずっとここで暮らす事は出来無い。」と畏怖の念を抱き始める。<br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjaqgyoy1skJkCYNCEvaJwo9pAGV-b2Y6cXl6GG5VEfl97i43yrJk58ORs2oarU9LrGCLyOP1jtF_05PcDxZSAFfetNccGNP_TZTYn6dBY1ZRc4BahLNEenpOuplx3nyMd75uuNvZk9jmU/s1600/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-19.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjaqgyoy1skJkCYNCEvaJwo9pAGV-b2Y6cXl6GG5VEfl97i43yrJk58ORs2oarU9LrGCLyOP1jtF_05PcDxZSAFfetNccGNP_TZTYn6dBY1ZRc4BahLNEenpOuplx3nyMd75uuNvZk9jmU/s320/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-19.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">このワンショットだけで相思相愛ぶりがよくわかる。</td></tr>
</tbody></table>
モルの潜在意識に「これは夢だ」と埋め込んで(インセプション)無理に現実世界へ二人は戻って来るのだが、それを受け入れられないモルは、夫を陥れる策を巡らせて、コブの目の前で投身自殺をしてしまう。(死ねばまたあの世界に戻れると。。)<br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhnZGI-VstmWfokiESyckfMFMpiy9nVTGlJHPV2MjJ-EDbClCg5ataeyokSdWYyMC4TBxhR4rAQBFbvtDgrH7yahTwDrh6YZbJkFY6fh95u3CTu-ZSU1OsvGEyZ6_TfPp-W5-75zTkGHG4/s1600/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-27.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="134" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhnZGI-VstmWfokiESyckfMFMpiy9nVTGlJHPV2MjJ-EDbClCg5ataeyokSdWYyMC4TBxhR4rAQBFbvtDgrH7yahTwDrh6YZbJkFY6fh95u3CTu-ZSU1OsvGEyZ6_TfPp-W5-75zTkGHG4/s320/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-27.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">砂のお城が風と波で崩れてゆく、コブとモルの「リンボー(虚無)の世界</td></tr>
</tbody></table>
以来、罪悪感に苛まれ続けているコブは、妻を殺害した容疑で追われ、二人の子ども達とも会えないでいる。(この一連の話は現実にあった事なのかどうなのか、、それを考え出すと頭が痛くなるので、とりあえず置いておく)<br />
この一連の描写がいかにもだなぁと思うのである。<br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxLtPKbLs9LuhuBXzv48VCmaIx1dEjkaA5r90Qo-G5lLCIh0HwpVyBG6-5hBvtm824emuO_vWRdz-Jp1Ie-F9ce_rMFmFAOVCMrkKETpen59nQ94aAqI92rmXrwg67laOyme0irT7NGoI/s1600/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-34.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="134" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxLtPKbLs9LuhuBXzv48VCmaIx1dEjkaA5r90Qo-G5lLCIh0HwpVyBG6-5hBvtm824emuO_vWRdz-Jp1Ie-F9ce_rMFmFAOVCMrkKETpen59nQ94aAqI92rmXrwg67laOyme0irT7NGoI/s320/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-34.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">女性が見ても「お!」と思うこの色気。</td></tr>
</tbody></table>
潜在意識下(闇や夢)は多くの神話が女性性と結びつけている。潜った先を出たがらなかったのは、コブでは無くモルだった事は非常に暗示的で、思わず「ギリシャ神話のエウデュケ」や「古事記のイザナミ」を思い出す。(どちらも妻が黄泉の国へ行ってしまい夫が連れ戻そうとするが失敗する。)<br />
モルは全編を通し、魅惑的でありながら、ちょっと怖くて困った存在としてコブをずっと悩ませる。 <br />
「約束したでしょ?なすべきことをして。」<br />
昔の言質をたてに、行動を促す魅力的な妻。男性は女性のこんな面がきっと恐ろしいに違いない。逃げ出したい衝動と、でも逃げられない魅力。。ディカプリオは、<u>一人の女性を一途に愛しながら内面の葛藤を抱える役</u>をやらせたら天下一品だと思う。(まあ、俳優として基本スキルなんでしょうが。。)しかし、容姿がそれに見合っていないと「単なる鬼婆」よねと思って自戒に務めるわけである。<br />
<br />
<br />
<b>知性の光を持つ守護天使アリアドネ</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhCye65LUaMlnQqM6ruIUcMOJW1jJg0RieYq-P9FIuX0RgJ_MrbnDiO3YWDmTWAc1L8YyS4AmiqldCNhDM71QF9Q41gnRmMplbB2DOjvqaZ7gf9IgbWn_Xjl-sSUuTVREK0slYt7GGyaAk/s1600/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-23.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="209" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhCye65LUaMlnQqM6ruIUcMOJW1jJg0RieYq-P9FIuX0RgJ_MrbnDiO3YWDmTWAc1L8YyS4AmiqldCNhDM71QF9Q41gnRmMplbB2DOjvqaZ7gf9IgbWn_Xjl-sSUuTVREK0slYt7GGyaAk/s320/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%9A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AD%E3%82%99%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-23.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">「僕みたいに優秀な学生は?」とスカウトしたアリアドネ</td></tr>
</tbody></table>
「アリアドネ」と言えば、言わずと知れた「アリアドネの糸」の女神を模しているとしか思え無い。テーセウスがミノタウロスの迷宮から出られるように糸巻を渡した女神の名前だ。(ギリシャ神話)この映画でも、モルと対照的で少女のような透明な容姿と、最後の階層までコブに付き合って同道する女性であり、コブが義父に頼んで<br />「自分と同じくらいに優秀な学生を紹介して欲しい。」<br />と言って現れたのが、アリアドネだ。彼女は教授が推薦するだけあって、建造物をイマジネーションする力に優れ、トレーニング中もコブにその実力を認めさせる。樺沢氏は<br />
<blockquote class="tr_bq">
「アリアドネは、コブにとって最も都合のいい女性で、彼が『こんな人物なら自分を救い出してくれるに違いない』と投影した陰だ。」(メルマガより)</blockquote>
と 解説する。非常に鋭い分析で、映画でも彼女の個性はガラスの様に透明で、コブが心で思っていても出せない事を、顕在化する役割を担っている。重要な役割を担っているのに、モルと対照的で人間臭さがまるで感じられないのは、役割だけが結晶化したようなキャラクターだからだろう。<br />
一度だけモルが「あんたは誰?」とアリアドネに対峙するシーンがあるが、基本的にモルはアリアドネが眼中に無く、アリアドネもそれがさして悔しいという訳でない。それは、互いが、コブを中心として存在しているからだろう事を考えると、納得出来てなかなか憎い演出である。 <br />
<br />
ゆっくり映画を観る時間がこの所少しづつ取れるようになったので、本と合わせて意識的に観るようにしなきゃなとつくづく思う。少なくとも、今話題のノーラン監督のバットマンシリーズ三部作は遅まきながらも観なきゃ。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-42680059578455064722013-01-12T18:53:00.000+09:002013-01-12T19:14:22.644+09:00「父親はどこへ消えたか」樺沢紫苑著<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/490537412X" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;" target="_blank"><img alt="" border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4-aNS0YsUFFULLQCjqE_HwfaqQw1PWeWlUubSKZvp-ueuDWyIKtUesN1tZybHtxcT1J0udTYLw3knC2HKe7up9WSe69oEePXoP3AbGhaxJfX7tzpCItEUrNUv53lwDMpk1bv0LC27fYY/s320/IMG_3398.jpg" title="" width="213" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">ハリウッドから日本アニメまで</td></tr>
</tbody></table>
久しぶりに「続きが読みたい、、でも読み終わるのが寂しい!」本に出会った。去年は<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2011/11/blog-post_23.html" target="_blank">「中国化する日本」</a>がヒットだったけれど、今年は早くもこの本がベスト3にランク・イン?!映画がとにかく観たくなる本だ。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「現代は父性喪失の時代で、みんなそれを探そうとしている。」</blockquote>
ごく端的に言ってしまえば、著者の樺沢氏はそう主張している。「父性」というキーワードにピンと来たので、是非読みたいと初版を速攻で注文した。<br />
<br />
<br />
<b>河合隼雄と父性</b><br />
20年以上前。妙に心理学の本にかぶれた時期がある。むさぼるようにユング系の本を読み倒した。思えば「遅めの通過儀礼」だったのかも。。この時に読んだ、河合隼雄さんの本はとても面白かった。河合さんは日本へ最初に「ユング心理学」を紹介した人で、日本の心理学草分けの人である。<br />
ユングは<u>「集合無意識(民族が共通して持つ無意識)は神話という形で現れる」</u>と主張しているが、河合さんはこの考えをベースに、現代で語られる物語(1970~80年代頃)にも、それが顕著に現れている事を興味深く説いていた。(参照:<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062561298" target="_blank">「子どもの本を読む」</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062561719" target="_blank">「ファンタジーを読む」</a>)<span style="font-size: x-small;">※どちらも絶版なのが寂しい。</span><br />
<br />
今回の「父親はどこに消えた」は題材を「映画」に求め、独自の解釈を展開している所がとてもユニークで、河合さんの本を読むような懐かしさを感じる。<br />
<br />
どの本だったか忘れてしまったが、<br />
<blockquote class="tr_bq">
日本は母性原理が強い国だ。</blockquote>
と河合さんは説いている。私は直感で納得してしまったが、恐らく多くの方も同意見だろう。ユングが「原型」の一つと称している「グレードマザー(大母)」は、育み包むポジティブな面と、喰らい飲み込むネガティブな面、両方を併せ持つ原初的存在(ウロボロス)で、判り易く言えば「母なる大地」である。自分の母親を思い出せば「ああ、そのままだ!」とすぐ理解してしまった。<br />
今でも、平日の昼間に新大久保や高級ホテルのランチタイムを覗いてみれば、そこはグレートマザー達で溢れている。<br />
<br />
だが「ユング心理学の大御所」河合隼雄をしても「父性」については今ひとつ明快で無く、難解で、実感を伴って理解しにくかった。20年前の私は単純に「西洋文明圏は父性的なのかな?」と思うしかなく、まだまだ社会経験の浅い年齢だから「腑に落ちなかった」のだろう。<br />
樺沢氏も、<br />
<blockquote class="tr_bq">
「これまで父性について明確に語った本はごく限られている。」と証言している。(出版記念講演より)</blockquote>
だから、今回の出版は果敢な挑戦と言える。<br />
読み進めてつくづく感じたが「父性」とは非常に「はかなく」「もろく」「時代とともに遷ろう」もので、それでも人間が社会性を獲得してゆく上で欠く事の出来ない重要なファクターであると理解出来る。<b><br /><br /><br />壊れた腕輪(ゲド戦記:第二巻より)</b><br />
ジブリアニメで06年に公開された「ゲド戦記」をご覧んになった人はいるだろうか?私は「ゲド戦記」を先の河合さんの本を通して初めて知った。(「こどもの本を読む」)<br />
これまで読んだ中で5本の指に入る傑作・名作で、往年のファンが多い物語だ。<br />
宮崎駿氏はこの作品の大ファンで、ジブリが映画化するのには大反対。息子の吾朗氏が初監督を務めて大変な物議をかもしたのは、アニメファンなら有名なエピソードだろう。<br />
本書でも、映画「ゲド戦記」の制作裏話にかなり詳しく触れられ、樺沢氏の解釈に私も全く同意見である。(亡くなられる直前の河合隼雄氏が、吾郎監督と対談していたのも本当に意義深い。)<br />
それとは別に、この本の存在そのものが「ゲド戦記に出て来る”壊れた腕輪”」であると少し感動している。なぜなら永らく「父性って何だろう?」と思っていた疑問に、一つの解釈をもたらしてくれたからだ。丁度、半分に壊れた腕輪の片一方がやっと見つかった感じ。(ゲド戦記「壊れた腕輪」のあらすじはブログの巻末に、、。)<br />
改めて、人間の人格形成には「女性性」「男性性」二つどちらも必要なのだと実感したのである。それは、多くの心理学者が言うように、生物学的性別に基づく「女性」「男性」という狭義の意味では無く、男性女性どちらの中にもある「女性性」「男性性」をキチンと認識して統合させる過程の事を言っているのだ。<br />
<br />
<br />
<b>父性とは</b><br />
結局、「父性とは何なのか?」という問いに対する詳しい解釈は、是非本書をお読み頂きたい。簡単にまとめると、、<br />
<blockquote class="tr_bq">
・規範を示すもの<br />
・ビジョンを示すもの</blockquote>
と樺沢氏は収斂されている。別の表現では<br />
<blockquote class="tr_bq">
・切り離し分かつもの<br />
・闇に光る灯台</blockquote>
とも書いてあって、なかなかいい言葉である。<br />
<br />
