2015年5月5日火曜日

静脈瘤を治療してみました。

久々のエントリーですが、これは特に宣伝もシェアもするつもりが無く、ひっそりと備忘録的に。

実は同じ悩みを持っていて、なんと無くどうしようかなぁって考えている人が、もし検索した時の参考になればと思います。

私は三人の子の母親なのですが、最初の妊娠時に、足の静脈の弁が壊れてしまったらしく、静脈瘤が出来てしまいました。静脈瘤ってのは女性がよくなる病気、、というか症状で、静脈の所々にある「弁」が壊れてしまって、古い血液が上手く心臓に戻ら無くて、足がボコボコと醜くなってしまう症状です。

最初は、小さいボコボコだったのですが、これって一度なってしまうと自然に治る事は無く、最初は気にしてなかったけれど、何回か出産を重ねるうちに、かなり「目立って」来てしまいました。
もう「生足」を出す年齢でも無いんで、ずっとパンツスタイルで誤魔化して来たのですが、徐々に「熱」を持つようになって、少しでも「圧」のかかるストッキングを履いたりすると、物凄く痒くなって、夏場はかなり大変でした。

最初に気づいた時に、ネットで色々検索したのですが、「血管を取り除く手術しか完治の方法は無い。」って書かれていて、かなり二の足を踏みました。
まぁ、足を出さなきゃ良い話しでもあるので。そのままなし崩し。。

でも、毎夏痒くなるのやら、本当に「醜い足」を見るのも悲しくなるのと、医療関係の友人が
「瘤って名がつくのは放置しない方がいいよ。」
 って言ってくれたのをキッカケに、今年の初めに診察の予約をとりました。

私がお世話になったクリニックはこちら。

湘南メディカルクリニック

日帰り手術も可能だし、保険適用も可でした。

大きな流れとしては
「診察」→「手術前検査」→「日帰り手術」→「翌日検診」→一ヶ月の圧迫ストッキング着用→「術後一ヶ月検査」
という感じ。実際は三回の通院だけで済んでしまいました。

私の場合、両足に静脈瘤が出ていたので、両方を「血管をレーザーで焼き塞ぐ」手技でした。新しく入ったレーザーが保険適用だったのがラッキーでそれまでは自費治療機械と同じスペックで、保険適用の手術が出来ました。(費用は8万程度を自己負担)

全身麻酔では無いのですが、半分意識が残った状態の「局所麻酔的」でもぼーっとする感じの麻酔で、カテーテルを二ヶ所から入れて、徐々にそれを後退させて血管から抜きながら「道を閉鎖」していくというイメージと思って頂ければ。

面白いのが、血管は塞いでしまったら、そのうち体の中で「別のバイパス」を作るそうですね。そのままにしていいもんかと思ったのですが

「ろくに排水しない排水管に、汚水が溜まった状態を放置してるのが、この症状だから、埋めて使え無くしてしまう方がよっぽどいい。」

のだそうです。この先生の説明に酷く納得してしまいました。

一ヶ月の圧迫ストッキング着用が、夏場だと辛いかもしれないので、治療は冬場がオススメです。

最後に、術前術後の写真を。(恥ずかしいですが)
足の前面にまだ静脈瘤が残っていますが、これも一年程度で無くなるそうです。後ろのふくらはぎは、だいぶ綺麗になりました。

もし、悩んでいて治療を考えている方にはおすすめです。
術前(左足向こう脛)一番大きくて目立つ

術前(右足ふくらはぎ)酷い時はもっとボコボコ

術後2ヶ月(左足向こう脛)少し残っているもののかなり減りました

術後2ヶ月 (右足ふくらはぎ)殆ど消えてます

2015年2月1日日曜日

ジャーナリスト後藤健二さんを偲んで

ずっと経緯を固唾をのむ思いで見守って来たけれど、最も悲しく最悪の結果になってしまった。
怒りもあるし、情けなさもある、 僅かながら自分で出来る事は無いかと自問自答もしているけれど、今日はプロとして生きた後藤さんに最大の敬意を示したいと思う。
あちこちに流れている彼の写真の中で、一番素敵な笑顔だと思った写真を元に、、、。彼の撮ったシリアの子ども達の写真も胸をうちます。何も信じられないと思いたくなる時に、少しでも写真の持つ力を信じたくなる一枚です。
心からのご冥福を祈って。

