2012年7月29日日曜日

アゴラ読書塾Part3第4回「中国の大盗賊・完全版」高橋俊男著 〜漢の高祖劉邦から中国共産党の毛沢東まで〜

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は隠れた名作
「中国は漢の時代から、共産党に至るまで、しばしば『大盗賊』が統治者として君臨して来た。」
大胆に要約すれば、今週のお題本はこう言いたいのだ。砕けた語り口で「盗賊」の定義から始まり




  1. 漢の劉邦
  2. 明の朱元璋
  3. 明を倒して帝位に着いた李自成(わずか40日で帝位を追われる)
  4. 太平天国の洪秀全
  5. 共産党の毛沢東
と時代順に章立てが並ぶ。1989年に出版された当初は、最後の「毛沢東」の章が無かったそうだ。政治的配慮で割愛されたのかも知れないが、ここが無いと、本書の魅力は半減してしまう。毛沢東とて、結局は過去の大盗賊類型であると結論付けたい訳ですからね。

結局、色々な人から「毛沢東の章を読みたい」とリクエストされ、割愛部分が復活して「完全版」と命名されたそうだ。


文武両道はありえない儒教の国
本書の冒頭、著者は「盗賊」をこう定義する。
  • 必ず集団である
  • 農村部で食い詰めた「あぶれ者」で構成されている
  • 力をたのみに、村や街を襲い「食糧」「金」「女」を奪う
  • 都市を占拠し国都を狙い、果ては天下をとってしまう
「ああ、あれだ。」
と思い至る。数年前に読んだ「項羽と劉邦」(司馬遼太郎著)に、この「盗賊」達の様子が生き生きと(?)描写されている。流民とも呼ばれるらしいが、語りの名手は
「食わせろ」と言いながら人が渦のように流れる
と表現していた。

中国大陸は大きいが、耕作地に適した所は少なく、河川も黄河、揚子江の大河から灌漑工事をして水をひかないと満足に作物が出来にくい。
いつでも民は飢え易く、食べ物のある所へある所へと流れて、流れを止めてしまうと一帯で餓死してしまう。
可耕地はその10%くらいのもので、そんなに広くはないのである。大勢の人間がせまい耕地を細かく区切って耕作しているから、農業技術が発達しない。同一耕地で同一規模の生産をくり返す結果、地力は年々低下し、生産は逓減する。貧窮が普遍化し、農民は土地を捨てて流れ歩く閑民となり、盗賊が発生する。(p27)

著者は黒沢明監督の「七人の侍」の村を襲う無法者達を思い浮かべれば良いというが、とにかく、たちが悪くそれを取り締まる「官兵」はこれに輪を掛けて悪いらしい。盗賊も官兵も一皮むけば「食い詰め者」なので、結局は略奪目当てに行動する。

盗賊にとって農民は大事な「タカリ先」なのでしゃぶり尽くす事は無いが、官兵は根こそぎ略奪する。盗賊を何人捕まえたか生首でもって申請したらしく、ただの農民を捕まえて、首をはねてしれっと手柄にしてみたり、盗賊も官兵のその癖を知っているので、逃げる際に金品をいくらか置いていったり、女性を木にくくりつけて官兵に差し出したりと、とにかく読んでいて、ろくなものでは無い。

 かの国では「力(武)」は荒ぶる「しょうもない」存在であり、「知(文)」よりも下に見られていた事がよく判る。
荒くれ者どもの集団は、そのうち「知謀」を司る能力が必要になり、そこで活躍したのが「儒家」と呼ばれたゾロッとした儒服を着た「読書人」達である。おおよそ、活動的でない衣装を身にまとっているのも
「自分は粗暴な人間ではありません。」
とアピールする目的もあったと読んだ事がある。(長くて実用的で無い帽子を被るのが儒教の特徴!)

アクションが無くて残念
唐突に思い出したのが、映画「レッドクリフ」である。(1でも2でも良いのですが)
日本人俳優も大活躍のスペクタクル映画で、三国志の有名な「赤壁の戦い」がテーマだが、あれを観て何となく消化不良に思ったその訳がやっとわかった。
赤ん坊救出作戦は
国際的にも通用するイケメン俳優:金城武(諸葛亮孔明役)氏。軍略家の孔明が知謀をもって圧倒多数の曹操軍を打ち負かすわけだが、こう
「もっと孔明活躍すればいいのに!」
と思ってしまう。
派手なアクションは沢山あるのだが、それは別の俳優さん達が繰り広げる。。。その人物達はあまりキャラクターは強調されず「運動神経がいいんだな。」で終わってしまう。自分の考えや意志を表明する事が少なく、ただ「身体」を使っている印象が否めない。

要するに日本人にとって「文武両道」はヒーローの条件なのだ。
知力体力に優れたイケメンには、全編に渡って活躍してもらいたい!
「それが主役だ!」、、と刷り込まれてる。(ハリウッド映画でもそんな気が、、)

ところが、人徳は劉備、勇気は関羽、知略は孔明、、、と三国志ファンならお馴染みの完全分業が要は儒教国家という事なのだ。中国はいわゆる「文民統制」が効いた国家であると言える。


文民統制が鈍らせた危機意識
今回のお題本にはあまり言及されていなかったが、清朝末期の動乱期に欧米列強は中国を「カイコが蝕む」ように次々と都市の権益を取得して行った。この自国の独立性に対する意識の「鈍さ」もひとえに「文民統制であるが故」という意見がある。
読書塾でも
「中国は歴代『小さな政府』で、皇帝の権威と存在が守られる事に注力を注いで来た。領土を広げようという欲は殆ど無く(チンギスハンは例外)出来れば、「外から余計な民が入って来ないように」と防御する事に熱心だった。」
と語られた。前々回でも取り上げたが、「ここまでが自国」というくっきりとした境界線意識があるというよりも、皇帝が君臨する「都」が最も色の濃い中心点で、後はグラデーションのようにぼんやりと色が広がって行く、、そんな国家感だったのではないかと著者も語る。
日本の場合、曲がりなりにも「武人政治の国」(200年以上実質的な戦闘を体験していなくても)で、支配階級だった武士が「敵を力関係で捉えられる」事が出来たのだ。隣の清国がアヘン戦争の敗北によって、イギリスに領土を奪われた事を、自国のケースに置き換えて考えられる危機意識を持てた。(鹿児島純心女子大教授:犬塚孝明氏 さかのぼり日本史より)
 この時の印象で、その後の国際社会は中国という国の一面のみを理解したのかも知れない。もっとも、池田信夫氏曰く
「最近では、人民解放軍の幹部は海外留学したインテリ組が担っているので、伝統的文民統制がどこまで機能するか、やや疑問だ。」
となかなか、意味深長な意見を述べていた。