規範が無く、目指すべき光が無ければ、航行する船はただ彷徨うばかりだ。現代(ここ30~40年間)の抱える問題を臨床の現場から見つめた人ならではの指摘だろう。<br />
<br />
往年の名作から始まって「父性の喪失点」とも言えるエポックメークな映画、その後の変遷、日本と海外との違い等々、、、。引用している映画の数は実に100本以上。それこそ、現在公開中の「レ・ミゼラブル」「スカイフォール」は間に合わなかったが、超最新作を網羅した考察は、お世辞抜きに一読に値する。ランダムに列挙すると、、<br />
<br />
<ul>
<li>「ガンダム」と「新世紀エヴァンゲリオン」の登場の意味は?</li>
<li>「オペラ座の怪人」における娘と父親の関係。</li>
<li>ジブリアニメのここ数作の変遷が物語る意味</li>
<li>爆発的人気漫画ONE PIECEは何なのか</li>
</ul>
<br />
etc、etc。。<br />
<br />
樺沢氏は、<br />
<blockquote class="tr_bq">
「多くの人が、親との問題を抱えている。自分だけと思いがちだけれど、何らか抱えている人の方が殆どではないか。」(出版記念講演より)</blockquote>
とも言う。こう聞くだけでホッとする人も多いだろう。巻末の「あとがき」で語られる、樺沢氏自身のエピソードも「理論という高みから冷たく言い放つ」のとは違う、人間味や親しみ易さが溢れている。<br />
<br />
親と問題を抱えている人も、いない人も、子どもを持つ人も、持たない人も、誰かと関わって生きて行く上で、何かの参考になるのでないだろうか。<br />
<br />
丁度、この本を読んでる最中に「インセプション」を観る機会があった。樺沢的視点で見るとこの難解な映画も味わい深く、次回のエントリーはこの「インセプション」の解釈にトライしてみたいと思う。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
<b>※ゲド戦記;第二巻「壊れた腕輪」あらすじ</b><br />
「ゲド戦記」の舞台ある、架空の世界「アーキペラゴ(多島海)」のカルカド国でテナーという女の子が「名前を奪われ」「食らわれし者」としてアチュアンの地下墓所の大巫女として迎えられる。<br />
地下墓所は灯りが全く無く、テナー(大巫女としての名前はアルハ)はその複雑な構造を、手探りで少しづつ覚えて「地下墓所の主」になる事を義務づけられる。<br />
墓所という組織の中で、テナーは一番偉く幼少期から育ててくれたマナン(性別としては男性だけれどこの人は宦官)は何でも言うことを聞き、何くれと無くテナーの面倒をみてくれるが、墓所から出る事は全く許さない。言わば「優しい看守」という存在だ。<br />
この墓所には「エレクアクベの腕輪」と言われる、且つて世界を統治するのに欠かせなかった腕輪の壊れた片方が大切に保管され、何としてでもこれを守らなくてはならない。<br />
一方、成人し魔法使いとなったゲドは、ひょんな事から「エレスアクベ」の腕輪の片方を手に入れ、これを「全(まった)きもの」にする為に、アチュアンにあると言われる、もう片方を取りにこの墓所へやって来る。<br />
<br />
第一巻「影との闘い」は主人公はゲドであり、大雑把に言えば、子どもが大人へと成長してゆく自我形成の過程を手に汗握る冒険潭で表現した話と言われている。(事実、一番面白くて人気が高い。)そして、続く第二巻はテナーの置かれた状況を中心に、後半は侵入して来たゲドとの関係が重要になる。河合隼雄氏は「第二巻:壊れた腕輪」は女性が自己を認識し、自我に目覚めてゆく過程をよく表している。」<br />
と解説していたが、含蓄のある言葉だ。<br />
墓所全体は「グレードマザー的」であり、それに向って「光(ロゴス)」を持って穴をこじ開けて侵入したゲドは「社会性」への踏み出しを意味している。アルハ(テナー)はその侵入に怒り、ゲドに瀕死の重症を負わせて、亡きものにしようとするが、一度「光」の存在を知ってしまったアルハの中で本来の「テナー」が葛藤を始める。<br />
結局、行く手を阻むマナンを地割れの中に突き落として、テナーはゲドと腕輪を携えて外界へ飛び出すが、ここで二人がハッピーエンドで結ばれないところが、ゲド戦記の奥の深さなのだ。<br />
樺沢氏も「父性の役割の一つに、社会への引っ張り出し。」を挙げている。暖かく保護された「巣」の中から独り立ちを促す行為は、時に命がけなのかも知れない。</blockquote>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-78212648155520120082013-01-06T11:57:00.001+09:002013-01-06T11:57:51.082+09:00司馬遼太郎対話選集 全10巻読了<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjIXAkrFD3sttbc4Pe3m8HWE01PDZcZ6aH5vU_9N3zEr73FSWQIsxZsOjGT8pUzBdaMdBo5XhuoUrGnfRwBcWHBQt62Oq3aKkIfHwMvO4-Ge2BYCJI3gpbEe8MDHkjSx_LBITtacp1LngE/s640/blogger-image--1510673286.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjIXAkrFD3sttbc4Pe3m8HWE01PDZcZ6aH5vU_9N3zEr73FSWQIsxZsOjGT8pUzBdaMdBo5XhuoUrGnfRwBcWHBQt62Oq3aKkIfHwMvO4-Ge2BYCJI3gpbEe8MDHkjSx_LBITtacp1LngE/s400/blogger-image--1510673286.jpg" width="300" /></a>ずっと読み続けていた、司馬さんの対談集をお正月休みに読み終わった。今年最初のエントリーは、この全10巻の感想を簡単に。。<br />
(一時期毎週更新していたけれど、やっぱりアウトプット疲れで、秋から冬はお休みしてました。ボチボチ続けたいと思います。)<br />
<br />
読み始めようかどうしようか、悩んでいたのは2011年の中頃ではなかったか。。<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2011/09/blog-post_19.html" target="_blank">関川夏央氏の「司馬遼太郎のかたち」 </a>を読んで、関川氏の巧みな原稿編集に「この人いい仕事するな。」と思っていたが、この「対話選集」も関川氏監修と知って、読みたい気持ちがムクムクと湧いた覚えがある。<br />
途中、読書塾を3サイクル受講したりで、読み進めるペースが遅くなったが、ポツポツと買い集めて最初から最後まで何とか一年かけて読み切った。<br />
<br />
最近よく見る、さらりと読み易いビジネス本に比べたら、一冊一冊、(その中に書かれている一つ一つの対談)が噛みごたえがあって、私レベルではまだまだ消化不良で、大きな「謎」が塊としてゴロゴロ頭の中に残った状態だ。高い教養や人間性を持った人同士の対談は、たった一言に「鮮やかな見識」が込められている。他の本を読んで「ああ、あの時言ってた事はこれか!」と気がつく事が多い。<br />司馬さんの小説やエッセイは読み易くて面白いが、それを支える土台となった「恐るべき知識量と洞察力」を伺い知るには、講演録や対談録を読むとよく判る。(これだけどんなジャンルの相手が来ても読ませる内容の対談が出来るのはそう無いと思う。)<br />
<br />
対談相手は蒼々たるメンバーで、司馬さんをはじめ殆どの方が鬼籍に入っている。1970年頃から最晩年の1996年まで、日本の高度経済成長が終わりバブル経済や東西冷戦終結等、いま振り返っても、今日に至る分岐点の時代に語られていた内容だと思うと、どれもが意義深い。<br />
<br />
各巻はタイトルが物語るように、テーマを持ってまとめられており、必ずしも時代順では無い。様々な出版社に存在する対談原稿と、その当時の担当者へのインタビューが行われ、その頃の時代背景が各章ごとに丁寧に整理されている。<br />
又、巻末の「あとがき」は作家「関川夏央」が解釈する、対談相手とその時代や興味深いエピソードで、このあとがきだけでも、もう一度読み通す価値がある。<br />
<br />
特に、湯川秀樹と「日本人はどこから来てどんな人種で構成されているのか?」と言った対談や、山本七平との「見えざる相剋」、岡本太郎と意外にも意気投合している事や、ダンディーな梅棹忠夫、桑原武夫と言った京都学派とはとても親しかった事を知ると、「一度でいいから、生で対談を聴きたかった。」とつくづく思う。<br />
<br />
「座談の名手」「人たらし」と言われた司馬さんは、本当に話好きで、作家としてデビューしようかという頃、知人に自分の文章を読んでもらったら<br />
「面白いけど、普段お前が話す方がもっと面白い。」<br />
と言われて軽くショックを受けたそうだ(関川氏あとがきより)。そこで、出来るだけ自分がふだん話をする調子で、文章を書こうと試みたとか。。<br />
<br />
インターネットが普通となり、スマフォという小さなコンピュータを子どもまでもが持ち歩く現代を司馬さんが見たら何と言うだろう。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
「これが文明というものです。たれもが簡単なルールを覚えればそれに参加出来る。それが文明なのです。」(司馬遼太郎)</blockquote>
<br />
ああ、今でもこの定義はピタリ当てはまる。やっぱり司馬さんって凄い。 renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-85335962402165307772012-10-14T12:10:00.001+09:002012-10-14T12:15:09.529+09:00街道をゆく「赤坂散歩」司馬遼太郎著気が付いたら一ヶ月以上も更新滞り。。。夏後半から秋にかけて、ちょっと読書ペースを落してお休みしてました。。週1回更新は難しいものの、ボチボチこれからも続けます。今日は備忘録的に簡単なエントリー。<br />
<br />
<b>ソバと穴(街道をゆく「赤坂散歩」より)</b><br />
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBBjuOQ4_c5Om2UCaANjXpJD6dS4SHFzbfudx9Js1QgSW79_CVSY72kc2DWJILsdnu9YsE_-Vzr2lgSuLjyBcM5tJ4CKucrRICFNJUcM8gOjJfOYUDzPegcxmEpCbbyIBXjjezr3huhHU/s640/blogger-image--2068742565.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBBjuOQ4_c5Om2UCaANjXpJD6dS4SHFzbfudx9Js1QgSW79_CVSY72kc2DWJILsdnu9YsE_-Vzr2lgSuLjyBcM5tJ4CKucrRICFNJUcM8gOjJfOYUDzPegcxmEpCbbyIBXjjezr3huhHU/s320/blogger-image--2068742565.jpg" width="240" /></a>以前、このブログに「高橋是清」の事を書く為に「赤坂散歩」の一部が読みたくて抜き読みしてたのを、今回キチンと通読。<br />
東京赤坂を「溜池」を中心に周囲の坂を登るように描写する本編は洒脱で面白い。特にエッセイ後半の「ソバと穴」は微笑んでしまった。<br />
<blockquote class="tr_bq">
穴掘りは人にカタルシスをおこさせ、ソバは人を狂わせるものらしい。落語にもいくつかソバを仲立ちにした物狂いの滑稽談があるが、ソバは病みつきの通をつくるだけでなく、研究者までつくる。物狂いとか数寄(すき)こそ文化というものなのである。ウドンにはざんねんながら、そんな鬼気がない。</blockquote>
司馬さんは「日本は土工の国だ」という。戦時中戦車隊に居た司馬さんは、脆弱な自分達の戦車を米国のM24戦車に対抗する為に、作戦本部が考えた「穴掘り」作戦を例にとりながら「穴掘りは成就すると哄笑したくなる程にいい気分なのだ。」という。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
私どもが掘ったふしぎな穴は、みずから戦車くるみそこにもぐりこんで、土をもって装甲の薄さを補うというものだった。<br />
いったいそんなものが役にたつのかどうかは知らないし、そんなことをやった国はない。<br />
あらかじめ予定戦場と思われる原っぱに、自分たちの戦車がもぐりこむ穴を掘っておくのである。その穴に各車ごと進入し、砲塔だけ地上に露出させて敵戦車を射つ。そのあとギアをバックに入れて猛烈な勢いで後進して穴から出、つぎの穴にむかって躍進する。<br />
机上の空論もいいとこだが、これ以外、米国のM24に対抗する方法がなかったのだろう。(中略)<br />
そういう穴を、栃木県の不毛の台地にいくつも掘った。大体、その台地に敵が来てくれるかどうかもわからないというあいまいな根拠に立った案だから、そのうち沙汰やみになった。私の小隊だけでも五つか六つ掘ったような記憶がある。<br />
ともかくも、掘り上げてあげてみると、哄笑したくなるようにいい気持ちなのである。輪郭のくっきりとした成就感で、働いたぞという感じでもあり、小説が一編出来上がったときの感じなど、とてもおよばない。<br />
<br />
おそらく私どもの祖先の弥生人などは、穴ばかり掘っていたはずである(中略)水田農業は軽度の土木をともなう。かれら弥生人は、溝を掘って排水溝を作ったり、灌漑用の池をおおぜいで掘ったりした。いざ掘り上げたときは、村じゅう池のふちに集まって大笑いしたにちがいなく、そんな感覚が、私どもに遺伝しているのかもしれない。</blockquote>
<br />
穴を掘る事をこんな風に考えた事は無かったし、実際苦労して大きな穴を掘った事も無いから、この文章を読んで新鮮な驚きを感じた。司馬さんの文章にはいつもどこかに身体感覚を通した「リアリティ」がある。<br />
穴を掘るから始まって、話は「カッポレ」へと移る。江戸弁の「母音を短く、子音を強く発する」特徴を「掻(か)っ」という言葉を頭に付ける事を例を挙げている、、<br />
<ul>
<li>耳を掻っぽじって聞きやがれ</li>
<li>飯を掻っ食らう</li>
<li>スリが財布を掻っさらう</li>
<li>掻っ飛ばせ〜!(今や標準の日本語で大阪の球団もはやし詞に使ってる)</li>
</ul>
関東育ちなので「かったるい」なぞは普通に使う言葉かと思っていたけれど、これも江戸弁の特徴らしい。ついでを言うと、男の子達が上に挙げた言葉を使うのをちょっぴり羨ましかったりもした。「行儀の悪い言葉使い」とされ(実際に職人や人夫の間で使われた)女性が使うと「ギョッ」とされてしまうから、普段は使わないけれど、相当頭に来た時などは思わず使いたくなる。<br />
<br />
この「掻っ」を頭につけて「掘れ」としたのが「カッポレ」で、大勢が勢いをつけてテンポ良く、渫え(さらえ)仕事をする時に「さあ掘れ、さあ掘れ」では「なまぬるく」「カッポレ」と勢いをつける必要があったという。(でないと、風邪をひいてしまう)<br />
<blockquote class="tr_bq">
カッポレ、カッポレ、甘茶でカッポレ</blockquote>
芸能化されたお座敷踊りの起源が「穴を掘る」という原始の喜びに起因しているという考察は、凄く司馬さんらしい。<br />
<br />
そして、一番最初に引用した「蕎(ソバ)」との関係である。<br />
<br />
数寄(道楽)は上方文化の「茶道具」を媒介にして始まったという。「道楽者」は身代を潰すとして卑しまれ、警戒されたそうだが、この気分が「大名屋敷」が集中する江戸へと移ったのだと言う。<br />
<blockquote class="tr_bq">
数寄の気分は、大名のあつまる江戸へ行ったのであろう。ただし茶や茶道具に凝るのではなく、ソバ狂いをつくった。むろん、身代はつぶさない。</blockquote>
大阪育ちで生涯、活躍の場を大阪に据えた司馬さんにとって、東京(江戸)はどこか憧れの感があり、江戸っ子の持つ「サラサラ」とした気っ風の良さを、ソバとカッポレに見てとったのだろう。(最も、最近は「讃岐うどん」ブームでウドン狂いも多いけど、それでもどこか「ソバ狂い」と似た傾向を感じる。)<br />
街道をゆくのシリーズでも、関東を取材した篇にはそんなエールを感じる物が多い。<br />
<br />
今度、赤坂や溜池に行く機会があったら、江戸の人々の生活水だった貯水池を思いながら歩いてみよう。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-78654524696219261792012-08-15T18:37:00.004+09:002012-10-14T10:47:14.992+09:00終戦記念日に寄せて今年はオリンピックが昨日まで開催されていて、例年よりも「夏の慰霊」の意識が薄かったなと反省。今日は終戦記念日なので、慰霊の気持ちでエントリーしたいと思う。<br />
