2011年12月31日土曜日

大掃除は心の棚卸しでもある? 〜2011年がもうすぐ終わる〜

たいしたエントリーを書く気力が無いんだけど、、何となく今年中に軽く総括を。あと、30分したら気力を再び振り絞って、海老天を揚げて、年越し蕎を茹でて、明日のお雑煮を仕込まなければならない。。主婦って本当に年中無休だ。

2011年は大変な年だった、、、と、きっと誰もが書くだろう。
  • 東日本大震災
  • 原発事故
  • 超円高
  • タイ洪水
  • ギリシャ危機
  • ビンラディン殺害
  • アラブの春
  • ジョブスの死
  • 金正日の死
どの年もそれなりに重大ニュースはあったと思うけど、やはり後から振り返った時
「あの年は大変な年だった」
と思うのではなかろうか。

震災当時、職場の机の下にもぐりながら(それまでは、多少揺れても、もぐった事は無かった)
「ああ、ひょっとしてこのまま建物に押しつぶされるのかな。これがこの世で見る最後の風景かな。」
と思っていた。つまらないスチールの袖机の側面で、何と殺風景な。。。と思った。たぶん、その少し前に起きたニュージーランドの地震が影響している。
結局、建物の倒壊被害よりも津波の被害が大きかったのは周知の通り。何だかんだと、日本の「耐震/耐火」設計のレベルは高いなと思った。職場で「耐震、耐震ってうるせーな。」と内心思っていた防災指導も功を奏した。妹は外資系企業に勤めているが、バインダーが全てウォールキャビネから降り落ちて来て怖かったと言う、キャビネに扉なんぞ(しかも耐震ロック機構付きで)付ける発想そのものが無いらしい。

今振り返ると、あの瞬間から、少しづつ自分の中で何か変化してきたように思える。

人生はいつ何時どうなるか判らない。ありきたりだけれど「今を生きなければ。」と思う。
考えたくは無いが、残念ながら突然人生を終えねばならない事態は、誰にでも起こりうる、、そんな事実をドンと突きつけられたのかも知れない。(メメントモリ)

これまで面倒だと思っていた、家の不用品をどんどん捨て始めたし、以前よりも「物事」の本質を少しでも掴めたら、、と及ばずながら、調べ、考える、努力をしようと思っている。
「いつかやれる、いつかやろう。」
と先延ばしにしてしまって、ある時とても後悔するかも知れない、、。

とは言うものの、人生は限られているし、人の持ち時間もバラバラだ。どう配分するかはその人の「生き様」そのもので、持ち時間の使い方を真剣に判断しなくちゃなと思う。

30代は子育て一色だった。それは仕方無い。それだけ時間と気力と労力を要する事業だったと思うし、今でもそれは続いている。さて、その後の40代、50代をどう過ごすか、、結構重要なポイントだと思う。

何だか、もっともらしい事しか結局書けなかったけれど。。来年はどんな年になるのか、、ともあれ、皆様よいお年を!

さて、ふんばって今年最後のご奉公。



2011年12月26日月曜日

ドラマ坂の上の雲「日本海海戦」〜司馬さんはなぜ映像化を拒否し続けたのか〜

連合艦隊解散の辞
3年に及ぶ「坂の上の雲」が終わった。
昨日の最終回「日本海海戦」は出色の出来だったと思うし、同時にとても考えさせられる構成だった。

今回のドラマは、今の時点で望みうる最高のリソースを投入して作られたと思うし、これ以上には出来無かったろうと思う。(脚本/予算/技術/演技陣全て)

VFXの技術は驚くべき水準で「作り物」と思わせない表現力で、日本海海戦を目の前に再現してくれた。
リアリストの司馬さんもきっと満足されているのではないか。

しかし、昨日の放映を見ながら
「ああ、司馬さんが映像化を避けたのはこれだからかな。」
とちらっと思った。
一緒に見ていた子ども達が、日本海海戦が終わった後、急に興味を失ってソワソワと動き出したからだ。
子どもはとても正直だ。まして歴史の基礎的知識がまだ無いから、プリミティブな反応を示す。

悲惨な旅順攻略や、パーフェクトゲームと称される日本海海戦は、下知識が無くても「血沸き肉躍る」内容に刺激されて、注目を集める。その事だけは凄く知りたがるが、本来、昨日の後半30分に込められた思いが重要で、そこを忘れてはいけない、、、と、静かに伝えられる大人が周囲にどれだけ居るか。。。等と考えてしまった。
(小三の息子は「なぜ、二○三高地が必要なの?」とか「T字戦法って何?」とか、やはり興味津々である。)

懸命な制作陣達の頑張り
「あれほど、映像化は司馬さんが嫌がったのに。」
という声を十分に意識しながら、制作に関わった人達は細心の注意を払った事がよく判る。
エンドロールの「原作」欄で「坂の上の雲」と並んで「雑貨屋の帝国主義」という文字が流れていたのに、お気づきの方は居るだろうか?
「この国のかたち」第一巻の三回目に出て来る随筆からも引用しているという意味なのだが、この回のみならず、シリーズを通して「坂の上の雲」以外からも、多く引用されていたのが今回のドラマだった。
原作に忠実に、そして、作者の本意を懸命に汲み取ろうとする制作陣の誠意を感じる。

ポーツマス条約に抗議して民衆が暴徒化した「日比谷焼き討ち事件」もきちんと時間を取っていた。通常の歴史の授業では、全く注目されていない(と思われる)事柄であるが、司馬さんは
「あの事件を起点にその後40年、日本は坂道を転がり落ちてしまった。」
と語る。実は小説を読んでいても注意しないと素通りしてしまう記述なのだが、
  • メディアが煽り
  • 実情(戦争が継続出来ない逼迫した状態)をつまびらかにしない政府
  • 熱狂的に一方に流れてしまう民衆
 という、「あれ?つい最近どっかでも聞いたよな。」と思いたくなる日本人の「癖」(と言っていいのかどうか)を冷徹に見つめて、何度も文章にしていたのが、司馬さんなのである。

成功体験からも失敗体験からも学べない日本人
「人間とは度し難いものだ。」
晩年の司馬さんは、よくカラリと語っておられる。
それを宮崎駿監督は「乾いたニヒリズム」と称して敬愛している。
「日本人には普遍的思想は生み出せない。普遍的思想が生まれるには地理的条件が必要で、広大な土地に、複数のグループがひしめき合い、時に血を流し合いながら摩擦を経なければ、そのグループの垣根を越える普遍的思想は生まれない。日本はそんな条件に無いし、又その事を必要以上に恥じる必要も無い。」(「この国のかたち」第一回目より意訳)
「雑貨屋の帝国主義」を読み返そうと思って、ふと目にした最初の章にこう書いてあった、読んでもすっかり忘れているんだから、本当になさけ無い。

必ずしも「普遍的思想に縛られている」事が良いわけでは無い、無いからかえって幸いする場合もある。。と司馬さんは言いたいのだと思う。(たぶん)

過敏に反応して、うわぁ〜〜〜っと興奮し、バタバタっと作ってしまえる強さもある一方、システマチックに系統だったログ(記録)を残さないで、その場その場で対処して、後は綺麗さっぱり都合の悪い事は忘れ、良い事だけを美化して、それに捕われてしまう。

昨夜、Twitterで與那覇先生(@jyonaha)ともやりとりさせて頂いたが
失敗したら学ぶ気が起きない。上手くいったら、もう学ぶ必要がない」が典型的日本人(@jyonaha)
という名台詞を頂いた。。。


苦しかった満州での力戦から何も学ばず、貧しい兵站、悲壮感漂う勇敢な現場に頼って、大量の餓死者を出した太平洋戦争の南進。

ヨチヨチ歩きの日本騎兵の実力を良く知った上で、機関銃を上手く手配し、「兵器の混成隊」という新しい発想を秋山支隊で好古が実行したのに、その優位性を理解せず、逆にロシアが数年後に「ノモンハン事変」で実現させてしまった皮肉。

自分達が真珠湾攻撃の時に飛行機を多用した癖に「日本海海戦」の成功体験が忘れられず、「艦隊決戦」思想が抜け切らないで、占領した島嶼を「航空拠点」に出来なかった(艦隊補給拠点としか考えて無かった)海軍。

「バカじゃねぇの。」
と懐手にせせら笑うのは簡単だが、じゃあ、我が身を振り返って、きちんと学んでいるのか?みんながうわぁ〜っと流れている時に、杭の様に進言出来る勇気があるか?と問い直すと、甚だ心もとない。
戦争こそしていないけれど、仕事上で思い当る事は沢山あると自省するばかりだ。

勝って兜の緒をしめよ
さて、最後にもう一度ドラマに戻ろう。
真之や、好古の最後まできっちり描いた所も好感が持てた。
特に兄弟で釣りをするシーンは「第1回少年の国」の子役が見せた素晴らしい演技(特に好古の子が良かった!)を何だか彷彿とさせて、阿部ちゃん、モッ君それそれの向こう側に、ありし日の少年達の姿が垣間見えて、「さすがドラマのNHK!テクニックが違う!」と思う。

そして、一番秀逸だったのは「連合艦隊解散の辞」
「ほれ、ここ大事だから聞いとき!」と唯一、子ども達に促した所で、渡哲也はやっぱりいいわぁ、、と思う。あの渋い声で読み上げる名文はたまりませんね。

「通るちゅうて、通る。」(ああ凄い!)
渡さん、寡黙な東郷を見事に演じてました。

ちなみに、東郷は昔は「おしゃべりが過ぎる」と称されている記録があって、決して寡黙な人物では無かった模様。
26歳で英国に留学した時の写真が最新の文藝春秋臨時号に掲載されているが、目のクリクリっとした利発そうな若者で、なかなかの美男子である。
本当なら英国海軍兵学校に留学したかったが、さすがに軍部の奥座敷には入れてもらえず、商船学校で18〜19歳の少年達と学んでいる。
街道ゆくの「アイルランド紀行」だったか、司馬さんはこの東郷が留学した商船学校を訪れて、東郷の学業成績も見ている。

薩摩の「兵子(へこ)教育」は「ウドさぁになる」と言われていて、意味は
「リーダーは意識して『ウドの大木』になって下に任せる胆力を養うべし。」
という事らしい。
有り余る才能を押し殺して「口は出さず、責任は取る」の姿勢を貫けるよう、訓練する。
陸軍の大山巌も、日露戦争後
「一番辛かったのは、知ってる事も知らないふりをする事だった。」
と語っている。本当は切れ者の実務者なのに、児玉達に預けきっていたわけである。

このドラマを見た人のうちの何割かが、興味や疑問を持ち、少しづつ自分達で考えたり調べたりし始めたら、、、悲しき日本人の「癖」がいくらかでも良い方向に向うだろうか。

さて、我が家もそろそろ年末の大掃除に取りかからなくてはならない。
振り返れば、優秀な現場である長女と次女が、昨日までのクリスマスツリーやら飾り付けを綺麗に片付けている。(ありがとう!)

さあ、Z旗を揚げようか。

「拙宅の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」

そうそう、打ち方止めの伝令が艦内を走った時の、兵士みんなの顔がホッと緩む所も非常に良かった。その点でも丁寧に作られたドラマだったと思う。

2011年12月20日火曜日

ドラマ坂の上の雲「二○三高地/敵艦見ゆ」〜司馬遼太郎の戦争体験〜

力戦の二○三高地

敵艦を最初に確認したのも二○三地点。歴史の不思議
ドラマ「坂の上の雲」が佳境に入っている。前回の二○三高地は二度観たが、最後の力押しの突撃には涙が出てしまう。スタッフが
「参謀本部だけの描写にしたく無かった、一人一人の兵士の群像として描きたかった。」
と制作ブログに書いていたが、その通り、見事に描けていたと思う。

あの山を取る為にどれだけの同胞が土に埋まったか、「戦(いくさ)」とは震えが来る程に怖くて寒くて、まさに「庶民にとって重たい国家」であった事が映像からリアルに伝わる。

司馬さんは、第二次大戦中、学徒出陣で兵隊に取られ、満州の士官候補生養成学校に入れられた事は有名である。折々、戦争体験に触れるが、まとまった形で著書にしていない。
先日読んだ対談集の中で大岡昇平さん(「レイテ戦記」の著者。レイテに出征して捕虜になる)との対談で
「語る程の話が無いのです。」
と言っておられた。別の所には
「自分なぞは、軍隊という真綿の中でぬくぬくと温存してもらった感があり、むしろ少し下の世代(昭和の皇国少年)の方が過激に傾倒してしまった先生達にいじめ抜かれて非常に気の毒な経験をさせてしまった。」
と気使っている。
「司馬遼太郎は、陸軍の陰湿で古色然とした石頭体質を嫌い抜き、スマートな海軍を「贔屓」した。」
と、よく言われるが、これは浅い見方だと思う。確かにその傾向はあったけれど、嫌い抜いた陸軍に「日本人」の拭い難い体質を見ているし、一見スマートな海軍にも、その後の体たらくーー「栄光の勝利者のイメージを捨て切れず、昭和では時代の趨勢を読み損ねて、長大な戦艦を持ち続けた。」と鋭く指摘している。
私が、読んだ範囲では陸軍に対する愛憎入り交じったものを感じられるし「経験した人は違うな。」と思えるドキリとする事をさらっと書かれる。「一言で片付けられる程、簡単なものじゃない。」と思うのだ。

「どんなに臆病な人でも、一年もしつこく『突撃』訓練を積むと、号令で身体が前へ出てしまう。」
「日本の兵隊さんは強いとよく言われたが、横の意識があって前で飛び出して行くのだ。横の意識とは、共に並んでいる仲間達の事だ。」
「農民をそのまま集めただけの兵隊は、いざ戦闘が始まると、怯えて散を乱して逃げてしまう。訓練で人間をいくらでも鋳型にはめる事が出来ると知った。」
対談をしていた大岡さんも
「捕虜に掴まった時、一人だったから抵抗しなかった。もし、もう一人でも同僚が隣に居たら、それは「隊」になるので、抵抗した挙げ句、死んでこの場に居なかったかも知れない。」
「捕虜になって数ヶ月すると栄養状態が良くなる。そこへジャングルで掴まったばかりのガリガリに痩せこけた同僚が新たに加わると、何となく奇異な目で見てしまう。」

あの時代を経験した世代は、くどくど言わずともすぐに判り合える共通認識があったのだろう。短いエピソードの集まりだが、その一つ一つの簡潔な話に「リアルな人生の息づかい」が感じられる。

実際に戦争へ行った世代は、もはや少なくなって知らない世代ばかりになってしまった。経験が生々し過ぎて、私の祖母などは話したがらなかったのを覚えている。強烈な経験をしてしまうと人間は反動で忘れたいと願うバイアス心理が働くのでは無いか。。

2011年3月に起こった東日本大震災も、少し遠い記憶に置きたい、、という心理が、今、感じられる。「物憂い」と言って良いのか。
記憶が新しく、人々がアドレナリンに翻弄されている渦中では、関心も高く一種の高揚感に包まれてしまうが、そんな状態は長く続けられない。
「何となく潮が引くような感じ」で収束して常態に戻したいと人は思うらしい。
「世の中そんなもんだ。」と認識しながらも、「次ぎ何かあった時に。」とそっと布石を打っておける人は、真に屹立していると思う。

司馬さんが「坂の上の雲」を書いたのは、後世に屹立した指標を残しておかねばと思ったからなのだろう。近年発見された新事実があったとしても、この小説に描かれた人間の集団の本質に対する鋭い洞察はいささかも衰えを見せていないと私は思う。むしろ、「国家」とそれを「構成する一員」という感覚が曖昧な現代において、自国と世界との関係をしばし熟考するきっかけを与えてくれているのではないか。40年近い歳月が経っても色あせない輝きがあるのだから、つくづく凄い才能の持ち主だったと思う。

さて、今週末はいよいよクライマックス最終回である。

2011年12月12日月曜日

女子の皆さんに聞いてみたい。どっちの男子を仲間に入れたい?

文藝春秋臨時増刊号をやっぱり買ってしまった。(磯田先生の原稿があったらそりゃ買うでしょう!)まぁ、もう知った内容ばかりかなと思っていたけど、意外に面白くてふとエントリーを書きたくなる。さて、唐突ですが女子に質問。

「自分が少女のつもりで、下記の二人の男子のうち、どちらを自分達の仲間にしたいと思いますか?(心の距離が近いでも可)」

N君
  • 自分が一番「格好いい」と見えるスタイルを知っている。(常に制服をカスタマイズし細かく丈やラインを直す)
  • 国語が意外に得意。韻を踏んだ詩とかサラサラ書いてしまう。
  • 喧嘩は下手。スポーツも一見上手そうに見えて、オフェンスもデォフェンスも今一つ上手く無い。
  • 何よりも「情」を重んじ、青臭い事をこっそり信条にしている。

K君
  • 自分が所属するスポーツチームのBクラスが下位クラスへ転落の危機。自身はAクラスだけど、志願してBクラスに降格して立て直しに奔走する。
  • 高尚な趣味は無い。服装もあまり構わない。
  • 人の懐にスルリと入り込む器用さがあって、いつの間にか周囲は協力してしまう。
  • 「○○なんだろう?」と人の気持ちを見透かしてズバリ言い当ててしまう。

、、、あまり上手く例えられなかったかな。これ私なりに
N君→乃木希典
K君→児玉源太郎

を噛み砕いて表現したつもりなんです。というのも、この文藝春秋に
乃木希典の「詩人力」
対談:茂木健一郎 X 鹿島茂(仏文学者)

という対談があって、「無能」と言われた乃木さんの違う側面「漢詩が抜群に上手い詩人としての資質」に関して語っています。この中で
乃木さんは女性票が集まりそうだ。
と、茂木さんと鹿島さんは語ります。。曰く、
女性は「直感で好き嫌い」が判断出来(これは確かに!異存ありません)自分達の仲間に入れるか否かで判断する。最近の日本は有能である事を求め過ぎていて、この理屈では無い「女性的感じ方における価値」にもっと重きを置くべきでは無いか。

とういう物なのですが、、途中まで、ほうほう!と読んでいたけれど結論に「コケ!」
、、、どうでしょう?私だったら、シンパシーを感じるのは、N君よりも断然K君の児玉源太郎君です。対談しているお二人は重要な事を忘れている。

乃木大将は軍神と崇められ、神社まである大変な「時代のアイコン」でした。一方、児玉源太郎は司馬さんが「坂の上の雲」で取り上げるまで、歴史に忘れられた人物。(早死にしてしまうし神社も無いし。)

乃木さんは、女性が放っておかないのでは無く、「男性が放っておけない」人だと私は思うのです。現に、坂の上ではこの「愚直で不器用でストイック」な乃木を児玉は放っておけません。乃木のメンツが潰れないよう腐心して、203高地を奪取した後の、凱旋視察には自分は加わらず、最後の花を友に持たせるのです。

。。。私は少し「衆道的」なものを感じます。(実際にそんな関係じゃないとしても)

女性なら(少なくとも私は)児玉の方にずっと、男らしさとシンパシーを感じます。直感の人々(仮にここでは女性陣としましょう)は直感力の優れた人を見ると、しかもそれが自分達とは違うグループに所属する人に対しては、鋭い嗅覚を持っています。そしてN君タイプにも違う意味で嗅覚が働きます。賢い女性ならN君には近づかない。ストイックに生きる人生に巻き込まれたら、自分の人生も棒に振ると野性の感で知っています。

ああ、茂木さんも鹿島さんも男性だなぁ。。。常に「戦闘態勢」を運命付けられている性別にとって、乃木的「間抜けながらも貫く人生」に、強く強く憧れる。実は身近にそんな例を多く見ているので、凄く判るなぁと思います。破滅的結果に向うと判っているのに「貫きたい」人って多いですからね。
(乃木さんが若い頃、花柳界に入りびたりだった事実がお二人の判断を曇らせたんでしょう、いくら花街で遊んでもそれがイコール女性にモテるとは限らない、、、)

司馬さんが、主人公を魅力的に描けるのは、女性が男性のどこに惚れるのか、よ〜〜〜く判っているからって事を、意外に男性は気が付かないのかも知れません。
そして、同じ本に載っている磯田先生の「私論 乃木希典」は本当に面白い!先生には是非深く掘り下げて頂きたいものです。(この件に関してはいずれ別に)

2011年12月9日金曜日

ドラマ 坂の上の雲 「旅順総攻撃」


好古@阿部ちゃん いよいよ奉天へ
真之@モッ君 知謀湧くが如し
本当に良く出来てるこのドラマ。惜しいなぁ。。やっぱり大河ドラマ枠で42回きっちり時間かけて放送すべきだったんじゃなかろうか。キャストの力量と使っている技術/演出を考えると。。もったいない。1回が90分放送とは言え、

・90分 X 13回 =1170分
・40分 X 42回=1680分(大河ドラマ)

その差510分。今回の90分枠だったら5.6回分、もう一年やるなら計算が合う。或は3年それぞれに振り分けた回を1~2回多くしていたら、丁度大河と同じかな。1年空いてしまうと話の流れを忘れちゃうしなぁ。「新シーズン直前再放送祭り」で二度美味しい!!も、うまい商売だけど。。(書店ではここ三年の年末は関連書籍がよく売れただろうなぁ。)

でも、やはり文庫で全8巻を13回に納めようと思うと内容がどうしても端折り気味になる感は否めない。「天地人」とか「江」とか同じ時代を隔年でやってもしかたないっしょ。一つにまとめて一年は「坂の上」に明け渡すべきだったんじゃないかと暴言を吐いてみる。日本人の「戦国好き」は多分に大河で放送し過ぎに責任があるんだから、もう少し選ぶ時代を考えた方が良いと思う。
しかし、今回はすごくいいんだけど、残念な点もいくつか。「萌え」ポイントと共につらつらと。