大味だけど面白い中国史
正直言えば、今回のお題本は、各章を読み進めると、段々飽きて来る。
というのも骨格が同じで、詳細(固有名詞)が違う話が繰り返される印象で物語として変化に乏しいからだ。
「大いなる繰り返し」
とでも言うべき型の類似性が、長い中国史に通底する特徴なのかも知れない。

敬愛する、司馬遼太郎は先に述べた「項羽と劉邦」以外に中国物を書いていない(「韃靼疾風録」があるが万里の長城の外の話なので、、、)同書は非常に面白く、これまで何気なく使って来た言葉の由来を知る絶好の娯楽書でもある。(「背水の陣」「四面楚歌」「函谷關(かんこくかん)→箱根八里の歌詞で有名な言葉」)
もっと読みたいと思ったのに、他に無いのを残念に思ったが、それも今回の「大盗賊」本で判った。。。パターンが同じで飽きてしまうのを避けたのだろう。


とんでもない喩えかも知れないが、「中華料理をずっと食べると何となく飽きる」の感覚と似てるかも。。。

最後に、偶然みつけた司馬遼太郎の講演録から含蓄ある言葉を引用して今週はおしまい。

中国の儒教体勢についてもう少し具体的に話しますと、中国人の場合、ほとんど文字がわからない人であっても、日本のいかなる儒者よりも儒教的な感じがします。
彼らは「信」ということを尊びます。裏切りません。
儒教における「信」とは、中国の固有の社会的な必要から生まれたようです。
「政府は恃む(たのむ)にあらず」
ということでしょう。何千年にもわたって恃みにならない政府を持ってきたため、恃むことができるのは同胞や親類、あるいは同郷の友人などでしかない。
これらすべて横の関係だけです。その関係をつないでいくモラルが「信」であり、これらは生存のために欠かせない。これが儒教というものなのです。
(「司馬遼太郎講演録1」より 1972年富山市公会堂 学制百年記念文化講演会)


、、、既に読んでいた本なのに(ガックリ)この端的に言い表した文章に脱帽。結局受取る教養が無いと、だだ漏れしてしまう訳である。



2012年7月22日日曜日

アゴラ読書塾Part3第3回「宗教を生みだす本能」ニコラス・ウェイド著 〜言語/宗教/音楽の生まれた理由?〜

第三章が一番の要
今回の読書塾のテーマは、学術的にまだ完全に証明されていない興味深い学説の紹介である。
「宗教を生み出す本能が、人間の遺伝子レベルに組み込まれている。」
というのがその主旨にあたる。なかなか興味深く、やや複雑な内容だが、少し自分なりに図解を交えて解説を試みてみる。


ブラック・ルーシー
古い教育を受けて来た私は、
「人類の祖先は東アフリカから誕生した。」
という新常識を成人してから知った。学校で習った時は「アジア人の祖先は北京原人」ってな感じで、「クロマニオン人はヨーロッパ人の祖先」と習った覚えがある。
だから体格や髪、眼の色が違うのは、「そもそも祖先が違うからだ。」と安直に結論付けていた。
1974年エチオピアで発見
ところが、遺伝子解析の技術が向上し、人類の祖先は全て共通で東アフリカの平原から地球全土に広がったと証明された。 ブラック・ルーシーである。最近はさらに古い「アルディ(ラミダス猿人)」も発見されもっと研究は進んでいるようだが、いずれにせよ人類は共通の祖先を持っていたという事実に変わりは無いようだ。
今日の学説を解説するにあたり、この前提を頭に入れておこう。


人類の歴史の大半は狩猟採集時代
人類が二足歩行を始め、東アフリカの平原に生きていた時代、狩猟採集を主とした生活を送っていた。遺跡発掘調査から最大で150人、平均すると50人程度のグループになって、2週間毎に移動するという、極めて流動的な生活を送っていた事が明らかになる。
それまでの学説では、人類と直前に枝分かれしたチンパンジーのように「ボスを頂点とした猿山」を形成したのかと思われていたが、後に似たヒエラルキーの社会を構築するものの、人類の歴史では先に「徹底した平等主義の戦闘的集団」が形成された事が明らかになりつつある。
獲物は集団の中で徹底して公平に分け合うのが鉄則だった。
丁度、今年の初めにNHKスペシャルで「ヒューマン〜なぜ人間になれたのか〜」という非常に良いドキュメンタリーが放送されていた。今回の内容を理解するのにうってつけなので機会があれば視聴をお勧めしたい!(NHKオンデマンドで視聴可能です)

さて、人類がこのように移動を繰り返しながら生活をしていた故に、様々な能力が遺伝子レベルに埋め込まれた、、というのが、今回のテーマである。


フリーライダーの排除
少人数が運命を共にする集団にあって、最も困り者なのは「フリー・ライダー」や「手柄を独り占め」する存在だ。
人間の本能レベルでは「利己的」であるが集団を維持する事が出来無い。
個人レベルで考えれば、何の苦労も無く果実(食べ物)を得られるのが、最も合理的と言える。
「利己的に振る舞う個人(フリー・ライダー)」と「利他的に振る舞う個人」が対峙した場合、フリーライダーは常に勝てるが、全員が「フリーライダー」になってしまうとその集団は自滅してしまう。
利他的に振る舞う個人が集まって集団となった場合、最も強く結束出来るので「集団淘汰」が始まるという。この集団淘汰の為のツールとして
  1. 言語
  2. 音楽
  3. 宗教
 が遺伝子レベルで組み込まれたというのだ。


利己的個人と偏狭な利他的集団
親が子どもを識別するのはたやすい。私も3人の子を生んだが、脳の深いレベルで認識し、繋がっていると直感出来る。だが一方で、それだけでは人間同士のつながりを説明するのは難しい。単純な「縁故」だけでは無い、強固なつながりがある事を、我々は経験的に知っている。
友人、同郷の人、他人の子、それらに対し「守ろう」とする感情を人類は獲得したというのだ。
人類が人類である根本の理由は「言語/宗教/音楽」を持っているからなのかも知れない。
 自分の血族で無い他人を、どうやって「自分と同じ仲間だ」と認識するのか。。そこで登場するのが、先に述べた「言語/宗教/音楽」だと、著者のウェイドやE・Oウィルソンは主張する。
この三つを持たない部族は地球上に無く、特に「言語」は生まれながらに習得能力を持っていて、鍵穴に何の言語(両親が話す言葉)が入るかを待っているだけなのだと言う。