<br />
<b>BSプレミアム「巨大戦艦 大和」</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitDA3eHOTZKI7p1ZzmrfvSCHvC7zMXt_04BWHi6JVKxVRhDNbMBzRbiyp5VebDHhzS49sBWQM7P3Zae2gVDOAJVv-EtLEJDZ6RxZ5P9hapghww3t9dKoEh6r09l-9sRIGB9nLkuXXK_Tc/s1600/074.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitDA3eHOTZKI7p1ZzmrfvSCHvC7zMXt_04BWHi6JVKxVRhDNbMBzRbiyp5VebDHhzS49sBWQM7P3Zae2gVDOAJVv-EtLEJDZ6RxZ5P9hapghww3t9dKoEh6r09l-9sRIGB9nLkuXXK_Tc/s1600/074.jpg" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">俳優:瀬戸康史氏がレポーター</td></tr>
</tbody></table>
BSプレミアムで三時間に及ぶ長時間番組が放映されていた。総合枠ではここまで時間を割けないので、かなり丁寧な作りだ。<br />
太平洋戦争末期に「特攻出撃」を命じられた巨艦大和から、奇跡の生還を遂げた乗組員への丹念なインタビューと、再現映像/再現ドラマで構成されている。<br />
大和には約3300人の乗組員が乗船していたが、生還出来たのはわずかに300名に足らない。死亡率9割とは恐るべき数字であるが、「同じ船に乗る」とはそれだけ「戸板一枚下は地獄」の世界なのだと改めて痛感する。<br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiO2RDMpkwSGexR8Z3QNL0zhCyom3P8jxRK0cYGeYVHRTS_qkgp4b9JUkfKwgYQFi10pQUn-0Mgl6gRqphtqK3kRRc5gH0rPJK767e_Kevya4S7VdbS-C-tnzOj3NIguuwADQvXxKdaE6w/s640/blogger-image-661097401.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiO2RDMpkwSGexR8Z3QNL0zhCyom3P8jxRK0cYGeYVHRTS_qkgp4b9JUkfKwgYQFi10pQUn-0Mgl6gRqphtqK3kRRc5gH0rPJK767e_Kevya4S7VdbS-C-tnzOj3NIguuwADQvXxKdaE6w/s200/blogger-image-661097401.jpg" width="150" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">漢字カナ混じりの漢文調だがすぐに慣れてしまう。</td></tr>
</tbody></table>
今回の番組のベースになったと思われる「底本」を持っている。まだ半分しか読んでいないが、大和から生還した乗組員による沈没までの手記<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4061962876" target="_blank">「戦艦大和ノ最後」(吉田満著)</a>である。<br />
番組もほぼこの手記に沿った形で構成されていたが、改めて実際に起きた事を細かに知ると、「国をあげて物狂いしたように突き進んでしまったのはなぜなのか。」と考えてしまう。<br />
戦艦大和に関して、これまで言われている事を乱暴に挙げてみると。<br />
<ul>
<li>航空戦闘機と空母が主役の時代にあって一世代前の「艦隊決戦」思想から抜け出られなかった海軍の時代錯誤の産物。</li>
<li>「大和ホテル/武蔵旅館」と言われ、出来上がっても出撃命令は無く、いつも見送り役ばかりで、他の巡洋艦/駆逐艦の乗組員から揶揄されていた。</li>
<li>巨額の血税をして建造されたのは周知の事実で、その事が上層部の思考に「足枷」となった。</li>
<li>殆ど無意味と分かっている「沖縄奪還特攻任務」に最後は「巨艦が無傷で残っていては海軍のメンツに関わる。」という情緒的理由で、帰還を期待されない「死すべし」の特攻命令になってしまった。</li>
</ul>
<br />
<b>恐るべき成功体験</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjBNNl5xL8he_8QFP9oThMIPv_iE7ATjigrpZFH5x1W9FUGo3nQFUY3_xAgMC2Ep0HsX3uemIZqdJw6WMDvDsLq62gNTZw4KPagPxY9QUKjfXJv0mDTxPSvEquFtPvR4fmrA-TluRvyFXk/s640/blogger-image--401404397.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjBNNl5xL8he_8QFP9oThMIPv_iE7ATjigrpZFH5x1W9FUGo3nQFUY3_xAgMC2Ep0HsX3uemIZqdJw6WMDvDsLq62gNTZw4KPagPxY9QUKjfXJv0mDTxPSvEquFtPvR4fmrA-TluRvyFXk/s200/blogger-image--401404397.jpg" width="150" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">二度読んだがもう一度読みたい良書</td></tr>
</tbody></table>
太平洋戦争に関して、唯一のおススメ書を挙げよと言われたら、迷わず<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255004854" target="_blank">「それでも日本人は「戦争」を選んだ」(加藤陽子教授著)</a>にしたい。<br />
これまで、戦争がもたらす悲惨な状況はそれなりに多く見聞きして来たつもりだが、この著作によって、一つ「蒙が開かれた」体験をした。<br />
現役の東大教授(加藤陽子教授)が高校生(栄光学園の歴史部!)に対して行った5日間の特別授業がベースになっているのだが、その内容の高度さと、分析の的確さ、講義に際し見事について行けている参加した高校生達のレベルの高さには本当に圧倒される。<br />
この加藤教授は、海軍の「艦隊決戦思考」について、別の著書でも以下のように主張をされている。<br />
<ul>
<li>日露戦争の「日本海海戦」の成功が『栄光の海軍』の捉われになってしまった。</li>
<li>真珠湾攻撃で自ら、航空戦闘機の威力を示してたにも関わらず、太平洋各所に設けた拠点を「飛行場」として整備する発想に乏しく、あくまで「艦隊給油港」としか認識していなかった。</li>
<li>この当時の陸海軍の中枢を担った世代は、物心つく頃に日露戦争の戦果に高揚した世代である。</li>
</ul>
子ども時代にどんな影響を受けていたのかという視点は、とても斬新で女性らしいと思う。先の BSプレミアムでも、「大和の沖縄特攻作戦」に対して海軍内部で揉めたやり取りが再現が成される。<br />
この中で、若い世代(尉官クラス)は早くから「大和は無用の長物」に気が付いており、もっと時代に即した内容にリソースを割かなければならないと主張するが、ボス世代(将官クラス)は<br />
「艦隊決戦という我が方に有利な状況に持って行けばいい。」<br />
「ここまで金を掛けて、使いませんでしたでは海軍の威信に関わる。」<br />
と自分達の都合が良い方向に思考をむけたがる傾向がよくわかる。<br />
<br />
このやり取り、75年前のものであるが、現代でもそのままではないかと思うのは私だけだろうか?<br />
<br />
<br />
<b>壮絶な死線を越えて帰還した人々の悲哀</b><br />
大和は沖縄に到達する事無く、米軍の日本側暗号文の正確な解読によって、十分に準備された包囲網に飛び込んでしまった。<br />
その時の様子を生存者達は語る。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「水平線上にぐるりと360度取り囲まれて、びっしり敵艦の姿が見えた。」<br />
「母艦から飛び立つグラマン機が銀色に輝いていて、まるでおカイコのようだと思った。」<br />
「大和自慢の46サンチ砲はとうとう最後まで、発射する事は無かった。照準を定めようと測距するも、すぐに飛行機が雲に隠れてしまって、そこから急降下するのだ。」 </blockquote>
<br />
大和一艦の所を袋だたきにしているようなものだから、この証言は凄まじい。いよいよ舵が効かなくなり、浮沈艦と言われた「バラストシステム」では対応しきれず、大きく傾きだした所で「全員退避」の命令が下る。<br />
3300人が一斉に艦上に出られる訳も無く、多くは艦もろとも沈んでしまったが、生き残った人々は、水中に吸い込まれた後、大和の弾薬庫の大爆発で水面に一気に押し出されたと証言している。海面に流れ出た重油でドロドロになりながら、辛うじて救護にやってきた巡洋艦に収容された。それでも、まだ波間には多くの人が助け求めていたが、それを置き去りにしたと言う。<br />
<br />
証言者の多くは80歳以上の高齢で、当時は10代後半から20代半ばの若い徴用兵ばかりだ。自ら望んで軍隊に入ったのでは無く、兵役検査で入隊を強要されるのだが、それを「誉れ」とすべき重圧があったと言う。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「何度脱走したいと思ったか知れないが、それをすると郷里の両親が生きていけない。」<br />
「国の為に死ねるのは名誉な事である。と言わなければならない空気。」<br />
「自分と兄と同じ大和に乗っていたが、自分だけ助かって兄は戦死してしまった。だが、もし兄も生きて揃って帰還してしまったら、それはそれで問題だったろう。一緒に入隊した同じ村の仲間は、みんな戦死しているのに、我が家だけ兄弟揃って生きて帰っては申し訳無い。」</blockquote>
この絶句すべき証言に考え込んでしまう。日本人は「同調圧力」が強いと言われているが、我が国固有の特徴なのだろうか?<br />
過激な応酬が繰り返される中東では「聖戦士」は名誉な事として、周囲から賞賛され母親達は息子が自爆テロで亡くなっても嘆く事を許されない。(ハマスの女達より)一方、ソウル・サバイバー・ポリシーと言って、兄弟を同じ部隊に配属させてはいけない、という規定を持つアメリカ(映画:プラベート・ライアンのストーリーの根拠となった規定)。<br />
まだまだ不勉強なので、結論めいた事は書けないが、同国人を思いやる社会的な認識はどうしたら醸成されるのかと思わずにはいられない。<br />
<br />
<br />
<b>終戦記念日に読むべき代表作</b><br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4HlMNpxv2A-_V8-0hv6uP6fxtA_2jUyeNyQS4_l79UFwM-e6L3OC6OyVruouAvLllsQxUBVhaqqK65B7Pt1S3cmwG7PvBVcjyWg1XvbDQqub69cw1jnMFaifhRrHAODIkIil3sGdP-Hk/s640/blogger-image-999821013.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4HlMNpxv2A-_V8-0hv6uP6fxtA_2jUyeNyQS4_l79UFwM-e6L3OC6OyVruouAvLllsQxUBVhaqqK65B7Pt1S3cmwG7PvBVcjyWg1XvbDQqub69cw1jnMFaifhRrHAODIkIil3sGdP-Hk/s200/blogger-image-999821013.jpg" width="150" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">終戦の聖断に至る経緯がよく判る</td></tr>
</tbody></table>
最後に、今日という日を理解するのに欠かせない著書を紹介。半藤氏は多くの太平洋戦争に関する著作を残しているが、この<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/456966668X" target="_blank">「聖断」</a>と<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4167483157" target="_blank">「日本で一番長い日」</a>は押さえるべき代表作だろう。<br />
「もっと早く終戦の決断が出来ていれば。」<br />
とは、ずっと言われて来ている事だが、歴史はそうでなかった事を教えてくれており、なぜ出来無かったのかも、控えめに語っている。最後に、加藤陽子教授のあとがきから引用して終わりにしたい。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行ない、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。<br />
そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことだと私は思います。(それでも日本人は「戦争」を選んだ あとがきより)</blockquote>
renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-73495060990061512272012-08-12T12:59:00.002+09:002012-08-12T19:01:35.052+09:00アゴラ読書塾Part3第5,6回スティーブン・ピンカー/サミュエル・ボールズ/ダグラス・ノース 〜人類の基底部に存在する暴力〜<br />
先週はマシン不調の為、ブログ更新が滞りました。ですので今週は「アゴラ読書塾」の二回分をまとめてレポート。いずれも、海外の経済学者や心理学者が最近発表している学説を取り上げ、今期のテーマである「戦争する人間」を補完する構成になっています。<br />
<br />
<br />
<b>スティーブン・ピンカー(暴力にまつわる社会的通念)</b><br />
<blockquote class="tr_bq">
「どうして人類は平和でいられるのか考えるべきである。」 </blockquote>
不勉強で全く知らなかったのだが、ピンカーは世界でも有名な心理学者だそうだ。日本ではハーバード大と言えば<u>サンデル教授</u>が有名だが、ピンカーは心理学の教授を同大学で勤めている。大衆向けに科学書を数多く執筆しているそうだ。<br />
そのピンカーが2007年のTED(カルフォルニアで年に一度行われる様々な分野の人がプレゼンテーションを行うカンファレンス)で行ったスピーチが「暴力にまつわる社会的通念」である。<br />
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<br />
<br />
20分程のスピーチなので、聴いて頂くのも良いが、一番肝の部分を要約すると。<br />
<br />
「暴力は有史以来低下して来ている。」 その理由は<br />
<ol>
<li>トマス・ホッブスが正しかった(人間は自然状態では「やるか」「やられるか」で常に暴力にさらされていたとの説を取った人物。ずっとそれを続けていては共倒れなので、暴力に寄らない中央集権国家が出来、殺人による死亡率が低下した。)</li>
<li> 人生は取るに足らないものだと思っていた価値観がテクノロジーの進化によって「意味」を成しはじめたから。(それまでは死んでしまう事に無頓着だった。)</li>
<li>「非ゼロサムゲーム」の浸透(どちらか一方が他方の分を丸取りするのでなく、双方に利益をもたらす為に争わない方が有利にである。ポジティブサムゲームの増加)</li>
<li>人間は進化によって「共感」する事が出来るようになった。(但し、スタートは「血縁」だけに限り、それが村落→一族→部族→国家→他の人種→男女へと共感の範囲を広げて行った)</li>
</ol>
<blockquote class="tr_bq">
「これまでは、『なぜ戦争をするのか』と問うて来たが、本当は問いが逆だったのではないか、『どうして平和を保てているのか』と問うべきではないか。他者に自分の姿を重ね合わせることで、自分の人生の立場が偶然の結果と気づかされる。そして、それは誰にでも起こりうる事だろう。『我々の間違った行い』ばかりを問うのでなく、『正しい行い』を問う事は価値ある事なのだ。</blockquote>
池田信夫氏に言わせれば<br />