そりゃ無いでしょ、、「黄海海戦」
確かに原作を読むのはかなり根性がいる。「竜馬がゆく」に比べるとファンタジックな感じが少ないし、胸を熱くする活写も少ない。司馬さんって本気で書かせたら人の心を鷲掴みにする「超かっこいい」主人公が描けてしまう恐ろしい人なのですが、「坂の上」はその能力を封じ込めて、ストイックに史実を入念に調べて書き込んでいます。
脇道に逸れますが、私がもし司馬作品を一冊も読んだ事が無い人に薦めるとしたら迷わず「燃えよ剣」です。女子なら間違い無く主人公に惚れます。男子は完全に土方になりきるでしょう。(これまで薦めて一度も外した事無し!)数年前、山本耕二君が「新撰組!」で演じてくれたのは本当に幸甚でした。
軌道修正。
なので、かなり筋は複雑で、特に満州での陸軍の動きは1回読んでもよく頭に入りません。
今回のドラマでも、そこがどうしても判りにくい。あんなに略してしまうなら、せめて渡辺謙さんのナレーションをもっと丁寧に入れた方が、原作を読んでいない人にも流れが掴めるのではなかろうか。大事な事をさらっと台詞に織り交ぜると、きっと気が付かない人多数。
「あの『坂の上の雲』はよく判らない。」
と去年職場の同僚(原作は恐らく読んでいない)がボヤいていたのが凄く象徴的だった。
一番「そりゃないよ。」と思ったのが黄海海戦の略し方。さらっと海図一枚って、、、。あの黄海海戦の失敗がその後の日本海海戦に少なからず繋がるのになぁ。
「露探(ろたん:ロシア側のスパイという意味)」という言葉が当時言われて、海軍が全く業績を上げられない事に世論がこの言葉で突き上げる様が描かれている。
「重い重税で作った海軍なんだ、もっと働け!おまえら、本当はロシア側のスパイじゃないのか?」
と国民が(正確には新聞等のメディアが)海軍を突き上げて追い使う様子などは、その後の昭和前期とかなり違うのにな、、とか。
旅順港から、ソロリと顔を出してウラジオストックに逃げようとした旅順艦隊を、追いかけに追いかけ、最後は弾が尽きて「残弾無し」と白板に書かれたメッセージ(追撃中はとても声が通らないので、小さな黒板で連絡をやり取りしたらいしい。)を思わず艦長がバン!と投げつけて割る所は取り逃がした悔しさが滲み出ていて印象的なのに。
それが、全く、、、無いのが。。。


遼陽会戦の秋山支隊がかなり不明確
ここもかなり残念だったなぁ。原作でも好古がどう凄いのか、ぼんやり読んでいると今ひとつ掴めない。義経の鵯越えとか、木曾義仲の牛を使った戦法とか、三国志で言ったら諸葛孔明の奇策、、的な「劇画的」要素がある訳では無く、むしろ地味に
  • 情報収集(斥候を出す)
  • リソース手配(機関銃の配備)
  • 自軍の分析(騎馬隊の本質分析)
をヌカリ無くしっかりやった。が好古の凄い所で、私は二度目に読んでやっと理解出来た。一度目はただ字面を目で追って「読んだ」事にしてただけだったと猛省したので、ここの伝え方は難しいと思うけど、前回の放送では
「ぬ?何があった?何となく上手く行った?」
という印象ばかりだった。
確かにクロパトキンのベットを大山巌が使ったと記述されてるが、それほど尺を使うエピソードじゃないよねぇ。。


萌えましたねぇ
荒探しは本望では無いので、やっぱり萌えちゃったポイント

「おるもんは、おるんじゃ。」

いいよなぁ阿部ちゃん@好古。司馬さん存命中は、絶対に映像化を許さなかったこの小説。制作発表の時は賛否両論あったけれど、主役陣の配役を聞いてみんな黙ったのでは無かろうか。
「ああ、これなら絶対に大丈夫。」
この配役を考えた人と、オファーを取ったスタッフは本当に値千金だと思う。そうよね、この人達しかあり得ない。
阿部ちゃん本当にいい役者さんになったよなぁ。と夫と話すけど、彼が学生時代本屋でバイトをしていたら、その冬の手芸雑誌の表紙が全て阿部ちゃんだったそうだ。まだノンノモデルだった頃の話。バブル前夜で手作りセーターを意中の人に渡すのが女子達の共通目標だったなぁ。その象徴的存在が阿部ちゃんなわけ。男が見てもいい男だと思うそうです。
長身に長靴(ながぐつではなく、ちょうかと読んで頂きたい)乗馬服は彼でなければありえな~い。好古は当時でも大柄で長い脚を見込まれて騎兵科に配属されたんだから、この配役はばっちり。細かい事に見えるけど、そんな事実をキチンと積み上げないとリアリティは生まれない。
先に引用した短い台詞「おるものはおる。」は、好古のリアリズムを見事に体現していて、萌えましたね。
現実を見る、それがいかに自分にとって都合の悪い事でも事実として認識する姿勢。これは司馬さんがその生涯を通して、常に重きを置いていた人の生き方と言っていいと思う。
たぶん、後半の回に用意されている「松川@鶴見辰吾との対決」の伏線と思われますけどね。楽しみ、楽しみ。

「降ろせ!降ろさんか!大連まで行く。」

モッ君。本当に真之になってる。才気走って、きかん気が強く、表現力に富んだ末っ子気質。共演した香川さんが
「真之にしか見えない。」
と絶賛していたけど、私も完全同意。彼は司馬作品を演じる為に生まれて来たんじゃなかろうか。
ご記憶の方は少ないかも知れないけど、後の大器を思わせるきっかけが大河ドラマ「徳川慶喜」(司馬さん原作)で主役を務めた時。あれで慶喜のイメージはガラッと変わったし「元アイドルが」と誹る声を見事に覆したと思う。その後の活躍は周知の通り。年齢を感じさせない人だなぁと思うけど、今回はちゃんと歳とっているのがまたいい。
日本海海戦で「軍服にふんどし」の扮装はするのだろうか?


なぜ、サラリーマンがこれを読んだのか(読むのか)
この小説が書かれた高度経済成長期。「坂の上の雲」は連載最初はそんなに人気がなかったらしい。(「竜馬がゆく」も尻上がりに人気が出たとか)黒溝台会戦の章なぞは編集部に
「いつ終わるのか、日本海海戦はまだか?」
と苦情も入ったとか。
有名な「乃木無能論」が物議をかもし、今でも「あれは史実に反する」という反証本もある。今回のドラマでも旅順/二○三高地はきっと力を入れて描かれると思うけど、それが史実かどうか厳密に検証するのとは別に、この小説を通して描かれる、組織内の動き/力関係に、当時の(そして今の)サラリーマンは自分の身を重ね合わせて見てしまうのだ。
死山血海、数万の犠牲を払って繰り返される「思考停止状態」の作戦実行命令。効果が無いと判っているのに無策に繰り返され、血と鉄(兵と弾薬)を大本営に求める参謀達。
原作を読んだ人は知っていると思うが、司馬さんはそれを「執拗に描く自分が恥ずかしい。」と正直に書いておられる。
組織に属した事がある人なら、誰でも一度はこんな理不尽な目に遭った事があるだろう、児玉源太郎が来て胸のすくような「正義の英断」をしてくれないかと夢想した経験があるはずだ。だから、読み手は磁石に張り付く砂鉄のように、この物語に吸い寄せられる「そうだ、そうだ!」と心で野次を飛ばし、「いいぞ、ざまみろ。」と溜飲を下げる。
読み手がきっとそうなるのを司馬さんは十分に判っている。そして、そんなカタルシスの為に読まれるのを本望としていない。このアンビバレントな状況に、時折苦悩されているのを、他の著作を読むとチラチラと感じる。
「人間とは度し難いものだ。」
しょうもない愚かしさを、カラリと乾いたニヒリズムでスパッと表現する。グジグジといつまでも愚痴っているだけでいいのか?考えているか?っと常に問われているようで、そこが最大の魅力だと常に思う。


映像の力
まあ、いろいろ書きましたが、旅順攻撃のロケは圧巻。
「ああ、痛かったろうな。あの一つ一つが命だよな。」
と、思わずには見られない。
「ベトンで固めた堅牢な要塞の、表面に盛られている盛り土を弾き飛ばすだけ。」
がどんな状況だったのか、映像の力はその点凄いなとやっぱり感心する。
後年、この時の要塞攻めの話を聞いて育ち、詳細に絵を描いていた少年が、後に硫黄島守備隊隊長の栗林中将になる、、というのは「さかのぼり日本史」で知った事。
圧倒的な米軍の物量作戦に対して、一ヶ月も地下にもぐって粘り、散々に米軍を苦しめたのだが、日露戦争の旅順塹壕/要塞戦がモデルだったとは。。やはり、歴史は後世へ後世へと影響が渡って行く。

さて、残り3回どんな演出だろう。いろいろ楽しみである。
文庫版のイラストも凄く味があっていい。

2011年12月1日木曜日

新書の中の大河ドラマ「武士の家計簿」磯田道史著

この二人ゴールデンコンビかも
理系萌えの私が、なぜこの本を早く読まなかったんだろう。映画化されて「あ!面白そう主演、堺雅人だ!」と思ったし、何度か書店で見かけて気になったのに、いつの間にか忘れてしまう。多くの本はこんな感じの厳しい競争に晒されているんだなぁ。

さて、これはタイトルに書いた通り「新書の中の大河ドラマ」である。あまりに面白いので、本当に読んで欲しいから、あらましでは無く、著者や「はしがき」「あとがき」に焦点をあてて、読書感想なぞ。

平成の司馬遼太郎
ーーーAmazonの著者紹介より。司馬ファンとしては「ああ、才能が出たか!」って感じで小躍りするほど嬉しい。なぜ、急にこの本が読みたくなったかと言えば「さかのぼり日本史」で江戸期の回のゲストを務めたのが、著者「磯田道史(筑波大准教授)」だったからだ。でも、最初はこの少し甲高い声の若き先生が、あの「武士の家計簿」の作者と気付かなかった。

「江戸時代なんて、眠った250年面白く無いよ。」
と思い込んでいた私は、躍動感溢れる戦国や幕末/明治に比べたら、江戸期を担当する人は少し可哀想だな、などと思っていた。(凄く失礼である(~_~;)。。。
だから「さかのぼり」はずっと視聴していたけれど、幕末の回以降から特にエントリーを書かなかった。

しかし、この磯田先生は凄く印象に残った。戦中期担当の「加藤陽子先生」も同様だが、「話し言葉」と「書き言葉」は密接に関係していて「聴かせる話」が出来る人は、間違い無く文章も「読ませて」しまう。「もう少し、この人の話を聴いていたい。」と思わせる話術は一つの才能だ。

決して聞き易い声質では無いのに、相手の注意をグッと引き寄せる話しの組み立て方は、普段から人前で話をして来た人ならでわだ。しかも「相手の理解度を図りながら」話すという、教師には必須の資質がよく判る。
上手に記憶に残る話しを、コンパクトにバッケージ化して相手の頭にポンポンと放り込む印象だった。

その磯田先生を再びお見かけしたのが、BS歴史館(KARAの回のエントリーで書いた「李氏朝鮮の妃達の回」)の時。この放映で話しのついでに
「私は武士の家計簿を研究した事があるのですか、、。」
と一言語漏らした事で、やっと頭の中のジグソーパズルが組み合わさった!
こんな時の快感はたまらない。(ちきりんさん言う所の「思考の棚」か?)

「面白そうと興味をもった本」+「この人、気になると思った著者」

この二つの決定要因が重なった場合、私は何としてでも読もうと思ってしまう。
だから、、本を書いた方、特に「書かずにはいられない衝動に駆られて書いた」人は、もっと自分を宣伝すべきだと思う。顔と名前を晒して宣伝などしたら訳のわからない輩から批判を浴びる事もあるから、諸刃の剣かな…。

でも、書き手の人格が端的にわかる映像は、物凄くインパクトが強い。職務上の制約があるのかも知れないが、このIT時代ーー文字媒体と映像媒体を繋げるのは簡単なのだから、そんな作家や物語を持つ人がもっと増えて来ると思う。(磯田先生Twitterやらないかなぁ。。。)

神田神保町が持つステイタス
冒頭のはしがきで、磯田先生はこの著作のベースになった古文書の歴史的発見の経緯を語る。金沢からの出物を販売目録で目にした時、直感で「武士の家計簿だ」と感じて、大慌てで現金15万円をポケットにねじ込み、神田神保町で買ったそうだ。
商品として古文書が流通する事自体「へぇ!」と思うが、もっと驚いたのが神保町はまだそんな機能を持っているという事だ。

父の実家が文京区にあったので、子どもの頃から山手線の内側、それも中央線沿線には「学究的で知的な文化」を感じてしまう。今でも、大手出版社、製紙メーカー、出版関連の中小企業がひしめき合っている。神保町と言えば「本屋」の街だった。
「戦後、ものが無い時代だったから神保町を探しまわって英語の辞書を買ってもらったんだ。」
と父から繰り言のように聞かされた昔話が影響している。

でも、最近は大きくて綺麗な本屋が相次いで出来ている。Amazonの台頭で神田に行かなくても、本はどこでも手に入る。そのうちネットで検索すればあらゆる文献も電子化されるだろう、、。でも、少なくとも磯田先生が流通から救い上げた、平成十三年は神保町が「古書の滞留弁」の役割を果たしていた。
ここに辿り着いてきちんと価値が判る人物に渡った事は奇跡だけれど「一箱15万円」と値がついているんだから、世の中には目利きがいるんだと思う。
温州みかんの段ボール箱に入ったカビ臭い古書は一時は「資源ゴミ」として扱われたんじゃないか、価値の判らない持ち主から、まんまと稼いだ中継ぎ業者も居たんじゃないかしらん。。と、内容の面白さもさることながら、この貴重な記録一式が、その価値が判る磯田先生の手に渡るまでの物語も面白そうである。(何しろ、発行部数20万部のベストセラーに化けるんだから世の中判らない!)

「手に入ったのは偶然だった。」と語るけれど、永年追い求めて感度を磨いていたから、見つかるべくして見つかったのかも知れない。そして、この家計簿を綴った三代に渡る「加賀藩御算用者」の系譜に流れる「理系特有のファクトに忠実な姿勢」が、等の本人達が亡くなった後でも、何事か訴えかけていたのでは無いか。
価値の分からない人間に「捨て!」と決断させない「積み上げの迫力」があったのかも知れない。そんな両者が結び付いただけで、浪漫を感じてしまう。

歴史は過去とのキャッチボール
あとがきに、さらっと書かれたこの言葉も気が利いている。磯田先生が学生時代に聞いて感銘した言葉だそうだ。

この本の主人公達(祖父:信之、父:直之、息子:成之)は、歴史に埋れた人々であったが、賢明な判断力で動乱の時代を生き抜いている。

祖父は計算能力を買われて、猪山家(この物語の家)に養子に入り、御算用者としての出世を果たした。そして、後継ぎには一番計算能力の高い四男に継がせた(父:直之)。
この息子が大英断をする。映画で堺雅人が演じたのはこの直之らしい。武家には欠かせない交際に必用な経費が家計を圧迫し、収入の倍の支出を続けている。借財が膨らむ一方の家計の立て直しを断行するのだ。(ここが最初の山場)
直之に子どもが生まれ、その子:成之が成人するあたりから、時代が幕末の動乱を迎える。この祖父から孫へと伝わる「算用」の才能が時代の流れに徐々にマッチしてスケールが大きくなるあたり、本当に一気に読ませてしまう。

いやぁ、数字に強い男はやはりカッコイイ!(理系萌え)しかし、磯田先生のあとがきの決め台詞もカッコイイ。
激動を生きたこの家族の物語を書き終え、人にも自分にも、このことだけは確信をもってしずかに言える。恐れず、まっとうなことをすれば、よいのである。

【後記】
先日読んだ「中国化する日本」(與那覇先生)の本、この磯田先生の本、どちらにも巻末に「○○研究補助金」のおかげで研究/出版出来たーーー。という趣旨の謝辞が書いてある。その一文が何だか、暖かく私の心に残る。。上手く表現出来ないが、両氏の真摯さを感じたのだ。

2011年11月29日火曜日

ちきりん著「ゆるく考えよう」「自分のアタマで考えよう」

ずっと、読まなくちゃと思って「積ん読」状態だった「ゆるく考えよう」を、新刊「自分のアタマで考えよう」が出たのをキッカケにまとめて読了。
いやぁ、さすがちきりん女史(@InsideCHIKIRIN)!冴えてます。毎回楽しくブログを拝読してますが、相当に訓練を積んだデキる人、、羨ましい洞察力です。(おちゃらけ〜と言ってゆるい雰囲気を醸し出していらっしゃいますが、、どうしてどうして!)
以下、簡単に読書感想なぞ。

自分のアタマで考えよう
処女作「ゆるく〜」が発売された時と比べたら、隔世の感あり!地元のジュンク堂、有隣堂、共に店頭平置きでした!前書は、自己啓発系のコーナーにあって、わが街の本屋ではちょっと探しまわらないと無かったのに(日頃は「良く生きる」とか「歴史探訪」みたいな、明らかに悠々自適リタイア層がお客様のそれ系本が店頭を飾る)、、、ネットの伝搬力恐るべし。
内容は、昔読んだ勝間さんの本とダブる部分があるなという印象。でも、もっとピンポイントで「要するにここよ!」と指摘しているので頭に残り易い。これは、永くチームを率いる立場に居たであろう人が持つ「要約術」なんでしょう。(恐らく!経験値が違う感じ)
「地アタマ」が多少弱くても「この伝え方なら間違い無い!」という勘どころが分かってる人なんだぁ、と感服しました。
一番タメになったのが「判断基準を先に設定せよ」。
冒頭のとある社内を活写した例え話は笑うに笑えませんでした。(ちきりんさん、どっかで見てたでしょ!って感じ)
弊社の幹部会に来て薫陶して頂きたい。(ヤダよ!と言われそう)全員とは言いませんが、「判断基準」も「思考の棚」も全く持っていない「自滅型機械運動的思考停止野郎」が、権限の座に居座ってしまって始末に終えないです。
これを読んで「どよーん」と暗く思ってしまったのが、紹介されている思考方法を全員でなかなか共有出来ないという点です。
ロジカルシンキングとか、「モレ無く、ダブり無く」とか、「ゼロベース」とか、、それなりの研修をほぼ全員が受けているにもかかわらず、日常業務の場でチョイチョイと使いこなせない…。。使えなきゃ意味が無いのですが、
「舶来もんの浅知恵振り回しやがって」と、
何と無く抵抗されたり、折角習っても右から左へ抜けて忘れちゃったり、、いろんな意味で外資系企業の「生き馬の目を抜くスマートさ」がそこはかとなく香るなぁと、羨ましいやら、情けないやら。(「よく考えろ」何てアドバイスしてくれる先輩が居る事自体凄い。「考えるな、生意気言うな」がデフォルトですからね。)

話のレベル(本書p134〜)が違って日常噛みあわない事多々です。ちきりんさんのエントリーでも一番好きな「なんで全員にリーダーシップを求めるの?」を思い起こさずにはいられませんでした。
外資系は、全員がリーダーとして苦労した経験があるドリームチームだらけなのかしら、、と夢想したり。

だから「今更親父世代に言っても埒あかない、若者よ心せよ」というメッセージがこの本には込められていそうです。
あれですかね。。化石化した古生代的考え方から抜け出せない固執「逃げ切り」世代が、順送りで出て行くまで待つしかないのでしょうか。。(それまでに沈没したら元も子も無いけど)

ゆるく考えよう
実は「積ん読」期間が長かったこっちの方が面白かった。ブログ愛読者ですが、とても膨大な「chikirinの日記」のエントリーを全て読む時間は無く、これはエッセンスが凝縮されていて発見も多いです。
膝を打ち過ぎて痛くなってしまったのが「仕事」についての話。

単位面積当りの収穫高を上げようと考えないブラジルの焼き畑農業
↓(同義)
働く時間を延々と伸ばす長時間労働

に喩えたのは絶品!
働く母親は、どうしても時間の制約があるので限られた時間の中で効率良く収穫高を上げなければならない。評価を下げられたり、昇級の候補から外されないよう、嫌でも無い知恵を絞り、自分で努力出来る所は何でも努力するのが「習い性」になってしまっている。
「見えない天井」でも「やっぱり長時間労働した人しか評価されないんだ」とか、口を尖らして批判してもいいけど(子どもが小さかった時は被害者意識が多かった、、)最近は、「もっと視点を遠くに設定しないとな」と思う。ちきりんさんも

「自分に近過ぎる存在は思い入れが強いので、少し遠くに視点を設定した方が良い。」

と書かれていて、さすがである。

実は、数年来ずっと悩んで来たある仕事の、企画書らしきものがこの本を読んだ事で書けそうである。そう、まさに

「インプットも大事だけど、アウトプットはもっと大事だ」

と語るは金言。「入れたら出す」は基本ですね。出してみて初めて血肉になると私も思う。
終章は人生観を感じられて、なかなかいいです。

洒脱な語り口でサラサラと読めるこの本。活字を読むのが苦手、長文を読むのも苦手、な人にも、とても取っ付き易いのでおすすめです。

2011年11月27日日曜日

知らなかったベトナム〜「人間の集団について」司馬遼太郎

これは、先々月に読んだ「『司馬遼太郎』のかたち」(関川夏央著)の中で取り上げられていた一冊。曰く、
しかしこの大胆な、本質をひと刺しでえぐり出すような見方と考え方の本は話題にならなかった。意図して黙殺されたようでもあった。その文庫版が出たとき解説を担当した桑原武夫はそれを怪しみ、「私はつねづね日本に政治史や政治学説史の研究は盛んだが、現実の政治評論は乏しいのではないかと思っていたが、この名著がいまに至るまで一度も正面から取り上げて論評されたことがないのを見て、その感をいよいよ深くする」としるした。具眼の士は少なくともここにひとりいた。 (「司馬遼太郎のかたち」より)
確かに、これまで聞いた事の無い題名だったし、地味な題、地味な装丁でこの紹介文に出会わなければ、絶対に読む事はなかったろう。本との縁は面白い。