確かに、「日本語にはね、主語と述語があってね。」と我が子に教える親はいないだろう。そんな事をしなくても、赤ちゃん言葉で語りかけて行くうちに、三歳までに一端の言葉を話し始める。
一方、宗教(音楽は宗教と密接に関わっているのでこの場合一つと考える)は「教え込まなければ動き出さないシステム」 ではないかと池田信夫氏は解説していた。


戦闘集団から守りの集団へ
丹念な人骨分析の結果、狩猟採集時代の人類は成人男性の13〜15%の死因が「殺戮」によるものであるとする調査報告がある。
常に乏しい食糧を求め、移動を強いられる生活は過酷を極めただろう。食べ物を巡っての戦闘はまさに「ちょくちょく」行われていたとウェイドは指摘している。

やがて、それだけを繰り返していては埒があかないと、人類は「農耕」を発達させる訳だがこの時に、「猿山」のようなヒエラルキーを形成して、「強いボス」の下に階層社会を築きはじめる。いわゆる「国家」の始まりである。

農耕社会で「猿山」と同じ仕組みになるが埋め込まれた性格は「戦闘的」と言えるかも知れない。
ここで、チンパンジーと似た社会構造を持つ事になるが、それまでの来歴を考えるとその性格はかなり違う。表面上は「守り」の姿勢でありながら、その内部には祖先から埋め込まれた「戦闘する集団」という因子を持っているのかも知れない。


世界に感じていた不思議
今回のお題本もなかなか難解で、自分なりに解釈するのに時間がかかった。
順序た立てて整理して思うのは「理解不能」で片付けようとしていた、世界の国々で起きている出来事の違う側面を感じた事である。

「BS世界のドキュメンタリー」という良質な番組がある。
そこで見た、聖戦に命を散らす若者達の姿を思わずにいられない。「ハマスの女達」というタイトルだったが、息子達を次々と「聖戦士」として送り出す母親達は、涙する事を許されない。その固い表情の下には当然悲しみが宿っているのだが、大いなる大義の下では「個の悲しみ」は取るに足らないものであるとされている。
この一連の様子があまりに、日常的に淡々と見えたので
「ああ、、理解出来ない。でもこの人達にはそれが普通なのかな。」
と錯覚しそうになった。
この「錯覚」こそが、著者のウェイド達が言わんとした「体内に埋め込まれたシステム」なのかも知れない。。。どこまで本当で立証可能かは判らないが、、、。

と言った所で今週はおしまい。
来週は、その世界の動きの中にあって特異な発達を遂げた「中国」の話を再びの予定。

2012年7月16日月曜日

アゴラ読書塾Part3 第1,2回「暴力、戦争、国家」 〜中国、日本、西欧諸国を比較して考えてみる〜

2012年1月から「日本人とはなにか」というテーマで始まったアゴラ読書塾は、7月からPart3に突入した。基本的に各回ごとにブログで感想をまとめて来たが、Part3の第一、二回はPart1と内容が重なる部分もあるので、私なりにひとつにまとめて、これまで共有して来た内容を振り返ってみたい。

世界史上中国はずっと先進国だった
読書塾でも、輿那覇先生の「中国化する日本」でも、たびたび言及されて来たが、世界史の中で中国は堂々たる先進文明国だった。 四大文明のうち1900年代まで専制君主国家が続いたのは中国だけである。
輿那覇先生や本郷先生(NHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証担当)ら大学レベルの歴史学では、
中国は「皇帝」と試験(科挙)によって選抜された「官僚」達が独占的に権力を握って統一国家を作って専制するが、それは世襲では無く、必ず一定周期でリセットされ、メンバー総入れ替えになる。運用する人が変わってもこの専制システムが便利なのでずっと継承されて来た。
と認識するのが常識らしい。戦後教育では「中国は近代化に送れた国家」とされがちだが、むしろ「たかが西の辺境国が騒いでいるだけではないか。」と誇り高く、近代化を見下していたふしもある。
清朝が倒れ混乱期の後、共産党の一党独裁の現在の形になってもその本質は変わらない。
「中国は経済の自由は大昔からあったけど、言論の自由は一度も無い!」
とは池田氏の端的な表現である。 上記リンク先の「気分は江戸時代」でも輿那覇先生は
国家のイデオロギーは「儒教」でいく!と早々と決めたけれど、それを下々まで徹底して教育するつもりは無く、いわば「勝手にしてていいよ、但し国家はあなた達を何も守らないけどね。」が伝統的中国スタイルだ。共産党政権になってから、なまじか「近代国家たるもの国民に教育を施さなければ。」とギューギューと共産主義を叩き込んだもんだから、かえって息苦しい国家になってしまった。(意訳)
と説く。この理屈を知って、長年の謎が一つ解けた。

90年に起きた共産圏の崩壊の際、天安門事件をリアルタイムで見ていた人は「中国もこれで民主化だろうな。」と思っただろう。私も絶対にこの流れのまま行くと思っていた。ところが、共産党は苛烈に運動家達を攻め立て、決してそのほころびを許さなかった。その後、鄧小平が「一国二制度 富めるものから先に富む」と説いて歩いたが
「本当かいな、、なにを白々しい。」
と思っていた。ところがである、、、現在の中国の隆盛を見れば、その全てが符合する。

「クアンシー」とも言われる「宗族」は出来るだけ遠くに身内(同じ一族であれは良い)を飛ばして何かあった時はそのツテを頼りに一族もろとも頼ろうという仕組み。
中国でビジネスをした事がある人ならば、少なからず「賄賂」とか「コネ」が無いと物事が進まない経験をしたのではなかろうか。それもこれも、大昔から「国家が仕組みを作ってくれる」などと、はなから期待せず信用もしていない「信じられるのは身内だけ。」という「宗族ネットワーク」がそのベースにあるからだ。
古代から大量の人口をどうやって「食わせるのか」が大きな課題だった中国はいろいろ試行錯誤の末「勝手にやっていいよ。(システム作るのは諦めました)」に落ちついたのだ。輿那覇先生もこう語る。
「自然発生的に出来た国家を、ほおっておけば中国的な仕組みになる。」


暴力を満身創痍でぶつけ合って来た西欧諸国
今回のPart3では
社会の土台には暴力があってそれをいかに統治するかで国家の枠組みが決まったのではないか
という、最近発表されている学説に注目している。(ダグラス・ノース)