2014年1月10日金曜日

映画「永遠の0」謎に解釈を加えてみる

こんな気の利いたオリジナル画像が公式サイトで作れる!
映画「永遠の0」を観た。これから観る方や、小説をまだ読んでいない方は、以下ネタバレなのでご了承下さい。
昨年この小説を読んで書いたエントリー(魂をわしづかみ「永遠の0」百田直樹著)の続編というか、解釈編。。。

女子目線での解釈
小説を読んで、真っ先に浮かんだ思いは
「なぜ、教え子に生還の切符を譲って宮部は死んだのか?
、、だってそうである。きっとそう思った読者も多いと思う。いかに夫が「こいつなら」と見込んだ若き大学生とは言え、それはそれ、これはこれである。
「なぜ、あんたが生き残らない!」となじりたくなるのが女心だ。
(おまけに、映画では岡田君である!どんな理屈を並べられても納得出来無いだろう!いや染谷君もいいんですけどね。。)
この物語の最初から設定されている命題な訳だが、明快な答えは小説でも映画でも語られない。観る者が各自考えなさい、、と言う事なのだろうが、この小説を読んでからずっと考えて二通りの解釈をしてみた。


最後の大博打を打つ
小説でも、映画でも宮部のたぐいまれな判断力は観客を魅了する。
彼が囲碁の達人である事が大きな伏線になっているのだが、映画ではあまりそこが強調されていなかった。

鹿児島の特攻基地で旧友と再会した時に、すっかり憔悴し切って座り込む宮部の手前にチラッと、碁盤が映っていた。監督はキチンと原作の意を汲んでいたのはあきらかだが、尺的に「宮部の囲碁の腕は名人級」というエピソードは割愛しなければならなかったのだろう。

先日、囲碁が好きな友人がこんな事を話していた。
「囲碁はとても女性的で将棋と全然違う。守りながら攻めるんだ。」
奇しくも彼が語った、この特徴が主人公宮部のキャラクターを端的に言い表している。
最初に小説を読んだ私は結末に納得出来なくて、もう一度読み返し、以下の仮説を立てた。そうでもしないと、自分を納得させられなかったからだ。(それだけ、主人公宮部の深謀遠慮はかっこいい!)

最初の仮説
「この大学生を生かして妻子の元へ差し向けた方が、戦争が終わった後、きっと家族はもっと良い暮らしが出来る。自分が帰るよりも。。」と咄嗟に判断して、出撃前に機体を交換し、置き手紙をした。

去年のエントリーに、この論拠を遠回しに書いてみたのだが、作者の百田氏は小説で巧妙に舞台装置を作り上げている。

宮部の証言をする老人達は
  1. 貧しい借家住まいの片手を失った老人(宮部を戦争初期の同僚として語る)
  2. 末期ガンで死の床に伏している老人(宮部を上官として語る)
  3. やくざの親分(宮部を戦争末期の同僚として語る)
  4. 会社役員の老人(宮部を教官として語る)
と、戦局を時系列にリレーする形で語り継いでいる。注目すべきは証言者の今置かれている生活状況だ。偏屈で被害者意識の強い最初の老人から、最後は会社役員。。大きく明暗を分けている、3と4の間には「士官」というラインが引かれている。要は高等教育を受けたか否かで引かれるラインだが、作者は偶然にこの描写をしたわけは無いだろう。

私は、太平洋戦争関連書籍をかなり読んで来たが、学徒動員で兵隊に取られた学生のうち、生き残って帰れた者は再び学業に戻っている。そして「学」の無いまま戦後に放り出された復員軍人は、なかなか辛い戦後を過ごしたらしい。

今はあまり語られなくなったが、「特攻あがり」とという陰口を父からきいた事がある。「特攻で生き残って帰ったものの、職が無くてしかたなく先生になった人がいたが、ろくな教師では無かった。」
何か物騒な事があると「復員軍人」が疑われた事を思うと戦後の治安の悪さが伺い知れる。横溝正史の小説では最初の容疑者はたいてい「復員軍人」だ。
古今東西、帰還兵士の社会復帰は大きなテーマである。通常の生活に戻れないまま、生活苦に陥ったり、荒んだ生活を余儀なくされた人も多いのではないか。百田氏はそのあたりの描写に抜かりは無く、また容赦も無い。 

