2011年6月21日火曜日

この国のかたち

いつか読みたいと思っていて、後回しにしていたシリーズ。
司馬さんが晩年の10年を費やした連載なのだが、亡くなった後にファンになった私としては、このシリーズを読んでしまうと、もう司馬さんの書いた物が無い事を認識しなければならない。。というわけで後回しにしていた。
でも、読み時が来たと思う。

奥さんのみどりさんは、司馬さんの小説が本当に好きで、晩年書かなくなってしまった事を残念がっておられる。司馬さんは講演会でたびたび

「小説は空気中のエーテルを結晶化させるようなもんで、とてもシンドイ。」

と語る。年齢と共に書かけなくなる、、とも。

司馬さんの小説は、人物をリアルで魅力的に描き、読者をあっという間に、時代の中に連れ込んでしまう。一方、筆任せに軽やかな筆致で書かれる随筆は、

「趣味で書いているようなものだ。」

のだそうだ。ウッカリそうなのかと思って読んでいると、ズキリっと釘付けになる言葉にしばしば出会って、何度も文章を反芻してしまう。

「この国のかたち」もそうだった。「街道をゆく」のように、少し離れた距離から見つめる視点では無く、もっと踏み込んだ調子で書かれている。

冒頭の章で印象深いのが、決して小説に書かなかった「日露戦争以降」の事にいろいろ言及しいる点である。
昭和軍閥の事を語ると、どうしても肩に力が入り「唾棄」する口調になってしまうのを、司馬さん自身も良しとしていなかった。
(坂の上の雲で、陸軍の硬直化した組織を執拗に描く自分を恥ずかしいとも書いている。)
後世、この点を「鬼の首」でも取ったように批判する人も居るが、(司馬史観という言葉を持ち出して、、)この本を読むと、否応なしに「おまえは死ぬのだ」と国家から強制された人間だけが持つ、身体的緊張がありありと伝わって来る。

学徒出陣で、勉学の途中で陸軍へ入れられた司馬さんは、「死」を20歳そこそこで覚悟したという。どう考えても納得出来ず、悔しいとも思い、それでも、仲間の前で恥ずかしい死に方だけはしたくないし、そうしない自信だけはあったそうだ。
親鸞が晩年に書いた「歎異抄」を繰り返し読んで、この不条理をどう受け入れたらいいのかと、ずっと考えていたそうだ。(もうこの時点でレベルが違う)

配属された戦車部隊で
「もし、アメリカ軍が関東地方の沿岸に上陸してくれば、銀座のビルの脇か、九十九里浜か、厚木あたりで、燃えあがるじぶんの戦車の中で骨になっていたにちがいない。そういう最期はいつも想像していた。」

この一文は本当に怖い。司馬さんは、腹の奥底から怒っていたのではないのか。私にはそんな風に思える。日本人は本当に昔から愚かな民族だったのか、その厳しい問いを考え続け、歴史を追い、眩いばかりに飛翔する主人公達を幾人も生み出した訳だが、その根底には深い問いがいつも横たわっている。

司馬さんは、この一連のシリーズを、宿題として後世に残した。オファーを受けた時、連載に逡巡したそうだが、
「書きたい事もあるしな。」と承諾したとか。。
時代はバブル経済前から、その崩壊を迎えた後まで、国の在り方を憂慮しながら綴られている。

ボンヤリと20代を過ごしてしまった私は、遅ればせながら、司馬さんの問いの意味を考えたいと思う。

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