先進国であった中国は200年に一度しか内乱を起こさない基本的に平和な国家であったが、西洋諸国は小さな都市国家が乱立し、常に「戦争をしっぱなし」の状態が500年続いた。
なぜ、そうなってしまったのか理由は諸説あるようだが、地政学的に見て人口を養える地域が偏在し、ユーラシア中央部から中国にかけての様な、大河流域に巨大な灌漑設備を作って都市を構築するのが難しかったからという説もある。この厳しい状況は「制度間競争」を生み
  • 相手を負かす為には強い国家でなければならない
  • 強い国家である為には強い経済でなければならない
という論法で、西洋の近代化が発展したというのだ。
第二回のお題本「「文明:西洋が覇権を取れた6つの真因」では、「遅れた辺境国」だった西欧諸国が中国を凌駕した要因を6つ挙げている。
  1. 競争
  2. 科学
  3. 所有権
  4. 医学
  5. 消費
  6. 労動
今回は一章の「競争」のみを取り上げたが、競争はさらに3つの利点を生んだ。
  • 軍事技術の改革(技術革新)
  • 国富の増加(戦費を賄う為に交易で巧みに稼ぐ)
  • 株式会社(金融システムの発展)
 そして最終的に「法治主義」が確立される。
日本人は「法治主事」を感覚的になかなか理解出来ない。お上が決めた決まり(法律)を下々が守ると思いがちだが、そうでは無く「国家権力」が法に従うというのが、正しい「法治主義」の理解だ。( by 池田信夫)

都市は固く鎧われ、常に殺戮が繰り返された。
このファーガスン説によれば、6つの真因が西洋文明の隆盛を支え、16世紀の大航海時代でユーラシア以外の地域を発見し、そこから無尽蔵に「リソース(資源や人)」を得ながら、20世紀にまで渡って、西欧文明が世界を席巻する原動力となったとしている。


どちらにも似ていない日本
最後に我らが日本であるが、梅棹忠夫も指摘するように、この文明の衝突とも言える大きな潮流の中で日本は独自の進化を遂げている。

地理的に中国大陸の近隣でありながら、そうちょくちょくと攻め込まれる距離では無く(ドーバーは人が泳いでも渡れるが、さすがに対馬海峡は泳げない)適当に気候が温暖で、沢山の河川が急峻な流れを作って、列島の随所に流れている。
大文明の中国から必要な物を多く輸入したが、「科挙」と「宦官」だけは輸入せず独自の統治システムを構築している。

水源が至る所にある国なので、食う為の共同体がローカルに発達した

読書塾で散々議論して来た事だが、日本では「場」に属する事が最も重要で、構成メンバーの属性はあまり細かく問わず「ローカル」の存続を守る事に重きを置いた。
これは、日本の地政学と関係がありそうだ。

急峻な河川はそれぞれに小さな集団(村)を成立させ「何とか頑張れば村中で食っていける」環境をもたらした。
原初では、非常に恵まれた環境とも思えるが、このお陰で日本人は「比較優位」という概念がなかなか理解出来ないと、池田氏も輿那覇先生も言う。
「こちらではこれだけを徹底して作り、向こうではあれだけを徹底して作って、お互い交換するのがベストでしょう。」という発想が根本に無い。(「気分は江戸時代」より)
この仕組みは、そっくりそのまま「日本陸軍」や「現代の会社組織」に移植されている。(陸軍の連隊は出身地方単位で組まれていた)
戦後の高度経済成長を支えたのは、安くて大量に溢れていた「団塊の世代」の労働力で、会社という「村」組織の中で一致団結して「細かな擦り合わせ技術」をお家芸に、80年代までの経済を席巻した。あの時代日本経済が強かったのは、このお家芸と産業の発達段階が見事に相性が良かったからだと、池田氏は説く(リンク先中央の図解参照)


以上、中国/西欧諸国/日本のそれぞれの性格を簡単にまとめてみたが、3つの関係をマトリクスにまとめるとこうなる。

読書塾Part1のまとめより

産業の発達段階と、その国家や文明圏が持つスタイルとは密接に関係しているんだという事が改めて理解出来る。
相変わらず、「これから先の日本はどうしたらいいんだろう?」という問いの答えは簡単には見つからないが、大きな歴史の流れを振り返って自分でも少しスッキリした。

次回は、「宗教を生み出す本能」に挑戦の予定。

2012年7月14日土曜日

アゴラ読書塾Part2最終回「昭和天皇独白録」〜激動の昭和を生きた天皇〜

アゴラ読書塾Part2、最終回を締めくくったのは、やはりこの人「昭和天皇」である。いつもは似顔絵を描く所だが、今回はさすがに荷が重いので書籍の写真で、、。
昭和天皇は、まだまだ記憶に新しい人物で歴史研究もこれからと言える。近年多くの研究書が発刊されているが、私が読んだ関連書籍は、、



  • 昭和天皇論(小林よしのり)
  •  昭和史(半藤一利)
  • 日本のいちばん長い日(半藤一利)
  • 昭和史裁判(半藤一利/加糖陽子)
  • 昭和天皇独白録(今回のお題本)
である。小林よしのり氏の書籍は、若干内容が偏り気味なので、少し冷静に読んだ方がいいが、漫画で大枠を見せる点は評価出来る(特に終戦直後の一大行幸録はあまり言及した一般書が無いので読むに値する。)「昭和史」「日本のいちばん〜」「昭和史裁判」あたりは、資料の裏付けに基づく基本常識なので一通り押さえておくと、今回の「昭和天皇独白録」の内容が理解し易い。


率直に語った大元帥
「昭和天皇独白録」は色々な所で引用され、存在は知っていたが今回初めて通しで読んだ。この一級の資料が発見された経緯も非常に興味深いので、それは最後に紹介したい。

読書塾では、この独白録から昭和天皇が置かれていた立場を考慮し、当時抱えていた致命的欠陥を言及した。
そもそも、大日本帝国憲法(明治憲法)では「内閣」というものが存在せず、各大臣はそれぞれに天皇を輔弼(天皇が権力を行使するのに助言を行う)する役割しか無い。
内閣総理大臣も各大臣と同列なだけで、現在のように閣僚を罷免する権限も持っていなかった。池田信夫氏は
「結局、薩長が使い易いよう、明治後半は長州が使い易いように作られた憲法だった。」
と言う。元老と称される明治の元勲達が、総理大臣を推薦(事実上決める)する形で歴代の内閣が形成されて来た。これまで読書塾で見た通りである。(参照:山縣有朋
属人的に元勲達が押さえている間は明治憲法は機能したが、全ての元勲が底払いしてしまった昭和初期から、システムが誤作動を始めたと言える。

