2012年3月30日金曜日

アゴラ特別セミナー 輿那覇潤x池田信夫「江戸化する日本? 変わる世界・変われない日本人」〜歴史の基礎知識はやっぱりビジネスに必須であると思う〜

どちらもサイン入り!大切にするのだ。

「歴史は過去と現在の対話である。」E.H.カー

最近つくづく良いと思っている名言である。(NHK-BS歴史館のオープニングに流れてる言葉なんですけどね。)

先日、アゴラ特別セミナーを受講して来た。 先週まで続いた「アゴラ読書塾」の特別補講で、大変盛況で会場は一杯だった。それだけ「中国化」という言葉にみなさん敏感になっている証拠だ。

ビジネス界の焦り
輿那覇先生/池田先生、共に口を揃えて
「40年前から『日本人論』は変わっていない。言い換えると、それ以来、新しく書かれていないし、課題提起や問題点の指摘のみでそこから先の指針が無い。」
と指摘する。(読書塾を終えた身としては深くうなずくばかり。)
両氏共、様々な公演/取材でお忙しいく、その先々で
「無視出来ないまで、巨大で力をつけたアジア。もはや、『安い人件費の発注先』では無く『お客様』であり『新進気鋭の発想力を持った強烈なライバル』---なのに、彼の国々のことを何も知らない自分達。それに焦りと恐怖を感じている。」
という状況らしい。これは全くその通りで、私の務める会社でもご多分に漏れない。

私が「学んで」いた70年代半ば〜80年代と言えば、バリバリの冷戦時代。社会科の地図帳はソ連や中国はいつも白地図で何もデータが無く、
「共産圏は情報を出さないのです。」
と教えられた。
下手な教師に当たってしまうと、随分偏った事を教えられた人も居ると思う。(幸い、私はバランス感覚に優れた社会科の先生達が多かった。)
こんな状況だから、日本人の視線はいつも遠く欧米を見つめ、敗戦という状況がさらに加速させて
「あんな生活をしたい、欧米に追いつきたい。」
と遮二無二なって働いて来たのが20世紀末だったのだ。(あの時、日本経済が隆盛を極められた理由は先日のエントリーの通り)

そして、目の前に横たわるアジアの国々を「まるで存在していない」かの如く、無視してしまった(私を含め)。

私の親世代は、「アジアのお仲間」的、貧乏で、汚くて、だらしが無くて、、という時代の日本を知っているから、アジアと聴くと「遅れてる」と咄嗟に拒否反応を示してしまう。恐らく、現在日本企業の経営層の多く(特に旧世代)は、まだ頭の奥で、このマインドセットを持っていると思う。(人間の脳の深い部分--感情--への刷り込みは、そう簡単に拭えないとつくづく思う。)

感度の良い、深遠に考える知識人達は、早くから「日本」という国の特異性を指摘して来たが、その声はいつでも「アウトロー」だった。(池田先生、教えて下さってありがとうございます。)そして、ここに来て「しまった!」と焦っているわけだが、
「遅れてるってバカにしてる中国の方が、ずっと『個人主義』的振る舞いには慣れているんでっせ。」
と、鮮やかに説いてみせたのが、輿那覇先生、、という図式だ。(輿那覇先生、しばらくは「教えて、教えて」とコール鳴りっぱなしでしょうが、知らない人が殆どなので、一つ可能な限りよろしくお願い致します。)

最古層レイヤーをどう慰撫して来たか
対談の内容は多岐に渡ったが、いま一度おさらいしておきたいのが、各民族がどうやって「DNAに埋め込まれた平等感」を慰撫して来たのか、その方法論だ。

読書会でも「古層(丸山真男が指摘)」 の下に「最古層」があるのではという説を取って来ていた。これは近年、最新の自然考古学研究から明らかになった、人類の歴史(※1)に因っている。
※1)人類の祖先は全て共通のDNAを持ち、その起源は東アフリカから始まっている。遠く食べ物を求めながら、大きくても最大50人程度(それが集団で移動する限界)のグループで行動を共にした「狩猟採取時代」が全人類史の99%の時間を締めている。(詳細は NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか」参照)