しかも、解説者の「桑原武夫」が目を引いた。父の書棚でよく目にした名前だからだ(その癖、一冊たりとも読んだ事が無いんだから親子とは不思議だ)。

横道に逸れるけど書棚に並ぶ本の背表紙は、たとえそれを手に取らなくても、何かメッセージを発しているように思う。「本を読め」と一度も父から強制された事は無いけれど、本を読む習慣を持つ人が身近にいると、知らず知らずに子どもにも伝染すると思う。母も本好きで
「わからない言葉や漢字があっても、それにメゲナイで飛ばしてでも読み進めてごらん、そのうち大体の意味が掴めるようになるから。」
と言われた事を今でも教訓にしている。この一言で「この文章レベルなら読めるかな」という弱気フィルターを外す事が出来たと思うからだ。

閑話休題。

この地味な著書だが桑原氏が絶賛するように、 司馬さんの脂がのった時代の本当に鋭い洞察と豊かな表現力でもって、1973年アメリカ軍が撤退した後のベトナムを描いている。冒頭いきなり「泥沼化したベトナム戦争」をこんな表現で斬る。
独自の文化のなかに閉じこもってきた一民族が、世界史的な潮流の中で自立しようとするとき、からなず普遍性へのあこがれがある。
(ベトナムの場合)ひきがね一つで相手を殺傷できる兵器のほうがはるかに普遍性を戦慄的に体感でき、それも万人が体験できるという点でこれほど直截な思想はなかった。
じぶんで作った兵器で戦っているかぎりはかならずその戦争に終末期がくる。しかしながらベトナム人のばかばかしさは、それをもつことなく敵味方とも他国から、それも無料で際限もなく送られてくる兵器で戦ってきたということなのである。この驚嘆すべき機会的運動を代理戦争などという簡単な表現ですませるべきものではない。敗けることさえできないという機械的運動をやってしまっているこの人間の環境をどう理解すべきなのであろう。(「人間の集団について」より)

関川氏は「1973年当時は、ベトナム戦争は民族解放の戦いと捉える見方が一般的だったから、このようなアプローチはまさに衝撃的であった。」と賞している。
筆致は非常に軽やかで、サラサラと随筆のように書かれているが、読む側をあっという間にインドシナ半島のベトナムという国に連れて行ってしまう。ほぼ同時に連載が始まる「街道をゆく」のスタイルがここに既に芽生えている。

大国中国に鷲掴みにされた半島達
街道をゆくでもそうだが、司馬さんは訪れた土地の地理を大づかみに的確な言葉で表現する。ベトナムのあるインドシナ半島と朝鮮半島を「たがいにその歴史も地理的環境も酷似している。似ているというより、ある面で瓜二つと言っていい。」と描写する。
大国中国に地続きで首根っこを抑えられ「鷲が両足で半島を掴んで羽を広げた状態だ」と書かれたひには、「そんな事考えた事もなかった!」と膝を打つ思いがした。
ベトナムとは「越南(えつなん)」が語源で「越」の南と表現しているのだから、中華文明に洗われている。ベトナム(特に北部)は常に中華文明との関係を強いられて来た、、という感覚は、これを読むまで私には無かった。
同じインドシナ半島にあるラオス、カンボジア、タイは、「インド文明に洗われているから諦観主義なのだ」とする。そうか、だから同じ半島に住んでいても、かなり民族の性格が違うのはこれだったのか。。。

民族を鍛えたもの
司馬さんが表現する「ベトナム人」はこれまで私が安易に思い込んでいた人々とどうやら違う。
北部のソンコイ川流域の王朝が、南部のメコン・デルタに住む人々を征服した歴史があるが、ソンコイ川は雲南省に水源を発し高い山が多く、ひとたび雨が増えるとすぐに激流となってトンキン平野を襲ったという。この厳しく、御するのが難しい川によって民族が鍛えられたという。(水との闘いが、賢く、勇敢にし、努力好きにした。)一方、南部のメコン・デルタは天然の調整池を持つ「人に優しい河」で殆ど氾濫する事も無く、田畑を増やしてゆこうという発想を促さない。
土地の利用法をよりすくなくしか知らない民族は、それを豊富に知っている民族のために苦もなく追われるのである。 (「人間の集団について」より)

ベトナムはどうなって行くのか
ベトナム人は狡っ辛く商売が上手い。。とどこかで聞いた事があるが、この著書が書かれた1974年から37年あまり経って、ベトナムはどうなったのかなと改めて考えてみた。
率直に言うと「あれ?陰が薄いかな?」という印象である。司馬さんはこの著書のあとがきに
「ベトナム、朝鮮、日本は随・唐の時代を迎えて当時で言う「近代化」を果たした三国だった。」と書く「儒教システムを取り入れた国」という意味だと思う。 その後それぞれ独自の歴史を辿る訳だが、今日の状況を考えると
  • 落日の日本
  • 決死の韓国
  • 陰が薄いベトナム
という感じだろうか。1986年にドイモイ政策を発表して、中国の「改革開放」路線に追従したのかな?ベトナムの時代が来るのかな?と思った記憶があるのだが、その後どうなったのか。。。
お隣のタイは洪水で世界のメーカーが大打撃を受けているが、 このタイに比べると今ひとつ「世界の工場」という印象が薄い(トップはもちろん中国)身の回りにあるものを見回しても「ベトナム製だよね」という物を即座に思い出せず、「手にしてる物はきっとみんな中国製」という状態と比べると、おや?と思えて来る。
簡単に調べた範囲だが、まだまだ2011年時点でも国内のインフラ(電力供給/輸送網)が整備されず、汚職が蔓延しているそうだ。これでは投下したお金がまともに使われないのではないか、、という懸念を持ってしまう。

「人間の集団について」全編を通し、司馬さんがベトナムを見るまなざしは暖かい。「自分はベトナムと上手く距離感が持てない」と語るように、大国の影響下にあった辺境国に対して司馬さんはずっと興味を持っていたそうだ。

アジアと一括りに言ってもいろいろなんだ、ろくに知らなかったな。。と遅まきながら興味を持ち始めた自分は反省しきりである。

2011年11月26日土曜日

KARAとAKB48とBS歴史館と、、

今回のエントリーは、超いい加減。裏を取らずに感覚的にサラサラと書いてしまうので、予めご容赦を。。。

昨日、たまたまKARAなる韓流ポップアイドルのムービーを観る機会があった。お酢のコマーシャルで知っていたから
「とっても美人なお姉さんグループ」
程度の認識だったけれど、改めてしげしげと映像(音が無かったので映像だけ)を観て、何か心に引っかかる物があった。今朝それが何なのか、「ああそうか!」と気が付く。

「あれは女性特殊部隊だ。」

凄く誤解を生む言い方なので、少し説明すると、大変に苛烈な競争と修練を重ねた結晶が彼女達な訳で、その成り立ちは軍隊のエリートと言われる「特殊部隊」だなと直感的に思ったのだ。
そもそも、あそこまで身長、スタイルが揃っているのは、揃っているのでは無く「揃えた」と思って間違い無い。つまり多くの志願者の中から選抜する訳で、その候補生になる為に相当小さい時から、美の鍛錬を重ねて来たんじゃなかろうか。(いや、KARAの来歴を詳しく調べた訳じゃないので、いい加減です。)
スタイルは、生まれながらに依存するが、身のこなしや歌唱力は、器用さという才能を磨き上げないとある程度のレベルには達しない。美容に至っては如何に「マメ」であるかが勝敗を分ける事を考えると、「全身で戦う女性達」という言葉が浮かんだ。(東方神起のドキュメンタリーをチラっと観た時に同じ事を感じたんだよね。。)

引き合いに出す程詳しく無いが、我らがAKB48は、似た年頃の女子集団ではあるものの、そもそもの成り立ちが随分違うと感じる。これまた乱暴な言い方をすれば
秋元康が「セレクトショップ」を開いているように思える。大きく引いて観ると「似た集団」だが、詳細に一人一人を観ると個性がある。その僅かに違う「個性」を男子達は大喜びしているのかも知れない。(たぶん)一人一人「同じ」では AKB48では無いのだ。(恐るべし秋元康!)

チラッと観ただけだから本当にいい加減だし、韓流にも乗り損ねて「冬ソナ」も「チャングム」も最終回+数回だけ観て、後はあらすじ読んでざっと理解した程度の、ハンパなオバさんが言っている事なので、本当はもっと深い理由があるかも知れない。

またまた話が飛躍してしまうが、今読んでいるちきりんさんの「自分のあたまでかんがえよう」に、WHOの自殺率の統計が出ていた(人口10万人当りの自殺者数)日本がその中で第三位な事は憂慮すべき点であるが、第一位が何と韓国。。(二位ロシア、中国はデータが無くカウントされていない)日本も深刻であるが、韓国は劣らずに深刻なんだと思うと、彼の国の必死さを感じてしまう。90年代後半に経済破綻をしてIMFの管理下に入るという辛い時代から、今は奇跡の回復を遂げたと言われているけれど、それはさらに苛烈な競争社会の上に成り立っているんだと、改めて思う。

先日観た「BS歴史館」で歴代李氏朝鮮王朝の女性達の特集をやっていた。(正確な番組名が検索出来なかった、、)ガチガチに儒教で固められた王妃達の実情が赤裸々に描かれていて興味深かった。世界中どの王朝の後宮でも、女性は熾烈/苛烈を極める競争(男子の世継ぎを産む)を強いられている訳だが、個々のエピソードを知ると歴代の女性達が気の毒になってしまう。夫である王から自殺を命じられたり、追い落とされる時が悲惨なのだ。。
日本にもそんな面が無いでは無いが、あそこまでギリギリと追い込む感じが無いのは、南方文化の
「この子の父親は、本当は村の別の男の種なんだけど、みんなそれは黙って言わない。」
的、おおらかな性のモラルが影響してるんじゃないかなぁ、、などと夢想してしまう。

歴史上、養子を取る事に日本は寛容だったけど、家族の系譜がしっかり管理されている韓国ではアリエナイ事を考えあわせると、、、
「御台所は世継ぎを生まなくてもいいです別に、、だれか側室が産むでしょうそれでOK!」

「何としてでも世継ぎを産んで国母になってもらわないと、それに連なる一族の覇権争いに影響するんだ(妃の実家の男性達の事ですね)」
と追い立てられる立場では、美に対してだって苛烈に成らざる終えない伝統があるんじゃないかしら、、とかね。

KARAの見事なダンスを観ながら、つまらぬ事を考える週末でした。

2011年11月23日水曜日

「中国化する日本」のジェットコースター感

「中国化する日本」與那覇潤著

まるで1000年の時空をジェットコースターで駆け抜けるような、読書体験である。これは基本的に大学の授業を文章化した物だそうで、こんな授業が受けられる大学生は本当に幸せだ。(愛知県立大学生よ心せよ!)
それにしても、著者である與那覇先生(@jyonaha)は弱冠32歳!凄い32歳が居たものである。
私が32歳の時は、、、と思い返すと、二人目を産むにはどうすれば良いか、仕事と子育てを両立するにはどうしたらいいのか、目の前の事に汲々としていて、これほどリッチで遠大な視点は持ちえ無かった。でも、それは著者が言う所の「一人中国化」状態で、生きのびる為に使えるものは何でも使っていたのかも知れない。

與那覇先生は中国化を
「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」
と定義している。なるほど、そんな風に考えた事も無かった!
「この本は高校の歴史教育と、大学の歴史教育を繋ぐ役割であれば良い。」
とtwitterでつぶやいておられるが、例えば私が高校生だった遥か24年前にこの本を読んでも、恐らく1割も内容は判らなかったろう。当時は受験戦争の雰囲気がまだ濃く、共通一次からセンター試験に移行した時代。歴史の先生は日本史/世界史各2人=4人も居て、授業時間はそれなりに多かったけれど、それでも「学び足りない」不足感を持ちながら、専門的な勉強(実技系)の道に進んでしまった。
成人して、それもしばらく経って(子育ての暴風雨が薙いだ頃)コツコツと読んだ物から得た知識にで、何とか理解出来たかなと思う。
グダグダと何が言いたいのかと言えば、ハイティーンにだけ読ませていてはもったいないと言っているのである。以下、思いつくままに感想など。

平家・海軍・国際派
twitterでもどなたか指摘していたが、この本を貫くテーマである「中国化(オープンシステム)」「江戸化(クローズドシステム)」をキーワードに歴史の事象を切り分ける様を見て、すぐに思い出したのが「平家・海軍・国際派」の言葉である。これは、司馬さんが、大前研一さんと対談した時に
「昔から、日本では平家、海軍、国際派はどうしても主流になれない。」
と話していた。「ああ、そうかも。日本ってそうよね。」と妙に納得した。
なぜ勝てないのか、與那覇氏は「みんなの大好きな江戸」という言葉で表現している。

イネ(稲)とイエ(家)で構成された集団単位に、それぞれ「家職/家産」を担わせる方法しか日本は取りようが無かった。律令国家までは、中国からの先端事物をずっと輸入して来たが、宋の時代(960年 - 1279年)に中間支配層である「貴族」を彼の国は滅ぼして、皇帝直轄の「官僚機構(科挙によって選出)=群県制」を作ってしまい、1000年世界に先駆け自国内に「ミニグローバル化市場」を確立させた。が、、日本はそこまで行き渡るだけのメディアが発達していなかった。具体的には印刷技術や言語教育といった基本的な知的インフラが無かった事が影響しているらしい。

司馬さんは対談の席で、しばしば(あ、だじゃれ)
「日本史は鎌倉以降から始まる。」
と断言するが、與那覇氏も同じ事を、違う視点で見ておられる。
「既得権益勢力(貴族や寺社)と国際競争に適した主要産品がなく、没落必至の坂東武者が、宋朝の仕組みを取り入れようとした平家一門を瀬戸内海に追い落とした。」(與那覇氏談)
。。。鎌倉で青春期を過ごした私としては、司馬さん的解釈の
「己が耕した土地は自分の物と言って何が悪い。荘園主など一度も顔を見た事が無いではないか。鎌倉らしいリアリズム。地方農園地主が都から落ちて来た貴種である頼朝を担いで平家を追い落とした。」
、、と表現する方が心情的に合うのだけれど、やはり、物はリアルに見なければならない。
数年前の大河ドラマ「義経」(タッキー主演)でも、清盛の貿易に対する考え方が描かれていて新鮮に映った(描き方が弱かったけれど)。来年の大河ドラマは奇しくも「平清盛」またどんな描かれ方をするだろうか?

明治維新は中国化のさきがけ?
明治維新の解釈も面白い。曰く
日本だけが中国や韓国に先駆けて西洋化した、、、というよりも、そもそも先延ばししていた「中国化」がいよいよ保たなくなって「西洋化」と看板を挿げ替えただけ。中国/朝鮮にとってはそれほど西洋化は魅力的では無かった。
と説く。ほほ〜。これもなかなか新鮮な視点だ。
私は、生半可な知識しか無いが、
儒教の「身体を動かす事を蔑む」傾向が少なからず影響したと考える司馬さんの解釈にも、一定の共感を持っている。
士大夫たるもの身体運動を要するものは、下僕にさせる。。江戸時代に毎年訪れていた朝鮮通信使は
「武士等と言っておるが、あれは「兵士」だ。」
と蔑むような滞在日記を残していたり、韓流ブームのドラマ「チャングム」では医術を学ぶ女性達が
「看護婦なのに売春婦的な事までさせられるのが嫌だ。」
と苦情を訴える台詞がある。
日本は「技巧の練達」をむしろ尊ぶ所があって、鍛錬を要する事に熱中する気質があるのではないか、、と司馬さんは言う。

黒船に他国の脅威を覚えたのとは別に、目の前に現れた「メカニカル」な造形物に、それまで押さえ込まれていた「エンジニアリング」の好奇心が一気に噴出したのではないか。。。これは学術的に照明された訳では無いけれど、寡黙なエンジニアを沢山抱えたメーカーに勤めているから、多分に身贔屓で考えてしまう、、(あ!これが江戸化か!)そう、実感としてそれはあったろうと思えるのだ。歴史的に見ても、何でも国産化にこだわる所も、気質かと…。だから、オープンシステムに負ける時もあるのよね。。

やっと掴めた「陽明学」
本書を読んで一番理解しやすかったのが、陽明学の思い切った説明!下手な事を言って妙な議論に巻き込まれるのを嫌がる為か、これまで、陽明学を端的に説明してくれる文書に出会った事が無かったが、これは凄い。
「結果オーライならぬ、動機オーライ」
純粋で高邁ピュアな動機に基づいていれば、結果が破滅的でもオッケー‼
こんな説明、多分與那覇先生しか出来ない!どーも、司馬さんが吉田松陰について語る時に、ぼんやりとしか理解出来なかったのだが、大雑把な陽明学の本質を私が掴み損ねていたかららしい。いるよねぇ、、こういう人。妙に透明な眼差しで思い込んでしまう、、な人。

女性の存在を忘れていない
さすが、若い方である。後半につれて、社会における女性の立場とその影響についてもしっかり言及している。この視点が、今の40代後半以上の世代にはスッポリ無い(キッパリ断言!)学究的な大学の職場は、ジェンダー差別なんて遠い昔の話だろうが、民間はまだまだ、既得権益者がウヨウヨ居るので、表だって失言しないだけ、一皮むけば「江戸よ再び」と夢見ている。
「ああ野麦峠」に描かれた民間製糸工場の苛烈な能力主義(上手に紡げない女工は徹底して給与を差っ引かれる)と、それでも家に居るよりずっとマシだったという女工達の証言は、同性として深く共感してしまう。
誰が、洗濯機も、炊飯器も、湯沸かしも、冷蔵庫も無い農家の生活をしたいと思うだろうか。宮尾登美子氏の小説だけで沢山だと思うのがホンネである。

今の中国を知りたければ、、
「今の中国を知りたければ、日本び明治を調べろ。(その逆も真)」
いやぁ、この事を知りたかったビジネスマンは沢山いるだろう。とにかく、数字は正直だ。購買力をつけ始めた中国市場を証明する数字に
「とにかく、乗り遅れてはならない。」
と焦るビジネス界。でもその付き合い方がわからなくて(気持ち的にも障壁があって)グズグズと立ち止まっているのが実態ではなかろうか。
表面的な事象を説明するレポートはいくらでもあるが、根本的な成り立ちを全く知らず、理解もしていない不安を、巨大な隣国に感じていると思う(私も含め)。

政治ってそういう物なのね
今に限らず、日本人って政治とか外交とか「下手だなぁ」と薄々気が付き始めていたが、、
曰く
本来、西欧近世の身分制議会というのは、もともと貴族が既得権保護のために王様と話し合うための場所です。したがって、近代西洋産の政治学で考えても、アクターがそれぞれに利権を持っているのは最初から前提で、政治とはそれらをネゴシエートするためのプロセス、という事になる。ところがこれが今日の日本では通用しない。「こいつらこんなに汚く儲けている。」と清廉潔白の士が汚職を徹底追及するワンサイド・ゲームの方がウケる。。

には本当に「目から座布団が落ちる」思い。いい歳してよく判らなかったのだから、自分でもナサケナイ。。本当に「床屋政談」してる場合じゃないし「戦国だけファン」とか寝とぼけた言ってる場合では無いなぁと痛感。

しかし、巻末の文章はさすが若々しくて良かった。こんな頼もしい次世代がやって来ているのだから、多少なりとも我が子らも後に続いて欲しいなと思うばかりである。(とやや過大な期待)

2011年11月17日木曜日

ものみな”男性論”で計算せよ 〜司馬遼太郎対談選集3「歴史を動かす力」より〜

21世紀の現代で「男性論で計算せよ」とはなかなか言えない。言葉尻を捉えて
「女性が計算出来ないって事か!」とか
「時代錯誤の男尊女卑だ!」と
あっという間に袋だたきだろう。女性の私だから大胆にも引用しまうが、もし男性だったら、不要な火種を起こしたく無いから絶対に書かないな。。。
でも、どうにも惹きつけられた内容だったので、備忘録として引用。 
今読んでいる「歴史を動かす力」(司馬遼太郎対談選集3」の中「織田信長・勝海舟・田中角栄」と言うタイトルで、江藤淳氏と司馬さんが対談している。対談時は1971年田中角栄が首相となり「列島改造論」がベストセラーとなる時期だ。私はまだ3歳にもなっていない。
以下、対談の一部を引用
司馬 政治の上で侮という字が出て来る関係はまずいですね。侮米であれ侮中であれ侮ソであれ、まったく意味なき感覚です。
江藤 今は極端な拝中侮台ですね。かつて台湾というところへどんなゴムひも屋が躍ったかどうかは別として(筆者註:ここで言う「ゴムひも屋」とはこの前段で「表玄関から堂々と入らず、小商人が勝手口からコソコソとゴムひもを買ってくれというような外交をしていてはダメだ。」と喩えた事を引いている。)あそこにもやはり人間の心を持った千四百万の民衆が居る。蒋介石政権が堕落しているかどうかは別として、この民衆を忘れたら大問題ですよ。
司馬 それは大問題です。しかし、何と言ってもアメリカの問題を考えるうえで、もし侮米という気持ちがおこるとしたら、アメリカと戦争できるかどうかをまず考えてみなければいけません。これは男子の論理です。男子たるもの、相手をばかにしようとするのなら、まず計算して、戦って勝つという成算を得たときばかにすればいい。ばかにしたければ、ですよ。それにきひかえ、戦争しても負けるくせに侮るというのは、女ですよ。日本人の外交感覚というのは、多分に女性的です。野党も与党も女です。

