2013年7月6日土曜日

「十二国記」小野不由美著 〜ファンタジーの凄味〜

3年ぶりの新作書き下ろし短編二作集録
気が付けば、2月から全く更新していない事に愕然。読書はしていたものの、新しいジャンルの仕事に出会って、そちらに興味津々。すっかり更新が疎かになってしまった。
しかし、久々に書きたい衝動に駆られる作品なので、4ヶ月ぶりのエントリー。
小野不由美の「十二国記シリーズ」は大好きなファンタジー小説だが、いつもこの人の作品は項を繰る手が止められない。待望の新作だったにも関わらず、あっという間に読み切ってしまった。

このブログでファンタジーを扱った事は無いが、「ゲド戦記」をはじめ、ハイファンタジーは大好きだ。これほど真実をえぐり出す舞台装置は無いと思っている。良質でよく作り込まれたその世界は、現実世界を丹念に追うのと同等か、或はそれ以上に「世の条理」をあぶり出してくれる。


小野不由美の凄さ
彼女は作家としてつくづく凄いと思う。ファンタジーが苦手という人は、恐らく
  • 現実世界でない
  • 所詮おとぎ話
  • 夢見がちだ
という先入観を持っているのではないか。。。
確かにファンタジーと銘打っているので、この物語は現実世界とは全く違う「世界設定」に成り立っている。だが、その中に一つとして、先の言葉が醸し出す「甘さ」は存在しない。むしろ、苛烈で過酷なまでに、理詰めで(ファンタジーに理詰めというのも変だが、その世界の中の「理(ことわり)」という意味)物語は紡がれ、読む者はその条理の元に否応無しに物語へと引き込まれる。
古代中国(紀元前の周王朝あたり)の政治形態や神話に登場する妖怪を援用しているが、精緻に作り込まれたこの世界は本当に脱帽する。入り込むと何ら不思議に感じない物語とはそれだけ矛盾の無い構造を持っていると言えるからだ。(大好きな司馬遼太郎さんも「ファンタジーを楽しむには作法がある。その世界のルールに完全にのめり込む事だ」と語っている。)


リーダーの役割とは
この浩瀚(こうかん)な物語を読んで、一番心に染みたのが、「リーダー」の役割の本質をえぐり出しているところだ。
十二国記の愛読者にはくどい説明になるが、、、
十二国とは
  • 「天」なる高き意志に造られた十二の国がある。
  • そこには一人づつ「王」が配される。
  • この王を選ぶのが「麒麟」で、これも天から配される。 
という大前提がある。(この異世界が時々現世と繋がってしまうという設定)すなわち、十二国という世界には、嫌でもそれぞれに「リーダー」が居る状況で(時々王座が空位になって国が荒れるけど)、このリーダー達が個性豊かに「野心に燃え」「怖じ気づき」「燃え尽き」たりしながら、国を富ませたり、滅ぼしたりを繰り返している。
それぞれ与えられた「権」を独自に解釈して治世を行うのだが、そのやり方が各国様々なところが面白い。豊かな描写力で描かれる登場人物は、皆「どこかに居そう」で目の前にありありと姿が浮かぶ筆致力には凄味がある。

私はこの物語によって初めて
  • 国の舵取りは「綺麗事」だけでは出来ない
  • 批判しているだけでは何も物事はすすまない
  • 時に非情を覚悟で苦渋の選択をしなければならない
ということを学んだ。
リーダーは一人では何も出来ないが、決める時は一人で決めなければならない。或は、合議制を入れていても最後は「拠り所」となる支柱(リーダー:王)が無ければ安心して周囲は行動を起こせない。位によって得た重みがどんな事を意味するのか、様々なケースを繰り出せる作家の想像力の翼は本当に無限大だ。


鳥の眼と虫の眼
一見派手な「王権」の物語がメインストーリーに見えるが、小野不由美は物語の視点を、自在に上下させる。特に、今回の新作「丕緒(ひしょ)の鳥」は「組織の末端に属する名も無き仕事人」達を丹念に描いている。ネタバレになるので、詳細を記述する事は控えるが、どの物語も「自らのミッション」とどう向き合うのかを実に的確に豊かに描いている。
  • 捨て鉢になった内面からもう一度再起出来るか?(丕緒の鳥)
  • 自らの判断が国の根幹を揺るがすかも知れない事態にどう対処するのか?(落照の獄)
  • 自分の出来る事は小さい、それでもたった一度のチャンスにどこまで責務を真っ当出来るか(青条の蘭)
  • 遠回りに見える職務をコツコツと積み上げて行くしか自分達に出来る事はないと腹を括った専門家達(風信)
ファンからは「地味だった」等と言う感想も寄せられているようだが(それはそれで良し!)宮仕えを20年以上続けた「地味な仕事人」としては、どの短編もいぶし銀の魅力でたまらない。
この鳥の眼(権力者の眼、経営者の眼)と虫の眼(現場で働く市井の人々の眼)を自在に切り替えているところが、物語の「厚み」と「精緻さ」を支えている。
電車の中でマスカラが落ちるのもかまわず、涙腺が緩みっぱなしだった。


ファンタジーの存在意義
人はどうして物語を欲するのだろう。簡単に答えは見つからない。近現代において、ファクトを真摯に見つめる姿勢が、人々をより良い暮らしに導き、それが何らかの欲望を満たして来た。物事が明らかになって行くと、蒙昧な世迷い言を語った「物語」は世間の片隅に追いやられてしまうのか。。否、そんな事は無い。ここまで、科学技術が発達し、情報革命が起きた今でも、物語は無くならない。それは、きっと人間が生きるに必要な根幹に関わる何かなのかも知れない。
「時には小説を読んだ方がいいのかも。」
何人かの友人が似たような事を言った。働き盛りには、良く書かれたビジネス書は欠かせない。(私も大好き)けれど、ビジネス書だけではどうしても捉えられない事態に直面した時、ひょっとすると小説や物語の中に、何かのヒントが隠されているかも知れない。往年の「物語ファン」としてはやはりそう思うのである。

最後に、もしこの物語を読もうと思われる方に、各巻のおススメ読み進め順を記しておこう。これは私に十二国記を知らしめてくれた友人が貸してくれた順番そのままである。
  1. 月の影 影の海(上下)
  2. 風の万里 黎明の空(上下)
  3. 東の海神 西の滄海 ←シリーズ中一番好きな巻!
  4. 図南の翼
  5. 風の海 迷宮の岸
  6. 黄昏の岸 暁の天
  7. 魔性の子
  8. 華胥の幽夢
  9. 丕緒の鳥(最新刊)
 実は新潮文庫から発刊順に読んでしまうと、初めての人は少し混乱してしまうかも知れない。それくらい、この物語は重層的である。

0 コメント:

コメントを投稿