この「最古層」は
  • 集団は守らなければならない。(でないと自分達が死んでしまう)
  • 狩猟採取能力は個人差があり優秀な人間は必ず存在するが、優秀な者が多く稼いでも集団へ平等に分配しなければならない。(結果平等)
  • 平等を乱す者は許さない。 (制裁措置として見せしめに殺す)
という特徴を持っている。 これは地球各地の未開地の部族に共通した特徴で、先に引用したNスペ「ヒューマン」でも、印象的な取材が放映された。

アマゾン奥地の未開部族に芽生えた「俺の才能をもっと換金して、良い暮らしをしたい。」と思い始めた村の男の話を例に取ると分かり易い。

彼は、珍しくて貴重な木の実をジャングルから採って来る才能に長け、いつも同じ村の人々に均等に平等に分けて来た。
ところが、道路が通り、生活物資が細々と村に入るようになり、町から引越してきた「商売人」が近所に住み始めて、「木の実を売って現金化」する事を思いつく。
村人に分ける前に、いくらか取置いてそれを売りに行くのだが、簡単に実行したのでは無く、思い悩み「後ろめたい感じ」で彼は逡巡していた。
この逡巡に注目したい。
「平等を乱さない」というマインドセットが強く埋め込まれていることを、物語っているからだ。

転じて、彼の例のように、いつまでも「最古層」の規範に捕われていては、グループが発展出来ない。(というか肥大化した人数を養えなくなるだろう。)
ここで「より食えるように稼ぐ」施策として
  1. 才能やチャンスを生かしてどんどん独占して下さい。但しそのポジションへ付くのは自由競争で全員に機会があります。(機会平等主義)結果は保障しません。「各自頑張って生き抜くように。以上。」→中国や西欧諸国
  2. 独占は許しません!でもある部分だけ独占していいです。みんなが少しづつ我慢して、こっそり部分的に優越感です。「みんな一緒に生きましょう。」(結果ならすと平等主義)→日本(江戸時代に一つの完成型)
 この特徴を理解しているか否かは、結構重要である。

お隣中国はどうなってゆくのか
輿那覇先生のコメントは凄く面白かった。アウトラインをかいつまんでご紹介すると。。。
  • 共産党に対しては「言い方」を注意すれば、マイルドな「単一政党の下での自由化」が実現するのではないか。
  • 「人権」「言論の自由」「複数政党制」とお決まりの三点セットをゴリ押ししたら絶対ダメ!(人権/言論のみであれば、徐々に実現して行くのではないか)
  • 何だったら「国家主席にノーベル平和賞!」というのも大いにあり。
  • なぜなら、「おだてる→真の徳治政治」が彼の国には一番合っているから。
なかなか!である。
中華帝国が周辺国と行っていた「朝貢貿易」は「一の貢ぎ物」を持って来た周辺国に対して、「十の恩賜」で答える、「持ち出しばっかり」の貿易だが、そうして「徳治」を振る舞う方が、コスト的に安いと考えたからだと言う。
歴史の授業では「冊封(君臣関係を結ぶ)」と混同されがちで、たぶんキチンと教えてもらえない方が殆どでなかろうか(私もつい最近まで誤解!)。彼の国の「面子(メンツ)」を考えなくてはならないという事だ。

歴史を知るとは過去から今を読み解く力
冒頭のカー氏の名言に戻るが、ある程度、歴史の基礎知識が蓄積されて来ると,受け取った情報をより深く面白く感受出来ると実感する。

記憶に新しい「ギリシャ危機」。
次は「イタリアか!」と世界が固唾を飲んでいる訳だが、先日来日したモンティ首相は、まだまだ予断は許さないものの、堅実な国家運営をしているように思える。(塩野七生さんが「独裁官」と喩えているのを池田先生が紹介)このニュースを聴いた時に、あ!と思い出した事がある。
ローマ帝国と言えば、よく登場される青柳正規教授(考古学史/美術史)が、先日のBS歴史館でこんなコメントをされていた。
ローマ帝国は、それ以前のギリシャ文明から沢山の事を学んだ、ローマはソクラテスもアイスキュロスも生みださなかったが(神話まで借りて来てますからね)、ギリシャが滅んだ原因--「小さな都市国家の集合体がそれぞれ覇権争いをして自滅」を良く理解して、絶妙な国家運営を果たした。
何だか、現代でも符合すると思いませんか?

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