司馬さん、、女だってそのくらいの計算出来ますよ。。と、思う訳だが、このスパッと言い切る鋭さに、今、私は憧れて仕方無い。
なぜ憧れるのか。。。それは、、、仕事をしている上で「侮り」の計算の上に積み上げられて行く話があまりに多いからだ。
  • たいした事無いよ、こんな物
  • きっとこんな物、市場ではウケないよ
競合と言われる商品を見る時、自分達が優位であると思い込みたいが為に、今そこにあるファクトを見ようとしない。「王様は裸だ」と言おうものなら、そっと粛正されてしまう。またその真逆もある。
  • 大変だ大変だ、こんな○○な物が出た
  • 他社は××な事をやっている
視野が狭くなっているが故に、針小棒大に事を捉えてセンシティブになりたがる。
どちらも同じに思えてならない。
司馬さんと江藤さんは、喩えとして「男子の計算」と言っているだけで、日本民族みなそれが出来ていないと、一刀両断している。敗戦の記憶がまだ生々しい70年代「女々しい計算の結果が太平洋戦争」という重い記憶があるのだろう。江藤氏は石原慎太郎と同世代の作家で、残念ながら同氏の書き物は読んだ事が無いが、99年、先立たれた妻への鎮魂記を書いた後、自ら命を絶っている。(この事件をご記憶の方も多いと思う。)そんな人だから、司馬さんに劣らず苛烈な内容で、対談なのに「あれ?これはどっちの発言だ?」と思うほど、ズバズバ斬り込む論旨はどこか司馬さんに似ている。
引用した箇所は、勝海舟に関する物で
「勝だけが、男子の計算をしていた。世界情勢を瞬時に理解して計算している、そこが、福沢諭吉と違う。」
と語る。

地勢学的に、アメリカ、中国、ソ連(ロシア)と、素肌で対峙しなければならない日本は、西欧諸国とはそもそも外交的負荷が違う。ヨーロッパは18〜19世紀に苦労して鍛錬した結果、今は大学院生が幼稚園の問題を解く様に易しいが、日本はまるで滝壺で滝に打たれるように、モロにこれらの国と対峙しなければならない。なのにその事を自覚している人間は僅かで、大半はおくるみに包まれて眠る赤子のようだ。(江藤氏談)うーん。これ71年の話しだよね、、TPPの話題じゃありません。。念のため。
ヨーロッパも大変だけど(ウッカリ、只飯ばかり食らう食客を招き入れて四苦八苦)ギリギリで転覆しないのは、血で血を洗う勉強代を払ったからなのか、、。

司馬さんがストレートに世情を語る記録はあまり見かけない。晩年は非常に高度な喩えで、一見気付きにくくなっている。

詳しくは、機会があればご一読、、と言う感じだが、
「男子の計算せんといかんなぁ。」
と、心に一匹の狼を飼う女子も思う訳である。

2011年11月13日日曜日

テラスモール湘南に見た日本市場いろいろ

地元の民として、5年位前から待ち望んでいたショッピングモールがいつの間にかオープンしていた。(散々この中吊り広告を電車で見ていたのに、これがあの開発計画の一部とは気が付かなかった!ぱっと見綺麗なビジュアルだけど、モールの宣伝とは思わないよね。。)
そして、出来心でオープン翌日の土曜日(実質的オープン初日)にうっかり出掛けてしまった。夕方18時を過ぎたら、もう混雑も一段落かと思ったら、甘かった。。。同じ事を考えている人間は多いもので、周囲の道路が一度に大量の車を裁き切れず、結局駐車場に入るのに一時間かかってしまった。

藤沢にも郊外型ショッピングモールが増えて来た
手前味噌になって恐縮だが、ずっと藤沢で育った私から見ても、藤沢はそれなりに文化都市だと思う。少なくともそうなりたいと意識している住民は多いと思う。(最近そうでも無いかも知れないが)
気候が温暖で、都心への通勤が可能。古くからベットタウンと地方中核都市の二つの性格を持つ存在だった。都市部への通勤者も多いが、近郊の生産拠点としてメーカーの工場も多く存在していた。ここ数年、その工場跡地が次々と、マンションやショッピングモールに変わっている。海外に生産拠点を移すメーカーが多く、ご多分に漏れず、藤沢からもかなりの工場が撤退してしまった。気が付けば、工場の周りに住宅が密集する程、人が増えていたので広い敷地が空いても使い道に困らないのが現状だ。(戦後、一貫して市内の人口は徐々に増えている。これは喜ばしい事かも知れない。)もはや、工業地帯としての役目は終わったのかも知れないが、日本のあちこちで、この現象が起きているとしたら、どうなるのかなと、少し心配になる。買い物に来てくれるだけの人が居なければ、こんな商業施設も成り立たないだろう。

目の肥えた人々
オープンというご祝儀相場なので、もう数ヶ月すれば人出も落ち着くと思うが、開いたからには軌道に乗って成功して欲しい。私個人としてはシネコンがやっと出来たかと、感無量である。昔は、藤沢に映画館が多くあったが、近年のシネコンに押されて全て「パチンコ屋」になるという悲惨な有様である。映画を観たいと思ったら、一番近くても車で一時間はかかる所にしか無かったのだ。(~~;)それも、ジャスコとかマイカルとか、イマイチ「普段使い」の品揃えばかりのちょっと「あか抜けない商業施設」と抱き合わさっている所ばかりで映画以外の用事をついでに済ませたいと思わせるには、今ひとつ物足りなかった。
今回のテラスモールは、飛ぶ鳥の勢いのテナントが多く、藤沢市民には垂涎ものだ。

「まるで、横浜あたりに居るのかと、錯覚するよな。」

と人混みの中で、ご夫婦らしきカップルの男性が、奥さんに向って話していた。そうなのだ。ここいらの住人は横浜まで遠征していた人達で、シャレた物が欲しいと思ったら時間とコストをずっと掛けて来た人達なのだ。だから「目だけは肥えている」

「ユニクロの方が綺麗だよな。H&Mはもうぐちゃぐちゃなんだよ。」

これも、人混みの中でとある男性がつぶやいた言葉。確かに、聞きしに勝るユニクロの社員教育は徹底していて、オープン当初という過酷な人出であるにも関わらず、ハイエナに荒らされるが如くの商品棚が、数分すると整然と整頓されている。強化されたスタッフが片っ端から乱れを直して行くのだ。恐るべしジャパン・クオリティ。H&Mへは見に行く時間が無かったのだが、恐らく、かの男性の証言は正しいのだろう。(海外企業ではそんな事に人手を割くなんて考えられないのだろう。)

企画立案書を一度見てみたい
ららぽーと横浜や、プレミアムアウトレットで有名な「三井」はこの手のモール立ち上げはお得意で、ここも三井かなと思いきや、住友系の会社だった。しかし、当る商業施設にするために、どんな調査や企画を練ったのだろうと、この手のモールに行く度に思う。
ただ、今回は自分の生活圏内にあるモールなので、しげしげと各店舗を見渡して、よくリサーチして選んでいるなと感心した。
少なくとも、我が家のような家族構成には、かなり魅力的である。家族の誰もが行きたいと思うお店があるのだ。

夫→自転車ショップ、家電量販店、文具店
私→本屋、手芸(ユザワヤ)、コスメ、服飾
長女→本屋、画材、服
長男→スポーツショップ
次女→赤ちゃん本舗、おもちゃ

実はすぐ近所にも、似た様なモールがある。もうオープンして5年以上経っているが、そこは一度行って「まぁ、また何かのついででいいか。」と思ってしまった。なぜそう思うのか、明確に言えないのだが、強いて言うなら
「時間を使ってまで行かなくてもいい。」と思ってしまったのだ。一見綺麗なお店が並んでいるのだが、よく見ると内容が平凡で、印象にあまり残らなかった。
こう考えると、お店を出すというのは難しい。オープンするのも大変だろうが、売り上げが成り立つには厳しい現実があるんだなとつくづく思う。

まだ、トコトン利用した訳では無いので、期待値だけの記事になってしまったが、もう少し落ち着いたら、じっくり利用してみたいと思う。

2011年11月6日日曜日

「スティーブ・ジョブスⅡ」読書感想〜無限の彼方へ〜


iPad2の電子書籍版と書籍版を並べてみた。。
週末一気に読んでしまって、少し脱力。。でも、噛み応え充分の本書は、2000年代にパソコンとIT業界で何が起こって来たのか、そして、これからの未来がどうなるのか、考えるに充分な内容になっている。いつか、読む事をオススメ。(今日の読書感想は、ややネタバレでないと、どうも書けない気がするので、これから読まれる方は要注意。)

オープン vs クローズド
パソコン黎明期を体験して来た世代には、懐かしい言葉だ。デジタル情報をずっとキャッチアップして来た人には、聞き飽きたテーマだろうが、これは延々と繰り替えず「あざなえる縄」の様だ。
マイクロソフトが、プラットフォームであるOSをオープンにした事で、市場を席巻し、ジョブスのAppleは完全に負けた。本書は浪人中のNeXT時代から記述が始まるが、ハードとソフトの垂直統合にこだわったジョブスが、iPod/iTunesで業界にイノベーションを起こしたあたりの快進撃は一番読ませる。必要な物全て持っていたにも関わらず、業界を変革出来なかったソニー(池田信夫さんも鋭く分析しておられる)の下りは、同じ日本人としてやや悲しく情けないが、、他山の石とは思えず、思わず背筋が寒くなる。
ソースは常に公開され、広く多くの人々によって玉石混合で作って行こうじゃないかという考え方(オープン派)と、いやいや、それじゃ結局グダグダで、判りにくく使いにくい物が山の様に出来上がるだけだという考え方(クローズド派)、どちらも一理あって、時勢によって交互に優勢になっているのが、2000年代であるらしい。
iTunes/Appstoreまでは、クローズド派が先行優勢だったが、Androidの登場でまた「オープン」の時代が来るのではと囁かれている。(我が家の夫などはこっち派)
この状況下でのジョブスの死は、凄く痛いんじゃなかろうか、、と思えてしまうが、本書を読んで少し印象が変わった。

Appleの人々
ジョブスのプレゼンテーションが強烈なので、Appleは「ジョブス帝国」という印象を持ってしまうが、本書は2000年になってからのAppleを支えた人々の記述も多い。特にデザイン部門を統括する「ジョニー・アイブ」は度々登場して、後任CEOを務める「トム・クック」よりも印象が強い。
1967年生まれ(!!ほぼ同世代だ!!)のアイブは、イングランド出身で銀細工場に務める父を持つ工業デザイナーである。ジョブスが「心友」と称する間柄で、ジョブス復帰後に生み出されるAppleの製品デザインを全て統括して来た。(もちろん、彼の下のチームがアイデアを出しているのだろうが)
このアイブが、よく悲しくなったのが、自分や自分のチームの仲間がスケッチしたり作ったアイデアを、ジョブスは初見で「くだらん!」とけなした癖に、しばらくすると、さも自分が考えたかの様に他で言って回ってしまう姿だったそうだ。(究極は製品プレゼンの時)デザインに限らず、昔からしばしばジョブスにはこの癖があって、却下した癖に、後日「いい事を思いついた。」とその却下した内容を進言した当人に、滔々と述べたりしたそうだ。(言われた本人も「それは、私が先日申し上げた内容ですが。」ときっちりやり返したらしい)
そんな「無茶苦茶CEO」ではあるが、アイブはジョブスを信奉している。慕っているからこそ、何故そんな無体な事をするのかと悩むらしい。アイブが工業デザイナーらしい鋭さで、プロダクトを磨き上げるセンスを、ジョブスも買っていたし、彼の考え方は非常に含蓄があって、畑違いであるが同じデザインを志す身として、学ぶ所が多い。
又、クールで有能なトム・クックは、彼だからジョブスの代役が務まると思える人物で、アクの強いメンバーをソフトに統括しているらしい。しばらくは、Appleも今の勢いで成長して行けるだろうが、問題は飛躍しなければならない時に、どのように判断するかではないだろうか。
こうして読むと、昨今飛ばしているAppleのクールなアイデアは、一つ一つをジョブスが考えた訳では無く、周囲が懸命に進言したり、ブラッシュアップした物が殆どである事だ。そして、それはジョブスが目指した究極の姿でもある。

永く続く会社を作りたい
本書を読んで目を開かされる思いだったのが、ジョブスのこの言葉だ
僕は、いつまでも続く会社を作る事に情熱を燃やして来た。すごい製品をつくりたいと社員が猛烈に頑張る会社を。それ以外は全て副次的だ。もちろん、利益を上げるのも凄い事だよ?利益があればこそ、凄い商品を作っていられるのだから。でも、原動力は製品であって利益じゃない。スカリーはこれをひっくり返して、金儲けを目的にしてしまった。殆ど違わないというくらいの小さな違いだけど、これが全てを変えてしまうんだ。ーー誰を雇うのか、誰を昇進させるのか、会議で何をはなしあうのか、などをね。(スティーブ・ジョブスⅡより)
上巻から下巻まで、時折「HPの様に永く続く会社を作りたい。」と彼は語る。そしてその「すごい製品」とは、人々の生活が豊かで創造性に溢れ、喜びに満ちた物になる事を手助けする製品であって欲しい、、渇望に近いまでの情熱を持って取り組んで来た事は、言うまでも無い事実である。

約一月前に訃報を聞いてから、この本が出るまでの間に、iPhone4Sに機種変更をして、iCloudを介したストリーム時代を体験している。アップグレードでデータが消えてしまったり、それを復元するのに丸一日使ったりと、それなりに四苦八苦したけれど、配線をつながなくても、自動で同期が取れる環境に改めて感動を覚える。
4歳の娘はiPad2がお気に入りで、動く絵本や種々様々なお絵描きソフトを、勝手に使って楽しんでいる。完璧なデジタルガジェットエイジだ。本書でもジョブスが
「字も読めない田舎の子がiPad2でゲームを勝手に始めた。」というエピソードを聞いて喜んだとある。世界中のそこここで、この現象は起きているだろう。
彼はこのiPad2をテコに、教育界も改革したかったらしい。本当に残念な事だ。我が家にも三人の未成年が居るが、この子達の時代はどんな世の中になっているのか、ジョブスの伝記を読みながらそんな事に思いを馳せる。
ジョブス程の事は何も出来ないが、少なくとも Cクラスの頭脳でも、考えないよりはずっといいだろうと自分に言い聞かせたりもしている。

さて、何となく追悼気分だったのを、そろそろここいらで終わらせたいと思う。
最後にとても心に残るスピーチを紹介しているMACLALALA2さんのブログを紹介して終わりにしたい。英文と翻訳の対になっていて非常に良いです。

「ジョニー・アイブの追悼スピーチ 」
「血を分けた兄の死(1)〜(4)」実妹モナ・シンプソンのスピーチ

2011年11月2日水曜日

「ステーブ・ジョブス I」読書感想〜審美眼を持った男〜

今日、下巻が発売だから、明日か明後日にはAmazonから届くだろう。上巻を読んだ感想を軽く、、。

大変な男
知ってはいたけれど、ジョブスという人は知れば知る程、大変な人であった。身近に居たらこちらが潰れちゃうだろう。が、部分的に「誰々に似てるな。」と思える所もある。総じて、イロイロ魅力的であるのは確かだ。

著者アイザックソン氏の力量が非常にいい。丁寧な関係者への聴き取りで構成された内容は、ジョブスの生涯を通して、一時代を築いたシリコンバレーの歴史も知る事が出来る。あの時代は何だったのかと、振り返るにも良い書だ。
執筆はジョブスからのラブコールで実現した。彼はこのアイザックソン氏の著書を読んだ形跡も無く「キチンと書いてくれそうだから。」という理由で指名したらしい。
「君は自伝を書くにはまだ若い。」
と一度は断るが、ジョブスの妻から
「書くなら今しか無い。」と耳打ちされる。
死期を悟ったからだろう、最終原稿のチェックも自分はする必要無いと宣言したそうだ。

本書を読むと「ジョブスの慧眼ここにもあり。」と思わざる終えない。
この執筆依頼の一事を取っても、彼の物事を見抜く目の確かさの証明になっている。それだけ、この著書はプロの仕事に徹している。

泣いてしまったピクサーの下り
ネタバレになるので著書内のエピソードをクドクド書くのは控えるが、時系列に並んだ内容を読むと、直ぐ近くでジョブスの人生を追体験している錯覚に囚われる。
正直、若い頃の彼は「嫌な奴」で傍若無人。人を人とも思わない「共感力0人間」にしか見え無い。何と言うか「格好良く」は無いのだ。(若きアントプレナーとして、とてもモテてるのが実際なんだけど)
有名なApple失脚の下りは、読みながら「仕方ないかもなぁ。」と一瞬思てしまう。
だが、ほぼ同時期に彼はピクサーを買っている。(株の70%を取得)

上巻の最後はピクサーにまつわる話なのだが、私は
「ピクサーに関して、ジョブスはうるさく干渉しなかった。それが功を奏した。」
と言われていた噂をそのまま信じていた。

ところが、本書を読むとそれどころの話では無い。

赤字続きでお荷物だったピクサーを、一時は売ろうとも思うし、オーナーとして厳しい経費削減も断行する。最初はハードやソフトを売る部門も持っていて、ここから収益を上げたいと目論むが結果はさっぱりだった。
それでも、ラセター率いるアニメーション部門には制作費を出し続けた。
「いい作品を作ってくれ。」
とだけ言って、なけなしの経費から小切手を切る。
アカデミー短編部門で、ラセター達がCGアニメで初のオスカーを獲得した時の下りは泣かせる。

一度はお払い箱にしたディズニーが、ラセターのオスカー獲得を知って寄りを戻したがったが、ラセターは、ジョブスとピクサーへの恩義から首を立てに振らない。
名作「トイ・ストーリー」をディズニーの出資によって作り始めるのだが、この時のジョブスの活躍は目覚ましい。
あのディズニーからダブルネームでの興行権を勝ち取るし、ディズニーの口出しで余りに酷い仕上がりになってしまったトイ・ストーリーを、再作成する制作費交渉でも辣腕振りを発揮する。この時、とにかく資金力を付けなければどうにもならないと痛感したジョブスは、大勝負に出る。

何と、まだ一作しか作っていない無名に等しいピクサーの株をIPO(株式公開)すると決断する。しかも、トイ・ストーリー公開と同時にだ。
ラセターは、もう数作作ってからと進言するが、それはディズニーへの危うい隷属を予感させた。
蓋を開けると、公開と同時に株価は急騰。ジョブスは賭けに勝った訳だが、彼は「金儲けに興味は無い。」と言う。
ピクサーが、それまでのアニメーション界を変えると読んでいたのかも知れないし、純粋に彼らが生み出す作品には極上の価値があると確信していたからかも知れない。
私は、後者なのだと思う。何故か、このピクサーのジョブスに私はとても惹かれた。それまでは「自分が世界を、宇宙を変える。」と公言してはばからなかった彼が、とても利他的にその能力を発揮していたからだ。
誰もが知る、Apple復帰後の快進撃の布石が、ここにあったのでは無いかとさえ思う。

審美眼≒目利き
ジョブスはよくビジョナリーと賞された。確かにそうかも知れないが、私はむしろ、とてつもない審美眼の持ち主なのだと悟った。
よくよく注意して読むと、彼は自ら手を動かして何かを作った事は少ない。(初期のMacに15年入っていた電卓のルックスくらいか!(^^)

作る人と言うより、見抜く人なのだ。実の妹のモナ・シンプソンが弔辞で述べた様に、ジョブスは近所の自転車屋に入って一瞥しただけで、最もいい品を言い当てるのを得意としていた。
ビル・ゲイツは「当たる技術に対して、恐ろしい程に鼻が効いた。」と賞する。

透き通った眼差しで、本質の結晶を見抜く才能は、芸術を生み出す才能と同等に得難い。或は、それ以上に貴重な存在だ。見いだしてくれる力が無ければ、才能も芸術も朽ちて行くだけだからだ。
何て事を言っていたら、発売日に下巻が届いた。
読みたいような、少し寂しいような。ギリシャ悲劇のオイディプスの観客の様に、我々は迎える結末を知っている。それでも、読まずにいられない魅力が、この人物の人生にはあった。

2011年10月9日日曜日

「神様の女房」を観て兵站ってとっても身近で重要な事だと再認識した

実は、「坂の上の雲」を読むまで、私は「兵站(へいたん)」という言葉を知らなかった。
 兵站(へいたん Logistics)とは一般に戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また実施する活動を指す用語であり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。兵站の字義は「の中継点」(Wiktionary 「」)であり、世界中で広範に使用される英語での「logistics」は、ギリシア語で「計算を基礎にした活動」ないしは「計算の熟練者」を意味する「logistikos」、またはラテン語で「古代ローマ軍あるいはビサンチンの行政官・管理者」を意味する「logisticus」に由来する(Wikipediaより)
 坂の上の雲ではこんな事を描いている。
  •  日本陸軍は遺伝的に「兵站」に対する感覚が鈍かった。
  • ドイツから招いたメッケル少佐が、当時の陸軍大学校で「兵站のプランを考え、実施する」という演習をした。生徒は「梅干しを多めに用意しておけば良かろう。」とその通りにして、大変な勢いでどやしつけられた。。というエピソードがある。
  • 内戦しか戦った事が無い日本民族は、戦は基本的に「現地調達(略奪ばかりでは無かったが、行った先でもらって食べる等)」で物資を長距離運ぶという感覚が判りにくかった。(例外的に豊臣秀吉は違ったとも書いている)
  • その悪癖は昭和に入っても治らなかった。それは兵站部を蔑視する感覚に由来した。
  • 海軍は兵器あっての組織で、陸軍に比べると、兵站の準備に抜かりが無かった。

私はこの内容がもの凄く印象に残った。と同時に、「分かる分かる!」と膝を打ちたいばかりに、ニヤニヤしながら読んでしまった。
そう、未だに日本の固陋な組織は「兵站」をばかにする風潮が抜けていないのだ。前線で華々しく活躍する兵隊(例えばメーカーではエンジニアとか商品企画部門)が主役で、円滑に進める為の、縁の下の力持ちは「居て当たり前、ま、適当にやっといて。」の感覚が抜け切っていない。表向きは「助かってます。」とは言うけれど、心底重要性を理解していない事が透けて見えるのだ。

そして、私がもの凄く共感してしまったのは、家庭生活も基本的に「兵站」だと判ったからだ。

毎日食材が冷蔵庫に満たされているのはなぜか?具合が悪くなった時、怪我をした時、どこからともなく薬や、絆創膏が出て来るのはなぜか?消耗品が補充され、ゴミがいつの間にか無くなっているのは何故か?