「いかにも、アメリカ人らしい最後は『明るい結論』ではある。」との事だが、心理学という全く畑の違うピンカーが「そもそも、人間には攻撃性が内包されている」と言い出している所が興味深い。<br />
<br />
<br />
<b>サミュエル・ボールス(偏狭な利他主義を唱えた人物)</b><br />
ボールズは経済学者であるが、ラディカルな論をはる人物らしい。<br />
「偏狭な利他主義」=「互恵的利他主義」(後で見返りが期待されるために、ある個体が他の個体の利益になる行為を当面の見返り無しで取る利他的行動の一種)の研究に熱心だったボールズは、<br />
<blockquote class="tr_bq">
集団を守るには「単純な利他主義」の集団では、「フリーライダー」に食い物にされるだけなので、「身内のみを大事にし、他者は排除する」前提の集団での「利他主義」(偏狭的利他主義) </blockquote>
を唱えた。以前のブログで図解した下記の図を参照されたい。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhusQiXXtma-QDGYyYKY52wpWQDE4784kRH3Lidq2xjGCpVCSTuDpMvfsk75OcRjRn5w4Hd3WnQt5hs6BFpLrSE8mqCJyJEhEeYEunnPyL_ZUgOoZY34GgaSGJqJSh4N6mdVbPdujg5xzI/s1600/%E5%81%8F%E7%8B%AD%E3%81%AA%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="277" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhusQiXXtma-QDGYyYKY52wpWQDE4784kRH3Lidq2xjGCpVCSTuDpMvfsk75OcRjRn5w4Hd3WnQt5hs6BFpLrSE8mqCJyJEhEeYEunnPyL_ZUgOoZY34GgaSGJqJSh4N6mdVbPdujg5xzI/s400/%E5%81%8F%E7%8B%AD%E3%81%AA%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">血縁関係と偏狭な利他主義(第3回ではグループの仲間であると識別するために、言語や宗教、音楽があるという説を検証した。</td></tr>
</tbody></table>
集団を維持する為に「偏狭な利他主義」という方針をとり、集団を食い物にする「フリー・ライダー」を抑制する仕組みとして<br />
<ul>
<li>恥じ</li>
<li>メンツ</li>
</ul>
という感情を人間の脳に深く埋め込むというメカニズムを発達させた。というのがボールズの説らしい。<br />
<br />
<br />
<b>ダグラス・ノース(ゲーム理論の長期的関係)</b><br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/0521761735" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;" target="_blank"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuSXBBPpfuDjgVB-ve7I8Y8xvTTM1pL2jtvhvcnyL9eJfFtXplUpf7FX4BteY0unC1vMpc3eOOrWGnlXTWU5J6Yd9casr8vxYQSk3HXuqN3eS_NlRlIoK3HC4WSIhmMyOJLGMBn7XyH9c/s200/+%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E8%91%97%E6%9B%B8.png" width="131" /></a></div>
ノースはノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者である。<br />
彼はそれまで「<u>財産権(所有権)が資本主義経済システムを支えた」</u>と提唱していたが「Violence and Social Orders」(左図)ではその理論を覆して<u>「暴力が社会秩序の根底にある」</u>として大きな反響を呼んだそうだ。<br />
ノースは90年代に<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/01/2.html" target="_blank">「ゲーム理論」</a>を使って、内証的に「所有権理論」を説明しようとしたが、ゲーム理論では結局「長期的関係」が唯一の解となってしまい、「全員が合理的に行動する。」事を前提としたこの制度では、集団の規模の拡大が望めない。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhjh1YZB8zTyB5LYTaacfbMAWb5Jqly-LjabieN6TBhfCInjVR_5lIEtmj0m-vMcbRFTD1ioyx2vqlcmf-CVilgMbQl7r2zjCHuiSw1iaBz8RndjoZ8nvYT8srP9yjE2iT3y_eiL2xJpUM/s1600/%25E3%2582%25B1%25E3%2582%2599%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25A0%25E7%2590%2586%25E8%25AB%2596.png" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhjh1YZB8zTyB5LYTaacfbMAWb5Jqly-LjabieN6TBhfCInjVR_5lIEtmj0m-vMcbRFTD1ioyx2vqlcmf-CVilgMbQl7r2zjCHuiSw1iaBz8RndjoZ8nvYT8srP9yjE2iT3y_eiL2xJpUM/s320/%25E3%2582%25B1%25E3%2582%2599%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25A0%25E7%2590%2586%25E8%25AB%2596.png" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">読書塾Part1で使ったゲーム理論の図</td></tr>
</tbody></table>
そこでノースは、<br />
<ol>
<li>暴力を独占して国家を支配する階級と被支配階級とに分化して肥大化する国家(自然国家:中国が代表例)</li>
<li> オープンアクセス秩序を成立させた近代西洋国家</li>
</ol>
という二つの国家の有りようを定義し、「オープンアクセス秩序」の国家が成立する条件として<br />
<ul>
<li>エリートの中での法の支配</li>
<li>私的または公的な永続的組織</li>
<li>軍事力についての統一された政治的支配</li>
</ul>
の三つの条件が必要だと定義した。池田信夫氏は、この条件を解説する時にシンガポール等の「開発独裁」を例にとりながら、<br />
<blockquote class="tr_bq">
「『エリートの中での法の支配』という事はつまり、経済発展に「民主主義」は関係無いという事です。」</blockquote>
と、背中を後からたたかれるような、目の覚めるコメントをされた。<br />
経済発展は人々が少しでも豊かに暮らせるように、、という正の面ばかりで無く、負の面「国家対国家が相手よりも抜きん出る為に最後は経済力に拠る。」<br />
という、言わば「暴力」を最大限に肥大化させる為に興った事は、戦争の歴史が雄弁に物語っている。ノースは<br />
<blockquote class="tr_bq">
経済力を背景にして武力を強めた国家が世界に領土を拡大し、植民地から略奪した富によってさらに経済力を拡大する・・・という正のフィードバックが起こり、資本貯蓄が進んで産業革命が興った(池田信夫メルマガより)</blockquote>
と定義付けているそうだ。これは「経済的な土台が法的・文化的な上部構造を規定する」という、マルクス以来これまで語られて来た図式をひっくり返す理論らしく、これから議論が重ねられるそうだ。<br />
<br />
<br />
<b>中国でも西欧諸国でも無い日本</b><br />
読書塾では、散々語られて来た事だが、このノースが規定している「自然国家」でも「オープンアクセス秩序」の国家でも無いというのが、日本だ。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="http://www.blogger.com/goog_887045732" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="173" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhPZBupt3hNUTWvRZrXHoBEqNll4KZGFGk-7fGT1gWOrb6tx0jxp8ziPQvW6_dFjRDvC8Z-oZF41C3xCe_76shb67xDFVMm46FvG-JrgTBh2PUXn_NJbf0Pe5Xy6XiVQXIcMQTzJ45hpdY/s320/2x2%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9.png" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/01/1.html" target="_blank">読書塾Part1の時のマトリクス</a></td></tr>
</tbody></table>
<blockquote class="tr_bq">
真に法治国家でも無く、百姓一揆の直訴と変わらないぬるい訴えからいつまでも抜け出られ無い日本の「古層」は根深い。<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/01/4.html" target="_blank">丸山真男の講義録</a>にはこの「日本の古層」が実によく捉えられている。。</blockquote>
、、、この所、毎回エンディングに池田信夫氏が辿り着く嘆き節の一節であるが、<u>「法の支配」とは国家と言えど法の下に従う</u>、という苛烈な厳しさを日本人はキチンと理解していない事は、昨今のグズグズな政治状況を見ればよく分かる。<br />
<br />
という事で、今回はこれまでの内容を改めて確認する感じで感想はこれまで。<br />
次回はいよいよ、フランシス・フクヤマの読解に入る予定。さてさて、どこまでついて行けますか。。renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-12083871028889934512012-07-29T18:23:00.000+09:002012-07-29T18:23:24.493+09:00アゴラ読書塾Part3第4回「中国の大盗賊・完全版」高橋俊男著 〜漢の高祖劉邦から中国共産党の毛沢東まで〜<blockquote class="tr_bq">
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxGeuVWq2gODNM0oNP4AM92R1mUfizwb5rr1IHqNtaRAEueFvHpKu6IRn3YTJT_ecjnNag39rjZDwSIrBLf1skRm5N9Lt37tsLi58VtTb-xcT-Vc0n5BL6dH6xial1-AjAluVfqxE3o0Q/s640/blogger-image--910490237.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxGeuVWq2gODNM0oNP4AM92R1mUfizwb5rr1IHqNtaRAEueFvHpKu6IRn3YTJT_ecjnNag39rjZDwSIrBLf1skRm5N9Lt37tsLi58VtTb-xcT-Vc0n5BL6dH6xial1-AjAluVfqxE3o0Q/s320/blogger-image--910490237.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は隠れた名作</td></tr>
</tbody></table>
「中国は漢の時代から、共産党に至るまで、しばしば『大盗賊』が統治者として君臨して来た。」</blockquote>
大胆に要約すれば、今週のお題本はこう言いたいのだ。砕けた語り口で「盗賊」の定義から始まり<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<ol>
<li>漢の劉邦</li>
<li>明の朱元璋</li>
<li>明を倒して帝位に着いた李自成(わずか40日で帝位を追われる)</li>
<li>太平天国の洪秀全</li>
<li>共産党の毛沢東</li>
</ol>
と時代順に章立てが並ぶ。1989年に出版された当初は、最後の「毛沢東」の章が無かったそうだ。政治的配慮で割愛されたのかも知れないが、ここが無いと、本書の魅力は半減してしまう。毛沢東とて、結局は過去の大盗賊類型であると結論付けたい訳ですからね。<br />
<br />
結局、色々な人から「毛沢東の章を読みたい」とリクエストされ、割愛部分が復活して「完全版」と命名されたそうだ。<br />
<br />
<br />
<b>文武両道はありえない儒教の国</b><br />
本書の冒頭、著者は「盗賊」をこう定義する。<br />
<ul>
<li>必ず集団である</li>
<li>農村部で食い詰めた「あぶれ者」で構成されている</li>
<li>力をたのみに、村や街を襲い「食糧」「金」「女」を奪う</li>
<li>都市を占拠し国都を狙い、果ては天下をとってしまう</li>
</ul>
「ああ、あれだ。」<br />
と思い至る。数年前に読んだ「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著)に、この「盗賊」達の様子が生き生きと(?)描写されている。流民とも呼ばれるらしいが、語りの名手は<br />
<blockquote class="tr_bq">
「食わせろ」と言いながら人が渦のように流れる</blockquote>
と表現していた。<br />
<br />
中国大陸は大きいが、耕作地に適した所は少なく、河川も黄河、揚子江の大河から灌漑工事をして水をひかないと満足に作物が出来にくい。<br />
いつでも民は飢え易く、食べ物のある所へある所へと流れて、流れを止めてしまうと一帯で餓死してしまう。<br />
<blockquote class="tr_bq">
可耕地はその10%くらいのもので、そんなに広くはないのである。大勢の人間がせまい耕地を細かく区切って耕作しているから、農業技術が発達しない。同一耕地で同一規模の生産をくり返す結果、地力は年々低下し、生産は逓減する。貧窮が普遍化し、農民は土地を捨てて流れ歩く閑民となり、盗賊が発生する。(p27) </blockquote>
<br />
著者は黒沢明監督の「七人の侍」の村を襲う無法者達を思い浮かべれば良いというが、とにかく、たちが悪くそれを取り締まる「官兵」はこれに輪を掛けて悪いらしい。盗賊も官兵も一皮むけば「食い詰め者」なので、結局は略奪目当てに行動する。<br />
<br />
盗賊にとって農民は大事な「タカリ先」なのでしゃぶり尽くす事は無いが、官兵は根こそぎ略奪する。盗賊を何人捕まえたか生首でもって申請したらしく、ただの農民を捕まえて、首をはねてしれっと手柄にしてみたり、盗賊も官兵のその癖を知っているので、逃げる際に金品をいくらか置いていったり、女性を木にくくりつけて官兵に差し出したりと、とにかく読んでいて、ろくなものでは無い。<br />
<br />
かの国では「力(武)」は荒ぶる「しょうもない」存在であり、「知(文)」よりも下に見られていた事がよく判る。<br />
荒くれ者どもの集団は、そのうち「知謀」を司る能力が必要になり、そこで活躍したのが「儒家」と呼ばれたゾロッとした儒服を着た「読書人」達である。おおよそ、活動的でない衣装を身にまとっているのも<br />
「自分は粗暴な人間ではありません。」<br />
とアピールする目的もあったと読んだ事がある。(長くて実用的で無い帽子を被るのが儒教の特徴!)<br />