このことを考えると、宮部がなぜ飛行技術が未熟な学生にエンジン不調の機体を譲ったのか。その深意が少しわかった気がする。
「この無謀な戦争には絶対に負ける。ここまで壊滅的に追い込まれたら日本はどうなってしまうのか。」
小説でも映画でも、宮部は大石(染谷)に「戦後どうしたいのか?」と、問いかけていたし、教え子達になかなか合格を出さなかったのも、自分は行きたくても、経済的に叶わなかった大学の重要性がよくわかっていたからだ。
現代とは比べ物にならない程、知的レベルの高い人々だった、、、と以前のエントリーにも書いた。至宝と言える人材を無謀な特攻作戦に送り出す事に、宮部はどうしても納得が行かなかっただろう。昭和恐慌が無ければ自分もきっと学校へ行けたという忸怩たる思いもあったのかも知れない。(小説ではこの下りが囲碁のエピソードと一緒に語られてますね)

とは言え、リスクは高い。結局、大石も不時着し損ねて死んでしまう可能性もある。一方、機体を譲らなければ、宮部は生き残って帰る可能性は非常に高い。戦後の自分には悲惨な生活が待っているとしても、生きて帰る方が、妻子を路頭に迷わせる確率は格段に低くなる。。と凡人なら考えると思うのだが、それでも彼は、戦後の事を考えて最後の「大博打」に出た。。のか。。



やはり透明に0リセットで考えた
、、、と小説を読んだ後は、こう自分を納得させたのだが、映画を見て改めて「ちょっと違うかな」と感じた。

最初の解釈は、歴史がどうなるか知ってる視点からの(しかも死なないで欲しいと思う女子目線)の解釈で、宮部はそこまで千里眼に先を見越していただろうか?大石君をまるで利用するような思考の持ち主だろうか???もしそうだとしたら、計算高すぎて嫌な人間だ。

否、絶対にそうではない。多分、真実はこうである。

戦争は破滅的な局面で、精神を病んでしまいそうに狂っている。特攻の命が下った時、宮部は自暴自棄になるギリギリまで追い詰められたが、エンジン不調を見抜いた瞬間に持ち前の「最後まで生きる努力」の粘り思考が回転したのだろう。全員が死んでしまうこの状況下に、たった一つのチャンスを見つけた。
この場合生き残りの切符を持つに相応しいのは誰か、、、心根が真っ直ぐで自分と価値観の近い、しかも上手く生き残れば、よっぽど社会に役立てる学歴を持つ若者が優先されるべきだ。よしんば、学生が死んでしまったらそれまでだが、自分が乗って生き残ったとしても、また特攻へと駆り出されるだけだろう。(そして、大石は今譲らなければ確実に死ぬ、しかも敵艦に届かないまま。)若い彼なら、不時着の怪我で後方へ送られて、また生き延びる可能性もある。
きっと終わると思える戦争も、いつ終わるかまだこの時点では判らないのだから、全体最適と「(日本という社会が少しでもまともな形で)生き残れる為の努力」をした上での、冷徹な判断だったのではないか。
ここまで決めて「さて、妻との約束を反故にしてしまう。」という最後の問題を考えて、託す思いでメモを書いた。。。(結果、戦後危うい所を宮部の築いた縁が松乃や清子を救ったわけだが。)
とにかく男性思考が苦手で「どうして妻子がいつも責務の後回し?!」とカリカリ来てしまう私にしては、なかなかいい線を突いたインサイトではと思う。

だから、百田氏はこの小説を「愛の小説だ」と語ったのかも知れない。

橋爪功が味のある演技で
「小隊長さんは本当につえ〜方だったんです。」
と語った台詞が、敵艦の弾雨を見事な技でかわしながら突っ込んで行くエンディングに重なる。映画を一緒に観ていた息子に
「どうして、弾が当たらないかわかる?水面近くだと、戦艦から打ちにくいからだよ。」と教えてやったら、「そうなの?」と目を輝かせて興味スイッチが入ったのがわかった。
本当に、男脳は悲しい程に「目的思考で余計な事を関連付けて考えられないせつない脳」だ。去年の夏に書いたエントリー(NHK BSプレミアム「零戦 〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜」) を思うと改めて、最後の解釈の方が真実に近いのだと思う。