さらに軍事を司る「統帥権」が文民である大臣達の統制下に無く、直接天皇が持っていた事も災いした。天皇は軍の最高位にあたる「大元帥」だったが、実際に思うまま大権を発動出来る訳でなく「君臨すれども統治せず」の立憲君主制のポリシーを教え込まれていた。基本的に帷幄上奏(いあくじょうそう→こんな作戦を実行したいですとお伺いをたてる)されれば、それを裁可するしか無く(「もう少し考えてくるように。」とご下問という形で差し戻す事はあっても)唯一の例外が終戦の聖断である。

半藤一利氏は「昭和史裁判」の中で
昭和天皇は、よく戦術的な事に踏み込んだ発言をしている。だが、もっと大局に立った戦略眼は今ひとつ無かった。
と発言している。基本的には「平和主義者」で、日米開戦時に明治帝が日露戦争開戦を憂いた句をそのまま引用している所から、不本意に始まった戦争を何とかしたいと常に思っていた様子は、独白録からよく伝わる。
どちらかと言えば海軍贔屓で、板垣征四郎タイプ(陸軍で言葉の少ない一見いい加減そうな大将)などは信用できず、有能な事務方肌の東条英機を当初は買っていた。公家出身の近衛文麿の優柔不断さをやや嫌悪していて、だから東久邇宮(ひがしくにのみや)を首相にとの声に「宮家が政治に関与するのは良く無い。」と難色を示したのかな、、、(結果、東条英機になった)などと気持ちの内側が伺い知れる。
この記録を残した、寺崎はその家族に
「お濠の向こうの囚われのお方」
と称したらしい。直接、昭和天皇から話を聞く事で、その人間性に触れたのだろう。


戦争が鍛えたもの
「昭和天皇は、伝統的に武張った事に関わって来なかった天皇家において、戦争にコミットした稀な存在である。後醍醐天皇以来ではないか。」
池田氏はこう語る。明治帝は違うのかな?と思うけど、日清/日露の時は士族階級の元勲達がまだ実務運用をしていたから、昭和天皇ほどやきもきと細かい作戦の経緯を追う事は無かったろう。
明治期では、まだ戦争そのものの規模は小さく、国家間の関係もそれほど複雑では無かった。第一次大戦でヨーロッパは嫌という程「これからは物量戦になる」事を身を切る事で学んだが、日本は一世代遅れの意識のまま第二次大戦に臨んでしまったという解釈もある。

いずれにせよ梅棹忠夫が提唱したように、大陸では常に血みどろの国家戦争が繰り広げられ、それを繰り返す中で
目的意識を持って合理的に判断する仕組み
が鍛えられた。その為に階級秩序が作られ、戦争に勝つ為に必要なことが発明される。(この部分の話は、次節Part3のテーマとして継承される予定。)

到底勝てない相手に対し、最悪の判断である「開戦」を決めたものは一体なになのか。それは、日本古来から採用されて来た「合議制コンセンサス」で、これは本来自然な共同体が持っているものであると提唱されている。
家族や友人間では、互いに話し合って納得するプロセスが大切だが、それを言っていられない苛烈な環境に置かれた民族ほど、合理性を獲得していったと言えるのかも知れない。


知性が導いた歴史的資料
最後にこの「昭和天皇独白録」発見の経緯がとても劇的なので、ここに少し紹介したい。

「独白録」は90年に発見され「文藝春秋」紙上で全文が発表された。(当時の私はバブルに浮かれた小娘だったので、当然こんな発見があった事は記憶に無い。)
寺崎英成(てらさきひでなり)という人物の生涯と、この資料は深い関係がある。

寺崎は戦後「宮内省御用掛け」として昭和天皇の通訳を務めた。昭和21年3月から4月にかけて都合5回に渡り昭和天皇に直接ヒアリングし、張作霖爆殺事件から終戦に至る経緯を、率直に語った言葉を書き留めたものだ。(原本を筆写したものとも言われている)
戦前外務省一等書記官として日米開戦の直前までワシントンに駐在し、アメリカ人女性と結婚して娘を一人もうけている。開戦と同時に交換船で家族は日本に送還され、戦時中は「敵国人」の妻(グエン)と辛い思いをしながらひっそりと過ごしていた。知米派だった寺崎には出番が無かったのである。

終戦後、にわかに GHQと折衝をする必要に駆られ、語学堪能で外交情勢に詳しい彼は必要とされた。娘である「マリコ・寺崎」は、父は既に病を得て体調を崩しがちだったが、本当に生き生きと役目を果たしていたと証言している。
戦後の混乱が治まらない1949年(昭和24年)マリコにきちんとした教育を付けなければと、寺崎は妻子を妻の故郷テネシーへ帰国させる。それがこの夫婦の最後の別れとなり、寺崎は2年後に50歳の若さで亡くなってしまう。

この時の遺品に「独白録」が含まれていたのだが、母娘は経済的理由から来日しての墓参がままならなかったり、受け取っても二人共も日本語が全く読めなかったなどして、40年近くアメリカの民家の物置に眠ったままだった。
発見のきっかけは、マリコの息子(寺崎の孫)コールが祖父の生涯に関心を示し、祖母が持っている遺品の英訳を手掛けた事にある。
当初は寺崎の個人的な日記であろうと思っていたが、カリフォルニア大の日本研究の教授に支援を頼み、そこから東大へ問い合わせが行って初めて「昭和天皇の回想録が混じっている」とわかった。
 恐らく、歴史関係者は色めき立ったであろう。昭和が終わって平成が始まった直後に、まるで図ったかのような発見は、歴史の不思議さを感じると共に、良識ある知性はきちんと伝承するのだと感じ入った

娘であるマリコ・寺崎氏は、父英成の事をこう評している。
父は生粋の”明治の人”であり、生粋の日本人だった。だからこそ、あのような国際人になれたのだと私は思う。日本人としての教養と信条がしっかりと備わっていたからこそ、海外に出たときに、世界の中における日本及び日本人の立場と役割を国際的な視点から定義できたのである。

「混血児」といじめられて泣くマリコに、

「おまえは、ラッキーな子だ普通の人は一つのヘリテージしか持っていないが、お前は二つのヘリテージを持っている、二つの祖国の「ブリッジ」になれる子なんだ。」

と言えるのは、並大抵の知性では無い。その知性が持つ力はマリコを通じてしっかりと、孫のコールに受け継がれているのだと思う。
独白録の内容も良かったが、この寺崎のエピソードが非常に心に残って非常に良かった。
ともすれば暗くなりがちな日本の将来を
「そんなに捨てたもんじゃないかもな。」
と思える読後感だった。