<br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgrrdaVaLvaMWESPfrgFH8AFXdWrDFIIe0aUx-5lkfnU3B7OQUK4DL226ya-2RaY1950Y4fkvU5ShiTggihFdU_yjPmF4YjG6zQOX6o-kkXHDV7RArnfHppN-0bUMgBMmEHWf-i-IU2hwI/s1600/red_cliff11.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="160" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgrrdaVaLvaMWESPfrgFH8AFXdWrDFIIe0aUx-5lkfnU3B7OQUK4DL226ya-2RaY1950Y4fkvU5ShiTggihFdU_yjPmF4YjG6zQOX6o-kkXHDV7RArnfHppN-0bUMgBMmEHWf-i-IU2hwI/s200/red_cliff11.jpg" width="200" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">アクションが無くて残念</td></tr>
</tbody></table>
唐突に思い出したのが、映画「レッドクリフ」である。(1でも2でも良いのですが)<br />
日本人俳優も大活躍のスペクタクル映画で、三国志の有名な「赤壁の戦い」がテーマだが、あれを観て何となく消化不良に思ったその訳がやっとわかった。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: right;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj2sx6tLbdgOdSI2WX3syvaAmZa3z5y8OfiI-3OxPBUp9Opu3nCDiu0SQYT3UjPuOy7lVSAL4QIHXIDSYFg0eCnwSv8Or4G988aW9knVFXVY-mNVtJycXiFcWcryh1MXe_OG75r5mmsNZo/s1600/img_974121_14158536_4.png" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="112" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj2sx6tLbdgOdSI2WX3syvaAmZa3z5y8OfiI-3OxPBUp9Opu3nCDiu0SQYT3UjPuOy7lVSAL4QIHXIDSYFg0eCnwSv8Or4G988aW9knVFXVY-mNVtJycXiFcWcryh1MXe_OG75r5mmsNZo/s200/img_974121_14158536_4.png" width="200" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">赤ん坊救出作戦は</td></tr>
</tbody></table>
国際的にも通用するイケメン俳優:金城武(諸葛亮孔明役)氏。軍略家の孔明が知謀をもって圧倒多数の曹操軍を打ち負かすわけだが、こう<br />
「もっと孔明活躍すればいいのに!」<br />
と思ってしまう。<br />
派手なアクションは沢山あるのだが、それは別の俳優さん達が繰り広げる。。。その人物達はあまりキャラクターは強調されず「運動神経がいいんだな。」で終わってしまう。自分の考えや意志を表明する事が少なく、ただ「身体」を使っている印象が否めない。<br />
<br />
<u>要するに日本人にとって「文武両道」はヒーローの条件なのだ。</u><br />
知力体力に優れたイケメンには、全編に渡って活躍してもらいたい!<br />
「それが主役だ!」、、と刷り込まれてる。(ハリウッド映画でもそんな気が、、)<br />
<br />
ところが、人徳は劉備、勇気は関羽、知略は孔明、、、と三国志ファンならお馴染みの完全分業が要は儒教国家という事なのだ。中国はいわゆる「文民統制」が効いた国家であると言える。<br />
<br />
<br />
<b>文民統制が鈍らせた危機意識</b><br />
今回のお題本にはあまり言及されていなかったが、清朝末期の動乱期に欧米列強は中国を「カイコが蝕む」ように次々と都市の権益を取得して行った。この自国の独立性に対する意識の「鈍さ」もひとえに「文民統制であるが故」という意見がある。<br />
読書塾でも<br />
<blockquote class="tr_bq">
「中国は歴代『小さな政府』で、皇帝の権威と存在が守られる事に注力を注いで来た。領土を広げようという欲は殆ど無く(チンギスハンは例外)出来れば、「外から余計な民が入って来ないように」と防御する事に熱心だった。」</blockquote>
と語られた。<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/07/part3.html" target="_blank">前々回でも取り上げた</a>が、「ここまでが自国」というくっきりとした境界線意識があるというよりも、皇帝が君臨する「都」が最も色の濃い中心点で、後はグラデーションのようにぼんやりと色が広がって行く、、そんな国家感だったのではないかと著者も語る。<br />
<blockquote class="tr_bq">
日本の場合、曲がりなりにも「武人政治の国」(200年以上実質的な戦闘を体験していなくても)で、支配階級だった武士が「敵を力関係で捉えられる」事が出来たのだ。隣の清国がアヘン戦争の敗北によって、イギリスに領土を奪われた事を、自国のケースに置き換えて考えられる危機意識を持てた。(鹿児島純心女子大教授:犬塚孝明氏 さかのぼり日本史より)</blockquote>
この時の印象で、その後の国際社会は中国という国の一面のみを理解したのかも知れない。もっとも、池田信夫氏曰く<br />
<blockquote class="tr_bq">
「最近では、人民解放軍の幹部は海外留学したインテリ組が担っているので、伝統的文民統制がどこまで機能するか、やや疑問だ。」</blockquote>
となかなか、意味深長な意見を述べていた。 <br />
<br />
<br />
<b>大味だけど面白い中国史</b><br />
正直言えば、今回のお題本は、各章を読み進めると、段々飽きて来る。<br />
というのも骨格が同じで、詳細(固有名詞)が違う話が繰り返される印象で物語として変化に乏しいからだ。<br />
「大いなる繰り返し」<br />
とでも言うべき型の類似性が、長い中国史に通底する特徴なのかも知れない。<br />
<br />
敬愛する、司馬遼太郎は先に述べた「項羽と劉邦」以外に中国物を書いていない(「韃靼疾風録」があるが万里の長城の外の話なので、、、)同書は非常に面白く、これまで何気なく使って来た言葉の由来を知る絶好の娯楽書でもある。(「背水の陣」「四面楚歌」「<span class="st">函谷關(かんこくかん)→箱根八里の歌詞で有名な言葉」)</span><br />
<span class="st">もっと読みたいと思ったのに、他に無いのを残念に思ったが、それも今回の「大盗賊」本で判った。。。パターンが同じで飽きてしまうのを避けたのだろう。</span><br />
<span class="st"><br /></span><br />
<span class="st">とんでもない喩えかも知れないが、「中華料理をずっと食べると何となく飽きる」の感覚と似てるかも。。。</span><br />
<br />
<span class="st">最後に、偶然みつけた司馬遼太郎の講演録から含蓄ある言葉を引用して今週はおしまい。</span><br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
<span class="st">中国の儒教体勢についてもう少し具体的に話しますと、中国人の場合、ほとんど文字がわからない人であっても、日本のいかなる儒者よりも儒教的な感じがします。</span><br />
<span class="st">彼らは「信」ということを尊びます。裏切りません。</span><br />
<span class="st">儒教における「信」とは、中国の固有の社会的な必要から生まれたようです。</span><br />
<span class="st">「政府は恃む(たのむ)にあらず」</span><br />
<span class="st">ということでしょう。何千年にもわたって恃みにならない政府を持ってきたため、恃むことができるのは同胞や親類、あるいは同郷の友人などでしかない。</span><br />
<span class="st">これらすべて横の関係だけです。その関係をつないでいくモラルが「信」であり、これらは生存のために欠かせない。これが儒教というものなのです。</span><br />
<span class="st">(「司馬遼太郎講演録1」より 1972年富山市公会堂 学制百年記念文化講演会)</span></blockquote>
<span class="st"><br /></span><br />
<span class="st">、、、既に読んでいた本なのに(ガックリ)この端的に言い表した文章に脱帽。結局受取る教養が無いと、だだ漏れしてしまう訳である。</span><br />
<span class="st"><br /></span><br />
<br />renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-29522264793178049762012-07-22T17:10:00.000+09:002012-07-22T17:10:19.043+09:00アゴラ読書塾Part3第3回「宗教を生みだす本能」ニコラス・ウェイド著 〜言語/宗教/音楽の生まれた理由?〜<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiutwCTmukq9gnUmfYOsBlUKhLUMiE5yQbWeeXIdrj3yG5oYVskiRNMrW2eD_D6vmreYkB-OWdPCb4YfT5Az_6kw6QXsY3O4FVLP5znLsplWcDedm2IM9KhyphenhyphenK542gcoAUN-M0U3sveeZ9M/s200/blogger-image-1521410310.jpg" width="150" /></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">第三章が一番の要</td></tr>
</tbody></table>
今回の読書塾のテーマは、学術的にまだ完全に証明されていない興味深い学説の紹介である。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「宗教を生み出す本能が、人間の遺伝子レベルに組み込まれている。」</blockquote>
というのがその主旨にあたる。なかなか興味深く、やや複雑な内容だが、少し自分なりに図解を交えて解説を試みてみる。<br />
<br />
<br />
<b>ブラック・ルーシー</b><br />
古い教育を受けて来た私は、<br />
<blockquote class="tr_bq">
「人類の祖先は東アフリカから誕生した。」</blockquote>
という新常識を成人してから知った。学校で習った時は「アジア人の祖先は北京原人」ってな感じで、「クロマニオン人はヨーロッパ人の祖先」と習った覚えがある。<br />
だから体格や髪、眼の色が違うのは、「そもそも祖先が違うからだ。」と安直に結論付けていた。<br />
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiE8Q5krRKza1-fxiwdmLd3Pn9gCmqGMK106ZPUKcfUvCA_Pi_ATCaxNECZVIMb0609mmrieoTbxsP5MrIdn0g_NInCgX2zqyVhCW-Wuo1bMigh6m8w9rlngRN3AS4Rm2vRVZvGE17Ik3E/s1600/2009021022-2.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiE8Q5krRKza1-fxiwdmLd3Pn9gCmqGMK106ZPUKcfUvCA_Pi_ATCaxNECZVIMb0609mmrieoTbxsP5MrIdn0g_NInCgX2zqyVhCW-Wuo1bMigh6m8w9rlngRN3AS4Rm2vRVZvGE17Ik3E/s320/2009021022-2.jpg" width="171" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">1974年エチオピアで発見</td></tr>
</tbody></table>
ところが、遺伝子解析の技術が向上し、人類の祖先は全て共通で東アフリカの平原から地球全土に広がったと証明された。 <a href="http://wired.jp/wv/2009/02/10/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB3d%E5%8C%96%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E7%A5%96%E5%85%88%E3%80%8E%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%80%8F/" target="_blank">ブラック・ルーシー</a>である。最近はさらに古い「<a href="http://wired.jp/wv/2009/10/02/%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E3%80%8C%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E7%A5%96%E5%85%88%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%87/" target="_blank">アルディ(ラミダス猿人)</a>」も発見されもっと研究は進んでいるようだが、いずれにせよ人類は共通の祖先を持っていたという事実に変わりは無いようだ。<br />
今日の学説を解説するにあたり、この前提を頭に入れておこう。<br />
<br />
<br />
<b>人類の歴史の大半は狩猟採集時代</b><br />
人類が二足歩行を始め、東アフリカの平原に生きていた時代、狩猟採集を主とした生活を送っていた。遺跡発掘調査から最大で150人、平均すると50人程度のグループになって、2週間毎に移動するという、極めて流動的な生活を送っていた事が明らかになる。<br />
それまでの学説では、人類と直前に枝分かれしたチンパンジーのように「<u>ボスを頂点とした猿山」</u>を形成したのかと思われていたが、後に似たヒエラルキーの社会を構築するものの、人類の歴史では先に「徹底した平等主義の戦闘的集団」が形成された事が明らかになりつつある。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhQYRoVR9z2rybNY465j4BY9lz7EhNYR8LLx7fmb9zrAL5FbqqlEqwzmPjRVmQxjEyc5cjGu49-l02uBP8BHjevjxW7HRZNDh56BBbU3TMue42MQ0UzFD3AXy_Vtwt5KhfESCUmYv8D7VE/s1600/%E9%A1%9E%E4%BA%BA%E7%8C%BF%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="270" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhQYRoVR9z2rybNY465j4BY9lz7EhNYR8LLx7fmb9zrAL5FbqqlEqwzmPjRVmQxjEyc5cjGu49-l02uBP8BHjevjxW7HRZNDh56BBbU3TMue42MQ0UzFD3AXy_Vtwt5KhfESCUmYv8D7VE/s400/%E9%A1%9E%E4%BA%BA%E7%8C%BF%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">獲物は集団の中で徹底して公平に分け合うのが鉄則だった。</td></tr>
</tbody></table>
丁度、今年の初めに<a href="http://www.nhk.or.jp/special/onair/human.html" target="_blank">NHKスペシャルで「ヒューマン〜なぜ人間になれたのか〜」</a>という非常に良いドキュメンタリーが放送されていた。今回の内容を理解するのにうってつけなので機会があれば視聴をお勧めしたい!(NHKオンデマンドで視聴可能です)<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOJd7fxeeh7s-AeWXvflqg6ReBXegiphgiYh7PM5g4BJIdzsV-fAuJCzvWjU-Btqwk_MGEEx6GN8J-QlwB2fbURRNx_XdE3F0sBhRi2vWSGOulcQi6hPmIkrrBXboCroCVuY9_WkILQH8/s1600/bnr_human.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOJd7fxeeh7s-AeWXvflqg6ReBXegiphgiYh7PM5g4BJIdzsV-fAuJCzvWjU-Btqwk_MGEEx6GN8J-QlwB2fbURRNx_XdE3F0sBhRi2vWSGOulcQi6hPmIkrrBXboCroCVuY9_WkILQH8/s1600/bnr_human.jpg" /></a></div>