適正な「入り」と「出」を掌握して、調整するのは組織が健全に動く為に必要不可欠な機能で、家庭生活はその塊なのだ(そしてくつろぎ、育む場でもある)。

NHKの土曜ドラマで「神様の女房」が放映されている。(今日がきっと二回目)松下幸之助の夫人「むめのさん」を主人公に据えたドラマなのだが、第一回目を見て
「ああ、この人は兵站が判っていた人だったんだ。だから松下幸之助がここまで成ったんだ。」
と判った。
彼女の実家は、淡路島で手広く海運業を営む商家で、沢山の姉弟の中の次女として育った。むめのの父(津川雅彦演じる)は、幸之助との結婚には良い顔をせず、祝言の席で娘の事を褒めちぎる。

「動くのが好きで、気働きが出来、料理裁縫どれをやらせても器用で上手く、そつが無い。おまけに身体が丈夫と来ている。男であれば優秀な船乗りになれる所を、 実に惜しい。」

常磐貴子さんが演じているので、どうしても「可憐」な人に見えてしまうが、実際の写真を探してみると、どっしりとした「肝っ玉母さん」で「そうよ、そうでなくっちゃ!」という感じである。
「よく居る、しっかり物のお母さんだよね。」
と思ってしまう男性諸氏は認識が甘い。この様な人達にもっと権限を与えていますか?今の社会は?と問いたい。

さて、なぜむめのさんが凄く「兵站」感覚を持っているなぁと思ったのが、新婚時代の話。家計を預かって、最初に予算を組んでいる。
いや、わかっちゃいるけど、これはなかなか難しい。私の母なぞ、ついぞ予算なんか組んだ事は無く、いつも「感」で家計をやりくりしていた。だから私も働くまで(いや、働いてしばらくしても)「予算を組む」というのがどういう事なのか、しばらくピンと来なかった。欲しいなと思う物があっても、その時お金が無かったら「諦める」という選択肢ばかり。。あったら、あっただけ使う、、という感じは、世の家計を預かる人にありがちな事では無いだろうか。

単に、予算を組むと言っても、家計の基礎代謝量を把握しないで予算編成すれば「無謀な切り詰めで弱体化を招く」という事も、むめのさんはすぐに気が付く。
自分の夫の月給は日割制で、病欠すれば給与額は減ってしまう。当時、幸之助氏は大阪電燈(現、関西電力)の配線技師の仕事をしており、身体を使う職種だった。
予算を組んでその通りに、やりくりしようとしたものの、予算内に収めようとすると内容に響き始める。
「週に一度はお肉を食べましょう。」
身体がもとでの仕事には、必要な栄養素は確保しなければならない。でもそれにはコストがかかった。
ここで彼女はこっそりと、縫い物の下請けを始める。実家がかなり裕福なのだから「支援」を要請すれば手っ取り早いであろうに、そう思わない所が肝が座っている。(易きに流れたら、今の松下グループは無いでしょうな。)

しかも、父親が誉めるだけあって、相当腕が良かったのだろう。夫が夜学に行って不在の間、せっせとこなした下請け賃料が積もり積もって40円。後に、幸之助氏が大阪電燈を独立起業する為に退職した時の退職金を上回ったというのだから、なかなかに痛快である。

現状を把握する、合理化を追求する、必要な時にはリソース投入は惜しまない、そして、強みを生かしてインカムを増やす。その見識の確かさは、起業家の妻として、これ以上望みようが無いですな。
さて、日本を代表する世界企業の創業期のお話、時代の違いはあっても、なかなか面白く今振り返ると何か気付きもありそうで、続きを注目しております。

2011年10月7日金曜日

同時代人を失う事、歴史を見る眼差し〜加藤陽子先生の著作が教えてくれたもの

昨日の大ニュース で、すっかり動揺してしまった。そして、ハタと気が付く。

「この悲しみは、同時代人を失った悲しみなんだ。」

2011.10.5まで、スティーブ・ジョブスは歴史の人では無く「今の人」だった。だから意識もしないし、居て当たり前だった。今を生き、Appleの次の製品発表は何かなぁと漠然と期待し、「歴史」を趣味として他人事のように安穏と眺めるだけで良かった。

でも、今は違う。
同時代が足元から「歴史」という保管庫に入っているという事実。頭では「歴史は今の地続き」と判っているつもりでも、どこかで見て見ぬふりをしている。
「そうでは無いのだ、おまえも歴史の一部なのだ。」
と現実を目の当たりされて、うろたえている。

歴史の潮目は緩やかに変化し、ずっと眺めていると、かえって判らない。毎日顔を合わせる家族の成長や老いに鈍感になるのと同じだ。ちょっとしたきっかけで時間の経過に唖然とする。

もう、あんなに人をワクワクさせてくれる人物は二度と出て来ないのでは無いか。 この先つまらない世界しか無いんじゃないか。どうしたらいいのか。。。
そこまで考えて、ふと思う。

「そうか、加藤先生が言いたかった事はこれか。」

おぼろげながら、最近読んだ本が言わんとしている事が理解出来た気がした。

加藤陽子先生は、東大文学部で近代史を専門に教鞭を取っておられる。
「大学で、こんな先生に師事してみたかった。」と思ってしまう。とても考え方が立体的で素晴らしい。
歴史好きでなくとも、加藤陽子先生の著書は一度は読まれる事をおすすめする。(現役東大文学部一年生よ。諸君らの幸運を心すべし!)

先生の調べは緻密で、しかも視点が広い。私的に残された日記、メモ、各国の公文書館で公開され始めた機密書類、諜報情報と、鳥の目、蟻の目と視点が自在に動く事で、歴史が立体的に浮かび上がる。
一般的に語られていた事をそのまま掘り下げて、デティールを追うのでは無く、経済、外交、世界情勢と言った世の中を形成するに不可欠なジャンルからも歴史を眺める。そしてその時
「自分がその当事者だったらどう判断し、振る舞うのか。」
と問う。
すると、全く違ったリアリティある歴史が浮かび上がる。

加 藤先生の著作は、丹念に小さなファクト(事実)を積み重ねる。それでいて、堅苦しい 訳でも無く、冷たい訳でも無い。むしろ、滲み出る優しさがある。それは、過去に生きた人であろうとも、無邪気に批判の鞭(無知とも言える)を加える事を 良しとしない、「引受ける姿勢」に貫かれているからだ。

著書のあとがきの一文が非常に良いので引用したい。
私たち日々の時間を生きながら、自分の身の回りで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する、評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例から類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。 そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積され、ファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと、私は思います。(「それでも日本人は「戦争」を選んだ」あとがきより)
これは歴史を見る視点だが、レッテル貼りをせず、一見遠い関係に見えそうな事柄を結びつける行為は、画期的発明(イノベーション)が生まれるのに必要な素地と同じではないかと思ったのだ。(ジョブスの演説で言う所の、「点と点をつなげる」)

未来を予測するのは超人的な才能だけでは無い。無意識下に蓄積された過去の事例の多寡も、きっと、いや、かなり影響するのではないか。
ジョブスが凄かったのは、その点同士をアレンジする力であり、完成型のビジョンが見えた途端、精緻に根気強く投げ出さないで積み上げてゆく粘り強さだ。

今後、沢山の逸話や伝記、エピソードが出て来るだろう。

「あんなの、どれをとっても普通の技術なのさ、何一つ目新しい事は無い。GUIだってジョブスが生み出した訳では無いんだ。」

そんな声も聞いた事がある。そう言い出す人も増えるだろう。

だが、と思う。一つ一つはそうかも知れない、でも「適切な時に適切な結びつき」が出来るかどうかは、深い美意識に裏付けられなければならない。
浅知恵のアッセンブリーからは残念ながら生まれないのだ。人の世を深く理解するには、様々な知性を総動員しなければ、その一旦を掴む事すら難しい。そんな事を思った。

昨夜公開されたクローズアップ現代の
2001年に行われたジョブスの貴重なインタビュー
今から10年前と思うと、非常に深い内容である。
「もっとコンピューティングは、人間的でエモーショナルな表現が出来るはずだ、それを手助けしたいんだ。」
インタビュー後半5分に語られるビジョンを、その後の10年で着実に実行して行ったジョブス。奇しくも国谷キャスターが
「10年後はどうなっていると思いますか?」
という問いは、歴史的問いだったと思う。

2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブスがいつも背中を押してくれた

四歳の娘が、iPad2で映画を観ている。ドックに挿したiPhone3GSからiTunesで買った曲が流れている。そして今日のエントリーも iMacで書いている。今日という日にこのエントリーは書かねばなるまい。

スティーブ・ジョブスの早過ぎる急逝に、世界が泣いている。そして、自分でもびっくりするぐらい、ショックを受けている。会った事も無いし、名物の基調講演も熱心に聞く程「信者」では無いけれど、成人として世間に出る頃から、ジョブスの生み出す製品に恩恵を受けてここまで来たと、認識を新たにしている。

グラフィック・デザイン界にMacが無かったら、、、恐らく、私は身体を壊して一線を退いていただろう。大袈裟でなく、結婚も、出産して子どもを産む事も、叶わなかったかも知れない。それほど、グラフィックデザインの末端現場はキツく、3 K職場であった。(まあ、今でもその傾向はあるが)Macの登場とその内容と質の高さは衝撃的だった。
「版下の誤植をこれで切り貼りしなくていい!」喉から手が出る程、みんな欲しがった。今や業界の伝説である。

「Macはセンスがある。」デザイナーでは無く、エンジニアである夫はこう言った。さして共通の趣味が無い私たちが、もう十年以上夫婦で居られるのも、Macの先進性と、とてつもない凄さを一発で理解し合えているからだと思う。結婚以来、我が家の敷居をWindowsマシンが跨いだ事は無い。

「Apple倒産するかも知れないな。」
夫がこう言ったのは、確か1998年頃だったと思う。仕事に欠かせないMacが無くなったらどうしようと戦慄したからよく覚えている。

奇妙な事に、私はNeXT版のIllustraterを使った事もある。これはかなり希少な経験者では無いだろうか。1995年頃だから、まだジョブスはAppleに復帰していない。NeXT STEPは今のMacOSXの原型であるという話は有名だが、才気走ったアイデアを具現化するハードが追いついていないというのがNeXT STEPだった。そして、あの当時のAppleは迷走していた。

「Appleはジョブスを迎えて、『AppleはやはりAppleらしく先進的であろう』を合い言葉に再生します。」

とAppleジャパンの黒いTシャツを着たプレゼンテータが、何かのカンファレンスで話した事も妙に覚えている、あれは長女が既にお腹に居た時だから1998年の秋だったのではないか。それまで操業の象徴だった、虹色のリンゴマークを単色のリンゴに変えた頃である。まだiMacは出ておらず、しばらくして、あの鮮烈なCMを観た時
「ああ、この事だったか。」と合点が行った。

今日のTwitterで良いエントリーを見つけた
「まつひろのガレージライフ」
ここに書かれているジョブスの凄みは、経営者としてのジョブスの姿を表しているが
「やっぱり、独裁者で無いと良いものは作れないんだな。」
と読んでしまうのは、理解が浅い。彼は決して自分の欲望の為に「独裁者」になった訳では無い、その証拠は生み出した製品が雄弁に物語っている。私欲を満たしただけでは、これほど世に愛される訳が無いからだ。

曲がりなりにも、メーカーに務めていると、Appleは羨ましてく仕方無い会社だけれど、理想を具現化するには、技術、デザイン、交渉力、マーケティング全てに「スマートさ」と「諦めない強靭さ」が無ければ、多くの共感は得られないのだと思う。

「みんな不正がしたくて、している訳じゃない。正当な手段があればきちんと対価を払って買いたいはずだ、その方が便利だし楽しいから。」

とは、iTunesStoreを開く為に、大手音楽レーベルを口説き落した時の台詞だそうだ。Napstarをはじめとした、音楽デジタルソースの違法コピーが横行して、訴訟が起きていた当時、今思えばよくこれだけの交渉をまとめたと思う。

iPodの登場で、仕事に欠かせないメーカーから、生活に欠かせないパートナーになった。時間が極端に少ないWorkingMotherにとって、全ての楽曲を持ち歩ける魔法の箱は、片道2時間の新幹線通勤をどれだけ支えてくれたか知れない。

思い返すと、人生の節目、節目で「怯んでしまいそうだ」とか「諦めよう」とか、困難に出くわした時、楽しげに解決策を目の前に見せてくれたのが、Appleでありそれはスティーブ・ジョブスだった。

偉大なビジョナリーの命を奪った病は、癌だった。
これは勝手な私の思い込みだが、癌とストレスには因果関係があると聞いた事がある。ステーブ・ジョブスは、人々がどうしたら喜ぶのか、それを察知する感度が異常に高いのだと思う。ビル・ゲイツは
「ジョブスのセンスを買う事が出来るのなら、いくらでも出す。」
と言ったそうだ。
感度の高いセンスは、ストレスとの背中合わせだ。

操業したAppleを建て直すと決心した時から、彼は身を削って来たのかも知れない。そして、その意思とセンスは、誰かにそっくり受け継がれる事は無いけれど、少しづつ、彼と彼の製品を愛した人達の中に、根付いていると信じている。

心からご冥福を祈ると共に、感謝の念と、大事なバトンを受け取ったつもりで、微力ながら己を精進したいと思う。

Stay hungry stay foolish



2011年9月23日金曜日

食に対する難しさと奥深さ

極上のサラミと味わいまろやかなブリーチーズ(DEEN&DELUCA)
 仕事で、 DEEN&DELUCAにお邪魔する機会があった。お洒落な輸入食材屋さんである。
カフェでお茶を飲んだり、ランチボックスを食した事はあるが、基本的にお値段高めで、なかなか庶民の手には届かない。

しかし、丁寧に手を掛けて厳選した食材は味が違うとよく判った。都心に住んでいると、こんな贅沢な食材が気軽に手に入るんだなぁとひとしきり関心する。毎日ここの総菜で、、という人は稀だろうが、滅多に都心に出ない身には新鮮な体験だった。

乾燥ペン(リングイネ?)はオーバーボイル気味に
 さて、ひとしきり感化されると、この感動を家族にも少しお裾分けしたくなった。
お店の人にアドバイスをしてもらいながら、連休中のパスタランチ用に、食材を少し奮発して買った。普段買う値段の4〜5倍はするカラフルペンネと、キノコクリームに使うペースト一瓶。
アドバイスしてもらわないと、どう調理して良いか判らない代物だが、季節のキノコをたっぷり使った生クリームソースが良いと教えてもらう。ペンネの色、形が様々に入っていて「これは子どもが喜ぶかな。」とワクワクしながら買ったのだが。。。
最後に簡単に作り方を記しておきたいが、今日のエントリーの主題は「この料理がとてもウケて、美味しかった」という所では無い。(もちろん美味しかったんだけど)

一目見るなり四歳児は拒否!でも味は抜群だったのよ。。
お店に人に「ペンネはどうしても芯が残って堅くなるので、オーバーボイル気味がいい。」とアドバイスしてもらい、かなり上手にボイル出来た。(表示時間よりも+5分)でも、出来上がったこの皿を見るなり、四歳の末っ子は食べるのを拒否。
膨れ上がったペンネがグロテスクに見えたのだろう。乾燥した時の可愛らしさは無くなって、 何だか大きな物体がゴロゴロ。パスタは大好きメニューなのに、いくらパスタだと説明しても全く食べなかった。まあ、残りの家族は美味しい、美味しいで完食してくれたので、大多数の支持を得た訳だから、良しとしなければならない。
子育ての料理の難しさがここにある。
経験者であれば、痛いほどわかると思うが、授乳期から離乳食/普通食へ離陸する時の難しさは筆舌に尽くしがたい。私の経験では「手を入れ過ぎても、手を抜き過ぎてもダメ。」である。
懸命に作った料理を一口も食べないで拒否される事など、子育てではザラで、ここで怯んではいけないのである。硬軟取り混ぜて、粘り強く「味」に対する経験値を広げるのが、地味だけど王道なのだ。

かれこれ10年以上母親業をしていると、もう炊事は「うんざりルーティン業務」である。早く自活してくれないかなぁと指折り数えてしまうし、休日の食事作りは一番グズグズとやりたくない家事となってしまった。
これでも若い頃は、料理が大好きで、張り切って作ってしまう、独身男性が見たら「ドン引きしてしまう女」だったが、その厭わなかった私ですら「もう作り無く無い。」のだから、食というのは非常に業が深い。

徹底して手抜きをしようと思うけど(そうでないと、毎日身が持たないので)どこかで越えてはいけないと思っている「一線」がある。
中一娘のお弁当は、やっぱり作ってやらなくちゃと思うし、コンビニや、ほか弁、カップヌードル、菓子パンだけで一週間の食事を回す事に、どうしても抵抗を感じてしまう。
文句を言いながらも、手づくり食にこだわった母に擦り込まれた「ジェンダー規範」なのかも知れない。
もちろん、ファストフードはあった方が良い。ありがたいと感じる人は多いだろうし、カップヌードルは日本が生み出した誇れる食材だと思う。気を抜きたい時のかけがえの無い友である。

この所、善くも悪くも「慣れ」てしまっていたから「この取り揃えなら及第点だろう。」という勘所が判ってしまい、食卓がマンネリだった。そして、久々に食らった「飲食拒否」の反応に少し目の覚める思いがした。拒否されるのが面倒なので、最初からYesと言いそうな所ばかりを狙っていたなと、反省しているのである。
姉兄に比べて「食わず嫌い」の傾向が強い末っ子のケアが足りなかったなと気が付いた。どうしても上二人がパクパク食べるから「そのうち食べるだろう。」と呑気に構えてしまっていたが、「私の事を見てくれ。」というサインなのだと思う。

先日の台風騒ぎでこんな事があった。
電車が全て止まってニッチもサッチも行かない。いつもこんな時に頼りにしている老母に、車で迎えに来てもらう間、老父は孫三人と留守番をしてくれた。料理なんて何も出来ない人なので、孫達にカップ麺を食べさせたらしい。普段、あまり食べていないから、子ども達は楽しんだろうと思ったら、長女曰く「でも、お母さんのお料理の方がいい。」とぽつり言った。
毎日、手の込んだ料理は何一つ作れない。言うなれば「茹で加減、塩加減」だけで勝負している「男の料理系」母の味だけど、この一言が出たかと、妙に感慨深かった。
毎日の食事は、栄養補給もさるとこながら「ここに必ずある」と思える自分の拠り所と「ああ美味しい。ホッとする。」と弛緩する感じが、身体の芯を作るのかも知れない。

DEEN&DELUCAでは、スタッフ皆さんの食に対する並々ならない熱意を知る事が出来て、ややもすると、いい加減になっていた毎日の「食事を統べる」家業を見直すいいきっかけになった。「味なんてどれも同じ」と言わないで、塩だけとか、だしだけでも、ちょっとこだわって丁寧に作ってみようかと、改めて思う次第である。

【DEEN&DELUCAおすすめクリームキノコペンネ】
1 季節のキノコ沢山をオリーブオイルで炒める(私はタマネギも加えました)
2 生クリーム 200 mlを加え、キノコペースト(DEEN&DELUCA製)を加えて味を整える。(必要なら塩こしょう)
3 ペンネは表示よりもオーバーボイルにする。

2011年9月19日月曜日

司馬遼太郎の「かたち」〜「この国のかたち」の十年〜関川夏央著

たぶん、二年近くこの本は「積ん読」状態だった。題名に惹かれて買ってはみたものの、開いてすぐに、
「これは『この国のかたち』を読んでいないとまるで面白く無い本だ。」と悟った。
この度、文庫版「この国のかたち」(全6巻)を読み終わって、早速読んだが。。。もの凄く面白かった。そして、この本に沿って、もう一度「この国のかたち」を再読したくなった。

この本には、十年に渡って文芸春秋の歴代編集長宛に、司馬さんから送られた私信が、年代順にしかも時事と絡めてよく分かる構成で綴られている。巻頭エッセイとして執筆された「この国のかたち」の原稿が送られて来る時に添えられた、書簡である。
今でこそ「メイキング」は当たり前で、創作の「裏側」も意識的に記録されているが、この当時(1986年)はそんな事は考無かったろう。司馬さんの人柄が滲み出る物で、さすが「書き言葉」の人だと思わせる。短い文章に相手を気遣ったり、時事を鋭く評する言葉が並んで興味深い。

そして、それに負けていないのが関川氏の、探偵ばりとも言える丹念な「裏取り」作業による事実の積み上げだ。書簡は原稿と綺麗にセットになって保管されていた訳では無いのだろう。日付と掲載された原稿の順番とを照らし合わせて「第○○話「○○」に同封か」と推定された箇所が幾つもある。そして、当事者しか分からない「昨夜は多いに愉快でした。」と言った内容は何の事だったのか、関係者に裏を取って解説をしている。この丹念な仕事で、読む側もまるで編集部に潜り込んだ様な、司馬さんを囲む歓談の輪に交じっている様な、リアリズムを体験出来る。
関川氏は、直接司馬さんと交流を持った事は無かった。であるが、この仕事ぶりはリアリズムを追求した司馬さんの業績を語るに相応しい。本当によく構成されているのである。