根源的な男女の愛、その外側を包むようにある、もう少し広い社会的な愛。日本人が紐帯とするものはそんな形なのかも知れない。

2013年8月18日日曜日

NHK BSプレミアム「零戦 〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜」

ラバウルの沖合に沈む零戦(NHKオンデマンドより)
NHKは毎年しっかり取材した終戦特集を組んでいる。去年は「戦艦大和」だったが、今年は「零戦」。「永遠の0」や「風立ちぬ」の公開もあってのことだと思うが、この夏は太平洋戦争関連の映画が多く、これまでと少し違う印象を受けている。

この番組で証言して下さった搭乗員の多くは80歳以上。17〜18歳で従軍しているのだから、いよいよ実体験を語れる最後の世代も少なくなっているのを実感してしまう内容だった。

日本がどの国と戦争をしたのか知らない高校生
今朝(2013/08/18)日経の「春秋」で、「ももクロ(現役高校生)は現代史を殆ど知らない」というコラムが載っていた。年号も戦争相手も無茶苦茶な回答ぶりに絶句してしまうが、周囲に実体験した人もおらず、歴史の授業でも、まともに教えてもらった事が無ければ仕方がないかも知れない。本人に興味が無ければそのまま大人になっても、何ら支障の無い世の中なのだろう。(世界に出すにはちょっと恥ずかしいけど。。)
この番組のように、良質な記録を残すのはそれだけでも意味があるが、これだけ他に面白い事が溢れている現代では、番組に気が付かずにスルーしてしまう人が殆どなのだろうなと思う。
我が家でも私だけがオンデマンドでこの番組を見たのは失敗かなと反省している。親が観ている番組を、つられて子どもも観るという経験をすれば、興味があれば自然に自分からもっと知ろうと思っただろう、、、。各自が端末の画面を見つめる「個別化」時代は、いつまでも「お気に入りの好きなコンテンツ」だけを見続け「背伸び」をする機会を奪っているのかも知れない。

零戦搭乗員の最後を見つめた角田さん
番組で、何人かの証言者が登場していたが、最も印象に残ったのは角田和男さんだ。(94歳)特攻隊を目的地までエスコートし、その最後を見届けた人で、小説「永遠の0」の主人公、宮部も物語後半には特攻の教官を務めながら、同じ役割をしていた。角田さんご本人も最後は特攻出撃命令を受けていたが、出撃前に終戦を迎えている。

二つの杖をつきながらも、頭脳明晰、記憶も鮮明で、ある17歳の特攻隊員の飛行機が敵艦の、どの部分へどう突っ込んで行ったのかとはっきりと話されていた。
最も辛い役割を負わされた人間の、静かで重い祈りが伝わって来るようだった。戦後は遺族を尋ねて自分が見届けた最後を話し、南洋の島々へ慰霊の旅へと向う人生を送られたそうだ。
「見届けた人150人の名前と念仏を唱えながら寝るんですが、最近は途中で寝てしまう事が多いんです。ラバウルからずっと続けて来ていたのですが。」
「明日出撃という前の晩。搭乗員達の宿舎を見張る当直の仲間に聴いたのですが、皆、眠りもせずギラギラと目ばかりが爛々と光りながらまんじりともしないで、じっと黙って座っているんだそうです。翌日、飛行機に向う時は本当に朗らかな様子を見せているんですが、どの組も、前夜はそんな様子だったと言うんです。」
角田さんは、今年(2013年)の2月に亡くなられたそうだ。最後の最後まで、自分の負った使命と向き合われた人生だったのだと思うと、深い敬意と哀悼の念を思わずにいられない。

過去から何を学ぶのか
毎年の特集を見て思うが、これを単に「過去の過ち」と思って受け止めるだけでいいのかとつくづく思う。この膨大な犠牲の元に戦後の復興があった訳だけれど、根底に流れる「変わらない日本人の思考癖」を思い知らねばならない。
  • 「軍神」と崇め奉ったかと思えば、戦後手のひらを返した様に右へならえしてしまう群衆達の「考えの無さ」
  • 「擦り合わせの名人芸」で図抜けたアウトプット(今回は零戦)を出せるだけの能力はあるものの、中長期的な戦略とそれを軌道修正する柔軟さの欠如。(思考オプションを自ら狭めてしまう。)
  • 4000人近い若者を飛行機もろとも突っ込ませる、そんな外道な戦法を年端も行かない者に押っつけてしまう「甘え」の構造。(それを目の当たりにする前線の同僚や上官達が精神的に追い詰められる重圧はいかばかりかと思う)