今回の読書塾は13人の重要な人物の生涯を辿る事で、近代日本の歩みを細部に渡って理解する良い機会だった。
毎回、スカイプでの授業形式は運営事務局側にそれなりにご負担を掛けたと思う。しかし、1回1回の内容はとても濃厚で、事実のアウトラインをなぞるだけでは知り得ない、リアルな歴史の息づかいや空気感まで捉えられたように思う。これまでの生涯に、こんな短期間で沢山のページを読んだのは初めてで、少しは読解力がついたかなと思う。改めて、この機会を与えて下さったアゴラ研究所と、テクニカル面でのボランティアを買って出て下さった受講生さんに感謝の意を表したい。

2012年7月5日木曜日

「僕は君たちに武器を配りたい」他 瀧本哲史著 〜「武器」三部作〜

最初の一冊は講談社から、残り二冊は星海社より発行。
 「この本にあと8年早く出会いたかった。。」
三日間で一気に三冊読み終わって、つくづく思う。いつもよりも荒削りな読書感想になってしまうが、多くの人(特に子どもを持ちながら働いている女性)に読んでもらいたい「熱い著書」である。

最初にこの瀧本哲史氏の「僕は君たちに武器を配りたい」を知ったのは「HONZ(成毛眞氏代表)」 の「おすすめ本」紹介だった。内容が気になったので無く
「変わった装丁で、その点も刺激的だ。」
というコメントが印象に残ったからだ。(仕事柄レイアウトには鋭く反応!)

その後、偶然書店で見かけて本当に変わったレイアウトに、つい買ってしまった。でも、それっきり積ん読状態で10ヶ月以上放置。
そこへ偶然、著者である瀧本氏の映像を観る機会があった。(NHK「日本のジレンマ」)真っ赤なネクタイで、ひときわ鋭いコメントをするのが印象的で、あの人がこの本の著者かと、その後気が付いた時には、その偶然に少し嬉しくなった。

瀧本氏はまだ30代の若さで、私が密かに「優秀」と恐れている世代の代表格と言える。京大の客員准教授ではあるが、司法を学び、マッキンゼーでコンサルの最前線を経験した、歴戦のツワモノである。エンジェル投資家(操業まもない企業の雛を育てる投資家)として活躍されている。
同氏は明確に読者を「20代」と規定し、公演も学生向けが多く、これから社会へ巣立つ若者達が、知っておくべき必要な道具(武器)をどんどん、彼、彼女らに納入している。しかし、冒頭でも述べた通り、必ずしも有利な立場に立てるとは言えない女性(未婚/既婚/子持ち)にも、これは有益な「武器」だとつくづく思う。
え〜!こんなに大きい文字、と思うけどフォントスタイルを軽くして重たさを軽減している所に精緻な計算力を感じます。

ありえない程マージンギリギリのノンブルと柱。製本屋の腕が良く無いと難しい。

武器三部作
詳細は是非本書を読む事をおススメしたいが、この三冊は
  1. これから社会に出るに当たって心得ておく事、総覧(僕は君たちに武器を配りたい
  2. ものごとを判断して決める際のプロセスの話(武器としての決断思考
  3. 生きるとはすなわち「交渉」の連続であるという話(武器としての交渉思考
とそれぞれ明確に性格づけがなされている。内容に殆ど「ダブり」が無い所が、さすがマッキンゼー仕込みと思うが、徹頭徹尾クールな分析ばかりでなく「具体的な事例」や「熱い思い」が織り込まれている所に、瀧本氏の人間性を感じる。きっとこれからも的確なテーマ設定で続編が出るだろう。


あの時この「交渉思考」を知っていたら
この三冊には、豊富な「武器」がとりどり用意されているが、最も印象深かったのは最新刊の「武器としての交渉思考」である。

もはや時効なので、書ける範囲で書いてしまうが、20年近く働いて、今でも一番辛かった思い出がある。8年前、まだ二番目の子どもが一歳だった時、育児休業から復帰して最初の面談で当時の上司に
あなたには製品に関わるライン業務は任せない。
と告げられた。理由は
  • こどもの為にいつ何時休まれるかわからないから。
  • 遅くまで残業が出来無いから。
  • 定時後に出なければならない会議が多く、それに出られない人は担当になれない。
である。当時の私はこの勧告に、何一つ抗弁出来なかった。
「だって、こどもが病気したらやっぱり休むでしょ?」
そう詰め寄られると、怖じけてしまう気持ちがまさって、ただ黙るしか無い。
確かに子どもの体調不良は予測が効かない。これが最初の子の時だったら、怖いもの知らずで
「そんな事ありません、出来ます。」
と言い切れただろうが、既に上の子でどれだけ子どもが体調を崩し易いか知っていたので
「ぐぐううう。」
と弱腰になってしまった。後で夫からは
「そんな事無い、出来ますって押すんだよ。」
と発破を掛けられたが、一対一の面談でこちらが弱い立場に追い込まれると、そんな判断さえ出来無い。それに、どれだけ夫が頼りになるのか、その点やや懐疑的だった。

夫婦は似た年齢の場合が多く、夫だって「ここ一番」というスプリング・ボードの時期がある。ちょっとキツイ、ジョブ・ミッションをこなして「一人前」と認められる時期に、果たして「妻の栄達」の為にどれだけ譲れるものなのか。
口ではリベラルに「女性の社会進出を理解している」と言うだけの輩は多い。それは、働きながら嫌という程見て来た。そして、その事に不満を抱いているだけでは「何も解決しない。」という事も同時に経験したのである。

この話の顛末は、申し入れを飲み、やってもやらなくてもあまり影響の無い業務を任され、その後はこれまで見た事も無い最低の評価ランクを頂戴するハメになった。このままでは「飼い殺し」の憂き目に遭うと、捨て身の戦法で辛くも異動する事が出来たが、この時の評価は経歴の中にしっかり残ってしまった。

自分でも、意図的に忘れようとした事だが、この「交渉思考」を読んだ時、急に記憶が甦った。もしあの時、これを知っていれば、もう少しマシなやり取りが出来たかもしれない。例えばこんな感じに。。。