「あの当時(90年代初頭)メディアは『困った時の司馬さん頼み』だった。」
地価沸騰、冷戦終結、バブル崩壊、住専問題、、、皆、何が起きてどうしていいのか判らず、こぞってコメントを受けたがった。それまで『自分の領分で無い事には出しゃばらない』と身を律し、政治的コメントは極力避けて来た司馬氏の態度に、やや変化が現れて来た、、と関川氏も語るが、「この国のかたち」だけを読んでいると、うっかり「歴史的教養を教えてくれているのかなぁ。」と漫然と読み下してしまう。今から10年以上も前の連載だから、時事との関連に気付きにくいし、高等な隠喩だったりするので、昨今、私を含めた「学力低下組」にはガイド無しには、この滋味深い文章の真髄がなかなか理解出来ない。

驚くべき事に、司馬さんは亡くなる前日に最後の「この国のかたち」を書き上げて編集部に送っている。いつも、用意周到で進行する事態に遅れを取るのを、極端に嫌がったそうだが、それは、氏の「清々しく凛としてカッコイイ」主人公達に共通する素地だ。やはり、作家はその写し身を小説に表すのか。。

「この国のかたち」自体はとても読み易く、面白い随筆集だ。そして、注意深く読むと大胆で「蒙を開かれる」記述が、さらりと書いてあったりして、まだまだ自分のなかでは未消化だ。未消化ながら、その一旦をご紹介すると。。

軍事とは、一般教養なのです。一般教養として身に付けておくべき科目なのに、極端に忌み嫌ってしまったらどのような事になるか、、
自動操縦のまま、ずっと日本は来てしまいましたな。そしてこれからどうなってしまうのか、、
文明とは、誰もが参加出来る所まで便利な道具立てが揃った事を言うのです。「最近の文章はどれも同じに見える。」と同僚が言った言葉に「ついにそこまで来たか!」と嬉しく思いました。言語は誰もが参加出来る所まで錬磨されて初めて文明の道具足り得るのです。

本当は正確に引用しなければならないけれど、ここでは印象に残った言葉を思い出す形にサボってしまう。(司馬さんごめんなさい)
、、、というのも「ああ、もっと教えてもらいたかった。」と嘆く私の目の前に、50代前後の諸先輩方の著作が最近気になるのである。この関川氏もそうだし、加藤陽子氏も面白い。この本に触発されて、読みたくなった書籍もまた「積ん読」に加わってしまったので、先を急ぐ事にしたいと思う。





2011年9月11日日曜日

さかのぼり日本史 幕末危機が生んだ挙国一致 第1回「王政復古・維新の選択」

一ヶ月再放送で、休止されてたこの番組。9月に入ってまた開始されました。その間、これまで放送分の書籍を読んだけど、これもなかなかコンパクトにまとめられて良かった。 (そのエントリーはまた別の機会に)
さかのぼり日本史 幕末危機が生んだ挙国一致 第1回「王政復古・維新の選択」

さて、動乱の幕末と言えば、ネタも豊富でファンも多い。その時期のターニングポイントにどれを選ぶのかなと思ったら(とにかくこの時代はターニングポイントだらけ)「王政復古」ですか。さすが、ずっと研究してらっしゃる方は、視点が深い。

去年の大河ドラマの影響で、どうしても「薩長同盟」とか「大政奉還」あたりが脚光を浴びがちだけれど、「王政復古」はその持つ意味が違うと、三谷博先生(今月の解説)は考えるのだろう。
日本史では「大政奉還・王政復古の大号令で幕藩体制は崩壊し、以後近代化への道へと、、。」とワンセットのように習って、両者の違いにあまり注目されないが、よく考えると、
・大政奉還→徳川慶喜が「してやったり!」
・王政復古→岩倉具視が「してやったり!」
で、その後の展開を左右する、重要な切所だった訳である。
「幕末ってよくわからない(且つての私もそう)」と嘆く人は、このあたりの機微を上手にガイドしてくれる日本史の先生に出会えなかったからだろう。

幕末とは不思議な時代で、動乱しているのに、参加者全員が「このままではいかん!」という感覚を共通して持っていた所にある。言い換えると、その事に鈍感な役者が都合良く舞台から退場している点が、絶妙としか言えない。

やや番組から逸れるが、「鈍感」の代表と思えるのが、慶喜の前の将軍の「徳川家茂」と明治帝の先代の「孝明天皇」ではないかと、個人的に思う。。。「鈍感」とは言い過ぎだとしても、この二人が急逝しなかったら、大政奉還も王政復古も無かったろうと思う。二人は5ヶ月と離れずに相次いで亡くなってしまうのだ。(1866年8月29日家茂、1867年1月30日孝明天皇)
孝明天皇は自分の異母妹を、家茂に嫁がせ(和宮降下「公武合体論」ですね)徹底した異国嫌いで、基本的には国の舵取りは徳川がする。。と思っていたお人で、公家の中でも下位だった岩倉具視は、和宮降下の手配をする等、孝明天皇の近習として仕えるが政争に破れて、謹慎蟄居の不遇をかこっていた事がある。この時期、幕末の志士達と多く接触して「倒幕派」へと転向して行く。

話を番組へ戻すと、大政奉還で征夷大将軍という任を、朝廷へ投げ込む様に(と司馬さんはよく言う)押っつけた慶喜は、藩主をメンバーとする「合議体」で政治を行い、その元首の位置に徳川家が着こうと目論んでいた。
岩倉はその手の内がよく分かるので、誰の言いなりにでもなる明治帝(当時僅か14歳、仕方無いですね)に「王政復古の大号令」を上奏して、それを勅旨として発行させてしまう。それも、薩長土肥の軍に御所を堅く固め、慶喜の居ない隙を狙って閉め出す形で出してしまうのだ。(王政復古には徳川家の領地没収という事まで含まれていた)

「とにかく、外側だけ変わったように見えて、中身が変わらない(相変わらず徳川が一段高い)のでは、何もならない。」と岩倉具視は信念の様に思っていた、、、と三谷先生は語る。この後、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争へと内乱を迎えるのだが、幕府の息の根を止めるきっかけが、王政復古だったという認識は今まで薄かったなぁと思う。

そもそも、岩倉具視って「500円札」(古い!)ドラマでも「公家の癖に策略家」とかどうしても薩長に視点が行きがちで、言わば
「メンドクサイ、役所の手続きに妙に詳しく、倒幕の志士に理解のあるおじさん。。」
という理解しかしていなかったが、なかなか策士だったのねと改めて理解した。

この時代、どの階級でも「下位」の人間の方がリアリズムを持っていたんですね。


2011年9月7日水曜日

学童クラブの閉鎖

上の子二人がお世話になった学童保育が今年度一杯で閉鎖される事になった。開設は昭和30年代の高度成長期からで、目玉は、保育園に併設されている点。当時、保護者から強い要望があって保育園の先々代園長が、開園に踏み切ったそうだ。(今でもこんな例は稀ではないだろうか。)恐らく、親子でお世話になったケースもあったろう。

閉鎖の直接の原因は、今年度から近所に近接して開園した学童クラブに、多くの子ども達が移ってしまったからだ。運営が成り立つ定員を大きく割り込んで、このままでは厳しいと判断したそうだ。

我が家の場合、長女は小三の夏休みまで、長男は小二の春で卒業してしまって、今、丁度縁が切れてしまっていたが、まだ、末っ子も居たので残念である。
この一件から、いろいろ考えてみた。

何故、大量に子どもが移ってしまったのか
ママネットワークは強烈である。私はあまり浸かっていない方だが、それでも、漏れ聞く噂は知っている。これまでも、学童の運営方法に細かい不満が溜まって居たし、それは分からなくも無かった。
・開園時間が短い(保育園よりも早く閉まる)
・夏休み一週間閉所してしまう
・長期休みの開所時間が遅い
・宿題をさせる雰囲気が無い
・小学四年までしか在籍出来ない
・月謝が高い

でも、対抗馬の新設学童も、さして違いは無さそうである。
ほんの少し、利用し易いという程度。
本当の原因は、運用者である指導員さんと、保護者達があまり上手くコミュニケーション出来なかった事が原因では無いかと思う。
その人も、もう指導員を辞めてしまった。頑張り屋だけど、権威に弱く、杓子定規になりがちで、利用者から見ると「上ばかり見ながら仕事する」と思えたのだろう。少しでも決め事を守らないと、衣を借りて居丈高になる癖があったのかも知れない。

結果、コンフリクトを起こした当事者達は双方舞台を去り、残された、学童クラブは空中分解してしまった。

創始者の園長は、とても篤志家だったのだろう。福祉法人といして補助金がかなり入っているとは言え、人の子どもを預かる事業は割に合わない。一度始めたら性格上、行政からもアテにされ、またそれを「頼み(矜恃とも言える)」として役目を果たすつもりで、運営していたのだろう。事実、その時代を僅かに知る人は「本当に頼りになる心の拠り所の様な園だった」と言う。
だが、個人経営は難しい。篤志家の子孫が篤志家とは限らない。親族が最優先に昇進を約束されるあからさまな同族経営は、人的リソースが生命線の福祉事業では、致命的な欠陥になる。優秀で問題解決能力や、コミュニケーション能力の高い人材はドンドン流出して、一年と居つかない。最後は「居ないよりはマシ」な人材しか残らない。
競争に負けたと言えば簡単だが、これまで築き上げて来た環境を考えると、愚かだとしか言えない。資産の食い散らかしだ、、と思う。

多分、ここに至るもっと手前で幾つもの転換点があった。その小さな一つ一つの点を丁寧に拾っていれば、例え強力な
ライバルが現れても、盤石だったろう。学びと創意工夫を怠った。
早朝、夕方のスタッフが確保出来ないなら保育園と合流するとか、分単位の細切れ延長に対応するとか、、異年齢と接する事は子どもにとっても成長するチャンスなのだから、もっと自由に知恵を出し合えたらと思う。

それとも、厳しい規制があって自由にプログラムを組む事を禁止する法律でもあるのだろうか?

田舎の素晴らしき大雑把さ
都心の私鉄沿線には、働く親にとって夢の様な学童クラブがあるらしい。利用者が喜びそうな、きめ細かいメニューは、さすが、経済原理の働く都心である。しかし、値段を見て驚いた!保育園並のお高さで、くだんの学童が高いと文句を言っていた我が地区の保護者は目を回してしまうだろう。
そう、不満を解消するには、コストが必要なのだ。子育ての外注化である。
お迎え、宿題、夕飯まで食べて、ついでにお風呂に入れてくれたら最高!(これ、高度成長期のお父さん達ですね。家庭内丸投げ発注!)
おお!便利そぉ!と思わなくも無いけど、、まぁ、多分ここまでのサポートは必要無いかな、と直感的に思う。
勿論、家庭の事情は様々なので、サポートが出て来た事は喜ばしい。ただ、最近思うのは、助けてもらって楽になった…その後を考える事って必要だなと思うのだ。
特に、子どもは成長する。成長の萌芽を潰したり、枯らさない為に、別の忍耐が必要だと痛感する。

閉所してしまう学童は、四年生までしか預からない。それを不満に言う保護者も居たが、私は長女が利用し始めて直ぐにその理由がわかった。
個人差はあれど、小学生も三~四年になれば、自分でいろいろ出来る様になる。いつ迄も、親が送り迎えする学童に居続ける方が妙なものだ。長女と同級の男の子達は小二に上がったら、カバっとやめて行った。もう、囲われた環境では彼らは発散出来ないのだ。新米母だった私には、少なからずショックだったが、やや田舎な我が街の、荒っぽい良き伝統だなと理解している。
昔と違って、子どもが少ないから、徒党を組んで遊べないし、アポ無しで偶然お友達と会うのも難しい。それでも、逞しく放課後を子ども達なりに過ごしている。お稽古に自分で行く子、家で勝手に過ごす子、時に近所の駄菓子屋へ行く子、子どもの足で行ける範囲に五つも公園があるから、親が家に居ないので、誰かの家に上がり込んだり、逆に友達を上げてはいけないと言っても遊ぶ所には困らない。少しづつ自分で自分の身を処す練習が始まっているんだと思う。
我が家の場合、私の実家が近所にあるので、緩い見守り環境があるからなのだろうが、、お年寄りが日中家に居てくれる街と言うのは、ありがたいなと思う。

この地域の良さを、上手く経営に取り入れて、もう少し、ITの便利な所を勉強すれば、優良な住人を呼び込めて、今のスタイルを維持出来たのに、無理に都心スタイルのメニューにせずとも、小回りの効いたリーズナブルな学童運営が出来たのではないか、、。そんな事をツラツラ思った。

何より、後進の人達に申し訳なかったなぁと感じている。



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2011年9月2日金曜日

「誰もが書かなかった日本の戦争」田原総一郎著

一人称の文体はとても読み易い。この本は中1の娘にも薦めようと思う。第二次世界大戦を描いた書物は多くあるが、2000年代に入った頃から、少し冷静な事実分析の書物や論調が出て来た様に思う。

私が小学生だった頃は、まだベトナム戦争中で、学校の授業でも
「日本は平和ですね。今、こうしている瞬間にも、世界では戦争で苦しんでいる子供達が居ます。戦争はいけません、軍隊は駄目です。」
が正論であり、唯一無二の真実である!以上…。だった。(今だって平和が尊い事に変わりありませんが。もちろん戦争反対。)

「満州事変」「日中戦争」「五.一五事件」「二.二六事件」「日独伊三国同盟」「日ソ不可侵条約」言葉は知っているし、それが何だったか、試験で問われて解答欄にスパッと書く事は出来ても、上っ面の事象を点でしか知らなかった。(自分の知識がその程度だという自覚だけはあったけれど。)

そして、情緒抜きには語られない話題でもあった。
「はだしのゲン」「ガラスのうさぎ」「猫は生きていた」、祖父母は戦中に子育てをした世代だったし、朝ドラのヒロインは永らく「復興の中立ち上がるヒロイン」がお決まりの型だった。(現代でもそうか!「ゲゲゲ」も「おひさま」も…)

この、田原総一郎著「誰もが書かなかった日本の戦争」は、中学生でも読めるよう、キチンと注釈を付けながら、平易な語り口で、明治維新から終戦までを描いている。
注釈を巻末や、章末にまとめず同一頁内にレイアウトしているのは好感が持てた。子供がしっかり細部まで噛み砕いて理解するにはこの方が良い。(エディターさんに拍手!)

猪瀬直樹氏著「昭和16年の敗戦」や、加藤陽子氏著「それでも日本人は戦争を選んだ」と並んで、これから歴史を学ぶ人にはお勧めの本である。
以下、印象深い内容をトピックで。。。

伊藤博文と世代間抗争
私の年代だと、伊藤博文は「千円札の人」で馴染み深いが、今はそれを知らない世代も多い。また、韓国の青年達に、今だ嫌われている人物(韓国総督府初代統監)だが、田原氏は、その人物に焦点を当てている。

伊藤博文が若き日に学んだ松下村塾の師匠、吉田松陰は「周旋家」と伊藤の事を評している。司馬さん曰く、これはあまりいい意味の言葉では無く、伊藤自身もそう評された事を苦々しく思っていた節があるそうだ。(後年、松下村塾の話しをあまりしたがらなかったとか…)
だが田原氏は、この松蔭が見抜いた「伊藤の美点(と、あえて言おう)」あったればこそ、あそこまでの仕事を成したのだろうと書いている。

日露戦争開戦の時、伊藤は最後まで、明治帝と共に開戦に反対した。この下りは「坂の上の曇」でも詳しいが、田原氏はこの時を「維新一期生(伊藤)」と「二期生(桂太郎首相/川上操六陸参)」の世代間抗争だったと表現した。これは秀逸な分析で、坂の上ではそのデティールがややボヤけている。

「伊藤には、身体の中に馬関戦争の頃の砲弾の音が深く刻まれており、その点政治家としての感覚を外さなかった。」(坂の上の雲より)

という有名な下りがあるが、その意味がようやく分かった。
伊藤は、開戦にも反対だし、韓国併合にも反対(韓国に近代化して欲しいとは思っていたが)だったが、どうにも覆せないとなったら「私見」では無く、国を代表する者としての発言をする。その姿勢が「周旋家」だと田原氏は言う。日露開戦を巡って山縣との政争に敗れる形で、閑職(枢密院議長)に追いやられた伊藤は、その後、韓国統監の職に着く。これも「親韓派」の自分では無く、別の人間が行ったらもっと酷い事になるだろうと判断したからだと言う。

そういえば、且つて、名シリーズ「NHK 映像の世紀」で、伊藤博文の大磯別邸で、韓国の幼い皇太子(後に日本の皇族女性を妻に迎える)を養育している映像が流れていた。体のいい人質であるとも言えるが、私邸で大切に、しかも当時としてかなり開明的な環境で、皇太子を育んでいる行為が、彼の半島に対する思いを物語っているように思える。
しかしながら、就任した伊藤は、韓国の強い反日運動に晒される。このあたり、立場の辛さである。最後は、統監退任後の1891年にハルピンで韓国独立運動家の安重根に暗殺されてしまう。

5年前山口県の萩を訪れた事があるが、伊藤博文の生家と晩年首相になってからの邸宅が二つ並んで保存されている史跡に行った。
生家は本当の掘っ立て小屋で、土間と小さな板間が幾つかある程度、びっくりするほど粗末だった。ここから、松下村塾村塾(簡素だけどそれなりに大きくて立派)へ通った農家の少年が、怜悧でかっこイイ上世代--高杉晋作や桂小五郎をどんな思いで見つめていたのだろうかと思う。転じて、邸宅はなかなか立派で、贅沢な建物だが「公的」なスペースの方が大きく、プライベート空間は
「この位なら許されるかぁ。」
という可愛げを感じた。この時代の人達は多くの仲間の血の上に、今の自分がある事を骨の髄から知っているから、何処かで抑制が効くのかも知れない。

伊藤博文は大変な女好きで、そちら方面は派手だったという。彼を主人公にした歴史小説を聞いた事が無いのだが、今一つヒーローというには、下世話な所があったり、やや、つまらない男という印象を持っていたのだが、田原氏の記述を読んで
「それでも、エラく頑張った人なんだなぁ。」と再認識した。

近衛文麿と松岡外交
本書の多くは、昭和初期の動乱期にページを割いている。
様々な人物が登場するが、焦点を当てているのは、近衛文麿と松岡洋右の二人。
開戦当時の首相である東条英機よりも、その前に長く政権を担っていた、近衛文麿に、田原氏の視線は向かう。

一時ベストセラーになった「白洲次郎 占領を背負った男」がNHKでドラマになったが、ここで、白洲は近衛に向かって
「貴方は、軍を利用して避戦にもって行こうとおもっているのだろうが、やり方が中途半端なんだ。」
と詰め寄る。ドラマではどう中途半端なのか描かれていないのだが、田原氏は「ここぞと言う時」の判断に甘さがあったと指摘する。

近衛は、五摂家出身でインテリであり、当時は絶大な期待を持って迎えられたが、
「苦労知らずのお坊っちゃまだから、ギリギリの踏ん張りが効かないのか。」
と田原氏は評する。
、、、どっかでも聞いた記憶が、、
地生えの叩き上げのしぶとさ、という点を伊藤博文と比較したのかも知れない。

そして、外交の失敗である。
日米関係がおかしくなり始めた頃、外相の松岡は日独伊三国同盟野約束を取り付けて意気揚々と帰国するが、そこで「日米諒解案(駐米大使野村と米国ハル国務長官との間に交わされた合意の叩き案)」なる物が進行中と知り、大反対して潰してしまう。

「アメリカの言いなりになるな、あの国は理解していると見せかけて、腹の底では相手を軽蔑して、結局、自分達の思い通りにするんだ。」

アメリカで育ちで誰よりもアメリカ通だった松岡は、非常に饒舌家でリベートでは他を圧倒したと言う。
実は、この著書で描かれる松岡像と、私がそれまで読んだり聞いたりした内容とが、微妙にニュアンスが違うと感じた。
東大の加藤陽子氏は著書「それでも日本人は戦争を選んだ」で、松岡も決して開戦を望んだ訳では無く、国連に出向いた時は「避戦」が至上命令だったのに、渡欧中に中国で陸軍が軍を動かしたりする等「後ろから撃たれる」状況があって、止むに止まれず、破れかぶれであの脱退演説に至った…的理解だった。そのあたり、もう一度「それでも〜」やNHKスペシャル「なぜ日本人は戦争をしたのか」を再読/再視聴しようと思う。

松岡洋右にどこまで責任があったのか、少し脇に置くとしても、決定的にまずかったのは当時の外交チームの情報収集能力の低さと相手の事情を斟酌する、洞察力の鈍磨である。

司馬さんは、アンチ派から『明治は偉い、昭和初期は駄目。の固定観念を植え付けた』と揶揄されるが、私はやっぱり司馬さんの言う通りだと思う。

加藤周一氏は晩年の映像で
「明治の人間は現実的判断が出来た。極めて不愉快だが、そうしなければならないのなら、現実的選択をした。三国干渉なんぞは、無茶苦茶な言い掛かりだけれど、三国相手に喧嘩は出来ない事をしっかり理解していた。」
と語っていた。

日露開戦時、大山巌は留守役の山本権兵衛に
「軍配の挙げ時をよろしく頼みます。」
と言い残して、中国の戦線へ出発した。
仲介役はアメリカをアテにしていた。日英同盟による有利さ、欧米諸国は日本がロシアの相手をしてくれると都合が良かった、、等を読んでいた。昭和のそれと比較すると、苦労人らしい大人の判断が、垣間見える。それでも、自国の力が貧弱である事は充分自覚していた。坂の上を読めば、如何に懐が苦しかったか、薄氷を踏む展開の連続だったかが解る。(戦争公債をよく売れたなと思う)身のほどを知りながら、クタクタになって判定勝ちに持ち込んだ。。それが現実だったのだと思う。