この国は、責任の所在を明確にしたがらず、曖昧なまま「何となく」ものごとを先に進めてしまう癖がある。「現場の兵士は最高、将官クラスは最低」とはよく言われる事だが、いつまで「現場に甘え」ているつもりなのかと思わずにいられない。

2013年7月28日日曜日

「リーン・イン」シェリル・サンドバーグ(現FacebookCOO)著 〜席に着く勇気〜

笑顔がとてもチャーミング

IMFのラガルドさんに続き、パワフルな女性からまたメッセージか!と思いきや、意外に親近感の湧く内容でとても読み易かった。著者であるシェリルは恐らく私と同じ(1〜2歳差)バブルの申し子で「ウーマンリブは既に完了し、世の中平等になったんだ。」と信じて成人した世代だ。


実体験と綿密な裏付け情報(巻末に山と引用文献の索引が付いている!)で、今の「気持ち」を懸命に表した感じがとても好印象な本だった。
「きっとアメリカはもっと進んでいるに違いない。」
と思っていた私には、意外に日本と変わらないんだと判って、それが新鮮でもあった。


問題が無いふり
年収ラボより
一年前に見つけて、忘れられないショッキングなグラフがある。働いている人を男女別に10歳ごとに区切った平均年収のグラフだ。
見ての通り、日本の働く女性は、全年代に渡り、平均年収が300万を越えない。男性と急激に差がつきはじめるのが30代以降。これは女性の就労人口がM字型(出産適齢期になると離職して、育児が一段落した頃にまた働き始める)である事と密接に関わっている。一時お休みして再就労しても平均年収が男性の半分にしか満たない、、、即ち、ある一定の権限を持てる所までキャリアを進められていない事を物語っている。
「今さら」
と思わなくも無いが、事実を可視化されると、やはりインパクトがある。これまでは「女性が家事/育児/介護を担い、そこにかかるコストを男性が外で仕事をして稼ぐ。」が一般的なモデルだったのだから、グラフがこんな形になるのも当然で、倍以上ある男性の平均年収の半分は「妻」の物でもあるのだろう。(夫婦間での話ね)

でも、、と、どうしても思ってしまう。自らが稼いだという実感が無く「所有権」だけを主張する「お金」とはどんなものなのだろうか。。
私は、日本の多くの女性が「何かを学び損ねている。」のではないかと、最近強く思わずにいられない。その何かとは「社会性」とか「市場感覚」とか「権利と義務とのバランス感覚」とかそんなものかも知れないのだが、端的に言えば「真の大人になる」事なのだろう。
周囲からも、そして自らも率先して「幼い無垢」なままで眠っていたいと、頭から布団を被っている(被らざる終えない)ように思えてならないのだ。


テーブルに着こう
シェリルは、そんな女性の心理を時に鋭く、時に「自分もそんなに強く無いのだ。」と正直に心情を吐露しながら、語りかける。
特に、アメリカの「仕事が出来る男」は超肉食系なのか、ガンガン自己主張するのに比べ、どうしても女性達は能力は十分にあるのに自ら「一歩前へ踏み出す」事をためらいがちであると言う。
ルールをキチンと守り、自己研鑽を怠らず、周囲へ気遣いをして、与えられた以上の仕事をしても、それを「交渉ネタ」にディールするという積極性を出しにくい。
そんなに出しゃばると男性に「モテ」ない。
洋の東西を問わず、女心は変わらないんだなぁと、少し微笑ましくも思った。いや、むしろ「マッチョ」の総本山である欧米の方が、よりこの心理が強く働くのかも知れない。
日本の場合は
「母ちゃんの尻に敷かれてさ」とか「うちは女子が元気良くて」等と「かかあ天下」よろしく適当に祭り上げておいてその実、肝心な所を「カッさらう」
のが常套手段で、一途で懸命に働く女性達はしばしば、縁の下からなかなか出る事が出来無い。まして、子どもを産んでそれでも働き続けようと思うと、相当に頑張らないと「自分一人の努力ではいかんともしがたいハンデ(子どもが体調を崩すのを100%防げる母親はこの地球上に存在しないだろう)」を、「いつ突かれるか」とビクビクしながら懸命に職務を遂行するのが精一杯で、とても「ディールしよう」とまで思え無いのが現状だ。