「確かに、私は小さい子どもが居ます。その状況はもはや変えられません。ところで、私には業務を任せられないとの事ですが、その要件を満たすのは『いつ何時でも無理難題に対応出来ないから』でしょうか?その難題を『手前で予測し予防する能力』は必要無いのでしょうか?子どもが居ようが居まいが、誰にだって不測の事態で体調を崩す可能性はあります。そうなった時、いつでもバックアップに入ってもらえるよう、業務をガラス張りにしておく日頃からの心がけはこれから必要無いのでしょうか?予め、そうなる事が予想されやすい私の方が、よっぽどお役に立てると思うのですが。」

まあ、例えこう答えたとしても、評価も変わらず、そんな上司の元では仕事が出来無いと、異動願いを出して結果は変わらなかったかも知れない。

それでも、きちんと自分の切れるカードと、相手が最も価値を置いているポイントはどこなのか、しっかり読んで交渉に当たっていれば、その後の過ごし方が違ったと思う。
無為無力感に苛まれ、時間を空費してしまった事こそ、最大の損失である。過ぎた時間は戻らない「サンクコスト」として考えなければならないが、後から同じ道を通るかも知れない人に、この経験値を伝授する事だけは出来る。
だから、瀧本氏は若い人達に、繰り返し語り続けているのだろう。
「儲けたいなら『老いとは何か』って本を書いています。」 
とは、けだし名言である。

もし、このブログを若い世代の女性が読んだなら、是非、この経験値を参考にして頂きたい。そして、渦中にあったり、もう「諦めよう」と思っている人には
「今からでも、出来る事をやってみようよ。」
と語りかけたいのである。「武器としての交渉思考」の最後にこう書いてある
Do your homework(自分の取り組むべき宿題を見つけて取りかかろう)

2012年7月1日日曜日

アゴラ読書塾Part2第11回「完本カリスマ」佐野眞一著 〜中内功とダイエーの「戦後」〜

ダイエーと言えばやはりあの夕日マーク。
今はロゴも変わってかつての面影は無い。
「価格は誰が決めるのか。この問いは深淵で興味深い。」
池田信夫氏は、読書塾の冒頭こう述べていた。先週の「田中角栄」が陽ならば、今週の「ダイエー中内功」は陰の要素を多く含んでいる。
05年の中内の死を補筆した上下巻の「完本」凄い厚さ。


















著者の佐野眞一氏は、多くの伝記を手掛け最近では「あんぽん」(孫正義伝)あたりが記憶に新しい。しかしながら、私はこの「カリスマ」で初めて佐野氏の著書を読んだが、ちょっと食傷気味な感じは否めない。
「日経ビジネス」に連載されたものをまとめているから、途中から読んだ人でも分かるよう「これまでの振り返り」が多く、もったいつけた「乞うご期待」フレーズも鼻につく。(会議で「これまでの確認、、」って長々と始められるとイラッと来るタイプなので。。^^;)
ちゃんと編集をすれば、半分の分量でもっと読み易くなるのに少し残念。
とは言え、その「クドさ」に目をつむって読み進めるだけの価値はある。



人間不信のカリスマ
本書でお題目のように繰り返されるフレーズが
  • 中内は太平洋戦争で絶望的なフィリピン線に投入され、兵站が全くない状態で「棄民」された。
  • ガリガリにやせ細る飢餓の中、眠ればいつ隣の同僚に殺され、己が身をむさぼり食われるか分からない極限を見てしまう。
  • その中で、最後は同僚を信頼して眠りについた。
である。そして「中内は簡単には捉えがたい人物だ。」というのが佐野氏の中内評で、以下の一節がそれを端的に言い表している。
人間不信の中に人間信頼があり、人間信頼のなかに人間不信がある。中内の底知れぬ虚無感とそれをつきぬけた楽天性は、間違いなくこの気の狂うような極限の体験がうみだしたものだった。(上巻 p352)
戦前は目立たぬ文学青年で、それほど成績が良いわけでも無く、三人の弟達の方がよっぽど出来が良かった。(長男だった中内は兄弟で唯一、学業の途中で兵隊に取られた不運な面がある。)弟達と共に起業するも、後に骨肉の争いを経て袂を分かってしまうのだが、戦後の闇市で中内の父親が息子達を「サカエ薬局」を大きくする「頭」として差配する。
年長の自分が「役職」に就けず、年下の次弟が「社長」等と呼ばれるのが、中内は非常に気に入らない。この「中内の我の強さとコンプレックス」は後のダイエーの「スプリング・ボード」になるのだが、前半の「戦後のホコリっぽさ」まで伝わる記述は、無茶苦茶に壊された本土の上を「生きなければ仕方無い。」とがむしゃらに突っ走る青年達の姿を、クリアに描いていて面白い。


神戸が育んだ「消費者主義」
ダイエーは神戸が発祥の地である。関東育ちの私には今ひとつ馴染みの薄いスーパーだが、その同じ神戸から「生活協同組合(生協)」も生まれたとは知らなかった。 中内は
「神戸から生まれたのは、ダイエーと山口組。」
と公言して憚らなかったそうだが、川崎造船所のお膝元である事を考えると、いろいろ符合する。
造船の現場は今で言う3Kの職場で、屈強な「流れ者」「荒くれ者」が集まり易い。そこから「組合活動」が生まれ、社会の底辺で苦しむ人々の為にと「生協」が生まれ、山口組三代目組長は旋盤工見習いとして川崎造船に入社している。こんな環境から
  • 売り子に付きまとわれず、好きな商品を好きなだけ選んで買えるスーパー
  • グループを作って中間業者を入れず、安くて良いものを消費者が手に入れる生協
という、方法論は違えど「消費者」が権利を主張する時代の象徴が生まれたのは興味深い。ちなみに、中内が「スーパー生みの親」だったかのように言われているが、日本で最初にスーパーを導入したのは、北九州の丸和フードセンター(創業者:吉田日出男)だそうだ。このように、今は歴史に埋もれて忘れられた事実を、微に入る取材であぶり出す点は佐野氏の得意とするところらしい。


