2011年7月5日火曜日

さかのぼり日本史 昭和〜明治 挫折した政党政治 第4回 「理念無き政党の迷走」

政党政治って何だ?の疑問にこの番組はある程度答えてくれた

何だぁ悲しいなぁという結果だったけど、、

司馬さんは著書「明治という国家」の中で、
明治維新は士族階級が持ち出しで担った革命で自由民権運動は「次は俺たちがイイ目を見る番だ。」とブルジョア階級が言い出したようなものだ、、

という趣旨の事を言っている。

ブルジョア階級とは地主やら庄屋と言った現金を持っていて、税金を納める事が出来る層の事で、当時の普通選挙で選挙権を持っていた人々だ。因みに、明治になってそれまでの、米本位の納税体系から、現金納税に移行した為、多くの自作農が現金を持つ庄屋に地所を売り渡して、自分達はそこを耕す小作人になるしか方法が無かった。司馬さんの言う「明治の痛み」の一面だろう。

番組の話しに戻ると、藩閥内閣に対抗して、初の政党内閣を大隈重信が組閣するが、僅か四ヶ月で瓦解してしまう。

大隈率いる「進歩党」と板垣退助率いる「自由党」が、合体して「憲政党」となり、衆議院の大多数になって、内閣が提案する議案がことごとく議会を通らなくなってしまった状態がその背景にある。

番組を観て
「さすが老練な伊藤博文」
と思ったのが、伊藤がアッサリ内閣を大隈達に渡してしまった事だ。
体制を整え切る前に「内閣」という餌に釣られて大隈は飛び付いてしまう。板垣は乗り気で無く、「政策の一致も未だなのに」と止めようとしたが結局、大隈に引きずられて内務大臣に着く。
司馬さんは「板垣はどう考えても軍人にしかなりようが無く、政治家になったのは、、」と書いているが、そこは長州薩摩出身でない亜流の哀しさだろう。(大隈は佐賀、板垣は土佐)

結局、統治能力をろくに持たず、国を背負って軍備拡張という命題に、どう財源を確保するか大隈内閣は苦慮し、支持層である地主達が嫌がる地租税は上げられないので、砂糖酒税を上げて民衆の反発を食う。

、、政党とは
「俺らに有利な政策を立案して下さいね。それなら指示するし、裏切ったら落としますよ。」という(利益誘導の)集団に担がれた物なのである。

これって、、今もちっとも変わっていないよなぁ。とかなり悲しくなった。

明治維新は
「お侍がやるもんだ、それがあの人達の役割だ。」
と他の身分の人達は思っていたし、長州の奇兵隊という例外はあるものの、何処か他人事で近代化の意味や、日本と言う国が置かれた危うい立場を、理解している人達はごく限られた人々だったと思う。
薩長はその牽引役という自負があるから、大隈如きが一朝一夕に政権交代を担える訳が無いと、先を読み切っていたのだろう。
以後、政党内閣の失脚を見て抜かり無く藩閥体制を組んだのが山県有朋で、
「政党に政権を渡したらロクなもんじゃない。」
を合言葉に、官僚、司法と隙間無く藩閥で埋めてゆく。この辺り、阿吽の呼吸で「怜悧な長州人達」である伊藤と山縣の連携とでも言おうか、、さすが、一番政治家を輩出している県である。

結局、大多数の日本人は自分達の事しか思いの及ばない甘ったれた民なのだろうか?一人一人はとっても善人で狭い範囲の事を考えるのは得意だが、大きな事になると、よく解らなくなって、取りまとめ役を引きずり下ろしてしまうのか。。
脈絡無く考えていたら、今日こんなtweetに出会った。
小黒正一さんのつぶやきと、池田信夫先生のブログがとっても的確に言い当てている。

いまの政治の惨状をみる限り、戦後日本民主主義の総決算が必要なように思う。結局、日本人にとって「国家=客体」であり、自ら参画し「公」を創りあげる対象としての「国家=主体」ではなかったという可能性が高い。http://t.co/beQ00pt


今月から、番組は官僚の歴史だそうだ。これも楽しみ。


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