でも、そこを「一歩踏み込んでテーブルに着こう」とシェリルはナッジ(肩をそっと押す)してくれる。周囲へも「彼女達をナッジしてあげて。」と理解を促すと同時に、女性達にも「勇気を持って積極性を出してみよう。」と語りかける。

  • キャリアは梯子でなくてジャングルジム
  • ティアラ症候群(真面目にキチンと仕事をしていたらいつか誰かがそれを認めて王冠を頭に被せてくれると期待する)
  • 自分を引き上げてくれるメンターを探し続けるのは「王子様」を探すのと同じだ 。(郡から引き上げてくれるメンターを探すのでは無く、自力で郡から抜け出られた時にメンターに出会えるのだ。)
 本当に耳が痛く、且つ鋭い指摘をしている。


対話を続けよう
この著書のいい所は、この一文で終わっている所だ。何か結論めいた事を言い切るのでは無く「これはきっかけに過ぎない、対話を続けよう。」と行動を促している。
さすが、そこはFacebookである。きちんとコミュニティが出来ている。
Lean Inコミュニティ
日本版があったらもっといいのにと思うけれど、きっとじきに出来るだろう。
数年後、「あれからどうなったかな。」とまた本書を振り返って読むだろうなと予感している。「ああ、こんな時代もあったね。」と思えるように、ほんの一ミリでもいいから努力しなくてはと思う。

2013年7月20日土曜日

速報!「風立ちぬ」宮崎駿監督 〜大人の潔さ〜

「アルプスの少女ハイジ」で育ったジブリ世代としては、やはり宮崎駿監督の作品と聞いたら、見に行かずにはいられない。「もののけ姫」から毎作封切り日に劇場で見て来た。(唯一の例外は「ハウル」ーーあの時は息子が「魔の二歳児」で二時間以上映画館でじっとさせてる自信が無く、泣く泣くDVD版)
今作は「潔いよいなぁ」と感じた。途中、涙がジワリ。

あの時代の日本
このブログでも頻繁に書いているけど、私は相当に歴史好きで、幕末〜昭和初期までは、かなりいろいろな本を読み込んで来た。
近代化に邁進していた頃の日本をおぼろげに思い描いていたが、世界最高水準のジブリ美術力がそれを、空気感まで再現してくれて、本当に涙ものだ。

あの頃の人々の風俗、物の考え方、どんな環境で、どんな空だったのか、、丹念に描かれていて「一瞬たりとも見逃したく無い。」と思った。いつもながらの「調べ」と「作り込み」に脱帽である。これは、まだ事情がよく判らない子どもには単調だったようで、五歳の娘は後半飽きてしまっていたが、中三の長女には丁度良かったと思う。



潔い人間達
丁寧な言葉使い、もどかしい程に通信手段の無い世の中、大工が大工道具の箱を担いで歩いている傍らで、国家の威信をかけて世界最高水準の工業技術を手に入れようとする「目一杯の背伸びと焦燥感に駆られる英才達」。。宮崎監督らしい妥協を許さない描き込みは、画面に描かれる端っこの人間にまで、「シャンと背筋を伸ばした潔さ」を感じる。
主人公「堀越二郎」はこのパンフレットだと「ちょっと優男」に見えるが、スッと見せる判断力と優しさに、あっという間に虜になる。
ネタバレになるからこれ以上は書かないけれど「ジブリもやっとここまで描けたか」と思う大人も「胸キュン」の物語である。

美しい形が最も性能が高い
宮崎監督が「飛行機好き/兵器好き」は有名だが、ゼロ戦に対して非常に敬意を払っている事がこの映画でよく判る。冒頭のパンフレットに描かれている、ちょっと変わった形の飛行機ーーこれは「九試単戦」と言って、ゼロ戦になる前の前の「ブレークスルーモデル」とも言うべき名機らしい。(まったく知らなかった)
堀越二郎が手掛けた中で、一番愛したモデルらしく「あんなに美しい飛行機は見た事が無い」と実物を見た人の証言も残っているそうだ。
新幹線の生みの親「島秀雄」も「美しい線は一番空気抵抗が低い」と言っていたし、映画の二郎も「鯖の骨の流線型が美しい」と語る。
「設計はセンスだ、技術は後からついて来る。創造的人生の持ち時間は10年だ。」と映画でカプローニ氏は語る。ああ、そうだよなぁっと思わず震える台詞だった。