国家を人質にしたダイエー
とにかく浩瀚な上下巻だが、ダイエーの勃興から最盛期、そして落日まで描かれている。よく引き合いに出されるのが「イトーヨーカ堂」創始者である伊藤雅俊で、今この二つの会社を比べると、悲しい程の開きが出来てしまっている。佐野氏は
男性的で暴力的な攻勢を仕掛けるダイエーは「雷オヤジ」で、女性的で低姿勢にぬらりと街に入り込んで来るヨーカドーは「鬼姑」だ。一見、雷オヤジの方が恐ろしく見えるが、本当に怖いのは鬼姑で、気が付くと真綿で首を締められている。
 と表現する。中内は
  • 典型的ワンマン経営
  • 店舗の土地建物を自前で所有する事にこだわり、ダイエー進出によって周辺地価の値上がりを期待した。
  • ヘトヘトになるまで側近を使い、自分より頭角を表すと見るや左遷人事で飛ばし、息子や婿を会社の中枢に据えた。
という経営手法なのだが、伊藤雅俊は全て逆だった。
下手すれば寝首をかきかねない鈴木敏文(現イトーヨーカ堂CEO)を側近に引き立て、結局、経営を託している。今日の「セブン&アイホールディングス」の躍進を見れば、80年代前半の分岐点(ダイエー/ヨーカドー共に減益に転じている)に取った方針の違いが両者の明暗を分けたと言える。

ダイエーが80年代に減益に転じた時「V革」と呼ばれる奇跡の逸話がある。中内が取締役会で
「俺をもう一度男にしてくれ。」
と土下座して泣いて頼み、改革の特命を受けた経営チームが組まれる。
奇跡的に業績が回復した後に、中内が取った行動は酷かった。長男を30代の若さで取締役に入れ、あからさまに経営世襲の態度を示したのだ。特命チームは体よく「出向」で外に追いやられ、折角ダイエーが生まれ変われるチャンスを中内は自ら潰してしまう。
この愚行を、佐野氏は単純に「無能な経営者」と言わず「中内が抱えた宿痾」と解釈する。餓鬼道のように食べれば食べるほど空腹感が増し、結局、信じられるのは身内だけとギリギリの所で猜疑心にさいなまれる。悲しいまでのその姿の最後を
「中内は国家を人質にした。」
と表現した。やや大袈裟な感じがしなくも無いが、もはや、破綻させようにも抱えた負債が大き過ぎて(借入が1兆6000億円)潰すに潰せず、最終的に「産業再生機構(公的資金)」の支援を受ける事になるからなのだが、
「国家によって無謀な戦線へ駆り立てられ、餓えと怒りを抱えて帰って来た中内の、国家に対する復讐。」
と彼は捉えている。この正視するのが辛くさえ感じる「怒り」を、きっと「中内ダイエー」を熱狂的に指示した消費者も同じように抱えていたのだろう。その点、田中角栄と似た構造を感ぜずいはいられない。


消費者の楽園「スーパー」の終わり
今回の話は、小売りという非常に身近な題材だった為、自分の日常と照らし合わせて考える事が多かった。特に「主婦の店ダイエー」と銘打って現れたダイエーに、今の自分はほとんどピンと来ない。

働く主婦である私は、残念ながら全くスーパーを利用しない。自分の生活実態にマッチしないからだ。
長女を産んだ13年前から、もっぱら「生協の宅配」で今日まで過ごしている。毎週このブログを書く前に、Webサイトから再来週に必要な生活品目を注文し、週1回大量に食材を配達してもらっている。食べ盛りの子ども3人抱えると、週1回直接買い物をしに行っても十分足りる分量を買って来られなくなってしまった。(スーパーのカゴ2つを一杯にしても4日間くらいで全て無くなってしまう。。;;)

昔からスーパーを利用している実母なぞは
「二週間先に届く品物を予め注文なんて出来ない。」
と少しトライして止めてしまった、お隣の専業主婦さんも同じである。「実物を見ないで計画的に買う」という行為が生活習慣に入っていかないからだろう。

そうなのだ、スーパーは「毎日買い物に行く時間のある人」の為の場であり、日本においては永らく経済力の弱い女性(主婦)が唯一、裁量権を持って取捨選択の判断が出来る楽しい場であった。(裁量権ほど人を酔わせる感覚は無いと思う。それが本当は擬似的で狭い範囲で、責任を伴わないものだったとしても、、、。)
スーパーはその心理をよく見抜いて、巧妙にしかけている。伊丹十三監督の「スーパーの女」は今見ても楽しい映画だが、もはや時代は流れ、もっと違う業態へと変化してゆくだろう。殆ど行かない私が、たまに訪れて思うのは、かつてのスーパーと比べて格段に増えたと感じる
「所在無さげに一人で買い物をする中高年男性達」
の存在だ。スーパーは他人の生活の一端が垣間見えてしまう。レジ待ちのかごを見ると
「ああ、これから一人で晩酌かな。」とか「お家に具合の悪い老いた家族が待っているのかな。」とか、日本の高齢社会をヒシヒシと感じる。

且つて、スーパーがお客だと思っていた主婦(女性達)はどんどん社会に出始め、宅配や外食、中食産業へと流れている。若者の御用達と思われていたコンビニですら顧客調査をすると中高年女性の割合が増えていているそうだ。日々変化するPOSデータから迅速に品揃えを強化したら(出来合いの物だけでなく新鮮な野菜を少量置くように工夫)売り上げがグンと上がった事例もあるそうだ。

これは私の予想だが、買い物はさらに「心躍る希少な価値観」を提供するエンターテイメント性を必要として来ると思う。
「生活に必要だから仕方無く」買わねばならない物はどんどん「ネット」と「巨大倉庫」と「網の目に張り巡らされた宅配網」によって置き換わるだろう。本屋でお目当ての本が無ければやっぱりAmazonで買ってしまうし、自分に合うサイズを求めて靴屋を何件も回るのはくたびれるし時間がもったいない。
「そんなに急がないから、次の生協宅配の時にこの荷物も一緒に配送しておいて下さい。」
ってな提携がそのうち出て来るだろう。何度も宅配のお兄さん達を煩わす事に、この所引け目を感じるからだ。


日本の持つポテンシャル
そう思うと、暗い暗いと言われている日本経済の未来も、規模と切り口を変えれば、まだまだ伸びそうな分野があると思う。

中内達世代が起こした革命は「陳列して価格で競争(そのうち品質も上げる)」という「政府の統制する経済」に真っ向対決する形態だったが「物を見なくても信用で買える」レベルまで日本の市場経済は成長した。ここまで生活全般のクオリティが高い国もなかなか無いだろう。「こんな国、私も住んでみたい。」と思う外国の人達が居るんじゃなかろうか。
グローバル化は何も、国外に出るだけがグローバルでは無く、境界線が曖昧になって沁み込む形でやってくるのだろう。

 全体的には「重い」読後感の本だったが、「深い闇」を描くことでかえって明るく光りの差す方向が見えた感じもする。田中角栄や中内功達が戦後に「正負両方の遺産」を残したとするならば、その遺産の内訳を正確に認識するのに、今回の読書塾はとても役立っていると思う。