NHKが特集していた「シリーズ:日本人はなぜ戦争へと向ったのか」 を観ても、あの悲惨な戦争に転がり込んでしまった原因は一つで無い事が分かる。誰か少数の人間が意図した訳でも無く、小さな判断ミスや肥大化した組織のセクショナリズムが、大きな利益よりも、ごく小さな自分達の益を追ってしまう事が積み重なった。

何で、こんなにあの当時の事が気になるのだろうと最近思う。
過去の成功体験に捕われた判断ミス、機会損失、情報収拾能力の低さ、感度の鈍さ、つまらないプライド。時代は違うが、今に重なる所が多い。今、漠然と感じている危機感と関係あるのかも知れない。

2011年8月13日土曜日

北海道旅行に行きました

いつもは、視聴/読書感想が主なブログですが、今日は趣向を変えて、この夏の家族北海道旅行の感想なぞ。。

旅行前から困った事
  • 価格が高い。(子どもの学校の都合で繁忙期しか日程を組めない)
  • ターゲットユーザーで無い(夫婦と子ども3人=5人家族)ので商品群(宿泊と移動手段)の層が薄い。→選択の幅が狭い
  • 訪問地とテーマのセレクションに悩む。(自然派、学究派、アクティブ派と家族の好みが様々なので)

旅行プランで押さえるべきポイント
  • たぶんこれが家族揃って旅行出来る最後のチャンス(子どもの年齢、親達の介護問題、取得可能な長期旅行のタイミング)
  • 帰省があるので、殆ど旅行らしい旅行は、5年単位でしか出来無かったので、出来るだけ遠くへ行く。(南国育ちの夫は北が好きなので今回三度目の北海道)
  • 子ども達に見せたい風景は押さえる(層雲峡とか美瑛とか)
  • 話題の旭山動物園へは是非行く。
  GWは緊縮に努めて何処にも出掛けず、プランニングと各種手配を万全にしておきました。が、、家族5人の旅行はお金が掛かる!!!旅費の大半を締める航空運賃と宿泊費をいろいろ工夫して、この枠内に納めれば、という事で締める所をかなり締めたのですが、、結果、あまりケチると質にヒビく。当たり前の事がよーく判りました。


決めたプラン
  • ANAのパックツアーで、2泊のみセットで手配してもらう。(追加で宿を手配してもらうと割高)
  • 2カ所(小樽/上富良野)は楽天トラベルから自分でネット予約
  • 1カ所(旭川)は旭山動物園の入園チケット付きプランを自分で探してネット予約
  • レンタカーも楽天トラベルから格安プランを探して自分でネット予約
  • 羽田までの移動手段も、大人数/大荷物だと大変なので、格安の長期駐車場を探して予約(羽田からちょっと離れたパーキング)

自分で手配したプランの感想
  • 楽天トラベルは検索性が良く(細かい検索設定が出来る)つい予約してしまったが、、、「弱小民宿/ホテル連合」である、、という事が、実際に利用してよく判った。宿の質という点では「あ、しまった」という感じ。(二カ所共)さすが、北海道なのでお料理はどこも美味しかったけど、一件目は猫の臭いが酷く、二件目は秋冬向きのロッジで、屋根裏の部屋は風の通りが悪くて、室温が高く、辛かった(山小屋ホテルなので空調設備無し!)
  • パックツアーのホテルはやっぱり設備が充実。(タオルが余計にあったのは嬉しい)
  • 長期駐車場/レンタカーは空港から少し離れていて、送迎バスで移動するタイプの所は何処も直結型より安い。時間をしっかりスケジューリングしておけばかなりお得でおすすめ。

旅行中困った事
  • 洗濯物。。。この一言に尽きる。北海道と言えども夏場は汗をかくのね!家族5人が1日過ごせば膨大な量の洗濯物が発生して、2日以上は溜めておけない!小樽/旭川では強力な味方コインランドリーを発見出来たけど、富良野/美瑛ではとうとう見つけられず、、。宿屋のコインランドリーをうっかり使ったら、ちっとも乾かないでかえって辛い思いをする。(旅行先まで洗濯物が乾くかの心配をしたく無いよぉ)
  • 小学校三年男子を楽しませる。「つまらない、つまらない」の大合唱で、水遊びが出来そうな噴水とか公園とかを、行程の中に織り込まねばならなかった。(連れて来た事を若干後悔。)
  まあ、いろいろ書きましたが、きっと貴重な思い出になると思います。旅行先でもスマートフォンは役立ちました。あまり、1日の予定をきっちり決めてもその通りに行動出来ないので、ある程度事前情報をスケジューラーに入れて、マップにブックマークして、おおよその移動時間を割り出して、、とこれ無しではいられませんでした。惜しむらくは、カーナビともっと連動出来ていたらなぁ。。借りた車のカーナビがイマイチで、、でも iPhoneのマップでは今ひとつGPSの追従が遅いので、「???あ!今の角で曲がるんだった!」となりがち。(あれは歩いている時向きですね。車の速度には追いつかない)
旅行業界も、まだまだ手の入れ所が沢山あって、ビジネスチャンスがあるなと思いました。最後に1800枚近く撮った写真の中から、何枚かご紹介。(さて、これからフォトブックにまとめなくちゃ)

余市 ニッカウィスキー工場見学。凄く素敵な工場でした。お昼に食べたウニ丼が最高!

札幌 モエレ沼公園。イサム・ノグチ設計。素敵なフレンチレストランも有り(入らなかったけど)車でないと行くのは難しい。











旭山動物園 手づくりの真摯な姿勢は好感。紫外線が強く日陰が少ないので、日焼け防止策は必須。

旭川 北の住まい設計社工場。廃校になった小学校校舎を使って家具の木工所が開かれている。ここの家具はシンプルながら作りがしっかりしていて、大好き。一度訪れてみたかった所。

上富良野 十勝岳 青池 最近の新しい観光スポット。宿の人に教えてもらう。砂防ダムを作った事で出来た人造湖で、水中の成分がこんな青い色をしているとの事。

帰りの機内から。本州はずっと台風の影響で前線の動きが活発だったとか。帰路もの凄い積乱雲と夕焼けという一瞬を映す事が出来た。

2011年8月11日木曜日

NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」

毎年、NHKは夏の終戦特集に力を入れていて、いい番組を作っている。「日本人なら知っておかなくちゃな」と思って殆ど見ているが、今年の、、特にこの番組は暗澹たる思いだった。
視聴していない方の為に、簡単にアウトラインをご紹介すると。
  •   日本軍も諜報活動はしていてマリアナ諸島から飛び立つB29の動きはある程度把握出来ていた。(昭和20年の春から終戦までの数ヶ月間)
  • 交信の詳細は暗号化されて解読出来なかったものの、軍の部隊が規則性を持って組まれている事から予想して、これまでと違う特殊部隊が編成されている事まで掴んでいた。
  •  広島のケースから考えて、九州地方にもまた同じ新型爆弾が落とされる、という報告が軍上層部まで上がっていた。
  • 日本でも「原子爆弾」の研究を理化学研究所で行っていた。が、、資金力、組織力の面で到底扱い切れず、「開発は不可能」という事で断念。「アメリカもきっと開発は不可能である」と理由付けをして中止をする。 (アメリカは20億ドルという予算を注ぎ込んで開発していた。東条英樹ですらアメリカでは開発が進んでいるという認識でいた。)
まあ、歴史的事実を知った立場では、いくらでも先人を攻撃する事は出来るので、子どもっぽく批難する気にもなれない。参謀本部は既に思考停止状態で、いくら情報を入れられても、何も判断出来なかったに違いない。長崎に原爆が投下された8月9日と言えば、ソ連が満州国境を破って侵攻を開始した日で、度重なる本土爆撃を受け、既に沖縄では悲惨な地上戦に巻き込まれていた。平凡に昇進を重ねただけの首脳部の頭脳では、もう処理の限界だったのだろう。メンツを重んじて、それまでの方針を撤回出来ないまま、情報は空しく価値を失って散って行く。

  まただなぁ、、。そもそも、一滴の石油も出ない国が全面禁油という制裁を受けながら、物量戦になっている二十世紀の戦争で、冷静に考えたら勝ち目は無いのにそれを見て見ないふりをして、空気に同調してしまう。カラ元気を鼓舞するかの様に、相手を過小評価する癖は、今の社会でも殆ど変わっていないじゃないか、、そう思わずにはいられない。

番組の後半、九州の大村湾に駐屯していた飛行部隊のパイロットだった本田さんの話が非常に印象的だった。氏は「紫電改」という日本に数少ない高度一万メートルを飛行出来る戦闘機のパイロットで、偶然、広島に原爆が投下された瞬間を上空で目撃したそうだ。
重い紫電改が爆風に煽られてしばらく舵が効かず、やっと体制を建て直したその瞬間、今まであった広島の街が一瞬にして消えて無くなっており、目の前に赤黒いキノコ雲を見たそうだ。
長崎へまた同じ特殊任務機が飛び立っている情報を、原爆投下5時間前に諜報部から大本営に情報が伝わっていたにも関わらず、何の出撃命令も出されなかった。本田さんは、その事実を66年経った今知って、愕然としておられた。

「B29は決して落とせない飛行機では無い。非常に難しいけれども、自分は落した事もあった。」

と語る。もし、あの原爆を搭載したB29に対峙していたら、この人の命は無かったかも知れない。。そう思うと、それはそれで居たたまれないが「何か出来たはずだ。」と心から悔しがる姿に、この88歳の老パイロットに、現代の人には見られない気迫を感じる。

番組の中で証言していた人々は、どの人も高齢だったが、みな頭脳明晰で当時の事をしっかりと順序だてて話をしている。

「現場は優秀で、指揮官は無能」

日本の典型的組織を揶揄した、悲しい諺を思い出す。日本人は先天的に「情報を判断して戦略を立てる」事が出来無いのではないか、、、そう思えて仕方無い。

2011年8月10日水曜日

さかのぼり日本史 明治”官僚国家”への道 第3回「巨大官僚組織・内務省」第4回「岩倉使節団・近代化の出発点」

やっぱり、この人だったのかと言う感じで、大久保利通登場!
今回のさかのぼり日本史は二回分をまとめた方が面白そうなので、、、

第3回「巨大官僚組織・内務省」
明治維新直後から国家運営を支えたのは内務省。これは今で言ったら、経産省、財務省、総務省、警察庁が一緒になった巨大組織で、戦後GHQに解体されるまで続いた強力な官僚組織だ。この組織を作り上げ、初代内務卿に就いたのが、大久保利通。
司馬さん(毎度の引き合いで恐縮です)は、鹿児島で行った講演の中で
『大久保利通展がやっと開催されて、そこそこ人が集まって良かった。』
と言う発言をしてる。同時代の英雄、西郷隆盛に比べて故郷の人々は大久保に冷たい、、と少し悲しく思っていたようだ。
現に西郷さんはとても愛されているけど、大久保は明治初頭「私腹を肥やしてこんな豪邸まで建ててけしからん!」と糾弾されるビラが撒かれたらしい。でも、そこに写っていたのは、生まれたばかりの中央郵便。。大久保の辛さが伺える。
何しろ、維新の大オーナーだった、薩摩や長州の殿様達ですら

「江戸城に俺はいつ入ればいいんだ?」
やら
「俺の役職は何だ?」

、、と維新の意味をしっかり理解していなかったそうだから辛い。(皮肉な事に一番分かっていたのが徳川慶喜なのかも、、)

西郷は、そんな土着の捨て去るべき遺物にも、一片の愛着を持っていたのかも知れない。判官贔屓な日本人は、最後は情に篤い西郷を愛し、眉一つ動かさず強い信念で維新を断行する大久保に、畏れと近寄り難さを感じるのだと思う。

大久保は、殖産興業を最重要課題とし、そこに掛ける予算を三年で三倍にまでする。大変な辣腕ぶりだ。当然予算が追いつかない。そこで目を付けたのが、士族に与えていた俸禄金である。これを全て停止してしまうんだから、今の政治家にはとても出来る芸当ではない。
それまで、手弁当で維新に参加した士族階級の不満は爆発する。佐賀の乱、西南戦争へと、反乱の火は広がるのだが、その最中にあっても大久保は物ともせず「内国勧業博覧会」の開催を強く推し進める。
これは全国の物産を集め、広く内外に喧伝する目的の博覧会なのだが、それまでの日本人は「博覧会」なんて聞いた事が無い。周囲も延期/中止を検討すべきではと進言したらしいが、大久保は怯まない。
及び腰しだった出品者に、送料の援助や優秀な物産はパリ博に出展させる等、優遇策を打ち出して、積極的な姿勢をアピールし続けた。
結局、三ヶ月の開催期間中に45万人を集める大成功をおさめ、約1年後、大久保は不満士族によって暗殺されてしまう。(確か紀尾井町だったのでは。。)

大久保は人に厳しいが自分にも厳しい人で、大久保亡き後、内務省の空気が緩んでしまった事に、彼の側近が嘆いている。(夕べの宴席の芸者の話やら、仲居が出入りし始めたりして、公私の区別が甘くなったとか)
無口な男で通っていたが、足繁く富岡製糸工場に視察に訪れた時は、現場のエンジニアを捕まえて、具体的な質問をし、その博識ぶりは専門家も舌を巻く程だった。今で言えば、理系エンジニア気質と言えようか。

別にこんなエピソードがある。京都嵐山に、たまたま訪れた大久保が、土地の翁に
「何故こんなに荒れているのか?これが天下の名勝なのか?」
と質問した所、翁は
「ご維新だからですわ。」
と答えた。

聞けば、それまでここを管轄していた藩主は、キチンと嵐山のメンテの為に人を雇っていたと言う。幕府が瓦解し、社会システムも変わったので、メンテをしていた人達のサラリーが保証されなくなってしまった、だから荒れ果てて当然なのだ、、と。
じっと話を聞き入っていた大久保は「大変参考になった。」と感謝したという。その後、維持する仕組みが整えられたそうだから、大久保は基本的に勉強熱心な人だったのだと思う。そんな大久保に決定的な影響を与えたのが、次回の「岩倉使節団」での体験な訳である。

第4回「岩倉使節団・近代化の出発点」
 「見て来た者」と「見る事が出来無かった者」との差。
岩倉使節団の意義はこの一言に尽きるのではないかと思う。

卑小な例で恐縮であるが、職場でもよく視察や調査で海外に出張する人達が居る。写真やレポートで細かく報告してもらえるが、やはり、実体験をそのまま他者に伝えるのは限界がある。余程、表現の訓練を積んでいても、その現場で受けた感覚は、その人が獲得した固有の物であって、いくら他者へそっくり移植したいと思っても、不可能だ、、と常々思う。

維新の主要メンバーをごっそり海外使節として送る、しかも二年も(まあ、船旅なので時間はどうしてもかかってしまうのだが)。大胆で太っ腹な計画である。時々思うのだが、西郷がこの使節に加わっていたら歴史はどうあったのか、、。
彼は留守役を勤め、大久保達が居ない間、彼なりに国内の面倒を見ていたのだと思う。使節団帰国後、「征韓論」で、帰国組(大久保)と衝突して下野してしまう事件は有名だが、西洋を直に見て来た大久保にとって、隣の半島国家にお節介を焼いている場合では無いと、追い立てられる気持ちだったのだろう。
(余談ながら、司馬さんは龍馬に海外を見せてやりたかったと話している。彼なら、今で言うベンチャー起業の社長よろしく、次々と事業を興していたかも知れない。)

幕末、幕府が安易に結んだ不平等条約の改正の手がかりも掴みたい、使節団にはそんな目論見もあったが、手練な外交担当者に軽くあしらわれ、悔しさと同時に国力/文明の差を嫌という程見た旅のようだった。岩倉具視はそれまで自慢にしていた、まげと和装をシカゴでバッサリ切り捨ててしまうし、随員のメモによると大久保には円形脱毛症があったらしい。それだけ、受ける衝撃にストレスを感じていたのだろう。

米国からヨーロッパへ渡り、当時欧米では「田舎国家」と見られていたドイツが、フランスを破って一躍脚光を集めていた頃だった。老舗国家である英国や仏国には、到底及ばないと劣等感を感じていた使節団は、ドイツビスマルク首相のやり方に、新興国日本の進むべき道を見いだしたらしい。
ビスマルクは直下に官僚組織を置いて、強力な指導力を発揮してどんどん産業振興をはかっていた、この方法を大久保はそっくりコピーしたらしい。面白いと思うのは単にコピーすると言っても、それを真似出来るだけの素地が無ければきっと実は結ばないであろうという点である。

司馬さんは晩年、大前研一氏と対談をした際に
「昔から、平家、海軍、国際派はどうしても主流になれない、という諺がありますな。」
と語っている、上記に「織田信長/豊臣秀吉」を入れても恐らく良いと思うが、要は貿易と外交に力を入れ、開明的文物を積極的に取り入れる姿勢を言うのだと思うが、歴史を振り返ると、短い開明派の天下の後には、必ず、長く「内向きで土着で閉鎖的」な政権が天下を取るという事を繰り返している。
明治の初頭のパワーは、200年以上もの長きにわたり、「この河には橋を掛けるな」とか「船は一本マスト以上増やしてはならん」とか、ずっとサイドブレーキを引かれたままに留め置かれていた「エンジニアリング的欲求」が一騎にリリースされた時代だった。あの時代の遺産が今でも魅力的でキラキラしているのは、そんな時代の稀なるタイミングの賜物だからなのかなと思う。

さて、このお気に入り番組「さかのぼり日本史」が各月のテーマごとに書籍になっている模様。是非購入して読まなくては!

さかのぼり日本史(1)―戦後 経済大国の“漂流”
さかのぼり日本史(2)―昭和 とめられなかった戦争

2011年7月27日水曜日

田原総一郎の凄味

田原総一郎責任編集の「ホリエモンの最後の言葉」を読む。(死んじゃった訳じゃ無いのに、最後の言葉って、、)堀江氏の対談本、著作はここ数ヶ月良く読んだけど、田原さんってやっぱり凄いジャーナリストだとつくづく思う。
話しの核心を突くとはこの事だ。スパッスパッと切れ味鋭い刃物の如き短い言葉で話しを切り分けて行く様は、剣豪の試合を見ているようだ。
朝生を見てた頃は、何でこんなに人の話しを遮るのかと思ったけど、あの遮りは名人芸だそうで、あれが無いと議論がグダグダになってしまう。同じ話しをダラダラと話し出したら止まらない人を、さっとばかりに止める才能は、議事進行に欠かせない。
でも、田原氏の真の才能は、人の本音を引き出す為に、「己を抑える」上手さだ。自分語りが過ぎてはインタビュアーとして本末転倒、さりとて、無色透明にただ相手の話しを聴いているだけでは良い話しは引き出せない。
本当はすごく深く考え、洞察力も鋭いのに、対面した相手には時に知らないふりをして、対話を進める。
本書は、堀江氏の対談本の中でも、一番ではないか。興味深い内容に出くわすと、私は何度か文章を反芻して読み返す癖があるのだか、いつも、半日で読んでしまう堀江本の中で、今回は二日かかった。それだけ丁寧に読み進めた結果である。

インタビューは縦横無尽に展開されるが、唯一、二人の考えが違った箇所が、人と人とのコミュニケーションのこれからにらついて。
堀江氏は、次には脳内チップで頭の中から直接情報をやり取りするテレパシーの時代が来ると予言し、田原氏は「やっぱり、直接会って得られる情報は、何事か違う感じがする」と言う。永年のジャーナリストとしての経験なのだろう。
私は、どちらも有るだろうなと思う。スマフォの登場で音楽を聴いている最中に電話が取れる様になった、会議中でも家族からの緊急連絡を直メールで受けれるようになった。もし、この様を、100年前の人が見たら、魔法かテレパシーかと思うだろう。電車内でイヤフォンしている人に向って直接車内放送を割り込みで聞かせる事だってそのうち出来るようになると思う。一方、相変わらず、人はお腹が空せば食事をするし、自分の足で移動出来る距離はたかがしれている。相変わらず、、の部分を抱えて限られた時間をジタバタと生きて行く、そこを捉えてるのが田原氏なんだと思う。

田原氏は、堀江氏の事を「日本の宝だ」と絶賛する。

「彼はとてもおおらかだ。」

と評したのがとても印象的で、ホリエモンをこんな風に言う人ってこれまで居なかったんじゃないかと思う。そんな田原氏もとても優しいと私は思う。
ズバズバ歯に衣着せぬ鋭い指摘で、ご本人は満身創痍だろうが、その根底にある真実を追求する勇気は、人に対して諦めの無い優しさがあるからだと思う。


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2011年7月23日土曜日

配電盤の漏電(「この国のかたち)より」

今読んでいるこの国のかたちの中で、心に残る章があった。

配電盤の漏電
「東大は文明の配電盤の役割を果していた。」

と司馬さんは度々語っている。
法外な待遇でお抱え外国人を雇い入れ、その間、優秀な若者達を官費留学させて、本場の学問を輸入させ、いずれお雇い外国人達の代わりとして、彼らは次々と母校東大の教壇に立った。(夏目漱石が有名ですね)
こうして、最新の近代学問を全国津々浦々まで配電したわけだが、東大から程近い神田はそんな官立大学が漏電して出来た私学のメッカなのだそうだ。
全く知らなかったが、東京理科大とは、東大理学部物理学科のOBたちが寄付でもって創立した学校なのだそうだ。トップクラスのエリートばかりで無く、現場で役立つ中間層のエンジニアが不足していて、それを育成する事が目的だった。
先生は全てこのOB達が昼間の仕事を終えてから務め、この為の給与は取らなかったとか!だから、創立当時は夜学だったそうだ。
理学部は実験器具等の設備が必要で、寄付で成り立つ理科大にはそれを買う余裕が無い。何と東大で使った機具を夜になると、人足が神田まで運び、また翌日東大の授業が始まる前にそれを戻す、、という事を毎日繰り返したそうだ。
今なら、それはそれはやかましくて、こんな事は絶対に許されないのだろうが、 明治の心意気と、皆が必死で「坂を登った」様子が手に取るように判る挿話で、読んでいてとても気分が良くなった。