初の主役声優を務めた庵野監督(非常に自然で最初気が付きませんでした)も
「72歳を過ぎてからよくこんな映画が作れた。」
と感嘆していたが(いやむしろ、その境地だから作れたのかとも、、、)いつまでも、自身に挑戦し続ける、宮崎駿監督の「負けん気」に乾杯したい映画だった。

創造的人生は短い。漫然と生きずに目一杯生きろ。

2013年7月15日月曜日

ちきりん著「世界を歩いて考えよう!」「未来の働き方を考えよう!」〜人生をシェアしあうこと〜

最新刊と去年発行された第三冊目の著作
ちきりんさんの著作はこれまで発行された物は全て読んでいる。(前回のブログ)ちょっとTwitterから離れていたので、彼女のツイートも最近チェックしていなかったが、偶然書店で新刊をみつけて、以前読んであった第三冊目と合わせて簡単な読書感想。

一度きりの人生をシェアし合う(世界を歩いて考えよう!)
ちきりんさんは、有名人気ブロガーだが今まで実名を明かしていない。講演会もお面姿で「顔出し」をしない方だが、恐らく私より、3〜4歳年上でほぼ同年代だろう。今回の「未来の働き方〜」はこの所、私が感じていた事をズバリ明文化していて、本当に興味深かった。

彼女は所々で書いているが、出産経験は無い。証券会社や外資系企業を渡り歩き、おそらくかなり高い地位までステップアップして行った「切れ者のキャリアウーマン」だと思う。(おちゃらけ〜と自称しているけれど、彼女のブログも著作も根底に流れる考察は鋭い)バブル期に入社し、99年から子どもを産んで、30代の大半を三人の子の出産/子育てと仕事の両立にカッツカツに時間を費やした私にとっては、「世界を歩いて考えよう!」は「ひょっとしたらもう一つの人生」だったかも知れない世界に見えた。

バブル世代のご多分に漏れず、結婚前は年に一度は海外へ渡航していたし、僅かながら仕事で海外に行く経験もした。それが、結婚/出産をした途端、気が付けば15年以上日本から外へ出ていない。その気になれば出られない事は無かったが、独身時代とは比べ物にならない程、からみ付いたしがらみを、振りほどいてまで「海外へ行こう」と思う気力が無かったのが正直な所だ。(例えば、田舎を持つ配偶者と結婚すれば、長期休暇に「帰省せず孫の顔を見せに帰らない!」と決断するのはかなりの軋轢を覚悟しなければならない、、とかね。。)
 「世界を歩いて考えよう!」を読んでもすぐに感想が思いつかず、ブログにも書かなかったのは「羨ましいな」とも思わなくなってしまった自分の「縮こまり具合」の現れだったのだと思う。羨ましいと思うのはまだ「健全な上昇志向」がある証拠だ。

彼女の著作は一環して「考えよう」と訴える。あらためて、もう一度「世界を歩いて〜」を拾い読みすると、現地を見たからこそ(しかも意味ある時期に)のリアルで鋭い観察が事例豊かに綴られている。ボンヤリのんびり観光してそうで、見るべきものを見、考えるのが「ちきりんさん」なのだが、彼女がこの経験を本という形にして流布してくれた意味が、最新刊「未来の働き方〜」を読んでやっと判った気がした。

結局、人は自分の人生を一度きりしか生きられない。
  • 子どもを産む/産まない(或は、産めない)
  • 働き続ける/続けない(或は、働けない/続けられない)
  • 親の介護に時間を費やした/殆ど費やさ無かった
等々、一人一人の人生は全く違うシナリオで、たまたまある一時期だけ「親族」や「友人/同僚」として共に誰かと過ごす事はあっても、基本的に「巻き戻し」無しの一本道を一人で歩いている。
だからこそ「これまで歩いた道」をシェアし合いたいと渇望するのかもしれない。 本(物語)は「別の人生」を擬似的に体験出来る優れた「横糸」だ。一人一人の人生が「縦糸」なら、それをつなぎ合わせて紡ぐ役割を果たす。出来上がった布が、文化とか、文明とか、歴史、、と呼ばれるものなのだろう。
IT革命以前は、この横糸はごく限られた人しか紡ぐ事が出来無かった。それが、簡単に短時間で気軽に出来てしまうのだから凄い事だ。
そして、人生をシェアし合う段階から、時代は次へと動いていると彼女は提言している。