<br />
さて、人類がこのように移動を繰り返しながら生活をしていた故に、様々な能力が遺伝子レベルに埋め込まれた、、というのが、今回のテーマである。<br />
<br />
<br />
<b>フリーライダーの排除</b><br />
少人数が運命を共にする集団にあって、最も困り者なのは「フリー・ライダー」や「手柄を独り占め」する存在だ。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgajZe5yIyyilcy9W_Tveq7a2TpaRWZB7BOsUCSUuhRnBeDBocOEQLFqlnKk5MniJf0r3tNPUUkL2VvG8UFKUqmPZO2XqAaWj2-UJYhFfX593tlCsc1RiPYoylzbQHF0oM4gaScMhcNi4E/s1600/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E3%81%A8%E5%88%A9%E4%BB%96%E7%9A%84.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="272" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgajZe5yIyyilcy9W_Tveq7a2TpaRWZB7BOsUCSUuhRnBeDBocOEQLFqlnKk5MniJf0r3tNPUUkL2VvG8UFKUqmPZO2XqAaWj2-UJYhFfX593tlCsc1RiPYoylzbQHF0oM4gaScMhcNi4E/s400/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E3%81%A8%E5%88%A9%E4%BB%96%E7%9A%84.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">人間の本能レベルでは「利己的」であるが集団を維持する事が出来無い。</td></tr>
</tbody></table>
個人レベルで考えれば、何の苦労も無く果実(食べ物)を得られるのが、最も合理的と言える。<br />
「利己的に振る舞う個人(フリー・ライダー)」と「利他的に振る舞う個人」が対峙した場合、フリーライダーは常に勝てるが、全員が「フリーライダー」になってしまうとその集団は自滅してしまう。<br />
利他的に振る舞う個人が集まって集団となった場合、最も強く結束出来るので「集団淘汰」が始まるという。この集団淘汰の為のツールとして<br />
<ol>
<li>言語</li>
<li>音楽</li>
<li>宗教</li>
</ol>
が遺伝子レベルで組み込まれたというのだ。<br />
<br />
<br />
<b>利己的個人と偏狭な利他的集団</b><br />
親が子どもを識別するのはたやすい。私も3人の子を生んだが、脳の深いレベルで認識し、繋がっていると直感出来る。だが一方で、それだけでは人間同士のつながりを説明するのは難しい。単純な「縁故」だけでは無い、強固なつながりがある事を、我々は経験的に知っている。<br />
友人、同郷の人、他人の子、それらに対し「守ろう」とする感情を人類は獲得したというのだ。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuIqTUOimkxV3pjdSCW6O10qa1RvyDLTrKY-BfA0lw-636tK6BYGaz9uQfME1fc-hJ03F4PlJcFdEGmINBhGJznVNyoVd74T0-KwhyphenhyphenvLobrkNxdFfC47QNuUJ4xd1EtwqoqzilvKeGplc/s1600/%E5%81%8F%E7%8B%AD%E3%81%AA%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="277" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuIqTUOimkxV3pjdSCW6O10qa1RvyDLTrKY-BfA0lw-636tK6BYGaz9uQfME1fc-hJ03F4PlJcFdEGmINBhGJznVNyoVd74T0-KwhyphenhyphenvLobrkNxdFfC47QNuUJ4xd1EtwqoqzilvKeGplc/s400/%E5%81%8F%E7%8B%AD%E3%81%AA%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">人類が人類である根本の理由は「言語/宗教/音楽」を持っているからなのかも知れない。</td></tr>
</tbody></table>
自分の血族で無い他人を、どうやって「自分と同じ仲間だ」と認識するのか。。そこで登場するのが、先に述べた「言語/宗教/音楽」だと、著者のウェイドやE・Oウィルソンは主張する。<br />
この三つを持たない部族は地球上に無く、特に<u>「言語」は生まれながらに習得能力を持っていて</u>、鍵穴に何の言語(両親が話す言葉)が入るかを待っているだけなのだと言う。<br />
<br />
確かに、「日本語にはね、主語と述語があってね。」と我が子に教える親はいないだろう。そんな事をしなくても、赤ちゃん言葉で語りかけて行くうちに、三歳までに一端の言葉を話し始める。<br />
一方、<u>宗教(音楽は宗教と密接に関わっているのでこの場合一つと考える)は「教え込まなければ動き出さないシステム」 </u>ではないかと池田信夫氏は解説していた。<br />
<br />
<br />
<b>戦闘集団から守りの集団へ</b><br />
丹念な人骨分析の結果、狩猟採集時代の人類は成人男性の13〜15%の死因が「殺戮」によるものであるとする調査報告がある。<br />
常に乏しい食糧を求め、移動を強いられる生活は過酷を極めただろう。食べ物を巡っての戦闘はまさに「ちょくちょく」行われていたとウェイドは指摘している。<br />
<br />
やがて、それだけを繰り返していては埒があかないと、人類は「農耕」を発達させる訳だがこの時に、「猿山」のようなヒエラルキーを形成して、「強いボス」の下に階層社会を築きはじめる。いわゆる「国家」の始まりである。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjapwsWqP0aDOXs5avv3HRLEqNSZ6rLV2w09OAYJZB4GhoXT-8NDLUnmQSaHXmpqofHvM6p0xCWNQTF5Zypo_2L8Vxo-G6jsXyD0dp-fLRhIGgR9d7A7AhY0hCrnzOtZ6NmlHkXIyNWArk/s1600/%E7%8B%A9%E7%8C%9F%E6%8E%A1%E5%8F%96%E3%81%8B%E3%82%89%E8%BE%B2%E8%80%95%E3%81%B8.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="301" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjapwsWqP0aDOXs5avv3HRLEqNSZ6rLV2w09OAYJZB4GhoXT-8NDLUnmQSaHXmpqofHvM6p0xCWNQTF5Zypo_2L8Vxo-G6jsXyD0dp-fLRhIGgR9d7A7AhY0hCrnzOtZ6NmlHkXIyNWArk/s400/%E7%8B%A9%E7%8C%9F%E6%8E%A1%E5%8F%96%E3%81%8B%E3%82%89%E8%BE%B2%E8%80%95%E3%81%B8.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">農耕社会で「猿山」と同じ仕組みになるが埋め込まれた性格は「戦闘的」と言えるかも知れない。</td></tr>
</tbody></table>
ここで、チンパンジーと似た社会構造を持つ事になるが、それまでの来歴を考えるとその性格はかなり違う。表面上は「守り」の姿勢でありながら、その内部には祖先から埋め込まれた「戦闘する集団」という因子を持っているのかも知れない。<br />
<br />
<br />
<b>世界に感じていた不思議</b><br />
今回のお題本もなかなか難解で、自分なりに解釈するのに時間がかかった。<br />
順序た立てて整理して思うのは「理解不能」で片付けようとしていた、世界の国々で起きている出来事の違う側面を感じた事である。<br />
<br />
「BS世界のドキュメンタリー」という良質な番組がある。<br />
そこで見た、聖戦に命を散らす若者達の姿を思わずにいられない。「ハマスの女達」というタイトルだったが、息子達を次々と「聖戦士」として送り出す母親達は、涙する事を許されない。その固い表情の下には当然悲しみが宿っているのだが、大いなる大義の下では「個の悲しみ」は取るに足らないものであるとされている。<br />
この一連の様子があまりに、日常的に淡々と見えたので<br />
「ああ、、理解出来ない。でもこの人達にはそれが普通なのかな。」<br />
と錯覚しそうになった。<br />
この<u>「錯覚」</u>こそが、著者のウェイド達が言わんとした「体内に埋め込まれたシステム」なのかも知れない。。。どこまで本当で立証可能かは判らないが、、、。<br />
<br />
と言った所で今週はおしまい。<br />
来週は、その世界の動きの中にあって特異な発達を遂げた「中国」の話を再びの予定。 <br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-48426842375983356132012-07-16T17:23:00.001+09:002012-07-16T17:23:36.548+09:00アゴラ読書塾Part3 第1,2回「暴力、戦争、国家」 〜中国、日本、西欧諸国を比較して考えてみる〜2012年1月から「日本人とはなにか」というテーマで始まったアゴラ読書塾は、7月からPart3に突入した。基本的に各回ごとにブログで感想をまとめて来たが、Part3の第一、二回はPart1と内容が重なる部分もあるので、私なりにひとつにまとめて、これまで共有して来た内容を振り返ってみたい。<br />
<ul>
<li>第一回<a href="http://www.agora-books.com/detail/000000000005801.jsp" target="_blank">「気分は江戸時代」(アゴラブックス)</a></li>
<li>第二回<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4326248408" target="_blank">「文明:西洋が覇権を取れた6つの真因」第一章(ニーアル・ファーガスン)</a> </li>
</ul>
<br />
<b>世界史上中国はずっと先進国だった</b><br />
読書塾でも、輿那覇先生の<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2011/11/blog-post_23.html" target="_blank">「中国化する日本」</a>でも、たびたび言及されて来たが、世界史の中で中国は堂々たる先進文明国だった。 四大文明のうち1900年代まで専制君主国家が続いたのは中国だけである。<br />
輿那覇先生や本郷先生(NHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証担当)ら大学レベルの歴史学では、<br />
<blockquote class="tr_bq">
中国は「皇帝」と試験(科挙)によって選抜された「官僚」達が独占的に権力を握って統一国家を作って専制するが、それは世襲では無く、必ず一定周期でリセットされ、メンバー総入れ替えになる。運用する人が変わってもこの専制システムが便利なのでずっと継承されて来た。</blockquote>
と認識するのが常識らしい。戦後教育では「中国は近代化に送れた国家」とされがちだが、むしろ「たかが西の辺境国が騒いでいるだけではないか。」と誇り高く、近代化を見下していたふしもある。<br />
清朝が倒れ混乱期の後、共産党の一党独裁の現在の形になってもその本質は変わらない。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「中国は経済の自由は大昔からあったけど、言論の自由は一度も無い!」</blockquote>
とは池田氏の端的な表現である。 上記リンク先の「気分は江戸時代」でも輿那覇先生は<br />
<blockquote class="tr_bq">
国家のイデオロギーは「儒教」でいく!と早々と決めたけれど、それを下々まで徹底して教育するつもりは無く、いわば「勝手にしてていいよ、但し国家はあなた達を何も守らないけどね。」が伝統的中国スタイルだ。共産党政権になってから、なまじか「近代国家たるもの国民に教育を施さなければ。」とギューギューと共産主義を叩き込んだもんだから、かえって息苦しい国家になってしまった。(意訳)</blockquote>
と説く。この理屈を知って、長年の謎が一つ解けた。<br />
<br />
90年に起きた共産圏の崩壊の際、天安門事件をリアルタイムで見ていた人は「中国もこれで民主化だろうな。」と思っただろう。私も絶対にこの流れのまま行くと思っていた。ところが、共産党は苛烈に運動家達を攻め立て、決してそのほころびを許さなかった。その後、鄧小平が「一国二制度 富めるものから先に富む」と説いて歩いたが<br />
「本当かいな、、なにを白々しい。」<br />
と思っていた。ところがである、、、現在の中国の隆盛を見れば、その全てが符合する。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgodWeOYZD4bMiMy1KWHyR0Q6PkuXfanccJIM6byD_UqqQKH-e0XmDHCG-MGGo4_Ywl3agWL_28wst1PQltVlVHg99LYvaNqqXSpjP1sR-3DRAj4uTWkwKA8Zrm9QrE4PEbJfGaLD59Y24/s1600/%E4%B8%AD%E5%9B%BD.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="350" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgodWeOYZD4bMiMy1KWHyR0Q6PkuXfanccJIM6byD_UqqQKH-e0XmDHCG-MGGo4_Ywl3agWL_28wst1PQltVlVHg99LYvaNqqXSpjP1sR-3DRAj4uTWkwKA8Zrm9QrE4PEbJfGaLD59Y24/s400/%E4%B8%AD%E5%9B%BD.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">「クアンシー」とも言われる「宗族」は出来るだけ遠くに身内(同じ一族であれは良い)を飛ばして何かあった時はそのツテを頼りに一族もろとも頼ろうという仕組み。</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
中国でビジネスをした事がある人ならば、少なからず「賄賂」とか「コネ」が無いと物事が進まない経験をしたのではなかろうか。それもこれも、大昔から「国家が仕組みを作ってくれる」などと、はなから期待せず信用もしていない「信じられるのは身内だけ。」という「宗族ネットワーク」がそのベースにあるからだ。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
古代から大量の人口をどうやって「食わせるのか」が大きな課題だった中国はいろいろ試行錯誤の末「勝手にやっていいよ。(システム作るのは諦めました)」に落ちついたのだ。輿那覇先生もこう語る。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「自然発生的に出来た国家を、ほおっておけば中国的な仕組みになる。」</blockquote>
<br />
<br />
<b>暴力を満身創痍でぶつけ合って来た西欧諸国</b><br />
今回のPart3では<br />
<blockquote class="tr_bq">
社会の土台には暴力があってそれをいかに統治するかで国家の枠組みが決まったのではないか</blockquote>
という、最近発表されている学説に注目している。(ダグラス・ノース)<br />
<br />