司馬さんは、こんな清々しい、スカッと見晴らすような話が好きなのだと思う。「漏電」とは上手い事言うなと思ったが、自分達は、貧乏国家がナケナシの予算をはたいて育ててくれている事を、骨の随から知っていたのだろう。

脳科学者の茂木健一郎さんは、母校東大が時代遅れだ!と手厳しい。100年前の創立時代と今とでは、当然違っているのだろうが、それでも僅かな香りや気風は何処かにあるんじゃないかと、門外漢ながら期待している。資源の無い狭い国土の日本には、人しか資源は無いのだから。。

2011年7月18日月曜日

「コクリコ坂から」を観た

ジブリ作品は「もののけ姫」以来、ほぼ欠かさず劇場上映を観て来た。(「ハウル」だけは長男が小さ過ぎて断念)毎回、公開後すぐ観て来たので、今回も連休最終日に観る。

いやぁ、吾郎さん腕上げたなと思う。去年の「借りぐらしのアリエッティ」監督の米林氏でも思ったけれど、よくこれだけ個性の強い大御所の元、作品を作れるもんだと、それだけで感心してしまう。これまで、ジブリは何度も後継者不安が取り沙汰されて来たけれど、次世代の在り方が見えたなと思う。

実は、「コクリコ」も「アリエッティ」も 、同じ事を感じた。

「なんて、良質なリアリティなんだろう。」

床下に住む小人達の話で、リアリティも何も無いけれど、そんな意味では無く、あれは間違い無く「武蔵野の初夏」で、それを空気と匂いまで感じ取れそうなリアリティで見てる側に届けた。どの一瞬を取っても完璧と言って良いと思う。

コクリコにも、その完璧なリアリティはきっちり継承されている。横浜育ち(かなり山奥だけど)で1968年生まれが見たから、かなりバイアスがかかっているが、ある一定以上の年齢にはたまらない仕上がりである事は間違い無い。
ネタバレになるので、ストーリーには触れないけれど、話は淡々と進んで行って、山場らしい山場はそんなに無い。(主人公達の出生の秘密ぐらいだろうか)日常の所作が克明に描かれていて、世界のジブリの仕事である。(さすが)
でも、観終わった後、ずっと反芻してしまう良質な鑑賞感は、アリエッティと共通している。

実は私は勝手に「高畑系譜」と読んでいるのだが、一連のジブリ作品の中で
  • 天空の城ラピュタ
  • ほたるの墓
  • 平成たぬき合戦ぽんぽこ
  • 思ひ出ぽろぽろ
  • となりの山田くん
の高畑色が強く出ている作品は、非常に考えさせる作品が多い。初見ではあまり印象が無かったり、宮崎ファンには物足りなかったりするのだが(ラピュタを除く)二度目に見ると全く違う感想を持つ。それだけ構造が重厚に考えられているのだ。
(「ぽんぽこ」なんて、娘と数年ぶりに見て初めて「ああ、これは学生運動の内ゲバぶりを皮肉っているんだ!」とやっと気が付く始末。。。)

「耳をすませば」もそうだったけれど(この作品の監督だった近藤さんは本当に惜しい。若くして亡くなられてしまった。。)「宮崎駿」以外の監督は、たぶん、この路線にこれからを見いだして行くのではあるまいか。。。

宮崎アニメで飛行シーンが無かったらブーイングものだろう。あのいかにも出来そうで出来無い飛翔感は、名人芸(もちろん、忠実に再現出来る作画チームがおられる訳ですが)であり、もやはここまで来ると、お約束だ。だから、他の人があれをやりにくい。又、人を高揚させるツボを生来心得ているのも、駿監督なのだろう。

吾郎監督とは同性代、米林監督は弟世代 、何となく親近感が湧くので勝手に想像してしまうのだが、恐らくは
「首題だって自分達で見つけられる。」
と思っているのではなかろうか。

アリエッティもコクリコも、企画は「親父達」から、「これにしたら。」と渡されている。それを素直に受け取るのが、我々世代の特徴なのだが、結果、何とも言えない違うタッチが生まれているように私は感じる。

最後にちょっとだけ、映画のネタバレエッセンス。。
主人公の海ちゃんも素敵だけれど、対するヒーローの俊君と海ちゃんのお父さんの若かりし頃が、むっちゃカッコイイです。もう「ドキッ」とします。
宮崎アニメは「男子」が本当におざなりで、一癖二癖ありそうな輩ばかりですが、久々に「正当バンカラ」ヒーローです。(アシタカ以来かな)吾郎監督で二度目の岡田准一君の声が良くマッチしていました。ほんのちょっぴりしか、カッコイイ姿を見せない所が、また心憎い。

「俺、最後寝ちまったよーー、で、どうだったの?」
と後ろを歩いていた、二十代前半とおぼしきグループで、こんな会話がなされていましたが、ま、彼らにはまだ早いですかね。大人にはおすすめです。

2011年7月17日日曜日

さかのぼり日本史 明治”官僚国家”への道 第1回「帝国憲法・権力の源泉」第2回「十四年の政変・近代化の分岐点」

今月は「官僚」がテーマ。政党の成り立ちを考えたら、次はやっぱり官僚でしょう。この番組の組立ては非常に良い。改めて思ったけれど、我が国は議員よりも先に「官僚」が居た国なんですねぇ。。第1回と第2回の分をまとめて感想。

第1回「帝国憲法・権力の源泉」
歴史で習ったけど、明治憲法(大日本帝国憲法)が発布されたのは明治22年。維新成立から実に22年もたってからなんだと思うとちょっとびっくりである。だって平成元年から現在位までの期間!議会も無く、憲法も無く、どうやって国家を舵取りしてたのだろう?
  まぁ、戊辰戦争ありの、西南戦争ありので、いわゆる「内戦」状態だった訳だけど、維新のリーダー達が臨時政府と言う感じで舵取りをしていたのだろう。(早く「翔ぶが如く」読まなくちゃ)

さて、今回はこの発布された真新しい憲法内で官僚の権限が保障された事が番組の主題。議会を通さずに、官僚主導で法案を通せる(つまり、天皇の勅令というルートを残しておく)又、天皇の保護下に置いて、政治家が官僚人事を云々出来ないよう守った事もかなり重要である。これは議会に対して政府が優位に立てる事を意味する。こうして生まれた法案の一つが「小学校令」で、憲法発布の翌年に制定されている。
以後、教育/軍事は議会を通さない勅令が慣例となる。いつの時代も「天皇」は利用され続けたというのが、日本という国の本質を表しているようで興味深い。

さて、この憲法制定に「伊藤博文」の存在は欠かせない。いわば彼の意思が強烈に帝国憲法に反映されているのだが、彼がこの様に考えるに至ったきっかけが、明治18年の欧州留学である。そこで伊藤は、お手本にしようとしたドイツで、強過ぎる議会に法案が何も通らない実態を目の当たりにする。ドイツの後に訪れたウィーンで政治学者のシュタインに学んで、行政が最終責任を負うのだから行政府を強く組織する事が先決と決心。それまでの古い「太政官制度」から「近代的内閣制」に変更する。
東京大学は「帝国大学」へを名を改め、有能な行政官を多数量産する為の機関と性格付けられ(今でもそうでしょうが)この頃から官僚の「超然主義」なる考え方が横行し始める、

「議会や政党に左右されず政治を行うべきで、専門知識に裏付けられた正しい法案が国家を運営するべきである。」

。。と、ここまで書いてまぁ、「エリート主義」だとか「国会/国民を軽視する考え方だ」と言えなくも無いが、テクノクラートである彼らが、若干そんな気分になっても仕方ないかなぁと思う。別に官僚さん達の肩を持つ訳じゃないけど。運営は相当に専門知識を身につけなければやって行けない、やっぱり、甘い理念だけでは国家は回らないよなぁ。。と今の政治情勢を見て思う。バランスが難しいですね。このあたり。

第2回「十四年の政変・近代化の分岐点」
  今回は再び「大隈重信」さん。先月で「初の政党内閣の時の総理大臣」になった人だけれど、今回は詰め腹を切らされて内閣参議から外される事件にスポットを当てている。
当時、自由民権運動の高まりが激しくこれは、司馬さんが解説している通り「地主層が騒いで」いる訳である。
政府は当初これを冷ややかに静観しているだけれど(田舎者に何が判るかってな所でしょうか。)参議のメンバーである「大隈重信」さんが自由民権運動に理解を示し始める。

大隈さんという人はどんな人だったんでしょうね。番組開設の佐々木克先生は
「大隈は穏健論者だった。」
とおっしゃっている。早稲田大学を作った人、、程度にしか知らなかったけれど、仲が悪いと思っていた、福沢諭吉も、丁度その頃「自由民権運動」を援護する発言をしている。
これが、二人に共通する資質というものなのでしょうかね。教育者になる人はやはりギリギリの所で、実利ばかりを言わない人物でなければ務まらないのかも。
ただ、政府メンバー内から擁護論が出てしまうのを、非常にニガニガしく思った伊藤博文はこれに苦言を呈する。
そして、丁度その時、北海道の政府官有施設を北海道開拓使が友人の実業家に破格の安値で払い下げようという事件が起きる。世論は紛糾、国会開設の機運が高まる。(そりゃそうですよね、特権階級ばかりで勝手に決めるな!でしょう。)

ここからが、やっぱり伊藤博文。「まずい!」と思って懐柔する策を打ちつつ、大隈をパージする。大隈が出張で不在中に、素早く内閣を召集して
・官有施設の払い下げ禁止
・国会開設/憲法発布の約束
・合わせて「大隈に詰め腹を切らせる」(大隈下野)
 を決めてしまう。伊藤にとっては目障りな存在だったんですね、、大隈は。
ワイワイ無し崩しに、憲法やら議会やらが形成されるくらいなら、政府主動で作ろうと、相手が望む提案を先に出す。
かつての師匠である吉田松陰が、伊藤博文の事を「斡旋が上手い」という意味の評伝をしたそうですが(伊藤はこの評価を嫌がったようだけど)この政治感覚はよくも悪くも伊藤博文らしい。
結局、後の10年で大急ぎで各種法案を整備し、憲法発布にこぎ着けるのだが、これは官僚達の成果と言える。この時代くらいまでは、民がまだまだ官に甘えているのかなぁと思わなくも無い。生まれたての国家で優秀な頭脳と才能が運営する側に沢山投入されていた時代なのだろう。
さていよいよ次回は、官僚を考える上で絶対避けて通れない「大久保利通」が登場する。歴史に「もし」は無いけれど、もし大久保が非業の死を遂げなければ、憲法はどんな形になっていたのだろう。非常に楽しみである。

2011年7月5日火曜日

さかのぼり日本史 昭和〜明治 挫折した政党政治 第4回 「理念無き政党の迷走」

政党政治って何だ?の疑問にこの番組はある程度答えてくれた

何だぁ悲しいなぁという結果だったけど、、

司馬さんは著書「明治という国家」の中で、
明治維新は士族階級が持ち出しで担った革命で自由民権運動は「次は俺たちがイイ目を見る番だ。」とブルジョア階級が言い出したようなものだ、、

という趣旨の事を言っている。

ブルジョア階級とは地主やら庄屋と言った現金を持っていて、税金を納める事が出来る層の事で、当時の普通選挙で選挙権を持っていた人々だ。因みに、明治になってそれまでの、米本位の納税体系から、現金納税に移行した為、多くの自作農が現金を持つ庄屋に地所を売り渡して、自分達はそこを耕す小作人になるしか方法が無かった。司馬さんの言う「明治の痛み」の一面だろう。

番組の話しに戻ると、藩閥内閣に対抗して、初の政党内閣を大隈重信が組閣するが、僅か四ヶ月で瓦解してしまう。

大隈率いる「進歩党」と板垣退助率いる「自由党」が、合体して「憲政党」となり、衆議院の大多数になって、内閣が提案する議案がことごとく議会を通らなくなってしまった状態がその背景にある。

番組を観て
「さすが老練な伊藤博文」
と思ったのが、伊藤がアッサリ内閣を大隈達に渡してしまった事だ。
体制を整え切る前に「内閣」という餌に釣られて大隈は飛び付いてしまう。板垣は乗り気で無く、「政策の一致も未だなのに」と止めようとしたが結局、大隈に引きずられて内務大臣に着く。
司馬さんは「板垣はどう考えても軍人にしかなりようが無く、政治家になったのは、、」と書いているが、そこは長州薩摩出身でない亜流の哀しさだろう。(大隈は佐賀、板垣は土佐)

結局、統治能力をろくに持たず、国を背負って軍備拡張という命題に、どう財源を確保するか大隈内閣は苦慮し、支持層である地主達が嫌がる地租税は上げられないので、砂糖酒税を上げて民衆の反発を食う。

、、政党とは
「俺らに有利な政策を立案して下さいね。それなら指示するし、裏切ったら落としますよ。」という(利益誘導の)集団に担がれた物なのである。

これって、、今もちっとも変わっていないよなぁ。とかなり悲しくなった。

明治維新は
「お侍がやるもんだ、それがあの人達の役割だ。」
と他の身分の人達は思っていたし、長州の奇兵隊という例外はあるものの、何処か他人事で近代化の意味や、日本と言う国が置かれた危うい立場を、理解している人達はごく限られた人々だったと思う。
薩長はその牽引役という自負があるから、大隈如きが一朝一夕に政権交代を担える訳が無いと、先を読み切っていたのだろう。
以後、政党内閣の失脚を見て抜かり無く藩閥体制を組んだのが山県有朋で、
「政党に政権を渡したらロクなもんじゃない。」
を合言葉に、官僚、司法と隙間無く藩閥で埋めてゆく。この辺り、阿吽の呼吸で「怜悧な長州人達」である伊藤と山縣の連携とでも言おうか、、さすが、一番政治家を輩出している県である。

結局、大多数の日本人は自分達の事しか思いの及ばない甘ったれた民なのだろうか?一人一人はとっても善人で狭い範囲の事を考えるのは得意だが、大きな事になると、よく解らなくなって、取りまとめ役を引きずり下ろしてしまうのか。。
脈絡無く考えていたら、今日こんなtweetに出会った。
小黒正一さんのつぶやきと、池田信夫先生のブログがとっても的確に言い当てている。

いまの政治の惨状をみる限り、戦後日本民主主義の総決算が必要なように思う。結局、日本人にとって「国家=客体」であり、自ら参画し「公」を創りあげる対象としての「国家=主体」ではなかったという可能性が高い。http://t.co/beQ00pt


今月から、番組は官僚の歴史だそうだ。これも楽しみ。


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2011年7月1日金曜日

「儲けるなら科学じゃ無いの」堀江貴文/成毛眞 著

軽快な語り口の対談本。
ホリエモンと、元日本Microsoft社長の成毛氏の知識の広さは凄い。二人共ハンパ無い関心の広さと鋭い指摘なのである。
生命科学の章では、細胞のアポトーシスと個体の死に関する二人の捉え方の違いも面白い。私はどちらかと言えば、成毛さん寄りかな。でも、ホリエモンが言うと、ガンでも肥満でも、何だか克服出来ちゃいそうに思えるのが、彼の事業家としての強さである。

何故、堀江氏がロケットを上げているのか、その理由も解って面白い。

惜しむらくは、編集者が口語体をそのまま活字にしているから、やたらと「〜じゃないですか」が連発されている所。話しの解る人との会話が楽しくて、つい、頻繁に発してしまったのだろうが、読む時は辛い。文意が変わらない程度に、語尾を丸めて欲しかったな。

成尾氏の巻末「サイエンス本リスト」が本好きにはたまらない。どれか一つ読まなくちゃなぁ。しかし、在学中の学生の割合で理学生って8万人しか居ないのか。。(経済学等の社会科学系は140万人)今回の震災でよく判ったけど、理学系に進学出来る程、実力は無いとしても、もう少し「サイエンス・リテラシー」を普通の人も身につけなくちゃなと思った。(たとえ子育てに忙しい母親でもね)

2011年6月28日火曜日

「古典で読み解く現代経済」池田信夫著書

池田先生は、いつもブログ、Twitterで切れ味鋭い(鋭過ぎて読む側は鮮血にまみれてしまいますが、、)論調だから大好きである。出来の悪い生徒のつもりで果敢に読んでみる。
基本的な経済学の古典と言われる有名な著作を、章ごとに取り上げて構成されているから、読みやすい。(元はアゴラセミナーの内容を書籍化している模様)

そもそも、経済のイロハも解らないまま、取り敢えず会社なる所で働いてうん十年。「へぇー、マルクスの資本論ってそんなものだったんだ、、!」と初めて知る事ばかり。古典も古い物は考え方がシンプルで、高校時代の古い知識で何とか理解出来たが、時代が新しくなって来るとなかなか。。。
フリードマンの章なぞは、池田先生の例え話は解るけど、著書の解説となるとヤッパリむずかしい、、とても原書や翻訳本を読み下せる力は私には無いが、こんな風に東奔西走、満身創痍で経済の事を解説してくれる先達はとても貴重だと思う。池田先生、もっと精進します。


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2011年6月25日土曜日

さかのぼり日本史 昭和~明治 挫折した政党政治 第3回「もたれあう政党と藩閥」

さかのぼり日本史 挫折した政党政治 第3回「もたれあう政党と藩閥」

前回の放送から、さらに時代はさかのぼって、日露戦争後の「日比谷焼き討ち事件」から「桂園体制」と言われた「政党政治(西園寺公望)」と「藩閥政治(桂太郎)」が交互に政権を担った17年間の事を取り上げている。

私にとって、やっと「坂の上の雲」と時代が繋がって少し理解出来る範囲になった。「坂の上」の最後に、チラリと触れられる「日比谷焼き討ち事件」。
ポーツマス講和条約で日本は、ロシアから一切の賠償を得られず、それに不満をもった民衆が数万という単位で暴動を起こしたのだが、司馬さんはこの事件を境に、明治の「それなりに正直で賢明な時代(坂の上の雲を目指して登って行ってた時代)」が終わって、昭和初期の日本敗戦へ向って、大きく曲がり始めた起点ではないかと書いている。

番組の感想からやや脱線してしまうが、「坂の上の雲」でも、しきりに「資金調達」の事が書かれている。ともすると、名も無き明治の男達が、各自の持ち場で粉骨砕身する姿ばかりに目が行ってしまうが、司馬さんは全編を通し、いかに苦しい台所事情だったかをしっかり描いている。

陸軍は兵站を軽視する体質が災いして、満州の野でへたり込んで動けなくなってしまい、実際はこれ以上戦争が続いたらとても持ちこたえられないギリギリの状態だった。
目端の効いた海軍にしても、必要な軍艦を購入する最後の資金に苦慮し、山本権兵衛は思い余って、西郷従道に予算流用の相談をする。(「ああたと私、二重橋で腹を切りましょう」という有名な下り、、)

生糸とお茶ぐらいしか輸出出来る物は無く、農村では裸足で歩いているような駆け出しの国家が無理に無理を重ねて、国家予算の40%以上を軍備に費やした

これに耐えた国民も、相当なものだったと思う。その不満が、焼き討ち事件へと繋がったのだが、問題はその実情

「自分達の国家は貧しい。日露戦争もはっきり勝ったと言えるかどうか怪しい。今が停戦のチャンスなのだ。」

と正確に伝えるジャーナリズムも無かった、軍部も政府も内情を良く知っている癖に、不正直に群衆の方にピントを合わせた気分が出て来る。。と司馬さんは別の機会に語っている。

番組では、このポーツマス講話条約の少し前から、戦争遂行内閣である「桂(藩閥)」に民衆の不満を盾に、後の首相となる原敬(政友会のナンバー2)が「政権委譲」を引き換えに民衆を押さえる(静観して加担しない)という密約を交わしていた事が明かされる。
この焼き討ち事件の翌年から「桂園体制」が始まるのだが、桂(藩閥)は軍備拡張を、西園寺(政党)は今で言う公共事業の拡張を、それぞれにある程度譲り合いながら、持ちつ持たれつの関係を保って、安定した政権運営をして行く。

番組では、この期間は「政友会が政権遂行能力を養う期間だったのではないか。」と言う。明治維新を担った、薩長出身者が政治を行う時代から、農村の地主層が支える政党が政治を行う時代に、いかにも日本的に緩やかに渡されて行くプロセスだったのかも知れない。
しかし、この桂園体制が終焉するのは、危機的な財政難からだった。肥大する軍備に国家予算が耐え切れず、民衆の目が藩閥政治にアレルギーを持ち始める。。。「藩閥」という看板を下げて、陰から実行支配をした方が有利と見たのか、政友会に潜り込んで行く印象を持った。(だって、政友会の総裁で桂の後に首相になった山本権兵衛は薩摩閥だしね)

「日本人は外圧が無いと変われない。」

というフレーズをこの所、毎日聞いている気がするが、歴史を振り返っても、悲しいくらい日本人の思考の癖が見えて来る。
小さいお金にはシビアなのに、大きいお金にはどこか鈍く、とことん立ち行かなくなるまで、突っ込んで行ってしまう。
作った当時はそれで良かったけれど、いずれ不具合が生じてしまう事を見越して、仕組みのバージョンを上げない融通の効かなさ、、。

歴史を学ぶという事は、自分と自分の国を見つめるのに、非常に有益だなといつもながら思う。