2011年12月1日木曜日

新書の中の大河ドラマ「武士の家計簿」磯田道史著

この二人ゴールデンコンビかも
理系萌えの私が、なぜこの本を早く読まなかったんだろう。映画化されて「あ!面白そう主演、堺雅人だ!」と思ったし、何度か書店で見かけて気になったのに、いつの間にか忘れてしまう。多くの本はこんな感じの厳しい競争に晒されているんだなぁ。

さて、これはタイトルに書いた通り「新書の中の大河ドラマ」である。あまりに面白いので、本当に読んで欲しいから、あらましでは無く、著者や「はしがき」「あとがき」に焦点をあてて、読書感想なぞ。

平成の司馬遼太郎
ーーーAmazonの著者紹介より。司馬ファンとしては「ああ、才能が出たか!」って感じで小躍りするほど嬉しい。なぜ、急にこの本が読みたくなったかと言えば「さかのぼり日本史」で江戸期の回のゲストを務めたのが、著者「磯田道史(筑波大准教授)」だったからだ。でも、最初はこの少し甲高い声の若き先生が、あの「武士の家計簿」の作者と気付かなかった。

「江戸時代なんて、眠った250年面白く無いよ。」
と思い込んでいた私は、躍動感溢れる戦国や幕末/明治に比べたら、江戸期を担当する人は少し可哀想だな、などと思っていた。(凄く失礼である(~_~;)。。。
だから「さかのぼり」はずっと視聴していたけれど、幕末の回以降から特にエントリーを書かなかった。

しかし、この磯田先生は凄く印象に残った。戦中期担当の「加藤陽子先生」も同様だが、「話し言葉」と「書き言葉」は密接に関係していて「聴かせる話」が出来る人は、間違い無く文章も「読ませて」しまう。「もう少し、この人の話を聴いていたい。」と思わせる話術は一つの才能だ。

決して聞き易い声質では無いのに、相手の注意をグッと引き寄せる話しの組み立て方は、普段から人前で話をして来た人ならでわだ。しかも「相手の理解度を図りながら」話すという、教師には必須の資質がよく判る。
上手に記憶に残る話しを、コンパクトにバッケージ化して相手の頭にポンポンと放り込む印象だった。

その磯田先生を再びお見かけしたのが、BS歴史館(KARAの回のエントリーで書いた「李氏朝鮮の妃達の回」)の時。この放映で話しのついでに
「私は武士の家計簿を研究した事があるのですか、、。」
と一言語漏らした事で、やっと頭の中のジグソーパズルが組み合わさった!
こんな時の快感はたまらない。(ちきりんさん言う所の「思考の棚」か?)

「面白そうと興味をもった本」+「この人、気になると思った著者」

この二つの決定要因が重なった場合、私は何としてでも読もうと思ってしまう。
だから、、本を書いた方、特に「書かずにはいられない衝動に駆られて書いた」人は、もっと自分を宣伝すべきだと思う。顔と名前を晒して宣伝などしたら訳のわからない輩から批判を浴びる事もあるから、諸刃の剣かな…。

でも、書き手の人格が端的にわかる映像は、物凄くインパクトが強い。職務上の制約があるのかも知れないが、このIT時代ーー文字媒体と映像媒体を繋げるのは簡単なのだから、そんな作家や物語を持つ人がもっと増えて来ると思う。(磯田先生Twitterやらないかなぁ。。。)

神田神保町が持つステイタス
冒頭のはしがきで、磯田先生はこの著作のベースになった古文書の歴史的発見の経緯を語る。金沢からの出物を販売目録で目にした時、直感で「武士の家計簿だ」と感じて、大慌てで現金15万円をポケットにねじ込み、神田神保町で買ったそうだ。
商品として古文書が流通する事自体「へぇ!」と思うが、もっと驚いたのが神保町はまだそんな機能を持っているという事だ。

父の実家が文京区にあったので、子どもの頃から山手線の内側、それも中央線沿線には「学究的で知的な文化」を感じてしまう。今でも、大手出版社、製紙メーカー、出版関連の中小企業がひしめき合っている。神保町と言えば「本屋」の街だった。
「戦後、ものが無い時代だったから神保町を探しまわって英語の辞書を買ってもらったんだ。」
と父から繰り言のように聞かされた昔話が影響している。

でも、最近は大きくて綺麗な本屋が相次いで出来ている。Amazonの台頭で神田に行かなくても、本はどこでも手に入る。そのうちネットで検索すればあらゆる文献も電子化されるだろう、、。でも、少なくとも磯田先生が流通から救い上げた、平成十三年は神保町が「古書の滞留弁」の役割を果たしていた。
ここに辿り着いてきちんと価値が判る人物に渡った事は奇跡だけれど「一箱15万円」と値がついているんだから、世の中には目利きがいるんだと思う。
温州みかんの段ボール箱に入ったカビ臭い古書は一時は「資源ゴミ」として扱われたんじゃないか、価値の判らない持ち主から、まんまと稼いだ中継ぎ業者も居たんじゃないかしらん。。と、内容の面白さもさることながら、この貴重な記録一式が、その価値が判る磯田先生の手に渡るまでの物語も面白そうである。(何しろ、発行部数20万部のベストセラーに化けるんだから世の中判らない!)

「手に入ったのは偶然だった。」と語るけれど、永年追い求めて感度を磨いていたから、見つかるべくして見つかったのかも知れない。そして、この家計簿を綴った三代に渡る「加賀藩御算用者」の系譜に流れる「理系特有のファクトに忠実な姿勢」が、等の本人達が亡くなった後でも、何事か訴えかけていたのでは無いか。
価値の分からない人間に「捨て!」と決断させない「積み上げの迫力」があったのかも知れない。そんな両者が結び付いただけで、浪漫を感じてしまう。

歴史は過去とのキャッチボール
あとがきに、さらっと書かれたこの言葉も気が利いている。磯田先生が学生時代に聞いて感銘した言葉だそうだ。

この本の主人公達(祖父:信之、父:直之、息子:成之)は、歴史に埋れた人々であったが、賢明な判断力で動乱の時代を生き抜いている。

祖父は計算能力を買われて、猪山家(この物語の家)に養子に入り、御算用者としての出世を果たした。そして、後継ぎには一番計算能力の高い四男に継がせた(父:直之)。
この息子が大英断をする。映画で堺雅人が演じたのはこの直之らしい。武家には欠かせない交際に必用な経費が家計を圧迫し、収入の倍の支出を続けている。借財が膨らむ一方の家計の立て直しを断行するのだ。(ここが最初の山場)
直之に子どもが生まれ、その子:成之が成人するあたりから、時代が幕末の動乱を迎える。この祖父から孫へと伝わる「算用」の才能が時代の流れに徐々にマッチしてスケールが大きくなるあたり、本当に一気に読ませてしまう。

いやぁ、数字に強い男はやはりカッコイイ!(理系萌え)しかし、磯田先生のあとがきの決め台詞もカッコイイ。
激動を生きたこの家族の物語を書き終え、人にも自分にも、このことだけは確信をもってしずかに言える。恐れず、まっとうなことをすれば、よいのである。

【後記】
先日読んだ「中国化する日本」(與那覇先生)の本、この磯田先生の本、どちらにも巻末に「○○研究補助金」のおかげで研究/出版出来たーーー。という趣旨の謝辞が書いてある。その一文が何だか、暖かく私の心に残る。。上手く表現出来ないが、両氏の真摯さを感じたのだ。

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