先進国であった中国は200年に一度しか内乱を起こさない基本的に平和な国家であったが、西洋諸国は小さな都市国家が乱立し、常に「戦争をしっぱなし」の状態が500年続いた。<br />
なぜ、そうなってしまったのか理由は諸説あるようだが、地政学的に見て人口を養える地域が偏在し、ユーラシア中央部から中国にかけての様な、大河流域に巨大な灌漑設備を作って都市を構築するのが難しかったからという説もある。この厳しい状況は「制度間競争」を生み <br />
<ul>
<li>相手を負かす為には強い国家でなければならない</li>
<li>強い国家である為には強い経済でなければならない</li>
</ul>
という論法で、西洋の近代化が発展したというのだ。<br />
第二回のお題本「<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4326248408" target="_blank">「文明:西洋が覇権を取れた6つの真因」</a>では、「遅れた辺境国」だった西欧諸国が中国を凌駕した要因を6つ挙げている。<br />
<ol>
<li>競争</li>
<li>科学</li>
<li>所有権</li>
<li>医学</li>
<li>消費</li>
<li>労動</li>
</ol>
今回は一章の「競争」のみを取り上げたが、競争はさらに3つの利点を生んだ。 <br />
<ul>
<li>軍事技術の改革(技術革新)</li>
<li>国富の増加(戦費を賄う為に交易で巧みに稼ぐ)</li>
<li>株式会社(金融システムの発展)</li>
</ul>
そして最終的に<u>「法治主義」</u>が確立される。<br />
<blockquote class="tr_bq">
日本人は「法治主事」を感覚的になかなか理解出来ない。お上が決めた決まり(法律)を下々が守ると思いがちだが、そうでは無く「国家権力」が法に従うというのが、正しい「法治主義」の理解だ。( by 池田信夫)</blockquote>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnRgA2baNY5V5JdhCemjKCC-dfgMG7o9lyPnbpcKT92p7KfXcJCKibhyphenhyphenMTNXPfhUnWMalYuI1A2ED72i8MHkqfCRCKOjqdaKuYxHUP6JIYQeB-IILVlixXTmkfVMzsC3ZfC4wzTWqOiC8/s1600/%E8%A5%BF%E6%AC%A7%E8%AB%B8%E5%9B%BD.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="341" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnRgA2baNY5V5JdhCemjKCC-dfgMG7o9lyPnbpcKT92p7KfXcJCKibhyphenhyphenMTNXPfhUnWMalYuI1A2ED72i8MHkqfCRCKOjqdaKuYxHUP6JIYQeB-IILVlixXTmkfVMzsC3ZfC4wzTWqOiC8/s400/%E8%A5%BF%E6%AC%A7%E8%AB%B8%E5%9B%BD.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">都市は固く鎧われ、常に殺戮が繰り返された。</td></tr>
</tbody></table>
このファーガスン説によれば、6つの真因が西洋文明の隆盛を支え、16世紀の大航海時代でユーラシア以外の地域を発見し、そこから無尽蔵に「リソース(資源や人)」を得ながら、20世紀にまで渡って、西欧文明が世界を席巻する原動力となったとしている。<br />
<br />
<br />
<b>どちらにも似ていない日本</b><br />
最後に我らが日本であるが、<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/01/1.html" target="_blank">梅棹忠夫</a>も指摘するように、この文明の衝突とも言える大きな潮流の中で日本は独自の進化を遂げている。<br />
<br />
地理的に中国大陸の近隣でありながら、そうちょくちょくと攻め込まれる距離では無く(ドーバーは人が泳いでも渡れるが、さすがに対馬海峡は泳げない)適当に気候が温暖で、沢山の河川が急峻な流れを作って、列島の随所に流れている。<br />
大文明の中国から必要な物を多く輸入したが、「科挙」と「宦官」だけは輸入せず独自の統治システムを構築している。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhdbeaPzLU7k76NaSgtrphiomoJi_hxyb4dQYFwsuqxDBdyOm2635eWOeFhljdcCC4jCa3IBm3Wv9_XflTX1van1gKEk9r4vE3g75qeql2chWvKBkFy5RzZaqVNuwjs_pASKFbzJbs7_mo/s1600/%E6%97%A5%E6%9C%AC.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="326" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhdbeaPzLU7k76NaSgtrphiomoJi_hxyb4dQYFwsuqxDBdyOm2635eWOeFhljdcCC4jCa3IBm3Wv9_XflTX1van1gKEk9r4vE3g75qeql2chWvKBkFy5RzZaqVNuwjs_pASKFbzJbs7_mo/s400/%E6%97%A5%E6%9C%AC.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">水源が至る所にある国なので、食う為の共同体がローカルに発達した</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<br />
読書塾で散々議論して来た事だが、日本では「場」に属する事が最も重要で、構成メンバーの属性はあまり細かく問わず「ローカル」の存続を守る事に重きを置いた。<br />
これは、日本の地政学と関係がありそうだ。<br />
<br />
急峻な河川はそれぞれに小さな集団(村)を成立させ「何とか頑張れば村中で食っていける」環境をもたらした。<br />
原初では、非常に恵まれた環境とも思えるが、このお陰で日本人は「比較優位」という概念がなかなか理解出来ないと、池田氏も輿那覇先生も言う。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「こちらではこれだけを徹底して作り、向こうではあれだけを徹底して作って、お互い交換するのがベストでしょう。」という発想が根本に無い。(「気分は江戸時代」より)</blockquote>
この仕組みは、そっくりそのまま「日本陸軍」や「現代の会社組織」に移植されている。(陸軍の連隊は出身地方単位で組まれていた)<br />
戦後の高度経済成長を支えたのは、安くて大量に溢れていた「団塊の世代」の労働力で、会社という「村」組織の中で一致団結して「細かな擦り合わせ技術」をお家芸に、80年代までの経済を席巻した。あの時代日本経済が強かったのは、このお<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/03/12.html" target="_blank">家芸と産業の発達段階が見事に相性が良かったからだと、池田氏は説く(リンク先中央の図解参照)</a>。<br />
<br />
<br />
以上、中国/西欧諸国/日本のそれぞれの性格を簡単にまとめてみたが、3つの関係をマトリクスにまとめるとこうなる。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj36E9HENmDtXhuOMQH8bpPctVOT2UMPI5jMEZbRxsjIhaSrvEIbjxLCdZZbo0HHL1ccR9UFVpukXaelSNkyUoqoDNp3BFAo-W3LjndyPZEnTAbBvdaHdqIw9VxiBB7hNIyGXwUz6uAmI4/s1600/2x2%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="216" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj36E9HENmDtXhuOMQH8bpPctVOT2UMPI5jMEZbRxsjIhaSrvEIbjxLCdZZbo0HHL1ccR9UFVpukXaelSNkyUoqoDNp3BFAo-W3LjndyPZEnTAbBvdaHdqIw9VxiBB7hNIyGXwUz6uAmI4/s400/2x2%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9.png" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">読書塾Part1のまとめより</td></tr>
</tbody></table>
<br />
産業の発達段階と、その国家や文明圏が持つスタイルとは密接に関係しているんだという事が改めて理解出来る。<br />
相変わらず、「これから先の日本はどうしたらいいんだろう?」という問いの答えは簡単には見つからないが、大きな歴史の流れを振り返って自分でも少しスッキリした。<br />
<br />
次回は、<a href="http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51770664.html" target="_blank">「宗教を生み出す本能」</a>に挑戦の予定。 <br />renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-82294294814844666102012-07-14T23:02:00.002+09:002012-07-14T23:02:37.890+09:00アゴラ読書塾Part2最終回「昭和天皇独白録」〜激動の昭和を生きた天皇〜<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiis6A7ZUPM8XLAxihbDEhF52oSKpSahNUxuzQspdkkawBYClLQok3eEQ30VkWqioAvVWvagFiSsZhKJq6LXQpI-2N8Tx0Ly_wgzEvYYmkqwFGd3uCe2XM3_lFMe6QkNDrfcOeIPnLg1Sk/s640/blogger-image-1359392760.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiis6A7ZUPM8XLAxihbDEhF52oSKpSahNUxuzQspdkkawBYClLQok3eEQ30VkWqioAvVWvagFiSsZhKJq6LXQpI-2N8Tx0Ly_wgzEvYYmkqwFGd3uCe2XM3_lFMe6QkNDrfcOeIPnLg1Sk/s320/blogger-image-1359392760.jpg" width="320" /></a>アゴラ読書塾Part2、最終回を締めくくったのは、やはりこの人「昭和天皇」である。いつもは似顔絵を描く所だが、今回はさすがに荷が重いので書籍の写真で、、。<br />
昭和天皇は、まだまだ記憶に新しい人物で歴史研究もこれからと言える。近年多くの研究書が発刊されているが、私が読んだ関連書籍は、、<br />
<br />
<br />
<br />
<ul>
<li>昭和天皇論(小林よしのり)</li>
<li> 昭和史(半藤一利)</li>
<li>日本のいちばん長い日(半藤一利)</li>
<li>昭和史裁判(半藤一利/加糖陽子)</li>
<li>昭和天皇独白録(今回のお題本) </li>
</ul>
である。小林よしのり氏の書籍は、若干内容が偏り気味なので、少し冷静に読んだ方がいいが、漫画で大枠を見せる点は評価出来る(特に終戦直後の一大行幸録はあまり言及した一般書が無いので読むに値する。)「昭和史」「日本のいちばん〜」「昭和史裁判」あたりは、資料の裏付けに基づく基本常識なので一通り押さえておくと、今回の「昭和天皇独白録」の内容が理解し易い。<br />
<br />
<br />
<b>率直に語った大元帥</b><br />
「昭和天皇独白録」は色々な所で引用され、存在は知っていたが今回初めて通しで読んだ。この一級の資料が発見された経緯も非常に興味深いので、それは最後に紹介したい。<br />
<br />
読書塾では、この独白録から昭和天皇が置かれていた立場を考慮し、当時抱えていた致命的欠陥を言及した。<br />
そもそも、大日本帝国憲法(明治憲法)では「内閣」というものが存在せず、各大臣はそれぞれに天皇を輔弼(天皇が権力を行使するのに助言を行う)する役割しか無い。<br />
内閣総理大臣も各大臣と同列なだけで、現在のように閣僚を罷免する権限も持っていなかった。池田信夫氏は<br />
<blockquote class="tr_bq">
「結局、薩長が使い易いよう、明治後半は長州が使い易いように作られた憲法だった。」</blockquote>
と言う。元老と称される明治の元勲達が、総理大臣を推薦(事実上決める)する形で歴代の内閣が形成されて来た。これまで読書塾で見た通りである。(<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/05/part24.html" target="_blank">参照:山縣有朋</a>)<br />
属人的に元勲達が押さえている間は明治憲法は機能したが、全ての元勲が底払いしてしまった昭和初期から、システムが誤作動を始めたと言える。<br />
<br />
さらに軍事を司る「統帥権」が文民である大臣達の統制下に無く、直接天皇が持っていた事も災いした。天皇は軍の最高位にあたる「大元帥」だったが、実際に思うまま大権を発動出来る訳でなく「君臨すれども統治せず」の立憲君主制のポリシーを教え込まれていた。基本的に帷幄上奏(いあくじょうそう→こんな作戦を実行したいですとお伺いをたてる)されれば、それを裁可するしか無く(「もう少し考えてくるように。」とご下問という形で差し戻す事はあっても)唯一の例外が終戦の聖断である。<br />
<br />
半藤一利氏は「昭和史裁判」の中で<br />
<blockquote class="tr_bq">
昭和天皇は、よく戦術的な事に踏み込んだ発言をしている。だが、もっと大局に立った戦略眼は今ひとつ無かった。</blockquote>
と発言している。基本的には「平和主義者」で、日米開戦時に明治帝が日露戦争開戦を憂いた句をそのまま引用している所から、不本意に始まった戦争を何とかしたいと常に思っていた様子は、独白録からよく伝わる。<br />
どちらかと言えば海軍贔屓で、板垣征四郎タイプ(陸軍で言葉の少ない一見いい加減そうな大将)などは信用できず、有能な事務方肌の東条英機を当初は買っていた。公家出身の近衛文麿の優柔不断さをやや嫌悪していて、だから東久邇宮(ひがしくにのみや)を首相にとの声に「宮家が政治に関与するのは良く無い。」と難色を示したのかな、、、(結果、東条英機になった)などと気持ちの内側が伺い知れる。<br />
この記録を残した、寺崎はその家族に<br />
<blockquote class="tr_bq">
「お濠の向こうの囚われのお方」</blockquote>
と称したらしい。直接、昭和天皇から話を聞く事で、その人間性に触れたのだろう。<br />
<br />
<br />
<b>戦争が鍛えたもの</b><br />
<blockquote class="tr_bq">
「昭和天皇は、伝統的に武張った事に関わって来なかった天皇家において、戦争にコミットした稀な存在である。後醍醐天皇以来ではないか。」</blockquote>
池田氏はこう語る。明治帝は違うのかな?と思うけど、日清/日露の時は士族階級の元勲達がまだ実務運用をしていたから、昭和天皇ほどやきもきと細かい作戦の経緯を追う事は無かったろう。<br />
明治期では、まだ戦争そのものの規模は小さく、国家間の関係もそれほど複雑では無かった。第一次大戦でヨーロッパは嫌という程「これからは物量戦になる」事を身を切る事で学んだが、日本は一世代遅れの意識のまま第二次大戦に臨んでしまったという解釈もある。<br />
<br />
いずれにせよ<a href="http://renkonn.blogspot.jp/2012/01/1.html" target="_blank">梅棹忠夫</a>が提唱したように、大陸では常に血みどろの国家戦争が繰り広げられ、それを繰り返す中で<br />
<blockquote class="tr_bq">
目的意識を持って合理的に判断する仕組み</blockquote>
が鍛えられた。その為に階級秩序が作られ、戦争に勝つ為に必要なことが発明される。(この部分の話は、次節Part3のテーマとして継承される予定。)<br />
<br />