人生は二度ある(未来の働き方を考えよう!)
最新刊「未来の働き方を考えよう!」では
「もうお気づきだと思いますが、人生二度あるのがこれからですよ。」
とデータを示しながら、彼女は縷々説明してゆく。
  • 少子高齢化は確定の織り込み済み前提条件
  • 定年はどんどん延びます
  • グローバリゼーションの波は国家の枠関係無しです
  • パワーシフトは起こっているので、パラダイムシフトせざる終えないです
「そんな事判ってる!だから心配なんじゃないか。」
と眉をひそめて暗くならないで、ワクワクしながら、考え方のシフトをチェンジしてみませんか?というのが、本書の提案主旨だ。
「最初の人生の選択(20〜30代前半)」がパッケージツアーだとしたら、「後半の人生の選択(40代以降)」はオリジナルのツアーのようなもの。最初の選択は「みんながそうしてるから」と安パイな「おススメコース」を行くが、二度目の選択はこれまでの経験から「本当に自分のやりたい事」を上手く選べるはずだ。
と明快に表現する。
「子育てで30代使っちゃったなぁ。」
と未練がましく不貞腐れていた私にとって、特に以下の文章は心から嬉しかった。
これからは、前半人生は専業主婦、後半にはバリバリ働くという人も増えるでしょう。子育ては案外短い期間で終わります。人生は80年だし、働く期間も42年を越える可能性があるけれど、子どもは18歳になれば(少なくとも時間的な手間は)かからなくなります。子育て以外の人生は相当にながいのです。(中略)子育てという大事業を経験した40代の女性を雇う企業がないなどというおかしな状況が、いつまでも続くとは思っていません。人生が100年で70歳まで働くのなら、40代からキャリアを積み始めてもまったく遅くはないはずなのです。(「未来の働き方を考えよう!」p150)
「若い時に身に付けた方が有利なスキル」 はいくつかあるので、何でも「人生後半に学べばいいや」と思うのはやや浅はかだが、そこは戦略的に錆び付かせない「刃物を研ぐ」知恵を働かせれば良いわけで「仕事か、家庭か、子どもか」と悲痛な選択を追い込まれるようにしなくても、思考のオプションをいくらでも変えていいのだと思える。

ちきりんさんは、巻末に「後半人生のオリジナルシナリオ」を作るポイントを書いている。
  1. とにかく「心からやりたい事」を意識して探せ。(これが見つかったら僥倖(ぎょうこう)それも具体的に細かく書いてみる。
  2. その「やりたい事」に到達する為のシナリオを複数(←ここがミソ)持て。そして、それを数年ごとに見直し、選び直しをせよ。
  3. 「市場で稼ぐ」力を身に付けよ。 これからは何年生き延びるのか分からない事を考えると、ストック型よりはフロー型の方が有利。市場で稼ぐ事をビビットに体験していないと折角設計した「オリジナルシナリオ」が実現出来ない。
最後に「稼ぐ力」を持って来ている所がさすが「甘いばかりじゃないよ」である。「消費する一方」「与えられた予算をただ使う一方」では、とても「市場から稼ぐ」スキルとセンスは身に付かないと、ピリリとスパイスを利かせている。
人は市場から遠い場所で働く期間が長くなると、世の中から求められる能力や資質が伸ばせなくなります。最終的にお金を払ってくれる人を意識していると、市場がもとめるもの、評価してくれるものを提供しようという意識が強くなります。市場が求めているものとは、突き詰めれば時代が求めているものです。それを提供しようとすれば、自然と自分にも、時代が求めるスキルが身につきます。(「未来の働き方を考えよう」p212)
何も市場を学ぶ事は難しい事では無い、IT革命を使えば、たった一人で、今からでも始める事が出来る。例えば、こんな風にブログを書いて、何人かが最後まで読んでくれたら「それが市場感覚だ。」ちきりんさんはそう教えてくれている。
彼女の著作は、これからも目が離せない。