到底勝てない相手に対し、最悪の判断である「開戦」を決めたものは一体なになのか。それは、日本古来から採用されて来た<u>「合議制コンセンサス」</u>で、これは本来自然な共同体が持っているものであると提唱されている。<br />
家族や友人間では、互いに話し合って納得するプロセスが大切だが、それを言っていられない苛烈な環境に置かれた民族ほど、<b>合理性</b>を獲得していったと言えるのかも知れない。<br />
<br />
<br />
<b>知性が導いた歴史的資料</b><br />
最後にこの「昭和天皇独白録」発見の経緯がとても劇的なので、ここに少し紹介したい。<br />
<br />
「独白録」は90年に発見され「文藝春秋」紙上で全文が発表された。(当時の私はバブルに浮かれた小娘だったので、当然こんな発見があった事は記憶に無い。)<br />
寺崎英成(てらさきひでなり)という人物の生涯と、この資料は深い関係がある。<br />
<br />
寺崎は戦後「宮内省御用掛け」として昭和天皇の通訳を務めた。昭和21年3月から4月にかけて都合5回に渡り昭和天皇に直接ヒアリングし、張作霖爆殺事件から終戦に至る経緯を、率直に語った言葉を書き留めたものだ。(原本を筆写したものとも言われている)<br />
戦前外務省一等書記官として日米開戦の直前までワシントンに駐在し、アメリカ人女性と結婚して娘を一人もうけている。開戦と同時に交換船で家族は日本に送還され、戦時中は「敵国人」の妻(グエン)と辛い思いをしながらひっそりと過ごしていた。知米派だった寺崎には出番が無かったのである。<br />
<br />
終戦後、にわかに GHQと折衝をする必要に駆られ、語学堪能で外交情勢に詳しい彼は必要とされた。娘である「マリコ・寺崎」は、父は既に病を得て体調を崩しがちだったが、本当に生き生きと役目を果たしていたと証言している。<br />
戦後の混乱が治まらない1949年(昭和24年)マリコにきちんとした教育を付けなければと、寺崎は妻子を妻の故郷テネシーへ帰国させる。それがこの夫婦の最後の別れとなり、寺崎は2年後に50歳の若さで亡くなってしまう。<br />
<br />
この時の遺品に「独白録」が含まれていたのだが、母娘は経済的理由から来日しての墓参がままならなかったり、受け取っても二人共も日本語が全く読めなかったなどして、40年近くアメリカの民家の物置に眠ったままだった。<br />
発見のきっかけは、マリコの息子(寺崎の孫)コールが祖父の生涯に関心を示し、祖母が持っている遺品の英訳を手掛けた事にある。<br />
当初は寺崎の個人的な日記であろうと思っていたが、カリフォルニア大の日本研究の教授に支援を頼み、そこから東大へ問い合わせが行って初めて「昭和天皇の回想録が混じっている」とわかった。<br />
恐らく、歴史関係者は色めき立ったであろう。昭和が終わって平成が始まった直後に、まるで図ったかのような発見は、歴史の不思議さを感じると共に、<u>良識ある知性はきちんと伝承するのだと感じ入った</u>。<br />
<br />
娘であるマリコ・寺崎氏は、父英成の事をこう評している。<br />
<blockquote class="tr_bq">
父は生粋の”明治の人”であり、生粋の日本人だった。だからこそ、あのような国際人になれたのだと私は思う。日本人としての教養と信条がしっかりと備わっていたからこそ、海外に出たときに、世界の中における日本及び日本人の立場と役割を国際的な視点から定義できたのである。</blockquote>
<br />「混血児」といじめられて泣くマリコに、<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
「おまえは、ラッキーな子だ普通の人は一つのヘリテージしか持っていないが、お前は二つのヘリテージを持っている、二つの祖国の「ブリッジ」になれる子なんだ。」</blockquote>
<br />
と言えるのは、並大抵の知性では無い。その知性が持つ力はマリコを通じてしっかりと、孫のコールに受け継がれているのだと思う。<br />
独白録の内容も良かったが、この寺崎のエピソードが非常に心に残って非常に良かった。<br />
ともすれば暗くなりがちな日本の将来を<br />
「そんなに捨てたもんじゃないかもな。」<br />
と思える読後感だった。<br />
<br />
<br />
今回の読書塾は13人の重要な人物の生涯を辿る事で、近代日本の歩みを細部に渡って理解する良い機会だった。<br />
毎回、スカイプでの授業形式は運営事務局側にそれなりにご負担を掛けたと思う。しかし、1回1回の内容はとても濃厚で、事実のアウトラインをなぞるだけでは知り得ない、リアルな歴史の息づかいや空気感まで捉えられたように思う。これまでの生涯に、こんな短期間で沢山のページを読んだのは初めてで、少しは読解力がついたかなと思う。改めて、この機会を与えて下さったアゴラ研究所と、テクニカル面でのボランティアを買って出て下さった受講生さんに感謝の意を表したい。<br />
<div style="text-align: left;">
</div>renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-246043664392153537.post-75269892351546846052012-07-05T23:40:00.000+09:002012-07-08T18:41:16.262+09:00「僕は君たちに武器を配りたい」他 瀧本哲史著 〜「武器」三部作〜<div style="text-align: left;">
</div>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjX4xyCTw31j7TyKfOwPhW4oLakEw7o0yAbBhqSaOakjxesR-u0EtyL3xds30AuswmocZYy4t4FypPP6XyPmId1iHA0bfCLEj7u3abUR5jpY_ayR0sMRny0q1x3TC90S1IjqBlN3_i47TA/s1600/IMG_1386.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjX4xyCTw31j7TyKfOwPhW4oLakEw7o0yAbBhqSaOakjxesR-u0EtyL3xds30AuswmocZYy4t4FypPP6XyPmId1iHA0bfCLEj7u3abUR5jpY_ayR0sMRny0q1x3TC90S1IjqBlN3_i47TA/s320/IMG_1386.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">最初の一冊は講談社から、残り二冊は星海社より発行。</td></tr>
</tbody></table>
「この本にあと8年早く出会いたかった。。」<br />
三日間で一気に三冊読み終わって、つくづく思う。いつもよりも荒削りな読書感想になってしまうが、多くの人(特に子どもを持ちながら働いている女性)に読んでもらいたい「熱い著書」である。<br />
<br />
最初にこの瀧本哲史氏の「僕は君たちに武器を配りたい」を知ったのは<a href="http://honz.jp/about" target="_blank">「HONZ(成毛眞氏代表)」 </a>の「おすすめ本」紹介だった。内容が気になったので無く<br />
「変わった装丁で、その点も刺激的だ。」<br />
というコメントが印象に残ったからだ。(仕事柄レイアウトには鋭く反応!)<br />
<br />
その後、偶然書店で見かけて本当に変わったレイアウトに、つい買ってしまった。でも、それっきり積ん読状態で10ヶ月以上放置。<br />
そこへ偶然、著者である瀧本氏の映像を観る機会があった。(NHK「日本のジレンマ」)真っ赤なネクタイで、ひときわ鋭いコメントをするのが印象的で、あの人がこの本の著者かと、その後気が付いた時には、その偶然に少し嬉しくなった。<br />
<br />
瀧本氏はまだ30代の若さで、私が密かに「優秀」と恐れている世代の代表格と言える。京大の客員准教授ではあるが、司法を学び、マッキンゼーでコンサルの最前線を経験した、歴戦のツワモノである。エンジェル投資家(操業まもない企業の雛を育てる投資家)として活躍されている。<br />
同氏は明確に読者を「20代」と規定し、公演も学生向けが多く、これから社会へ巣立つ若者達が、知っておくべき必要な道具(武器)をどんどん、彼、彼女らに納入している。しかし、冒頭でも述べた通り、必ずしも有利な立場に立てるとは言えない女性(未婚/既婚/子持ち)にも、これは有益な「武器」だとつくづく思う。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgLdhiNtZHzYhQzezMO04p4_2xyxEckkggrjlbhWAdJrrGrIsJZhtxxC9nTygj7USLsXm1qOOmxJfopOcfpN2qm6HeuNzss3BRm_QcabEfXS5WSiNgUfTdw1sDCYjl9NPJSFr_RNtlcBt0/s1600/IMG_1388.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgLdhiNtZHzYhQzezMO04p4_2xyxEckkggrjlbhWAdJrrGrIsJZhtxxC9nTygj7USLsXm1qOOmxJfopOcfpN2qm6HeuNzss3BRm_QcabEfXS5WSiNgUfTdw1sDCYjl9NPJSFr_RNtlcBt0/s320/IMG_1388.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">え〜!こんなに大きい文字、と思うけどフォントスタイルを軽くして重たさを軽減している所に精緻な計算力を感じます。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjajASW4fZmZtWv4zCBz3yZCMHK7PlKRk73dANw-zHpwmA8e5xDFnlROeWgz60rv6fzWvn0Oy1L9Lwkk2kBU58-1_k-ORCxRwlPmls4M4pHJBYIUv30_jydQrVNHHFzpxbERhqzrhLTzbo/s1600/IMG_1387.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjajASW4fZmZtWv4zCBz3yZCMHK7PlKRk73dANw-zHpwmA8e5xDFnlROeWgz60rv6fzWvn0Oy1L9Lwkk2kBU58-1_k-ORCxRwlPmls4M4pHJBYIUv30_jydQrVNHHFzpxbERhqzrhLTzbo/s320/IMG_1387.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">ありえない程マージンギリギリのノンブルと柱。製本屋の腕が良く無いと難しい。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<b>武器三部作</b><br />
詳細は是非本書を読む事をおススメしたいが、この三冊は<br />
<ol>
<li>これから社会に出るに当たって心得ておく事、総覧(<u>僕は君たちに武器を配りたい</u>)</li>
<li>ものごとを判断して決める際のプロセスの話(<u>武器としての決断思考</u>)</li>
<li>生きるとはすなわち「交渉」の連続であるという話(<u>武器としての交渉思考</u>)</li>
</ol>
とそれぞれ明確に性格づけがなされている。内容に殆ど「ダブり」が無い所が、さすがマッキンゼー仕込みと思うが、徹頭徹尾クールな分析ばかりでなく「具体的な事例」や「熱い思い」が織り込まれている所に、瀧本氏の人間性を感じる。きっとこれからも的確なテーマ設定で続編が出るだろう。<br />
<br />
<br />
<b>あの時この「交渉思考」を知っていたら</b><br />
この三冊には、豊富な「武器」がとりどり用意されているが、最も印象深かったのは最新刊の「武器としての交渉思考」である。<br />
<br />
もはや時効なので、書ける範囲で書いてしまうが、20年近く働いて、今でも一番辛かった思い出がある。8年前、まだ二番目の子どもが一歳だった時、育児休業から復帰して最初の面談で当時の上司に<br />
<blockquote class="tr_bq">
あなたには製品に関わるライン業務は任せない。</blockquote>
と告げられた。理由は<br />
<ul>
<li>こどもの為にいつ何時休まれるかわからないから。</li>
<li>遅くまで残業が出来無いから。</li>
<li>定時後に出なければならない会議が多く、それに出られない人は担当になれない。</li>
</ul>
である。当時の私はこの勧告に、何一つ抗弁出来なかった。<br />
「だって、こどもが病気したらやっぱり休むでしょ?」<br />
そう詰め寄られると、怖じけてしまう気持ちがまさって、ただ黙るしか無い。<br />
確かに子どもの体調不良は予測が効かない。これが最初の子の時だったら、怖いもの知らずで<br />
「そんな事ありません、出来ます。」<br />
と言い切れただろうが、既に上の子でどれだけ子どもが体調を崩し易いか知っていたので<br />
「ぐぐううう。」<br />
と弱腰になってしまった。後で夫からは<br />
「そんな事無い、出来ますって押すんだよ。」<br />
と発破を掛けられたが、一対一の面談でこちらが弱い立場に追い込まれると、そんな判断さえ出来無い。それに、どれだけ夫が頼りになるのか、その点やや懐疑的だった。<br />
<br />
夫婦は似た年齢の場合が多く、夫だって「ここ一番」というスプリング・ボードの時期がある。ちょっとキツイ、ジョブ・ミッションをこなして「一人前」と認められる時期に、果たして「妻の栄達」の為にどれだけ譲れるものなのか。 <br />
口ではリベラルに「女性の社会進出を理解している」と言うだけの輩は多い。それは、働きながら嫌という程見て来た。そして、その事に不満を抱いているだけでは「何も解決しない。」という事も同時に経験したのである。<br />
<br />
この話の顛末は、申し入れを飲み、やってもやらなくてもあまり影響の無い業務を任され、その後はこれまで見た事も無い最低の評価ランクを頂戴するハメになった。このままでは「飼い殺し」の憂き目に遭うと、捨て身の戦法で辛くも異動する事が出来たが、この時の評価は経歴の中にしっかり残ってしまった。<br />
<br />
自分でも、意図的に忘れようとした事だが、この「交渉思考」を読んだ時、急に記憶が甦った。もしあの時、これを知っていれば、もう少しマシなやり取りが出来たかもしれない。例えばこんな感じに。。。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
「確かに、私は小さい子どもが居ます。その状況はもはや変えられません。ところで、私には業務を任せられないとの事ですが、その要件を満たすのは『いつ何時でも無理難題に対応出来ないから』でしょうか?その難題を『手前で予測し予防する能力』は必要無いのでしょうか?子どもが居ようが居まいが、誰にだって不測の事態で体調を崩す可能性はあります。そうなった時、いつでもバックアップに入ってもらえるよう、業務をガラス張りにしておく日頃からの心がけはこれから必要無いのでしょうか?予め、そうなる事が予想されやすい私の方が、よっぽどお役に立てると思うのですが。」</blockquote>
<br />
まあ、例えこう答えたとしても、評価も変わらず、そんな上司の元では仕事が出来無いと、異動願いを出して結果は変わらなかったかも知れない。<br />
<br />
それでも、きちんと自分の切れるカードと、相手が最も価値を置いているポイントはどこなのか、しっかり読んで交渉に当たっていれば、その後の過ごし方が違ったと思う。<br />
無為無力感に苛まれ、時間を空費してしまった事こそ、最大の損失である。過ぎた時間は戻らない「サンクコスト」として考えなければならないが、後から同じ道を通るかも知れない人に、この経験値を伝授する事だけは出来る。<br />
だから、瀧本氏は若い人達に、繰り返し語り続けているのだろう。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「儲けたいなら『老いとは何か』って本を書いています。」 </blockquote>
とは、けだし名言である。<br />
<br />
もし、このブログを若い世代の女性が読んだなら、是非、この経験値を参考にして頂きたい。そして、渦中にあったり、もう「諦めよう」と思っている人には<br />
「今からでも、出来る事をやってみようよ。」<br />
と語りかけたいのである。「武器としての交渉思考」の最後にこう書いてある<br />
<blockquote class="tr_bq">
Do your homework(自分の取り組むべき宿題を見つけて取りかかろう) </blockquote>renkonnhttp://www.blogger.com/profile/04975210123097383036noreply@blogger.com0